黒白
『顔のない妖精』は昼間攻めてこない。『日光が苦手なのかもしれないぞ』旅先から帰って来た雷音様はそう言った。前の王様、かかしの兄はどこにも見つからなかったそうだ。
妖精の森にも居なかったそうだ。
「うちの娘は昼間のうちに寝かせておくよ。ドロシーちゃん」
雷音様はそう言って笑いながら師匠を連れて帰っていく。
『顔のない妖精』はいつ来るかわからない。そう思っていた俺はその可能性に救われる思いだった。久々にゆっくり昼寝して目を覚ます。もう昼過ぎだった。
俺はネッコ族の子供たちを集めた。
「大人は避難所の創設に忙しい。だから俺たちは立てこもるための食糧集めだ! これは妖精と戦うための準備だ。この街の一番安全な畑に保存食をつくる材料を取りに行く」
「ドロシーのフルーツサンドが好きだ」
子供たちは俺に訴えた。ゲンロクのご飯は基本、和食なので俺の作るクレープとサンドイッチは物珍しいようだ。俺は笑った。また新作を作らないと。やる気が湧く。
「よく働いた人にはサービスにワタ飴レモン風味のパンケーキも焼いておくよ。涙が出るほど美味しいぞ」
子供などチョロイものだ。紅茶も蜂蜜も、アイスもジャムもバターのトッピングも要求された……。容赦がなかった!
かかしはニコニコしている。
「オズヌさんチョロイね」
「いつか君たちにもストッキングはかせよう……」
子供たちは笑いながら俺の前から逃げ出した。本気なのが解ったのかな。
ゲンロクの聖なる水が流れている川べりで旬のフルーツを収穫する。勿論、保存食に加工するのだ。俺と黒子さんたちはその周りに鉄線のバリケードを製造した。
「すごいね。これはなんていうものなの?」
「その名も『火佐賀屋様二号(仮)』だ。無敵だぞ」
かかしは不安そうに俺を見た。
「怒られるよ」
「君が言わなきゃわからない」
子供たちは喜んで秋の収穫祭を楽しんでいる。これで保存食が作れる。
かかしは流れる川を前に身体を緊張させた。顔がこわばっている。
俺は武利木さんの話を思い出した。昔、川べりで事故があったのだった。かかしを巡る事故が。
「かかし……今でも川は嫌いなのか?」
かかしは顔色を変えた。唇が白く染まる。
「誰かに聞いたんだね。あの事件のこと」
「ああ、聞いたよ。とある人にさ。変な風には聞いてないから安心しろよ」
かかしは川に勢いよく小石を投げた。小石は向こう岸に届かない。その手前で落ちる。
「上手く行かないね。私の事……おかしいって思ったでしょう?」
「勿体ないな。君が本気でみんなを守れば、ネッコ族も認めてくれるかもしれないのに」
「そんなに単純じゃないよ。そんなに単純にみんな出来てないよ。そんな事じゃ何も変わらないよ。みんな私を嫌いだよ。私は……嵐を待っているの」
「コップの中の嵐か? それとも本当の……」
遠くより雷鳴が鳴る。
「オズヌさんはここを守れないよ。妖精は本当に怖いの。きっと、昼間だって平気だよ」
「それは本当か?」
かかしは顔を真っ赤にしてうなずく。
「確かにこの世界には魔の強い夜にしか使えない魔法もあるけれど――あんなに頻繁に夜に現れるなんて、パターンを踏んでいるようにしか思えないよ。夜にしか現れないって思わせるパターン」
「それって、『顔のない妖精』は昼なんてまるで怖くないってことか?」
雷音様の見立てとも俺の見立てとも違う。
「かかし。じゃあ、あいつの本当の狙いは……」
「パターンを設定して、油断した所を襲うつもりかもしれないよ」
街にバリケードを作ったネッコ族はバラバラに行動していて……ひとりひとりが襲われたら守りきれるかどうか……!
「かかし、なぜ、そんな大事な事を黙っていたんだ」
かかしは空洞の目をしていた。その目は火佐賀屋様そっくりだった。
真っ黒の目をしていた。闇落ちする者の目だ。死ぬ前の人間の目だ。その寸前の者の目だ。
「私はね、こんな街なんて嫌いなんだよ……」
バリケードの向こう側、黒い花びらを舞い散らせて『顔のない妖精』が現れた。
「ふっふっふ☆ 油断しましたね☆ ドロシー☆」
妖精はその顔に不気味な笑いを張り付け、うひひと笑った。
黒くてもじゃもじゃしたお化けの仲間を引きつれて――。
彼らが歩くたびに、草は枯れ、土は腐り、腐臭が漂う。
植物園に腐臭が満ちる。
「うおおおおおぉぉ」
俺は妖精に向かって走った。相変わらず『破砕の力』は湧いてこない。
けれど怖くなかった。俺だって強くなっているはずなんだ。
巨大になったシオリを取り出す。
「黒子さん!」
黒子たちは雷音様の娘を連れて来た。戦える味方は多い方がいい。
「弟子よ。落ちつきなさい」
十歳の先生がこんなに心強いなんて思わなかった。彼女は剣を構える。
しかし、なんで雷音様を連れてこなかったんだろう?
