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鬼ん子  作者: ことせき
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帰還

 鬼ん子の生活は一変した。


 まず、朝から畑を耕す事を禁じられた。何もしなくていい、と太郎に止められた。お前はただ白魚がかつてそうしたように、毎日を優雅に過ごせばいい、と。


 鬼ん子はとても戸惑った。太郎の恋人になりたいと思ったことなど一度もなかった。太郎は人間だったので、鬼ん子は太郎が嫌いだった。だが、太郎の鬼ん子に対する態度はぐっと優しくなり、ますます父のように見えてくる事があった。


 太郎はおいしいものをどっさりと鬼ん子の為に用意した。鬼ん子を連れて娯楽場を案内した。自給自足の生活しか知らなかった鬼ん子は、初体験の事ばかりで、全てが物珍しく、楽しかった。


 太郎は満足していた。もともと与える事が好きな男でもあった。


 白魚はどんなに素晴らしいものを与えても、いつだってどこか物足りない様子であった。その理由が太郎には全く理解できなかった。だが、鬼ん子は太郎の与えるものを素直に喜んだ。太郎にとって鬼ん子は白魚よりもずっと簡単で、理解の容易い相手だった。


 太郎が鬼ん子を新たな恋人にした事で村の空気が色を変えた。


 太郎は村内の有力者だったので、村人達は鬼ん子に対する態度を改めざるを得なかった。彼らは鬼ん子に会うと挨拶をするようになった。今まで避けてきた事を忘れて欲しいというような卑屈な態度でもあった。


 鬼ん子は、白魚がいなくなってからと言うもの、自分の周りが全て違ってしまったかのような錯覚に陥っていた。まるで、自分が白魚に成り代わったかのように、皆から大切に扱われている。


 鬼ん子は既に太郎を嫌いじゃなかった。太郎は鬼ん子を実の子のように可愛がってくれる。そして夜は、腕に抱いて眠ってくれた。太郎は、かつての自分の父のように、鬼ん子を慈しんだ。それは、とてもとても居心地のいいものだった。





 だが、その生活も数日と持つ事はなかった。


 旅から引き返してきた白魚が、突然村に現れたのだ。ボロボロの風体で汚れた着物を着ていたが、その白い肌と濁りのない眼差しは紛れも泣く白魚のものだった。


 突如戻ってきた白魚に、村は騒然とした。人々の視線をかいくぐり、白魚はまっすぐ太郎の家へと向かっていった。


 白魚は高揚していた。


 帰ってきた、帰ってきたのだ。


 まず、太郎に詫びるつもりだった。だまって村を出た事を、一度でも彼を捨てた事を、誠心誠意謝罪するつもりだった。そして、今度こそ変わらぬ愛を彼に誓うつもりであった。もう彼に反抗するような真似はせず、従順に彼の後を付いていこうと決めた。太郎もきっと喜んでくれると、白魚は確信していた。


 だが、喜々として太郎の部屋を開けると、白魚はそのまま言葉を失った。


「なぜ、戻ってきた」


 太郎の懐かしくも、底に響くような低い声が白魚の耳を裂いた。太郎はソファでくつろいでいた。そして肩に鬼ん子を抱いていた。二人はまるで、かつての太郎と白魚のように、仲睦まじく並んで座っていたのであった。


「出て行け! ここはもう、お前の来るところじゃない!」


 怒声が部屋を割った。


 初めて太郎に拒絶され、白魚は頭が真っ白になっていた。茫然自失の体で、その場から動けなかった。


 太郎は立ち上がると、動かないままの白魚の手をむんずと掴み、部屋の外へつまみ出した。細くてか弱い白魚の身体は簡単によろめいて、そのまま床へと倒れこんだ。だが、太郎はそれを見向きもせずに、音を立てて扉を閉めた。


 白魚は、何が起こっているのか、まったくわからなかった。





 白魚が村に帰ってきたという知らせは既に知っていた。何しに帰ってきたのだと怒りをぶつけたい思いはあった。一度自分を捨てた女を太郎は許せる気がしなかった。


 だが、久々に白魚の姿を目にして、太郎の心は揺れた。長い間、連れ添ってきた恋人だった。細く頼りなげな身体を、太郎は何度も抱いて眠った。二人で共有する思い出は、数百をくだらなかった。


 虚勢を張って白魚を追い出した。既に自分には鬼ん子という新しい恋人がいるのだと、白魚に見せ付けてやりたかった。


 だがしかし、太郎は大いに動揺していた。白魚の腕を掴んだ右手をじっと眺めながら、その感触の懐かしさに胸がざわめいた。


 相変わらず、彼女は綺麗だった。辛い旅を経験して、姿こそやつれていたが、だがその白さと滑らかな肌は変わらないままだった。やはり美しい女だと、心動かさずにはいられなかった。


「……」


 ふとソファに目をやると、鬼ん子が呆然とした様子で座っていた。太郎の現在の恋人だった。そしてその顔は、やはり鬼の顔で、醜く恐ろしい形相だということに太郎はようやく気が付いた。


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