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この世界にドロシーはいらない  作者: 新藤 愛巳
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かかしの兄

 俺はうつし世で目を開いた。激しく咳き込む。

 病院のベッドの上に俺はいた。点滴に繋がれている。なにがどうなった?


「ここは……」


 目を開けると心配そうな黒さんが俺を覗き込んでいた。


「坊ちゃま、傷は完ぺきに治ったそうです」


 黒さんは俺のおでこをパチっと叩いた。


「……いたた」


「お叱りをいたします。坊ちゃまは何者かに切られて倒れ、黒が手当てしたのでございます。そしてここは病院です。黒は坊ちゃまを守るためにおじいさんと約束してここに来たのですよ」


 黒さんの言った通り傷は既にふさがっている。

 姿見に頭髪を映す。俺の髪の毛はゲンロクの国とは違って真っ黒だった。


「あれ、ゲンロクは」


 黒さんは俺の話を一通り聞くと目を閉じた。


「ゲンロクはこの町の吹き溜まりでございます。坊ちゃまの心だけが井戸の底に流れ落ちたのでしょう」


走馬灯そうまとうだったのか?」


 俺は目をぼんやり開けた。傍らには『役小角の魔法使いかもしれない』と言う本が落ちていた。その本には新章が刻まれ始めていた。かかしの字でかかしの物語が書いてあった。かかしの苦しい気持ちが切々と書いてあった。どうして兄を倒してしまったんだろう?


 その後悔が殴り書きのような字で書いてある。


 ところどころしか読めない。だが、何もかもを後悔して泣き叫んでいるように見えた。

 かかし!


「黒さん、かかしは?」


「あの場所には坊ちゃまが倒れているだけでした」


「火佐賀屋様は?」


「そこにおられます」


 火佐賀屋久乃は本を拾い上げた。


「縁野くん。私はずっとこの本を読んでいたのよ」


「どうなっているんだ? あれは夢なのか!」


 火佐賀屋様は悔しそうな顔をした。


「貴方はかかしに嫌われたのね。だからあの世界から捨てられた。疑ったんでしょう? あの子の事を……見捨てたのね」


「火佐賀屋様……あれは夢じゃないのか?」


「私の手を見て。王の印が付いているでしょう?」


 それは紛れもなく、俺たちがゲンロクに行った証だった。


「本当だ……本当に、君は何でも自分の物にしてしまうんだな。そんな物まで。平気なのか? 痛くはないのか?」


「くすくす。縁野くん。私はくっつけ屋だから。だから平気よ。私も兄を探しているの。私の兄を見つけてくれるという話、覚えている? 兄はね。私の人生を引っ掻き回したのよ」


 君って人はこんなときに。いや、こんな時だからこそ。


「火佐賀屋様、君のお兄さんの顔をもう一度見せて欲しい」


「こんな顔よ」


 火佐賀屋様は紙に絵を描く。


 キュービズムで描かれた呪われそうな顔だった。ピカソよりも歪でゆがんでいる。


「火佐賀屋様、本当にこんな人間がいるのか?」


「似顔は苦手なの」


「似顔絵が芸術的すぎる!!」


 しかし、大好きな兄をそんなふうにしか表現できないのだとしたら、彼女の心も歪んでいる。


「縁野くん。私は貴方をまだ心の底から信頼できないでいるの」


「かかしならともかく、君にまで恨まれる筋合いは……」


 火佐賀屋様は笑わない目で俺を見た。


「私は子供の頃、川に行って友達を水にさらわれた事があるの。友達は溺れて病院送り。その時、何も出来なかった。とても後悔した。兄はそれをもみ消した。その事実を消して回ったの。暴力で。お願い、もう傷口を掻きまわさないで! 縁野くん、貴方の事が大嫌いになりそうよ!」


