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第二話 聖人、腐敗次元に挑む 〜酒と女を求めて ・3

 時を止めた時とは違い、目を閉じて瞑想する。




 どこから謎の気焔が出ているんだ、とせかされながら探す水谷。


 指を差して、皆に遠巻きにされる水谷。


 赤い水を被る水谷。


 赤い水を吸収して悶える水谷。


 風船のようにはじける水谷。




 一連の想像が全て出揃ったとき、体の一箇所が異常に熱いことに気がついた。




 今までこんな事はなかったはずだった。


 魔法で『瓶が加熱する』ということなど、誰も言わなかったし今まで体験もしたことがなかった。




 自分は機械ではないが、なんだかオーバーヒートのような気がした。


 やはり無理なのか、と思うと、それが分かったかのように頭を締め付ける者が居た。それだけでも迷わず続けろと言われたような気がした。








「な…なあ、おい…」








 傍観していた新木が隣をつついた。


 隣の石崎も目を丸くしていたから、彼も同じ意見を持っているようだった。




 岸田から気焔を感じるのは当たり前だったが、それ以上の気焔が駒田から出ているのだ。




 しかも『波のよう』と形容される気焔でありながら、その気焔はまるで『渦のよう』であった。二つの異なる気焔が一緒くたに混ざり合っていた。混ざり合うという表現は宜しくないかもしれない、まさしく岸田の気焔を駒田の気焔が『引きずり出している』ようだった。




 岸田は自分でも不思議なくらいの凄まじい気焔を出しているのを体の異常な凝りのような緊張で理解した。魔法は体を痛めないはずだったが、次元を操作するほどのものになると相当こたえるらしい。






 このままでは体が壊れてしまう。






 瞑想を止めて目を開けた時、赤い滴は時の氷から解放された。




 目の前の岸田に襲い来ることなく、四方に散っていたそれは凄まじいスピードで一箇所に固まり、そして水谷になる。苦しむ水谷の体を破壊する事無く赤い滴が体の外にあふれ、彼の体を伝い、そして上空に飛んでいった。




 が、その途中で『逆行』は止まってしまった。




 空中で暫く止まっていた赤い滴が、『今の時』に逆らいきれずに緩やかに、そして重力に逆らえずに徐々にスピードを上げて再び落ちてきた。




「ほぎゃああああああ水沢があああああー」




 力尽きた岸田を投げ捨てるように横にやりながら、駒田は悲鳴を上げる。




 だが、その瞬間新木が呆然と上を眺めたままの水谷に向かって突進した。




 彼と共にその速度を保ったまま向こう側の木に衝突し、地面にもんどりうつ。


 赤い水は地に雨のように降り注ぎ、水溜りになる。




 下敷きにされた水谷は暫く唸っていたが、恩人の体を無慈悲にどかして上半身だけ解放させた。彼にとっては『いきなり飛び掛られた』も同然で、酷く不愉快そうな顔をして文句をいう。




