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この世界にドロシーはいらない  作者: 新藤 愛巳
12/27

ドロシー

 気がつくと世界が一変していた。

 ここは俺たちの街じゃない。江戸時代風の壊れた街だ。


 街の四方は街に囲まれ、町の中央には山があった。盆地とはあべこべの世界。

 山にはお城が建てられている。本物のお伽の国。子供の頃に訪れた世界。


 日光東照宮のような豪華さと、時代劇で見る長屋を掛け合わせたような整然とした街だ。

 半分が土砂でえぐられているところを除いては。


 ゲンロクの入り口に存在するのはお化け杉。赤提灯が灯っている。

 頭が朦朧とする。考えがまとまらない。何があったか思い出せない。


 マンションから逃げてどうなった? 寒い。震えるほど寒い。

 その時、一人の男が俺の前にしゃがみこんだ。


 キセルを持ち、大正時代の書生のような古めかしい恰好をしている。


「おい。お前さん、全裸で死にたいか?」


「死にはしないぞ。世界中のフルーツを食べつくすまでは!」


「それじゃお前が生きたいのは食い意地かよ? 奇天烈きてれつな奴だなあ」


 男は俺のジーパンのポケットに入っていた今月のラッキーアイテム――チーズ入りデミグラス冷凍ハンバーグのパックをつまみ、興味深そうに目を細める。


「これを貰ってもいいか? 旨そうだ。娘に食わしてやりたい」


「かまわない……」


 泡を吐く。この傷をどうすればいいんだろう。


 お化けはいても俺はコロンブスのような英雄ではない。だから。死んだらそこで何もかも終わりだ。上着は吹き飛んでいた。少年漫画でどんな攻撃に合ってもズボンは破れない法則にのっとってデニムは無事だった。あの子が直したデニムだからだろうか?


 あの子はせっかく俺を頼ってくれたのに、結局、おじいの所には行けなかった。


「かかしを――」


 助けてくれ……魔よけの水が渇く前に……。ノドグロが。かかしを狙っているんだ。


「やれやれ。俺の名は雷音ライオンだ。この街、ゲンロクで占い師をしている。お前、技術が拙いのに人を助けに走ったか? 感心せぬぞ。力が足りぬなら他に方法があったであろうよ。もっとよく考えんか。尾路異殿がいればそれ相応に叱られたであろうよ。この大馬鹿者が!」


「――」


 声を出そうとしたが力が入らなかった。このおっさんは何者だ?


「俺を忘れたか? 久しいな縁野。食い物の礼にお前を助けよう。俺は芯師、アイテムは判子はんこだ。大人しくしておれ。お前の生命力を最大限に引きだす」


 男は俺の額に大きな判子を押した。瞬間、体が楽になった。じじじじ。何かが閉じる音。


 自身の身体を探る。先程まで傷口だった場所にチャックが付いていた。


「俺の術だよ。止血した。それを開けると死ぬ。応急手当だ、三日で治る」


 俺は言葉を失った。なんだろう、夢でも見ているんだろうか?

 動けないままにじっとしていると、二等身の黒子たちが俺の周りに押し寄せて来た。


 口を開く。


「◆◆◆?」


 雷音と名乗った男は笑顔を見せた。


「ああ間違いないぞ。こやつは尾路異殿の縁者である。そしてお前らが仕えるべき者でもある。丁重に扱え。よいな」


 俺は声を震わせた。


「あんた、おじいの友達か?」


「世話になった。あの女には。よく全裸にされそうになって困ったよ」


「自分が困った事を人にするな……」


 雷音と名乗った男を置いて――黒子たちは俺を担架に乗せると御堀のある城へと向かった。変な事になった。ゲンロクなんて、俺たちの街の延長だと思っていたから。まるで異世界じゃないか。わくわくする。


 絶景だ。なんて美しいんだ!


 江戸時代風の建物が並ぶ街は半分つぶれて無くなっていた。流されたと言っていたな。

 でたらめな力でもぎ取られたようになっていた。ノドグロ……酷い事をする。


「かかし、どこに……」


 あの子を守らねばならないのに。ああ、でも俺は役に立たないのか?