 俺は唇をかんだ。俺はおじいとは違う。人の心が解らない。理解できない。

 それでは心理分析官になれない。ゲンロクの騎士になれない。所詮、見習い止まり。


 この世界にドロシーはいない。存在しない。


 頭が良く、勇気があって、人情の厚い人間。そんな人間がもしもいるのなら、聞いてみたい事が一つや二つあるけれど――いないので聞けない。


 病院の屋上で夜風を浴びる。黒さんと火佐賀屋様が俺の周りを警戒する。


「やあ。縁野くんいい夜だね」


 シオリの眠りの呪縛からとけた武利木さんが俺の前に立っていた。


 どことなくやつれているようだった。


 黒さんも火佐賀屋様も気づかない。誰にも見えていない武利木さんは俺を手招きした。


「やあドロシーちゃん。奇遇だね。僕について来てくれないか? 話をしよう」 


     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆


 黒さんと火佐賀屋様を説得して俺は病院を抜けだした。


 武利木さんと一緒に、いつも悪意を抜いていたゲンロクの井戸を下る。


 紐を渡して下に降りる。そこは霧の深い階段になっていた。


 そういえばかかしはここから映し世に来たのだった。こんな事でまた向こうへ行けるとは思わないけど、武利木さんの顔は切羽詰まっているように見えた。


「武利木さん。どうしてここへ。一刻を争うと貴方は言ったんですよ。俺に」


 武利木さんは暗い顔を持ち上げた。


「僕を――誰だと思う」


「武利木慶喜。慶喜さん……火佐賀屋様の関係者です」


「尾路異さんは一発で当てたよ」


 気がつくも何も、そのままだった。まんま、その通りだと思った。


「貴方は火佐賀屋のお兄さんだ。前に見せてもらった合成写真にそっくりだ」


 武利木さんは眉間にしわを寄せる。


「ハズレ、久乃ちゃんの兄ではない。僕は……かかしの兄だ 火佐賀屋さんのお兄さんは山でお坊さんの修行をしていたよ。今は知らないが」


「知らないって、心当たりはないんですか? 大事なことなんです!」


 いや待て……。


「ちょっと待ってください」


 かかしの兄。倒された前の王様か。道理で俺たちの事情に詳しいはずだ。


「一人の女の子の事情にあんなに詳しいなんて、おかしいって思いました」


「ならもっと早くそれを僕に聞くべきだったね」


「かかしとの関係が破綻する前に?」


 武利木さんは皮肉な表情を浮かべた。


「――母が早くに枯れて、不器用な父に代わり僕が彼女の世話をした。幼い僕の子育てはどこかが破綻していたのだろう。そして、あの水難事故でかかしはみんなの『嫌われ者』になった。あの子はきっと世界を滅ぼしたいほど僕の事を憎んでいるよ……。僕は本物のお化けを育ててしまったのかもしれない」


 俺はかかしのお兄さんと一緒に井戸の底の広い道を走る。


「駐車場で魔よけの帯を切ったのは貴方ですね。おかげで酷い目に会いました」


 武利木さんは頷いた。


「君の存在は不都合だった。かかしの生まれたての心が大木になるためには……憎悪を眠らせるためには、君の存在は邪魔だと思った。何が何でも引き離さねばと思った。君の存在は昔の僕を彷彿とさせただろうからね」


「貴方は懺悔しに来たのか?」


「違う。もっと都合のいい話だ。助けて欲しいんだ。ゲンロクの騎士見習い! 一度は心を許した君になら、かかしはもう一度心を開くかもしれない」


「だったら自分で助けた方が良いですよ。かかしはきっと貴方を待っている」


「――そうだろうか?」


「あなたが何かをしないと始まらないんじゃないですか? こじれて、絡まって――でも見守っているだけじゃ意味がないんです……。そんなのいない人と同じだ。あんたは腹の底から叫んだ事がありますか? テレパシーなんてないし、祈ったって届かない。でも、たとえ誤解されても言葉は届くんです。逃げないでください。ちゃんと妹に会って行ってください! 俺も俺の出来る事をします! だから力を貸してください!」


 俺はおじいの言いそうなセリフを吐いて霧の渦に飛び込んだ。

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