「くうぅ〜いてーな、何しやがるんだよいきなり…」




「み、水谷……へへ、堪忍な、堪忍な…」




「何笑ってんだよ、早くどけよ!」




「よかったなぁ、本当よかったなぁ…」




「泣く暇ないってどいてっどいっ」




 水谷の顔が青くなると同時に背後から人の気配ともそれ以外の別のものともとれる異様なものが近づく。振り向くと、体を求めて迫り来る赤い波がすぐ目の前に差し迫っていた。




 目の前はもはや形容しがたい彼等の叫びと血のような赤一色だった。




 それは意外と気持ちの悪いものではなかった。


 元々は人だったものである為か、温かく、そして生気を帯びていた。




 だが、それを感じた矢先、身を切り裂くような寒さが襲った。


 肌にしっとり来るというよりは、吹き付けられる冷気だった。


 水谷もこの一連の感覚を覚えて、そしてこの中の一つになったのかと柄にもなく思った。






「ちょっと、いつまでくっついてんだい…」






 水谷が肩を叩く。


 目を開けると、自分は水谷の胸に顔を押し付けて力の限りしがみついていた。




 そんな事はどうでもいい。非常事態時なのだ、これ位で気持ち悪がられる程悠長な時でもないし、気分的に何かにつかまっていないと震えが止まらなさそうだった。




 赤い液はどうなったか。




 そのまま恐る恐る振り向くと、赤い滴は止まっていた。


 とはいえ、時が止まった時の様にそのままの形状を保って『凍っていた』わけではなかった。何かに妨害されたように飛び散り、空気中で無数の玉となって浮いていた。




 この冷たさは赤い滴を押さえつける『空気』であることに気づくのは、少し気分が落ち着いてやや離れたところに居る石崎の気焔を感じてからだった。




 彼の気焔もまた駒田によって『引きずり出されていた』。




 自分達以外の人間も狙っていたようで、彼等のそばにも無数の赤い球体が散っていた。


 こうして生命と思しきものに反応して、本来『我々とは無縁の存在』に襲い掛かり、そして体を乗っ取り取り込んでいったのであろう。




 泣き黒子が遠くからでも見える同僚は複雑な笑みを浮かべつつ自分の術の結果を見ていた。




「今までも壊れた物を修復する術って簡単だと思ってたけど、もしかしてオレの資質ってば『癒着させる』術?…単純にコレを防ぐ術って思っただけだったのに。」




「い、石崎の術なのこれ?一体何をやったんだ…?」






「『空気を癒着させる術』っぽい。…でもかなりイイ感じ。」






 そう言うと彼は利き手を差し出すと親指と人差し指をボディランゲージのように擦らせた。


 するとあたりに散った赤い滴は一まとめになり、大きな赤い玉になった。


 それがこの樹海の凍るような冷気を含んだ空気に晒され、どうじに酷く圧迫されているのがその表面を見れば分かった。




 彼等の周りにのみ吹き荒れる冷風の音に混じってなおも体を貸してくれと泣き叫ぶそれに、さよならの代わりの言葉を浴びせる。






「自殺志願者以外の出血は速やかに乾燥させなきゃ、体によくないぜ。」






 ルツの冷風が泣き続ける赤い滴を覆い、彼等の『血』から水分を奪い、空気中の何かが彼等と融合し、ことさらに圧迫し、彼等はみるみる小さくなっていった。




 彼等が遠目では見えないほどに圧縮され彼等を包みきれなくなった冷気が辺りに吹き荒れるころには、呪われた彼等の悲しげな叫びも途絶えていた。




 気焔が消えると共に、風もやんだ。




 辺りには静寂だけが残った。




 魔法を放った兵は信じられない面持ちで自分の掌を見ていた。


 今まではこのような大掛かりなものは使ったことがないようだった。




「…お、オレって凄いや。マジ凄いや。上級と同じ位の魔法だよね、今の。昇格できるかな…給料上がったら真弓が喜ぶなぁ。かなり給料の額が変わってくるんだ。…すげえなぁ、すげえなぁ。へへへ。…へへっへへへえへへへへ」




「無理でない?」




「何で。」




「だってさあ、石崎一人じゃなかったし。そいつが気焔を引っ張り出してたからそれだけ大きなもん使えたんじゃない?」




 漸く水谷から離れた新木は乱れた服を叩きつつ調えると、そう言いながら駒田の方を向く。駒田は力尽きた岸田を引きずるようにして立ち上がらせていた。




 見られているのを知ると、自慢げに胸をはった。




「ほら御覧なさい。駒田を信じるやつは救われるんですよ。」






─────






 石崎は完全に力不足ではなかったようで普段とは明らかに違うレベルの魔法を使ってもけろりとしていたが、岸田は相当体に負担がかかったらしく、酷く疲弊していた。駒田も初めて魔法を使った時に『使いすぎ』が一因となって倒れたので、彼が疲れ果てているのは理解できた。むしろ、『魔法は手軽な武器』と思い込んでいる3人の部下のほうが分かっていないようだった。とはいえ『清貧なる』と名乗っているからには、魔法に全て頼りきっているのが普通なのだろう。




