陸
少女は子どもたちを引き連れて部屋を出た。部屋の外にはバルコニーがある、そこには椅子やテーブルがあって食事をすることもできる。
手すりに手を乗せて、少女は景色を見る。空は青く、山がぐるりと囲み、家々が建っていて、川や畑もある。家々や川や畑を見渡せる高いところに、少女が住んでいる洋館は堂々と建っている。
この一帯はドラゴンによって作られた町みたいなものだ。人間界から離れた場所にあって、まだ人間界にはない技術もあって、人間には見つけられない所にあって、ここなら狩られる心配はないのだ。平和な時間が流れ、血生臭いことなど何もない。
少女の真似をして、子どもたちも景色を見ている。そんな三人の姿は人の姿をしている。子どもたちもディーオと同じように、人の姿へと自由自在に変われるというのだろうか。
ドラゴンが何故人の姿になれるのか、それもやはりあの出来事が関係しているのだろう。少女は何気なく空を見上げた。子どもたちも真似をして空を見上げる。雲一つなくて青だけが広がっている。
すると空に小さくうっすらと、何かが見えた。鳥が飛んでいるのだろうかと思っていたら、大きな翼が見えて黒い体が見えて鋭い両目が見えた。どこかに出掛けて、そして帰ってきたようだ。
「ディーオだ」
少女は空に向けて手をふった。子どもたちも真似をして空に向けて手をふる。するとそれに気づいたディーオは、大きな声をあげてこたえた。別に威嚇しているわけではないがコワイ。
「何処に行ってたんだろう……」
ディーオが傍にいなくて寂しかったのだろうか、少女は小さな声でそう言った。その声は子どもたちには聞こえていないのか、空に向けて手をふり続けている。ここだよ、こっちこっち、ディーオさまーここだよー、子どもたちの可愛い声が響き渡る。
子どもたちの笑い声や笑顔、それらが溢れていると平和なのだと実感できる。逆に子どもたちの泣き声や泣き顔で溢れていると、悲しみや憎しみがそこらじゅうを漂っていてなんとも重く暗い空気を作ってしまう。争いごとに巻き込まれるのはいつも子ども、大人たちが勝手に始めた争いには子どもは関係ない。しかし争いが始まってしまうとそんな事は言ってられなくなる。女性でも、お年寄りでも、そして子どもでも、容赦なく殺されてしまうのだ。
なかには女、子供は生かしておこうという者もいるかもしれない。しかし全員がそうではない。後々脅威になるのならまだ花も咲いていない蕾のまま枯らしてやろう、恨むなら俺を恨むんじゃねえこんな争いを始めた大人を恨むんだな、ぎゃははは。そして無抵抗のまま殺されてしまう。抵抗したって所詮は子ども、大人の力には敵わないのだ。抵抗したとしてもただじたばた暴れるだけ、ただそれだけなのだ。
誰彼かまわず切って切って切って、そんなことをしている人に心があると思うだろうか。そこには憐れみなどない、希望の一かけらも与えなくて与えるのは絶望だけなのだ。泣き叫ぶその声が心地よいと思える人がいるそうだ。そんなのは狂っている、きっと悪魔に憑りつかれたに違いない、もうそうなってしまっては人ではない。子どもたちは泣き叫ぶ、人ではない者は笑う、子どもたちに絶望が押し寄せる、人ではない者は笑う。
そして発見された時には無残な姿となっているのだ。かわいそうに、かわいそうに、どうかこの子たちの魂が無事に天へと召されますように。争いが招いた悲劇はこうして繰り返される。あっちでもこっちでも、毎日どこかで必ず。だからこそ平和を望まなければならない。血も涙も流すような悲しい毎日は嫌なのだ、どうせなら楽しくて笑っていられる毎日のほうがいい。
人と人との争いは一旦終わってはいるが、それはドラゴンの脅威があるからだ。もしこの脅威が去ったらまた人と人の争いは再開してしまうのだろうか。それならドラゴンが敵として存在していたほうがいいような気がする。いやしかしそれでも多くの命が失われる。ドラゴンは狂暴だ、鋭い爪を振りかざしたら肉が裂ける。いや骨まで避けるかもしれない。口から火を吐くと一瞬にして炎に包まれて何もかもが燃えてしまう。何でも食いちぎれてしまいそうな鋭い牙は、人間なんていとも簡単に食えそうだ。
とにかく争いは悲しみを生むだけだ。悲しむのは子どもたちだけではない、多くの人が涙を流し憎しみを溢れさせる。そうならないようにたっぷりと話し合い、かたい握手を交わし、共に笑顔でいられたら平和でいっぱいになるのだ。
『私ガイナイ間、何モ変ワッタコトハナカッタカ?』
子どもたちを翼の羽ばたきで飛ばしてしまわないように気を付けながら、ディーオは四人が待つバルコニーにゆっくりと着地した。傍で見ると余計に大きく見えるディーオは、勇ましく美しくかっこいい。子ども達は怖がることなく笑顔で走って行った。ディーオ様ディーオ様と目を輝かせながら、あちこちを触ったり撫でたりしている。それはまるで可愛いペット扱いのようだが、怒ることも騒ぐことも暴れることもなく子どもたちに触られて撫でられている。
その様子を見ている少女は笑っていた。ペット扱いになっているディーオが面白いのだろう。かっこよくて恐ろしい見た目だけど触ったり撫でられているところを見ると何だか可愛い、各地でこれをすればディーオの支持者は増えるかな。いやでもそんなことをディーオがするはずがない、今は何故子どもたちにやりたい放題されているのかわからないけど。だって髭を引っ張られているし、翼に落書きもされているのに怒らないなんて普通じゃない。少女は何かを考えているような顔をしている。
「ディーオ様! どうしたらこんなにかっこよくなれるの?」
「ディーオ様、私人間と仲良くできる自信が無いの。でも私はまだ小さいから、お父さんとお母さんの言う事は絶対なの」
「ディーオ様! 僕は尊敬しているよ、ずっとこれかも永遠に」
子どもたちはディーオにそれぞれの言葉で声をかける。しかしディーオは何も言わない。目はしっかりと開いているから眠っているわけではなさそうだ。その眼は何処を見ている? 少女か、空か、明日か、明後日か、ずっと先の未来か。ここではない何処かを見ているような気がする。
「あんな立派な翼はディーオ様だけだよね!」
「人の姿でいないとダメなの。ドラゴンの姿になったら皆びっくりするの。でも私はディーオ様みたいな恐ろしいドラゴンじゃなくて、もっと可愛いの」
「ここから離れるのは辛いなー。だってもうディーオ様に会えなくなるかもしれないんでしょ?」
三人の子どもたちはこの山に囲まれた世界から出ていく。そして人間の世界で、人間として生きていく。もう既に人間界へと降りて行ったドラゴンが何体もいる。彼らはもうドラゴンと人間が手を取り合う時代は終わったのだという事を確信して、ドラゴンとして生きることをやめた。ドラゴン狩りが怖くて人間界へと降りて行ったやつもいる。狩られたらその姿を大勢の人間に見られる、何かの展示会のように沢山の目で見られる。見せしめだけは嫌だ、だからもうドラゴンとはさようならだ。次から次へと降りていく、しかしそれを止めることはできない。
ディーオはドラゴンとして生きていく意味を見つけられないでいる。その意味を見つけられないから人間界に降りていく仲間たちを止めることはできないのだ。その意味を見つけられさえすれば止めることはできるかもしれない。しかしそれもまた難しい。皆わかっているのだ、ドラゴンとして生きていく道が険しいという事に。