青空会議
俺はシオリの赤い紐を握りしめて金属板を振りまわす。
かかしは王の力で黒の鍵を取り出した。それを黒の剣に変換させる。
間合いの巨大なシオリを振るい、俺はフェンシングのようにかかしの懐に飛び込む。
シオリがかかしの指をかすった。血は出ない。ネッコ族は深い傷を負ってもダメージにならない。だから『破砕の力』を使わなければ安心して訓練することが出来る。
毎日、お化けを殺す日々にそれなりに疑問を持たなかった訳じゃない。
狙われるから倒してきたけど、そこに疑問が無かったわけじゃない。
けれど、かかしと出会ってその陰鬱な思いは幾許か降りたのだからそれは僥倖だと言ってもいい。助けを求められたのは初めてだったから、新鮮だった。
かかしは身体を草むらに投げだして寝ころんだ。
「ダメ……もう駄目…………眠くてだるくて動けないよ……」
俺がかかしに二度目のシオリを押し当てると彼女は元気に起き上った。
「あ、動ける」
「よかった、休憩するか……」
体中が痛い。今まで一撃必殺だったから動きに変な癖までついていた。
余計な力を使う癖。おまけにフォームも悪くて体中ガタガタだ。
火佐賀屋様が指摘してくれなければ、俺は変な風に筋肉を痛めていたかもしれない。
かかしは小さな王冠を乗せた頭で振り返る。
「ねえオズヌさん。オズヌお兄ちゃんって呼んでもいい?」
かかしは満開の笑顔だった。普通に可愛いと思った。
「ダメだ。お兄ちゃんになったら、結婚できなくなるぞ! 僕はお前の足が好きだ」
俺の本気にかかしは吹き出す。俺たちは顔を見合わせて爆笑した。
「黒子さん、サンドイッチを持ってきてくれないか?」
時々、彼らを黒さんと呼びそうになるのを堪えるのが大変だ……。
最近はドロシーの魔法の使い方にも慣れて来た。俺の周りで蝶を追いかけていた黒子さんたちは俺の拍手に反応して集まってくる。
「◆◆◆!」
黒子さんたちは一斉に王宮からサンドイッチを運んでくる。
かかしは感動して震える。
「凄い。パシらずに食べるサンドイッチが美味しい!」
「運動したからだと思ってみた」
「その通りだね! ドロシーちゃん! 私はこれから、オズヌさんの事をドロシーちゃんって呼びますね」
「オズヌさんでお願いします」
ノドグロ様たちは幾重にも俺を囲う。
「腹が減ったぞ、ドロシー。心臓を齧らせろ!」
かかしが顔を真っ赤にしてノドグロ様たちの口にサンドイッチを詰め込む。
「これで我慢して!」
ノドグロ様たちは仕方ないのうと咳払いした。
「王よ。そんなに嫌がるとは……もしやドロシーはそんなに不味いのであるか?」
「俺の身体はフルーツで出来ている。血はカスタードで出来ている」
かかしは後ろから力いっぱい俺の口を押さえた。
「そんな事言っていると、いつかノドグロさんたちに食べられちゃうよ! 夜道には気をつけて!」
「俺を心配してくれるのか!!」
火佐賀屋様の会話とは違って愛がある。優しいな、かかしは。
「ごめん。危ないことを言って悪かったよ。お前の足首は最高だ」
「うん。悪いよ」
俺は不意に黒さんの事が気になった。
「そういえば黒さんはどうしているだろうか」
かかしは真剣な顔で俺を見た。
「ダメだよ。ドロシーは妖精を倒さないと帰れないんだよ。妖精が前の王様をおかしくしてしまったんだから。それで街は流れたの」
「そうだったのか」
遠巻きにネッコ族が近寄ってくる。
「ドロシー様、傷痕は癒えましたか? お身体は大丈夫ですか?」
俺は首筋に触れた。
「もう平気だ。君たちも一緒に朝食を食べないか? 今後について話し合う。会議だ」
ネッコ族たちは頭を垂れた。彼らは俺の耳元でささやく。
「その……ドロシー殿は王様とあんまり仲良くしないでください」
「なんで?」
ネッコ族は口を濁した。誰も……かかしがふるまうサンドイッチを受け取ろうとしない。
かかしは自分たちの代表だろうに。自分たちを守る王だろうに。何が気に入らないのか。
「縁野くん」
武利木さんが木の影から俺を呼んだ。相変わらず誰も武利木さんには気づかない。彼はお化けの中でも幽霊みたいな存在だ。俺にしか見えないようだ。みんながこの人を見る事の出来る受容体を持っていないのかもしれない。武利木さんは溜息を吐いた。
「やあ。君は賢いのか愚かなのかわからない人種だね。かかしに干渉することをやめておくように言ったのに。どうして聞き分けてくれないんだ?」
「聞き分けられませんよ。だってあの子は可哀想だから」
「あの子に関わって失敗した人はたくさんいる。僕が思うに――あの子と関わって一番後悔したのはあの子のお兄さんだろうね。ある日、あの子のお兄さんは気がついてしまったそうだよ。自分の妹がどうしょうもなく壊れている事に……」