 彼の疲れが取れるまで、暫く待つことにした。


 道案内の事は仕方がないし、もしかすると岸田の考えとは違った別の方法で示しているのかもしれない。




 岸田を放置してあいも変わらずおしゃべりし続ける3人に駒田も混じった。




「あの赤いのの中に入った感想はどうだ、水谷。」




「入ったの?俺が?冗談。」




「…時を逆行させたからそれ自体『なかったこと』になってるみたいだね。確かに御上が喉から手が出るほど欲しがるわけだ。…お前は一度あれに取り込まれて体をぶっ壊されたんだぞ。」




「そして駒田がかっこよく助けて差し上げたのですよ。以後駒田を1日3回崇めること、いいですね水沢。」




「お前は説教しただけじゃん。岸っこが時を逆転させてお前を取り込まれる前まで戻して、俺がかっこよく助けたんだぞ。以後俺に1日1回は酒をおごること、わかりましたね水沢。」




「お前は突撃してかわしただけだろ。その後オレの素敵な魔法で追ってくるアレを封印して助けてやったんじゃないか。以後オレに郵便代をおごること、わかりましたね水沢。」




「水沢って誰だろう…」




「あんたですよ。今日からあんたはハナゲ・デ・テール水沢です。駒田様がありがたくつけて差し上げたのですから胸をはってその名を使うこと。わかりましたね。」




 駒田は水谷の髭を引っ張りながらそうのたまった。


 水谷は顔を振ってそれを制すると頬を膨らませた。




「これは鼻毛じゃなくて髭ですよ失礼な。」




「そんな独裁者みたいな鼻毛をしていると絶好の狙撃対象になってしまいますよ。駒田だったら真っ先に狙いますよ。『死ねー○○ラー!サインください!』と叫びながら突撃をかまし頭突きを食らわしてひるんだ隙にワイヤーで鼻毛を括って引っ張りますよ。」




「確かに髭のように伸びた鼻毛を蓄えた奴がいたらある意味すごく狙いたくなるな…」




「撃ったら鼻毛で受け止めそうな予感さえします。」




「もうー皆して酷いや、鼻毛じゃないもん…3日間整えてないからぼさぼさになっちゃってるだろうけどさ…そういう皆だって見事な無精ひげじゃないのさ、…まだらに鼻毛生えてるしー」




「鼻毛じゃないもん。何より無精ひげは男をより男らしく見せるのさ…我々の特権オサレだよ。」




「何がオサレだよ、無精ひげなんて小汚いだけじゃないのさ。」






「……………ねえ、それよりさ。」






 石崎が不意に視線を外してある一点を見つめた。


 髭の話も平行線を辿ってどうしようもない言い合いになっていたためか、他の者も彼の視線を辿った。




「…アレ、どうなったかな…」




「……ああ、赤い物体ね。蒸発して消えたんじゃない?」




「でも魔法を解いた後、何か落ちたよ。圧縮した後の残りかすみたいなのが残ったのかな…ほっといたらまた復活するんじゃない?…大丈夫だと思う?」




 一同は見合った。




 大丈夫とはいえないが、これ以上関わりたくなかった。


 何しろ元は触れると取り込まれる呪いの水だ、『結晶』となったとしても触るのはどうも恐ろしい。




 一同の視線は『水が封印された場』から水谷に移った。




「…水谷突撃。」




「な…何で僕が!」




「行かないとロンリネス★鼻毛って呼ぶわよ…」




「元々あの一部になった人間じゃない、きっと仲間も帰って来いって呼んでいるよ…それに万が一また食われた時は岸っこが何とかしてくれましょう。でしょう?!」






「…ま、またやるの…か?………も、もう勘弁してしてくれ……」






 岸田の嫌そうな視線がこちらに注がれた。


 それでも3人は水谷を水の封印された場へと駆り立てた。




 虐めだと水谷は泣きつつも、意外と足早にその場に立った。


 彼だけ水の恐ろしさを『知らない』だけあって、嫌ながらも気にはなっていたらしい。




 そこは大きな水溜りが乾いたような跡が残っていた。


 人を水浸しに出来るくらいだったから、量も意外と多い様だ。




 3人は遠巻きに見ているだけだったが、水谷のアレッという声に過敏に反応し、おっかなびっくり現場に近づいた。




 水谷は大胆にしゃがみこんで何かを見ていた。




「…何か落ちたって言ってたよね。…それっぽいのがあるけど、赤くないね…これかな?」




「赤くない?」




 皆もつられて体をかがませると、水谷の指差す先に確かにそれがあるのを確認できた。確かにそれは赤くなかったが、そこらの石ころと全く違うその宝石のような透明度と光沢が既に何かが違うことを示していた。




