顔のない妖精
ゲンロク一日目の日が暮れる。壊れた街を歩いたが火佐賀屋様のお兄さんは影も形も見つからなかった。ここは広いから明日はもっと広範囲を捜す事にした。
雷音様の特設テントで俺は枕を叩く。夢の中でヒントが見つかるように祈った。
火佐賀屋様に現れた王様の印には何か意味があるはずだ。もしかしたら闇落ちが近い印かもしれない。夜の帳が訪れる。火佐賀屋様との日々は大変な事の方が多いけれどいつも楽しい。それに彼女にはいつも気を使わせている。
もしも彼女に好きな人がるならば、闇落ちする前にその人に彼女を助けて欲しいと頼む道もあるのだが……上手くいかないのが世の中である。彼女のお兄さんしか闇落ちを止められない。
「やはり、火佐賀屋兄を捜すしかないのか」
目を閉じている俺の横に何者かが立つ気配がした。女の人の気配。
「誰だ? なぜそこにいる!」
「くくく。かかしは邪魔な子ですね。ここに縁野さんを呼び込むなんて。雷音さんは私から逃げ回っています。ネッコ族を淘汰して私は私の国を作るのですよ☆」
聞き覚えのある声に俺は目を開いた。テレビでよく見るニュースキャスターお姉さんがそこにいた。貴女は占いの……。
「どうも、アナウンサーです。虎乃志都美お姉さんですよ☆」
その背後にはたくさんのお化けがうごめいている。
「あら、拳を作ってもいけませんよ。私は特別なんです。みんなとは違います☆ お化けではありませ
ん。貴方には絶望してもらいます☆」
ねー。虎乃が俺の頬に触れた。氷の彫像のような指。
「その心臓、美味しそうですね、ドロシーちゃん☆ 是非ともかじらせてください☆」
お姉さんの顔から優しい笑顔の仮面が落ちて跳ねる。その向こうは空洞だった。
顔がない。
俺は悪夢から目覚めた。ぞくぞくした。冷たい指の感触がまだ頬に残っている。
雷音様が俺の寝所に入ってきた。ここは村の外のテントの中だ。
「うつし世に一時帰宅しようとしたけれど、俺だけはどうしても帰れなかったのだ。それで潰れかけたこの街の見張り役を買って出たんだった。雷音様と交代で」
「ドロシーよ。場所を移動する。ここも安全ではないぞ。妖精が見ておる」
「あの顔のないのが妖精……?」
「この国の妖精はどれも化け物と大差ない」
雷音様は眠っている小さな自分の娘を背負っていた。俺は唇をかみしめた。
「雷音様。どうして逃げ回るんですか? あなたは戦わないんですか?」
「娘が出来て、命が惜しくなったのさ。お前もそのうちわかる」
雷音様は娘の頭を撫でた。おじいの知り合いは不思議な人が多い。
その達観した人が敵わない妖精か。莫大な力の匂いがした。
俺の攻撃は――テクニックの火佐賀屋様にも――力の強いノドグロにも通じなかった。
たぶん、妖精にも通じない。道理で先王が負けるはずだ。
誰も後を継ぎたがらないはずだ。あんなのと戦うなんてぞっとする。
「雷音様、どうやったら俺は女の子を救えるだろう」
友達を作らずにいた。失っておののいて、得られたものは何だったのか。あの時間の事を考える。あの時間は無駄ではないと信じるために。
「おじいと出会って世界が変わって、ダイヤモンドの様に傷つかない人間になりたかった」
医者には精神的ショックで記憶を忘れているだけだと言われた。外的要因はもう全て消え去っているのだと言われた。けれど、記憶は戻らなかった。俺は内心恐がっているのだ。
記憶が戻ることを恐がっている。記憶を無くした間に何をしていたのか、思い出す事を恐がっている。
「俺はノドグロにも妖精にも負けたくない」
「ダイヤモンドも金槌で叩けば砕けるそうだ。それでも修業を望むか? しかし俺ではお前を跡形もなく消し飛ばしてしまうだろう。そうだな……年端もいかぬ子娘に教えを請う事にお前のプライドは耐えられるか?」
静かに思い返す。俺がここから帰れないと知った時の火佐賀屋様は悲しみに満ちていた。
あんなに怒らなくて良いのに。しかし俺のためだけに怒ってくれた人はおじいと彼女だけだった。
「プライドなんていらない。なんなら対価として差し出しても良い」
「ならば剣妓の魔法を一つだけ。お前さん、尾路異殿のシオリを持っているな」
雷音様の娘は眠い目をこすりながらゆっくりと身を起こした。
「娘よ、我らの有り余る勇気を分けてやろう。これより先、寝る間も惜しむぞ」
俺は強くシオリを構えた。十歳の女の子が眠そうな顔で俺の前に立つ。
「お前、私が焔と金属の魔法を教えましょう。覚えないと全裸にするから覚悟なさい」
「君もおじいの被害をこうむった口か、真っ当な道に戻してやるよ」
僕はにやりと笑った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
早朝……俺はテントの外で朝食の片付けとなべ洗いをしていた。完敗だ。
雷音様の娘は強すぎた。身体中、筋肉痛だ。食器の片付けを行う。
「全裸にされなかっただけマシか。くしゅん」
どうやら風邪をひいてしまったらしい。湯冷めかな。
「オズヌさん」
かかしが笑顔でおかゆを作ってやってくる。
「昨日のあれは忘れてくれ。最高に恥ずかしい」
「久乃ちゃんが言っていたよ。オズヌさんは一生、女の子の裸足をまともに見る事の出来ないアンラッキースケベだったんだね。可哀想だね。よしよし」
「中学生ぐらいの女の子になだめられる……そんな俺が心底可哀想だ。かかし。ドロシーは何をすればいい? 日曜大工だけは得意なんだ。任せろよ」
かかしは恥ずかしそうにゲンロクの街を見渡せる位置にある木の陰に隠れる。
「オズヌさんはゲンロクの井戸を知っているよね」
「ああ」
「私はあそこからうつし世に行ったんだよ。だけど、まだ上手に行きき出来ないの。とろくて馬鹿な私が王様になるなんてみんな思ってなかったみたいで、でもこうして王の印が現れてしまったの……」
「嬉しくないのか? いい所を見せて状況をひっくり返せるチャンスじゃないか」
かかしは無表情になった。
「不安になったよ……この印はお兄ちゃんのモノだったから……私は上手に戦えないし……何も出来ないし、王様なんて名前だけだから」
「お前の兄貴がノドグロに狙われたのは王になった所為じゃないか?」
「……王の印の所為なの?」
「この国から王が居なくなって得をする奴はいないのか?」
「隣の街、カロクがこの町を狙っているの。あそこには悪い妖精が住んでいて――お兄ちゃんもきっとそこに……」