「父は村人を守っています」
「わたくしは抜けだして自主的に助けに来ました。ドロシーとかかしちゃんを守ります!」
師匠の剣と妖精の爪が交錯し、辺りを火花が舞う。
「おやおや、小娘になんて負けませんよ☆」
妖精が指をふるうと彼女の魔法、コマ飛ばしで、その爪は三メートルに伸びた。
師匠は左肩と腕を貫かれて地面を転がる。師匠は苦しまない。
苦しまないから、逆にぞっとした。どさりと地面に落ちる。
「動けませんね」
「ああああああぁぁ」
俺は反射的に身を起こした。落ちていた石を投げる。
妖精の顔にぶつかる前に石は止まり、焔をあげて燃え上がった。
「強くて脆いですね☆ メインディッシュはその辺に転がっておいてくださいね☆」
妖精は爪で俺たちが七日間かけて作った防壁をなぎ倒し、俺たちに近づくためにゲンロクの水に足をつけた。その脚から煙が上がる。魔よけの水だ。たっぷり味わってくれ!
「おおおおおおおおお」
妖精の周りにいたお化けたちは聖なる水の蒸気を浴びて……吹き飛んでいく。
『うおおおぁぁぁ』
お化けたちはうめき声を上げ、すべて消し飛んだ。妖精は冷静に仮面を剥いだ。
妖精の顔の奥には宇宙があった。その奥が光り、川の水は蒸発した。
レーザー光線のような光が川底を真っ黒に焼き尽くす。
俺達のバリケードもなぎ払う。なんて力だ。
シオリも効かない元人間相手には技術で戦うしかないというのに。
小さい細工も効かないというのか。悔しくて歯を食いしばる。
「酷いです。みんないなくなってしまったんですね。私は悲しいです……。でも落ち込んではいられませんよね。みんなの努力を無駄にしないためにもドロシーちゃんを美味しくイタダキマス☆」
妖精はコマをぶち切ると突然、俺の目の前に現れた。
シオリを構えている俺の肩を掴むと祖の肩に手をかけてみちみちと力を込める。
俺は叫びながら地面を転がった。
「みんな! 逃げろ!」
子どもたちは半泣きで走りだす。『顔のない妖精』は満面の笑みを浮かべていた。
師匠は身を逆立てる。右手で剣を握り、左手を後に構えて、フェンシングのようなポーズで素早く踏み出す。彼女の剣撃は強い。けれど。
『顔のない妖精』はコマ飛ばしを使い、突然、師匠の横に立った。
「あなた邪魔ですよ~☆」
師匠の剣が弾け、小さな体が地面に押しつけられる。
その身体めがけて爪が伸びる。
師匠は転がった。俺はシオリを振りかぶり一気に突っ込む。
「はああああっ!」
シオリが届く瞬間、妖精は俺の背後に立っていた。
「危ない、オズヌさん!」
かかしは地面に芯師の術でクッションを描いた。妖精の爪がクッションをかきまわし、羽根が飛び散る。俺は肺を空気でいっぱいにした。
「ネッコ族のみんな! このまま、逃げよう! かかし!」
「王様の私が背中を守るから! だから行こう!」
子供たちはかかしを見て震えている。ついていこうとしない。
なぜだ?
妖精は口を緩めた。
「かかしさん☆ お兄さんはお元気ですか?」
かかしはぶるぶる震えた。辛そうな顔で叫ぶ。
「元気じゃない!」
「それはそうですよね☆」
「『顔のない妖精』! かかしのお兄さんを返せ!」
俺は指から滑り落ちたシオリを拾った。構える。
妖精は鈴の振るような声で笑った。
「女の子の嘘は尊いですよね☆ 都合の悪い事はみんな人の所為にしてなすりつけて☆ まったく本当に嫌になっちゃいますよね☆ どす黒くて醜くて嫌になっちゃう!」
かかしは真っ青になった。
「言わないで!」
妖精は笑った。
「お兄さんを倒したのは貴女でしょう☆ 王様☆」
「……」
え?
思考が止まった。それは……?
しかし、しばらく考えて俺は一つの答えに辿り着くことに成功していた。
ああそうか。そうだったのか。俺は肝心な事を見落としていた。雷音様が言っていた。
「【王様に勝たないと王様になれない】」
「そうです☆ 王様を倒して、王様になるしか、王様になる方法はないんですよ☆ ドロシーちゃんも最初から解っていた事ですよね? それともルールを聞いてもまるで気づかなかった大馬鹿者ですか? うふふ。優しいですね」
顔のない妖精は気持ちの悪い顔で笑っていた。
「そうですか。この子を信じてしまったんですね? 女の嘘っていやですよね☆ 救いがないから☆ かかしちゃん、王様をやめたいんでしょうけど、私は貴女を倒しませんよ☆ ネッコ族なんて支配しても面白くもなんともないんですから☆ 私は新しい顔が欲しいだけなんです☆」
俺はずっと前の王様を倒したのは『顔のない妖精』だと思っていた。
そう信じていた。でも――かかしが王になったのは前の王様を倒したからだ。前の王様はかかしの兄だ。
兄を倒したのはかかしだった。かかしは兄が憎くなったのだろうか。
嫌いになったんだろうか?
ネッコ族に自分が受け入れてもらえないのは兄の所為だと恨んだのだろうか?
だとしたら本当の敵は――本当の敵は。かかしだとでもいうのか。
……俺はどうしたらいいんだ?
かかしは俺の顔色を見て蒼白になった。
「オズヌさんなんて大嫌いだよ!」
かかしは泣きながら俺を拒絶して、世界は黒白に溶けた。