 水谷は神妙な顔で石となった呪いの水をつついていたが、特に何も起こらないのを見ると大胆に指でつまんだ。光に透かすように顔の高さまで持ってきたところで、ウッといううめきとともに顔をゆがませるとそのまま石をぽとりと落としてしまった。




 何事かと一同は目を丸くしたが、苦しんでいるようでもなかったので遠巻きにはしなかった。




 水谷は落ちた石を前以上に神妙な面持ちでじっと見つめていたが、腰を落として見下ろしていた連中の視線にあわせるように顔をぱっと上げると意外なことを言った。






「何か…神酒を持った時と同じような圧迫感よコレ…試験を受けた時を思い出すわぁこのヤな感触。」






 神酒と聞いて一同の視線は水谷から駒田に移った。




 駒田は普通なら誰でも悶死する満タンの神酒を持っても何ともなかった唯一の存在である。圧迫感に耐性がある駒田なら、もっと詳しいことが分かるかもしれないと思ったらしい。水谷の接触によって石となったコレには食われたり襲われたりしないのを見た駒田は、腰をおろしてしゃがむと転がった石を持った。




 確かに駒田にとってはどうということもないただの石ころだった。




 だが、この感触はどこかで感じたことがあった。






「…これってもしかして…あの神酒の瓶みたいだけど…?」






 それを聞いて一同は目を丸くしたが、すぐに顔を青くした。


 つまり、自分達の持っている瓶は…






「どうりで教団の人間しか知らないはずですよ。…黒頭鉱山でコレが取れるって事は…長い間何らかの理由で呪い殺した人間を黒頭に埋めてたってことですよね。他にも最低もう一つ鉱山を持っているという事は…あの教団は宗教めいた殺人集団なんですかね。おっかねー…」




「瓶の原料見たらなんだか気味が悪くなってきた…まさかこの瓶の原料が呪われた人間の体だったなんて…」




岸田の部下達はそれぞれ苦々しい顔をして結晶を見る。



教団?


黒頭鉱山?


呪い殺した人間を黒頭に?



殺人集団…………………








 石になっても尚、彼等は駒田に訴えてくるのだ。




 呪われる直前の記憶を。






 その中に、駒田にとって放置できない『記憶』があった。






─────






 物音一つしないというのも耳に痛いものである。


 そんな沈黙の中ノアデアは道なりに歩いていた。




 確かにあの集落から離れたというのに相変わらず沈黙が身に染みる。




 足音さえその沈黙にかき消されるようで気味が悪いので、ノアデアは他愛も無い事に反応しては独り言を喋りたてた。


 普段は機嫌がよかろうと悪かろうと鼻歌さえ歌わない人間だが、この時ばかりは意味も無く知りうる限りの歌を歌ってみた。




 道が獣道になり完全な密林になった。


 自分の行動が一番正しかったのだと少しばかり安心した。


 どんなに異質な風が吹こうとようは恐れる事無くそこから離れてしまえばいいのだ。




 沈黙の森の中地図を出して帰るルートを検討していると、不意に自分以外の誰かが話し掛けた。




 ノアデアにとっては聞き覚えのある声だった。




「よう、お前もここまで来たんだ。」




「そ、その声は……さ、サムソン?」




 咄嗟のことでどちらから声が聞こえたか分かりかねた。


 一人の男がきちんと自分の前に姿をあらわすまで変に視線を動かすことになった。




 見覚えのある仲間を漸く見つけたノアデアはため息をついた。




「なんだ〜皆外にいただけでしたのね。変に臆病風にふかれて大騒ぎすること無かったじゃないの。」




「大騒ぎ?」




「アイザックが外に出るのはよしたほうがいいって言ってねぇ〜でも今思うととどまってるほうが良くなかったってことだよね。ああよかった出てきて。ところで他の方はどちらへ?」




