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この世界にドロシーはいらない  作者: 新藤 愛巳
14/27

バスタイム

 夕闇にまぎれて俺はかかしのもとを訪れた。街の入り口にあるプラネタリウムは静かだった。彼女はよくここに現れるのだそうだ。ネッコ族の子供たちがそう言っていた。


 かかしは着物を着ていた。


「お兄ちゃん……私ダメだよ。もう何も出来ないよ……デキナイヨ」


「かかし、どうした?」


 かかしは無表情のまま泣いていた。俺から見えないように座席の陰に隠れる。


「ううう。オズヌさんには変な所ばっかり見られちゃうね」


 俺は背を向けてかかしの隣に座った。


「君の兄貴を捜すのを手伝うから。だから何かフルーツを食べさせてください。お腹がすきました」


「オズヌさんは面白いね」


 かかしは小さく顔を上げると小さく笑顔をつくった。この子はよく泣く子だ。妹がいればこんな感じだったかな。


「君は火佐賀屋さんと仲いいのか?」


「あの人は強い人だね。私、おかしいのかな。同じ顔なのにこんなにも頼りないんです」


「おかしくない。火佐賀屋さんだってそんなに強くはない。あいつが強がるのは病気のようなものだよ。俺に弱みを見せたくないんじゃないかな」


 本当に病気だ。人の趣味でも特技でも、何でも自分の物にしてしまう癖に、いつも孤高の人だ。心は誰にも許さない。


「あいつに近づく奴はみんな心の毛刈りにあうんだ」


 色んなところを脱毛される。


「久乃ちゃんは勇ましいね。私、お兄ちゃんがいないと何も出来なくて、うらやましいな」


『おじいがいないと俺はダメだから……』


 ちょっと前の自分を思い出した。


「兄貴がいないとダメなんてそれ……誰が決めたんだ? 君か? それとも周りの人?」


 かかしは困ったように微笑んだ。俺のチャックの傷口が開いて言葉が漏れる。


(負けたって認めたら、本当に負けになるから、もっとしたたかでいればいい)


「う……うん」


 俺は慌てて首を撫でた。


 まあかかしが元気になるのなら――これくらい……本音が漏れるくらい――いいのか。


(ついでに君の足を見せろ。俺はいま猛烈に足首がみたいぞ!)


「は――はい!」


 かかしは赤面して少し着物の裾を持ち上げて足袋を脱ぎ、お辞儀をした。


 火佐賀屋様相手だと、俺は七回死んでいるところだ。本音って恐い。


「人間は平等じゃないし、能力にも差がある。それを社会で同じようにふるいにかけるから、君みたいに悩む奴が出来るんだ。走ることが遅くても、裁縫ができれば凄いんじゃないか? そうやって出来る事を増やしていけよ」


 誤魔化すようにいい事を言ってかかしにハンカチを差し出す。

 かかしはそれで涙を拭いた。


「死ぬ時はわからないが――生まれる時も人は人に助けてもらうんだ。誰かに頼らない人間なんていない。だから、いつか自分で真っ直ぐ立てたら、それがカッコいいんじゃないか?」


 かかしは不思議そうに首をかしげる。


「オズヌさんも人に頼って生きているの?」


「俺だって頭のいい人間が傍にいるから羽目が外せるんだよ」


「オズヌさんも人に助けてもらう事があるの?」


「あるよ。黒さんは俺のトルコライスにトマトケチャップで笑顔を書いてくれる。俺が火佐賀屋さんにへこまされた時に。一人じゃ浮上できないんだ。カッコ悪いだろ? 笑えよ」


「ふふふ、久乃ちゃん強いんだね」


「ああ、あれはあいつの美徳でいい所だよ。君も少し分けてもらうといい」


 俺は雷音様に習った手順でかかしのおでこに触れた。息を吹きかける。

 かかしは物凄い勢いで後退して、建物の壁に頭をぶつけた。赤面する。


「何ですか!」


「魔法使いが仕える王様を守る防御の魔法だ。雷音様に習った。これでも妖精に見つかる事があったなら火佐賀屋さんに相談しろ」


「久乃ちゃんに?」


「あいつ、基本ひどいけど、俺以外の人にはいい奴だからな。意外と頼りになるんだ」


「久乃ちゃんと一緒にいたら私も強くなれるかな」


 勢いよくプラネタリウムのドアが開く。


「ダメだよ。なぜなら私は貴方の弱気を私にくっつけてしまうからよ。くすくす」


 プラネタリウムに入ってきた火佐賀屋様は俺の手を握りしめると勢いよく投げとばした。


「いきなり何をする?」


「いくら私が可愛いからって私のソックリさんをたぶらかさないで欲しいの」


「君を可愛いと思ったことは一度もないぞ……火佐賀屋様!」


「縁野くん。可愛いと言わないと侮辱罪で酷い目に合うわ。かかしが可哀想じゃない!」


(酷い目だと? 出来るモノならやってみろ! もう何も怖くない!)


