真紅の女王
幼女の教典を前にして思うところがあった私はちょっと初心に還ることにした。
久々にお弁当作りをしてみたので、ラウンジで颯太と待ち合わせをしてみた。
待ち合わせ場所でスマホを眺めていたので後ろから近寄って驚かせたら目を丸くして固まられた。
「……颯太?」
久々に気合いをいれた化粧をしているけど、もしかしてケバいのだろうか。
不安になって眉を寄せると、はっと我に返った颯太が見てわかるくらいに頬を赤く染めて微笑んだ。
「奈央さん、凄く可愛い」
「あ、ありがとう」
良かった外して無かったと安心した。
それと同じくらいドストレートな言葉に鼓動が早まる。
お互い赤い顔のまま気恥ずかしい気分で空いた席に腰掛けた。なんだこれ中学生の初デートか。
「今日って何かありましたっけ?もしかして俺、記念日とか忘れてましたか?」
「そんな大層な理由はなくて、ただ何となく、最近ずっと家事とか颯太に甘えてたからお礼のつもりもあって」
「そんなこと良いんです。俺がやりたくてやってるんですから奈央さんはいつでも頼ってください」
そういう事をさらっと言って甘やかした結果、駄目女が出来上がるんだ。
いや、他人のせいにするのは止そう。私の女子力低下が一番の問題だ。気合をいれなおせ。甘えるな馬鹿者。
颯太に引きつった笑いを浮かべてお弁当を広げる。
「奈央さんの手料理は食べたことありますけど、お弁当ははじめてで嬉しいです」
「あれ?そうだっけ?」
お箸片手に首を傾げる。
恋人になったのは二年前の冬だけど知り合ったのは中学生。私が毎日せっせとお弁当作りに励んでいた時代だ。
ヒナが剣道部所属でその後輩が颯太だった。
当時の颯太はモヤシのようにひょろっとしていたけど、剣道はそこそこ強くて虐めの対象になっていた。本人は事なかれ主義で困った顔で笑って耐えていたらしいが、見かねたヒナがお話したらしい。拳で。
そこからヒナに非常に懐いて慕っていたので、幼馴染兼親友である私ともちょこちょこ交流があった。
剣道部の試合を見に行ったりしていたので三人で昼を取ったこともあるはずだと思うと考え込んでいると颯太が笑った。
「俺のために作ってくれたお弁当は初めてですよ。奈央さんが作るのは翔さんか一条さんのためでしたから、本当に嬉しい」
幸せそうな顔に照れる気持ちよりも、反射的にぴくりと指が震えた。
全く耳にしていなかった相手の名前が最近唐突に出てきてぼろぼろと思い出が掘り返されなんともいえない気持ちだ。嫌な気持ちではないけども。
「一条さんが帰ってくる話って聞きました?」
「あ、うん。ヒナと会って偶々。ずっと向こうにいるんだと思っていたからびっくりした」
「奈央さんは」
私に対して何か言いかけたにも関わらず、颯太が卵焼きを口に放りこんだ。
投げ捨てられた言葉の続きが気になって箸を止めると、咀嚼を終えた颯太が軽く首を振って小さく謝罪する。
「今日、大学終わってから予定が無いなら家に来ませんか?」
「料理強化期間だからキッチン借りて良いなら行こうかな」
「夕飯は譲りません。朝なら良いですよ」
朝は苦手だって知っているくせにこれだ。全く譲る気が無い。
笑う颯太をねめつけながら目覚まし時計に頼ってでも絶対起きてやると誓う。
私より講義が終わるのは早いそうだが念のためと合鍵を渡される。
夕飯の準備を手伝わせてくれないだろうなと察したので、時間つぶしのためにサークルに顔を出すことにした。
ヒナと私が入っているのは『お茶目同好会』。
お茶を飲んでまったりしましょうという緩い活動にも関わらず、アレな名前だったので殆どの人間が避けて通る。そんなサークルに入るまでには多少色々あったのだが、持ち寄りの茶菓子とお茶が美味しいところは気に入っている。
「おお、奈央さんが来たー!しかもなんか凄い気合が入ってるぞー!」
「まじだ!女子大生に化けてる!!」
「デートか?デートか?」
女子二人に男子が一人。姦しい。そして酷い言われようだ。
「ヒナは?」
「着てないよー!待ち合わせならお座りよ女王様!」
「兎田その呼び方やめて」
「三月ウサギとよんで欲しいね。なんせここは『Mad Tea-Party(気違いのお茶会)』だから」
「黒歴史を掘り返すのは本当にやめてください、お願いします」
所属人数が10人に満たない同好会。