 うん、とサムソンは頷くと無言で微笑んだ。




 酷く安らかな笑みでこの場合にはとても不釣合いで不気味でもあった。




 うふふと含み笑いしかしない彼に流石に何か尋常でないものを感じたノアデアはじりじりと距離をおいてから尋ねた。


 恐怖というよりは不信感を感じたが故のようだった。




「…何笑ってるんですか…」




「良かった。俺が最後なのかと思って変に気張ることは無かったってことだ。」




「さ…最後?」




「皆が言うんだ。帰還せねばってね。でも一方でここにとどまって守らねばならないって言う。頭が痒いっていう奴もいるし腕が痒いっていう奴もいる。だが掻くと痛いからやめてくれって誰かが言うんだ。やめると何故やめるんだって怒られる。どうしたらいいか困ってたところだったんだ。」




「何?」






「それにもう俺の体は限界なんだ。今にもはちきれそうだよ。」






「はちきれるって…」






「それもそうだ。俺の中に仲間がいるのだからね。」






「仲間がいるって、あんた…」






「俺が最後だからと必死に耐えてたけど、お前がいてくれるなら心強い。」






「え?え?お…俺は心強い存在じゃないですよ、いやまじで…それよりもうちょっと分かりやすい言葉で説明をお願いしたいんですが…」






「説明なんてしなくてもじきにわかるさ。」






「ぽ、ポジティブシンキンをそんなとこで放出されても…」










「…後を頼むよ同士…せめてこの鬱蒼とした樹海から俺たちを出してくれ…頼むぞ…」










 彼は悲しげな笑みを浮かべた。




 それは一瞬だった。








 彼は文字通りはちきれた。






─────






 丘のような緩やかな坂の山道を歩く。


 この辺りは車道として作られた道なのか、山道といっても随分整っていた。絶壁ではないが崖になったところの道だったところを抜けば実に安全な道だった。




 何かに遭遇してもこちらは人間が欲しかったから気にならなかった。


 あの魔法のせいか岸田と石崎の神酒がほとんどなくなってしまったが、駒田に頼むということはしなかった。特に岸田は空になったといっても過言ではないありさまだったので駒田が補充しようとすると岸田が止めた。


 『これ以上疲れたくない』らしいが、それはどういう意味かは本人しか分からない。




 駒田がいれば何でもありと思われているらしく、岸田を除いてはほとんど遠足気分で一行は歩いているようだった。




 水谷が不思議そうに駒田を見た。




「石が教えてくれるなんて、まるで奴等はこうなることを知ってて『道案内』っていってたみたいですね。」




「むん…たぶん、そうなのかな…良くわかんないけど。」




 先ほどから妙に黙りこくっている駒田を心配しているのか、水谷は駒田によく話し掛けるようになった。実際心配していることもありそうだが、実感はないにしても呪いから救ってくれた恩義を感じているのかもしれない。石を持ってからだんまりになったので、心配されるのも無理はない。


 気遣いはありがたかったが、これでは呪われた者たちの訴えがうまく読めなかった。




「随分いい道ですね。すんなり歩いていけるとは思えませんけど…」




「とっとと出てきて欲しいもんだがねぇ、レンガども。」




「奴等はとかく白兵戦を嫌う。積極的に前に出てくるのはアルクの馬鹿どもだけだ。現実煉瓦を見たことがない兵も大勢居るぞ。」




「まー我々も似たようなもんですから卑怯だぞとかはいえませんがねー。」




「別に卑怯でもないでしょ、安全に越した事はないし。…………ありゃ?」




 水谷が不思議そうな顔をして目を凝らした。




 遠目に見やると、道端…遠くから見ても道がジグザグに曲がっているような道だったが、その道に何か異様なものが転がっていた。


 煙のようなものがたちこめ、赤いものが見えていた。




 それを一目見て岸田は満悦の笑みを浮かべる。




「いいぞ。まさかこんなあからさまな所を通る馬鹿がいるとはな。」




「分かってても仕方ないのかもしんないですね。何しろ森の大部分が雪解け水で森の中はぐちゃぐちゃですし沼になってるとこが一杯ですしね。分かっててもいい道を選ぶんじゃないですか?」