 お化けに勝てなくなったら、意味なんてないのに。一人じゃダメだ。一人でいると弱くなる。友が欲しい。


「かかし……」


 上体をふらつかせる俺の前に颯爽と少女が現れた。人間の少女。

 城のど真ん中で肩を怒らせて天を貫く柱のように立っていた。靴が汚れている。


 不遜に口をゆがめる。美しい人。尊大な人、そして今はそれが頼もしくさえあった。


「縁野くん、ここはどこ? 私は誰!」


 火佐賀屋様はいきなり自分を見失っていた。


「ここはおそらくゲンロクで、君は火佐賀屋様だと思うよ。君は周りに影響されすぎだ!」


「そう、しっくりきた」


 火佐賀屋様は和風のネッコ族の服を着ていた。見た目は相変わらず可憐だ。


「貴方が起きるのを待っていたのよ。縁野くん。貴方は本当に女にだらしない人ね。いいかげん殺意を覚えるわ。後で全身脱毛だからねと思ってみる」


 かかしと同じ顔、でもこいつは……。鋭くて強くかっこいい。

 こんな所で会ったからだろうか百倍頼もしい。


「君は本当に本物の火佐賀屋様なのか? それともゲンロクの住人なのか、教えてくれ!」


「かかしと名乗る少女に呼ばれたの。あんなに可愛い女の子をどこに隠していたの? 許せないわ」


 火佐賀屋さんは自分大好き人間だった。自分の顔、大好き人間だった。


「君はクラスメートの心配も出来ないのか?」


「心配しているわ。だって縁野くんは『虫の吐息』だったんだから」


「人の危機をセクシーにしないでほしいんだ。お願いだ」


 火佐賀屋さんは眉をしかめた。


「縁野くん、首にチャックが付いているね。髪の毛も真っ白になっているし……見たモノしか描けない空想力の乏しい縁野くんが……こんなファンタジーな夢を見ると思う?」


「君の性格がいつだってファンタジーだ。俺の脚がいつの間にか片方だけ脱毛されているんだが! 危機にあった人間に何をする!」


「元気が湧くかもと思ったの」


 本当にファンタジーだった。君の性格が。

 俺は城の堀に自身の姿を映して絶句した。まんべんなく白髪になっていた。


「うわ……どうしよう、これ。火佐賀屋様、なにかいいアイデアはないか?」


「そんなことで私に頼るなんていい気味ね。頼られるなんて素敵な気分だわ。そうね。染めればいいんじゃないかしら?」


「ああそうか。意外と普通な対応だ。安心した……」


「くすくす。安心するのはまだ早いわ。何度も染めれば髪が傷んで毛根が死ぬかもしれないもの。楽しみね。十年後が」


「相変わらず酷いな。しかし染めるには予算がいる。火佐賀屋様! お願いします。是非とも借金を帳消しに」


「縁野くん。私のウルトラアドベンチャーワールド行きのチケットを踏み倒す気ならそれ相応の素敵な教育をするからねと思ってみる」


 火佐賀屋さんは耳かきを握っていらっしゃった。

 思ってみるだけじゃないようです。実行する気満々のようです。


 目の前に居るのは間違いなく、あの火佐賀屋様だ。


 ありがたいやらありがたくないやらで、涙腺が緩みそうになる。


 俺の懐は現在貧しい。新幹線予約するんじゃなかった。どうやってキャンセルしよう。


「ここはゲンロク。王様が奥の部屋で縁野くんを待っているわよ。行ってらっしゃい」


 俺はゆっくりと立ちあがった。頼りになる王様に会って助けを求めよう。

 かかしの事を頼もう。宮殿の周りにはネッコ族たちが身を寄せ合って座っている。


「お化け杉がよみがえった。ありがとうございます」


「ドロシー様、ありがたや~」


 ネッコ族は俺を歓迎してくれた。チケットが舞う。ペンライトが舞う。

 俺の浮世絵が飛ぶように売れ、瓦版が売れ、ファンクラブうちわが揺れていた。


 ゲンロクって思ったのと違う!