 火佐賀屋は俺の背中に手を伸ばした。軽く触れる。そしてにやりと口を裂いた。


「特別に肩甲骨を揉んであげる」


 …………。…………。…………。なんだろう。なんだろう、これ。俺は赤面した。


「すみません! 警察を、警察を呼んでください! 許して下さい!」


 五秒で陥落した。


「さあ、私が可愛いと一〇回唱えてみて」


「火佐賀屋様。地獄に散歩に行け。そしてクソまじめ人間になって帰って来い! カケル一〇」


「くすくす。いい僧帽筋ね。ほぐしておいたわ。おほほ」


 かかしは驚きを秘めた顔で呟く。


「久乃ちゃん、かかしはたぶらかされていません……びっくりはしたけど」


「かかしは黙っていてちょうだい。この男は学習能力が無いの。ほっとくと色んな人間をたらしまくって、今に逆ハーレムが出来あがるんだから」


「ハーレムならともかく逆ハーレム。どういう経緯があったのかな? 俺の周りに」


「最終的に私が一番可愛いという事よ!」


「君のハーレムか! そこに組み込まれる俺なのか。火佐賀屋様、用事があって帰ったんじゃなかったのか?」


「それどころじゃなくなったの。私はここで兄を捜す事に決めたの」


 火佐賀屋の左手には王の印が現れていた。かかしと反対の手に。


「なんだ? ホクロか? 大きなホクロだな」


「王の印なの。気づいたら現れていたの。ゲンロクはどうやら大雑把に出来ているみたいだね。こうなったからにはこの国は私が何とかするわ。縁野くんはもう関わらないでうちの兄は私をうっとおしいと思っているのよ」


「そんな事言ったって今更放ってはおけないだろ」


 俺の傷跡……チャックが口を開く。


(君たちが心配なんだよ)


 火佐賀屋様は無機質な目で俺を見た。小さな黒子たちが火佐賀屋様に何かをささやく。


「縁野くん。この子たちがドロシーを歓迎するみたいだよ。お風呂に入ってきたら? ちょうど沸いているみたいだし」


「そいつらの言葉が解るのか」


 俺は火佐賀屋様と別れて黒子たちにゲンロクの檜風呂に案内された。広くてでかくて無国籍な温泉みたいな雰囲気だった。タオルを巻いて湯船につかる。今日は色んな事があった。黒さんは無事だろうか?


 無事だといい。早く連絡が取れればいいのに。

 その時、脱衣所から女の子たちの声がした。俺はまだ入っていないんですけど!


「嫌な予感がするな。むしろ嫌な予感しかしない」


 このパターンは、俺が風呂に入っている事を知らない女子が勝手にお風呂に入って来て『覗いたわね』と俺を血祭りに上げるパターンだ。間違いない。


(隠れる場所!)


 俺が動揺していると外窓から黒子たちがぞろぞろと侵入してきた。


「そうか、そこから逃げろという事か。そうさせてもらうよ」


「◆◆◆!」


 黒子たちは浴槽に両手をかざす。風呂の底の一部が陥没し、俺は物凄い勢いでその穴に吸い込まれた。カナヅチなので身体が沈む。そうだ、落ちつけ。ゲンロクの水は息が出来るんだった。これがこの世界の魔法なのか?