最初は無理やりつれてこられて参加させられ、苛立ち混じりに「まるで『Mad Tea-Party(気違いの集まり)』ね」と言ってしまったのだ。その時に部を仕切っていたのが兎田の兄で、つぼにはまったのか涙を浮かべるほどに笑い「ならば君は『Queen of Hearts(女王様)』だ」と皮肉を皮肉で返された。
高慢な発言だった。認める。だからといって卒業しても弟にまで引き継ぐのは虐めだ。
ちなみにヒナはトランプ兵らしい。
「いやいや、この如何にもな名付けは此処がある限り語り継がねば」
「お茶をどうぞ女王様ー!」
「潰れてしまえ、こんなサークル」
「ご機嫌ナナメだぞ!首を刎ねられるぞー!」
今日は帰ろうかと遠い目になりつつ、出された紅茶が悔しいほどに美味しい。
おかしなテンションになっているときも多いが、基本的に皆お茶が好きでお菓子が好きでお喋りが好きなだけなのだ。
「それでどうしたの?着飾ってるね。記念日?」
「いや、本当に何もないけど」
「A very merry unbirthday~!」
「無駄に発音よくて腹立つ!ただ最近怠けすぎたなって思って」
「まるで女を忘れた主婦でしたもんね」
「これだからリア充は」
上下こだわらないあけすけな毒舌もこのサークルの特徴である。
だからお茶が美味しかろうがお菓子が美味しかろうが入会希望者が毎年数名なんだ。
「それ、宮城には見せたの?」
「颯太?お昼に会ったよ」
「なんて言ってました?」
「か、可愛いって」
「あーハイハイご馳走様」
聞いておいて随分おざなりな反応だ。
「俺はもっと別のこと言ってるような気がしたんですけどね」
「兎田さんって奈央さんの彼氏と仲良いんですか?」
「んにゃ、専攻一緒で授業は被るだけ。人当たりも良い好青年って感じだけど鼻に付くというか」
「やだー!僻みかっこ悪いー」
後輩二人にげらげら笑われている兎田を眺めながらお茶を飲む。
気ままにお茶を味わって、お喋りをして、19時を少し過ぎたところで解散した。
大学からならば徒歩圏内の私の自宅の方が近いが、颯太のうちも二駅程度でそう遠くは無い。
事前連絡を入れて電車の中で思いふける。
後輩が付けていた秋の新作だという口紅が良い色だった。
ネイルとお揃いですと見せてくれた。女子トークに盛り上がっていると兎田が苦笑していた。
女子の化粧は詐欺だ。男が良く言う台詞らしいがこれは努力の証だ。
そして一種の魔法だ。
少しでも可愛い自分になりますように。
少しでもあの人の隣に居れる自分になりますように。
そうやって考えながら施す魔法だ。
颯太にはみっともない自分を見せていて、それで良いといわれていたから改めて恥じるばかりである。
今更感はあるがこれは女子としての小さなプライドの問題だ。女を捨てた主婦はない。
駅の階段を下りながら色々物思いに耽り、時計を見て足元を疎かにしていた私は前を勢い良く走ってきた人影によろけた。最近ろくに履いていなかった踵の高いヒールで上手くバランスが取れず、10段くらい落ちることを覚悟した私の腰が力強く掴まれた。
「ありがとうございます。助かりまし」
振り向いた私はぽかんと口を開けたまま固まった。
密着した体から柑橘とムスクの混じった香り。
グレーのジャケットと、黒のVネック。喉仏のある首筋に掛かる長めの黒髪。
嫌味なほど整った顔立ちの男が口元を緩めて、からかう様な視線が向けられた。
「相変わらず注意力散漫だな、奈央」
なんで、どうしてと頭が真っ白になって言葉が出てこない。
帰国する話は聞いてた。でもそれこそ昨日の今日の話だ。これは聞いてない。
飲み会に行きたいような行きたくないような複雑な気持ちだった。
でも『会いたい』とは思ってたのは認める。認めるが。
それは今でなくて、もっと先のことで。
気が付いたら思いっきり突き放して全力で逃げていた。
何やってんの!なにやってんの!?自分の行動に訳がわからなくなる。
ヒールでもやれば意外と走れるようで、涙目になりつつも気が付けば徒歩5分の颯太の部屋の前に居た。
ドアを開けた颯太が、ぎょっと目を見開く。
「どうしたんですか?来る途中になにかありましたか?」
「なにが?なにもないよ?」
息はそこまであがってない筈だ。
走ってきたから服装がよれているのだろうかと服装を確認すると、颯太が心配そうに掌を伸ばして頬に触れた一瞬で理解して息を呑む。
「――― 奈央さん、真っ赤ですよ」
それは、触れた指先が酷く冷たく感じるほどに。
揺るぎ様の無い事実だった。