壱
ドラゴンが空を飛んでいる。大きな翼を羽ばたかせているその姿は、かっこよくて勇ましくて絵になる。黒い体が恐ろしくもあり、強そうでもある。
ドラゴンは鋭い目付きで地上を見ている。キョロキョロと目を動かしている。何か獲物でも探しているのだろうか。地上には畑や家が見える、ここはどこかの村のようだ。
人間たちは空を見上げて、口をぽかんとあけて慌てふためいている。逃げろという男の声が聞こえる、子ども達を拐いに来たんだと女の声が聞こえる、怖いよ怖いよと子どもの声が聞こえる。
しかし空を優雅に泳いでいるドラゴンは人間たちの慌てる様子に興味がないようだ。何も変わりなく目を動かしている。子どもを拐いに来たというわけではなさそうだ。
右往左往に走り回る人間たち、空からやってくる恐怖に対する怯えは様々だ。急いで逃げようとして何も無い所で躓き転ける人、必要なものを風呂敷に包むが走っている最中に零れ落ちてそれを拾っている人、怖くてその場から一歩も動けなくて泣いている人、その様子を空からドラゴンは見ている。
畑には作物が溢れている、村の横を流れる川に仕掛けた罠にかかった魚が網の中で暴れている、家畜たちが人間たちの様子なんて関係ないねという感じでのんびりと餌を食べている。
ドラゴンはそれらを見て息をはいた。ひょっとして狙いは食料なのか? そのことを知らない人間たちは食料を置いてどこかに逃げて行く。恐怖が村を襲い、そして去ったあとに村へと帰ってきても食料は何一つ残されていなく荒らされた後というのはよくある話だ。
名もなきこの村に住んでいる人間達の大半はどかへと避難した。怖くて動けないでいる人間は何人かいる。その何人かは見つかると喰われると思い、息を殺して静かに移動して隠れた。見つかったらどうしよう、その時はあの怪物の腹の中なのか、そういう考えたくない未来を考えてしまう。
すっかり静かになったどこかにある名もなきこの村。
ドラゴンは建物が無い、ひらけた場所を見つけるとそこに向けて下りていく。ドラゴンが地上に足を付けたとき、砂埃が宙を舞って見えなくなった。
「ここにいるのかな?」
すると誰かの声が聞こえてきた。村人の声だろうか、いや村人は恐怖に戦いて声なんて出せる状況ではない。声が出るとするならば泣き声だけだろう。村を襲いに来たことに対しての怒りの声かもしれないがそんなことをすればどうなるか十分わかっているだろう。
声は女の子の声だった。何歳かはわからないが若い声だ。子どもの声かもしれない。しかしその声の主がどこにいるのかわからない。砂埃はまだ消えていなく、ここに広がっているのだから。
砂埃から声が聞こえた? となるとこの声はドラゴンから発せられた声なのだろうか。あの恐ろしく、勇ましく、空を優雅に泳ぐドラゴンがあんな可愛い声を出すとは思えないが。
とにかくこの砂埃が消えないことには確認はできない。声の主はいったい誰なのか、村人なのかドラゴンなのかそれとも。
風が吹いてきた。風は砂埃をどこかへと運んでいく。次第にドラゴンの姿が見えてきた。黒い体、大きく立派な翼、鋭い爪、何でも噛みちぎれそうな牙、相手を威嚇するには十分すぎる鋭い目、人間たちを恐怖へと誘う怪物がそこにはいた。
『サア、早ク探セ。時間ヲカケルワケニハイカナイヨ』
この声はさっきの声とは違う。この声はいったい誰が? ここにはドラゴンしかいないが、ドラゴンが人の言葉を話すとは思えない。この怪物はそこまで頭が良かっただろうか、この怪物は人間のことを馬鹿にしたかのように滅茶苦茶にするだけの存在のはずだ。
だから最近あちこちでドラゴン狩りが行なわれている。ヤツラの巣は大体山の上や洞窟にある。そこに向けて人間達は進むのだ。出発する前は妻と抱擁する、子どもたちのことは任せた。すると妻は涙ながらにこう言うのだ、生きて帰ってきてね。
ドラゴン狩りは命がけなのだ。命をかけてまで狩る必要があるのか? という疑問が生まれるが、狩らなければ人間が狩られるのだ。食料だけ被害にあったならまだマシだ、しかし家も家族も何もかもが滅茶苦茶にされたのならどうする。家族は皆食いちぎられて、残ったのは手足だけだ。一人残されたらどう思う?