 風呂底で体勢を立て直した瞬間、人が入ってきた。知っている少女二人組だった。

 かかしはピンクのワンピースの水着、火佐賀屋様は清楚な白いビキニ姿だった。


 なんだ、水着か。隠れなくてもよかったじゃないか。思わず泡を吐く。


「あれ? 縁野くんが入っていると思ったのにいないわね。どうしたのかしら?」


「オズヌさんどこに行ったんだろう?」


 俺は穴の中で動けなくなったので息を飲んだ。どうやって抜け出そう。


 黒子たちは俺の上でのんびりお風呂に浸かっている。

 全員フンドシだった。


「今日は頑張ったみたいだから、せっかく背中を流してあげようと思ったのに」


 火佐賀屋様は溜息を吐いた。かかしはシャワーを手に蛇口をひねる。


「ヒサノちゃんはどうやってオズヌさんに出会ったの?」


「言わない。秘密は女を美しくする……」


「もしかして忘れたの?」


「いいえ、彼は当時から目立っていた。助っ人を頼まれた癖に演劇部の舞台に遅刻するような馬鹿だったの。初心が腐っている人なんて、なかなかいないから面白かったのよ」


 嫌な覚え方だった……。火佐賀屋様、今日は感情が豊かだな。


「そうなんだ。私も何か秘密を持とうかな」


 かかしは嬉しそうに鼻歌を歌った。火佐賀屋様は冷ややかに呟く。


「貴女はどうやって縁野くんに出会ったの?」


「オズヌさんの家だよ……」


「そう」


 火佐賀屋様は重い溜息を吐いた。


「嫌な男ね、縁野くんは。で、彼は貴女に何かした?」


「うん……ノドグロから助けてくれたよ。カッコよかった」


「そう、助けてくれたの。それはよかったね。彼らしいわ。カフェモカは奢って貰った?」


「カフェモカって美味しいの? 飲んでみたいな」


 対極なタイプなのに話がかみ合っている。意外と気が合うようだ。

 ああ――お湯が熱い。俺はどうやってここから脱出したものか。


 上には黒子たちが十二人ほど浮いているし。火佐賀屋様は髪を洗いながら呟く。


「それでかかしのお兄さんは今、どこに?」


「……うん。行方不明だよ……」


「そう。でもいつかは帰ってくるわよ。私みたいに『貴方なんてもう必要ない!』と伝えてしまったわけじゃないんだから。私ね、川で事故に遭って、友達と流されたの。兄が走り回って謝ったのよ。うちの久乃がすみません、その時の私の気持ちがわかる? 私が故意に落としたわけじゃなかったのに、あんなに謝るなんて滑稽よね。私を信じていないんだわ。そう思ってしまったの。あとは大ゲンカよ」


「お兄ちゃん、帰ってくるかな……?」


「あなたのお兄さんは帰ってくるわよ。それから……縁野くんにはもう頼らないで」


 俺は息を止めた。火佐賀屋様?


「どうしてですか?」


 かかしは穏やかに聞き返す。


「縁野くんはね、うつし世なんてどうでもいいと思っている種類の人間だったの。少なくとも、中学まではそうだった」


「久乃ちゃんはそれが悲しいの?」


「全然、悲しくないわ」


「だったら」


 火佐賀屋は囁いた。


「悲しくなかったけど、良い気持でもなかったわ――。ここに居るのにいないみたいだったの。それって馬鹿みたいよね」


 俺は出るに出られなくなって泡を吐いた。のぼせて来た。


「久乃ちゃん、とにかくオズヌさんを待とう。その間に……私の話を聞いて欲しいの。どうしても人に話さなきゃいけない秘密があって、でもそれを隠しておかないと大好きな人の名誉が滅茶苦茶になるとしたら……久乃ちゃんはどうするのかなって……」


「それは……そんなの……そんなのは――」


 火佐賀屋様は湯船に足を踏み入れて……ダイレクトに俺を踏みつけた。思わず浮いた。


「あれ? オズヌさん?」


 かかしの一言で火佐賀屋様はいつもの棒読みに戻った。


「いつからいたの? 縁野くん、盗み聞きをするなんて随分育ちがいいみたいね」


「穴にはまって出られなくなったんだ」


「なぜ助けてと言わなかったの?」


「見つかったらそのまま葬られるかと思った」


「お気の毒に……誰がそこまで貴方を追い詰めたの?」


「君だよ、冷血さん……」


 かかしは脱衣所からマーカーを持ってきた。点線を描く。


「出て来てください、オズヌさん!」


 かかしは王様の力を使って俺を引っこ抜いた。


「オズヌさん。あなたを助けることができて私は幸せです。これでおあいこですね」


「ああ、本当に死ぬかと思ったよ」


 裸足で踏まれることなんてもう一生ないだろう。ある意味、幸福な体験であった。

 火佐賀屋様とかかしは悲鳴を上げた。


「あ……」


 俺は水着なんて着ていなかった。タオルがずり落ちそうになっている。


 火佐賀屋様は取り乱し、かかしは赤面した。俺は火佐賀屋様の桶が飛んでくる中を最後の力を振り絞って逃げだす。脱衣所から黒子たちがタオルを持ってきて、その一枚が俺の腰にがっちりと巻きつく。俺はトランクスをはいて速やかに風呂場から逃走した。


 逆だ……。シュチュエーションが逆だ。


 こんなことなら大人しくお風呂で背中を流してもらえばよかった。


 そう心中で叫びながら俺は俺の荷物を掴んだ黒子たちと……廊下を走りぬけたのだった。

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