「ドロシーっておじいの事だよね?」


 火佐賀屋様は笑って俺を指さす。


「くすくす。よろしくね、縁野ドロシーちゃん」


 平坦な火佐賀屋様の喋りがいつもより滑らかになっていた。滑らかに――。


「ちょっと待て……ドロシーって娘だろう?」


「本来ならそうだったんだろうけど。今は違うみたい」


「俺は縁野さん家のコカドさんだ。男の子だ。なんでドロシーに?」


「ああ、縁野くん。その疑問を速やかに解決するね。君の背中を見てみて」


「物理的に無理ですよね」


「なら写真でとるから。携帯でいいわよね」


 俺の背中にはマーカーでドロシーと書き殴ってあった。かかしのマーカーだ。


「なんと!」


「あの子は君を魔法使いにしたの。そうやって死にかけた縁野くんを助けたの。結果――貴方はこの世界が待ち望んだドロシーになってしまったんだよ。大変ね。えへへ」


 人事な火佐賀屋様だった。王様がドロシーを選ぶ。王様が……。嘘だ。


「もしかして今の王様はかかし。かかしが王様なのか?」


 あれで務まるのか? あんな引っ込み思案で。頼りないのに。


「そうみたい。まあ『アブラム虫の恋人にも五分ごふんの魂』って言うから。なんとかなるんじゃない?」


「俺は五分で死ぬのか?」


「ドロシーちゃん、せいぜい頑張ってね。王様と一緒にね」


 俺は慌てて背中の油性ペンの後をこすったが髪は元には戻らなかった。脱力。


「俺はゲンロクの騎士見習いだ。ドロシーなんて出来ません。やったことがありません。演劇祭でしかやったことがありません。あれも恐らく成り行きだったんだろうし」


「いつも井戸の栓を抜くだけなのに仕事が増えてよかったじゃないと思ってみる」


「ドロシーは可愛い女の子がやった方がいい。そうしたほうがいい……」


「うん。可愛い女の子ね。そうだね。ねえ、私で我慢したらどうかな?」


「やせ我慢か?」


 火佐賀屋様は俺の親指を反対に曲げた。


「痛い。俺の親指に何をする」


「相変わらず欲しい所に欲しいボケをくれるので驚いている所なのよと思ってみる」


 火佐賀屋様は口だけで笑った。


「ドロシーは四年に一回選ばれるの。貴方は運よく倒れて死にかけていて、運悪く素養があったと言う事ね。魔法が使えて儲けモノだと、そう思ってみたらどうかしら?」


「思えない……」


 火佐賀屋様は俺の家系図をひらひらさせた。


「かかしに頼まれて調べてみたの。貴方の家は代々修験者だったみたいね。お札で腰痛を治してきた地味な一族だったんだね。素質は十分じゃない。やってみたら? 私が応援してあげるから」


「待ってくれないか。俺は普通の高校生だから魔法なんて」


「人を巻き込んでおいていまさら何を言うの? 早くそこの恥ずかしい衣装に着替えなさい。そうね、五分間笑ってあげる。くすくす」


「火佐賀屋様……俺は普通の男子高校生だ。あんな格好は断じて出来ん!」


 スカートなんて、嫌過ぎる。


「男のドロシーは前代未聞、初めてみたいなの。どうやら退屈しないで済みそうよ」


 火佐賀屋様は楽しそうだった。一番知られたくない人間に知られた気分だ。

 誰だ、こんな時に冷血さん呼んだの……。


「何を言うの。貴方が私の家の住所をかかしに教えたんでしょう? かかしは血まみれの貴方の上着を握りしめていたから。そこで私はあの子の事情を何となく察したの。フルーツ好きの縁野くんがリンゴを賭けてクマと死闘を繰り広げたのだと、すぐわかったんだよ」