許さない、ヤツらを狩ってやる。怒りが込み上げてくる、悲しみはもう枯れ果てた、今生きている原動力はドラゴンを狩るということだけ。だから狩らなければいけないのだ、悲しむ人が増えないように平和な生活がおくれるように。
「わかってるよ。でもさ皆どこかに行っちゃったよ? まだ残っているのかな」
『ドコカニイルハズダ。ワタシニハソレガワカル。知ッテイルダロウ?』
「そりゃ知っているよ。だから私はここにいるのだから」
「ナラ今ハ早ク探セ、文句ヤ愚痴ハアトデタップリ聞イテヤル」
「私は何も文句何て無いってば。じゃあ行ってきます」
少女がドラゴンの背中から飛び降りた。見事に着地して、休む間もなく走って行った。今ドラゴンは喋っていた、人の言葉を確かに喋っていた。これはどういうことだ、わけがわからない。
それに少女は何者なんだろう。ドラゴンの背中に乗っていたようだが、そんなところにいて大丈夫なのか食べられないのか。少女はドラゴンと親しいようだった、何故人と怪物が仲良くできる、敵対関係ではなかったのだろうか。
どこかに走って行った少女は勝手に家に入った。まさか盗みか、ドラゴンで村人を追い出してその隙に金品を盗む。しかし全員を追い出せたわけではない、まだ少ないながら村人は残っている。もし鉢合わせでもしたらどうするんだ。村人は少女を殺すのか、少女は村人を殺すのか。
いやそんなことにはならないはずだ。人間同士戦っている場合ではないのだ。今の敵はドラゴン、人間同士争っていた時期もあって睨みあいも続いていたこともあった。しかし今はいがみ合いなど不必要、手を取り合い助け合いともにドラゴンを狩らなければならない。だから村人も少女も、相手に危害を加えるなんてことはしないだろう。
すると少女はすぐに家から出てきた。手には何も持っていない。どうやら金品が目的ではないようだ。それならば何が目的なのだ、こんな名もなきどこかの村にはこれといって何も無いはずだが。それならばやはり食料なのか、畑も家畜も魚も奪い放題だ。
少女はまた家の中へと入って行った。しかしまたすぐに出てきて次の家へと向かって走っていく。先ほど少女はここにいるのかなと言っていた、この言葉からわかることは誰かを何かを捜している事。だとしたら金品を盗むことは無い、食料を奪う事もないということになる。
だとすればここから村人を追い出した目的とは何なのだろうか。誰かを捜しているのなら村人の大半を追い出してしまった今、目的の人物を見つけるのは難しそうだ。何かを探しているのなら村人があまりいない今、すぐに見つけることができるだろう。
少女は息を切らしていた。ドラゴンの背中から下りてから少女は走りっぱなしだ。そりゃ疲れるだろう、それに子どもの体力なんてそんなにないのだから。しかし少女はまた走り出した。元気なことだ、子どもは風の子というけれど少女はまさにそれのような気がする。ただあまり上手いこと風には乗れていないようだけど。
少女はある家の前で止まった。するとここだという声が聞こえた。この家に少女とドラゴンが探している何かがあるのか。他の家と何も変わらない普通の家だ、中は静かで誰もいないようだ。少女は辺りを見回した。誰もいない事を確認しているのだろう。
そして家の中へと入って行った。