俺は緊張した。俺も一度同じことを考えた事がある。違和感は確かにあった。
「かかしには心が欠落している。個性があるフリをして、表面上は必死に繕い誤魔化していても――やはり他人と打ち解けることは出来ない。あの子は嘘をつく。心があるフリをする。君だって、嘘をつかれているかもしれないよ。僕ならあんな子……すぐに見捨てるけどね。だって未熟で不気味で気持ち悪いじゃないか」
「それだけで見捨てるのか? かかしはそのことで傷ついているのに! 苦しんでいるのに!」
「かかしは縁野くんがドロシーだから優しいんだよ。でなきゃあの子が優しくするはずがない。君のマネをしているにすぎないんだよ」
「マネだって……やっていればいつか本物になる! 俺がゲンロクの騎士に憧れたように」
武利木さんは溜息を吐いた。諦めないならあの事を話してしまおうかとそう言った。
「ネッコ族はかかしを嫌っている。かかしは昔、友達と川に行ったそうだ。川で友達は溺れた――あの子は何にもせず、無表情で友達が流れて行くのをただ見ていたそうだ。自分が助ける事も、助けなければいけない事も思いつかなかった。助けを呼ぶ事も、助けようとすることも気がつかなかった。どこからか誰かがやって来て助けてくれるのを待っていた。酷いよね。友達は寒さで苦しんでいたのにね。それからかかしは嫌われ者だ」
「だけどそれは!」
「よくある子供の頃の思い違いもかかしの場合――それが度を越して不気味だったというわけさ。気がつかないって、やっぱり酷いよ」
「でも、それは……」
何だか自分の事を言われたような気がした。
「かかしはきっと育ちも悪かったんだろうね。君はどうだったんだ? 尾路異さんは甘やかしたんじゃないか? 君が一人で立つ力を奪ったんじゃないか? そうやってゲンロクの騎士見習いになるように仕向けたんじゃないか? 尾路異さんが欲しかったのはただの自分の後継ぎで、都合のいい分身だったんじゃないか?」
おじいと暮らしたあの時間は俺の黄金時間だった。太陽のような時間だった。
「おじいはよく俺を叱ったよ。あの人は変な大人で、ガキの話をいちいち聞く人だったよ。よく喧嘩した。けど、楽しかったよ。あれが悪かったなんて思えない」
武利木さんは目を細めた。
「なら君が全力でかかしを叱ってやればいい」
「武利木さんは火佐賀屋様と気が合うよ。極端なんだ。叩けば壊れる物もあるのに上か下か……右か左かの極論しか持たない。それでは行き詰ってしまう」
武利木さんは柳眉をひそめた。
「久乃ちゃんと気が合うのは君の方だよ。ドロシーちゃん。だって仲が良いんだろう?」
「火佐賀屋様は俺が嫌いだよ。俺が火佐賀屋様に近づくと眉間にしわが寄るんだ」
嫌われているってすぐわかる。
「本当に嫌いなら、関わらないと思うけどね。多少の関心は好奇心だよ」
武利木さんは俺の持っていたサンドイッチに齧りついてよろめいた。
「ドロシーちゃん。このサンドイッチ、フルーツとコショウが入っているよ!」
「ドロシーじゃない。スパイシーフルーツサンドだ」
武利木さんは厳しい顔をした。
「覚えておいてくれ、僕がこの世界に選ばれたように君もこの世界に招かれたんだ。王様に気に入られてね。逆に言えば、王様に嫌われなければこの世界から一生出られない」
「うつし世と、ゲンロクを行き来するあなたは、誰かに嫌われたのか?」
武利木さんは顔をゆがめた。
「そうかもね。君はこの世界の不純物だと言ってもいい。君は異質な存在だ。王に望まれてここにいる。邪魔な存在だよ」
「それはかかしにとって? それともあなたにとって?」
武利木さんは俺の胸倉を掴んだ。武利木さんの拳が風を切る。
ここに来た初日なら負けていたかもしれない。
でも今は鍛えてもらったから武利木さんとも互角に戦える。
俺は反射的にカウンターで武利木さんにシオリを突き刺していた。深く強く。
叫んだ武利木さんはその場に崩れ落ちる。起き上らない。
「……武利木さん!」
動かない。どうやら眠ってしまったようだ。得体のしれないこの人にも効果があるのか。
こっそり武利木さんを背負って茂みに隠す。彼は本当に俺のラスボスかもしれない。
そう思ってみた。出来るだけ、ここから離れなければ。
慌てて先ほどの青空会議の会場に戻った。かかしたちは武利木さんと俺の攻防にはまるで気づいていなかった。
「かかし。今日の議題は君に任せるよ」
「う……うん! 頑張る!」
俺たちは今後の街の方針について額を寄せ合い語り合った。
「ドロシー様、ありがとうございます」
「うん。気にしないで良いよ。それで村を守るバリケードなんだけど」
ドロシーとネッコ族との心の繋がりが少しずつ育っているのを感じながら……それでもかかしはカヤの外だった。