「全然違う! 誰がクマと戦うか。逃げだすぞ。そんなことになったら! それでここまでついてきたのか? 君って付き合いがよすぎるな」


「我ながら、人のよさが茶を沸かすかもね。マスカットティーのように甘くて芳醇な女の子だと自負しておくわね」


 飲んでみたいお茶だった。でも冷血さんを紅茶のスパイスに例えると俺の苦手な『シナモン』しか思いつかないんだけど。先が思いやられる。


「それだけでここに来る君じゃないだろう? お兄さんは見つかったのか?」


 火佐賀屋は刺すような視線を俺に向けた。


「人の気も知らないで……縁野くんは酷い人だったんだね」


 彼女は小声でそう言った。


「どうかしたのか? 君はさっき、ここで俺を見た時、明らかに外れたって顔しただろ」


「そうよ。外れよ。大外れなの」


 火佐賀屋は唇を尖らせた。


「私は……愚かな貴方を笑いとばしに来たんだよ。それだけなのよ」


 火佐賀屋は勢いよく宮殿を飛びだす。


「あ、待てよ。火佐賀屋様」


 宮殿の外には大正時代風のサラリーマンたちが溢れだしていた。ネッコ族だ。


「ドロシー様、ヒサノ殿はいい奴だぞ」


「ヒサノ殿はドロシー様のために雷音様を呼んでくれたんだぞ」


「悪い妖精の森を突破して、命懸けで村向こうまで走ってくれたんだぞ」


 視点その一、火佐賀屋様の靴は泥で汚れていた。


 視点その二。火佐賀屋様の目はうるんでいた。


 視点その三、彼女は何も言わなかった。


 彼女は俺の事が大嫌いで、目の敵にしていて。


 だから俺だって余計な事を言ってしまうのに……なんでそんなあべこべな事をするんだ。


 俺が火佐賀屋様に意地悪を言うのは――それもこれも火佐賀屋様がこの世で俺だけに厳しいからだ。意地悪だからだ。だから頭に来たって良いはずだ。畜生。


 俺は宮殿の外に走った。


「火佐賀屋様!」


 火佐賀屋様は強い。火佐賀屋様は凄い。でも俺よりはるかに足が遅い。

 俺は走って、走って、火佐賀屋様の右そでを掴む。


「止まってくれ!」


「嫌よ」


「止まれ! 火佐賀屋久乃!」


 火佐賀屋様を足止めしようとした俺は足を弾かれた。


「勝手に呼び捨てにしないで!」


 俺は地面に叩きつけられて転がった。呼吸が一瞬できなかった。

 起き上って顔を上げて途方にくれた。


 驚く暇もなかった。強い少女。強情な少女。俺にだけ意地悪な少女。

 火佐賀屋さんは泣いていた。ボロボロと泣いていた。涙が草を濡らす。


「……死んじゃうかと思った……死んじゃったかと思ったよ……ううう……あああ」


 火佐賀屋は大声で泣いた。俺にしがみついて号泣した。


「……うううううううぅぅぅぅぅぅぅ。ああああぁぁぁぁ」


 なんだよ。反則だ。可愛いじゃないか。


 俺は彼女の頭を撫でる。何度も撫でる。柔らかい髪を撫でる。


「俺は……死なないよ。そう簡単に死なない。俺、ドロシーだから、死なないよ」


 火佐賀屋さんは泣きながら俺を見上げた。


「……魔法王女ドロシー」


「変な肩書きをつけないでくれ。心底困る」


「……くすくす」


「笑ないでくれ……俺が傷つく」


 俺は火佐賀屋様を抱きしめた。淡い柔軟剤の香りがする。火佐賀屋様は囁いた。


「縁野くん……大好きだよ」


「え?」


「あなたが大好きだったよ。中一の春に」


「それは本当か?」


 意外だ。途切れた記憶の糸をたどる。あの頃の火佐賀屋様はどこでも楽しそうだった気がする。おぼろげであまり覚えていないのだけれど。

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