 駒田は彼等の言うことが理解できずに首をかしげていたが、最後までわからずに結局野暮な質問を岸田にするより他無かった。




「何がいいんですか?」




「あれは撤退しようとしていた奴等のものだろう、切羽詰ってる状態で万全に立ち直ったとは思えん。一人二人は負傷者が放置されてるかもしれんぞ。…お前はあっちにも地雷が仕掛けられているのに気づいていなかったのか?」




「むんむん。」




 彼等はそういう隠されたものを感知する力もあるらしい。だが駒田はそんなものは無かった。言われるまで気づかなかった。だから駒田は首を振った。




 重かった足取りが軽くなったようで、岸田を含めた一行はぱたぱたと走っていった。

 近づくにつれて手放しには喜べないものであることが浮き彫りになったが、それでも彼等の喜びようは変わりなかった。




 木っ端微塵に壊れたそれが祖国に属する車両だったとしても、彼等にとっては所詮神酒の元であった。




 負傷者を探せと目を爛々と輝かせて熱のこもる現場を漁っていた。

 死体と化した人間を一人見つけたが、ゴミ同然のようだった。見つけてもさして興味なさげに無視した。彼等にとっては事切れた人間ではなく生き死にの境をさまよう者が必要なのだ。死んだ者が自動的に瓶に入らない以上、目の前でとどめをさして『呪いに吸収される前に』瓶に取り込まねばならない。




 だが何も見つからなかった。


 あちこちくまなく探したが、人間らしいものは何一つ見つからなかった。




 それを見た新木が渋い顔をした。




「奴等の言う『解放戦』てぇのも伊達じゃないって意味かねぇ。全部見事に解放されちまってら。どうせならもっと派手にやれ、派手に。」






「…何で普通に魔法で探そうとしないんですか。あんたら魔法使いなんでしょうに。」






 駒田が遠巻きにそう言いはなった。




 だが、彼等は酷くあっけらかんとその問いに答えた。


 少なからず嫌味を含んでいたのだからもう少し嫌がってもいいものを、怒ることもなく、また悪びれたりすることもなく彼等は淡々と答える。




「私等は気焔を読む専門の力しか持っておらんのですよ。人探しは多分そこらの人間と同じ位ですよきっと。そもそもこの行動は全くの予想外ですし…対人特化した奴等ならいともたやすく見つけ出すんでしょうけど、気配と気焔は全く違うものなんで両方の探知能力を鍛え上げられたのは我々の仲間の中でもほんとにごくごくわずかですよ。しかもそれを隠蔽された状態のものを探り当てる能力というのはそれそのものが資質としてあるくらい難しいことです。」




「資質を鍛えたやつは気配を隠そうが気焔を消して姿を魔法で隠蔽しようが、死体となったとしてもたちどころに見つけ出しますよ。こういうのと一緒にかくれんぼをすると『もういいよ』と言った時点で誰が何処に隠れているか知っているという、ある意味ではものすごく卑怯な力です。」




「無くしものを探してもらうときに便利な存在でもありますが。ちょっと昔に眼鏡を無くしましてねぇ、一個しか持っていないんでそれを無くしたら大変なんですよ。私近眼じゃなくて遠視なんで近くのものや文字が読めないというのは放置するのはかなり辛い。だからそういうのに助けてもらおうと思って交渉したんです。確か川村屋の羊羹いっこおごるって交渉だったかな。川村屋の羊羹は美味いんですよ。交渉が成立した時点でそいつは笑みを浮かべて肩を叩きながらこうのたまったんだ。『俺の力で探してみるに、お前のなくした眼鏡は、お前のでこにかかっているよ』ってね…」




「ていうか、それは間違いなくオレでも探せる範囲かと…」




「筋金入りのボケっぷりですね水谷さん…もう少しで惜しい人を亡くすところでした。」




「眼鏡の宿命だろこれは…でしょ岸っこ。」




「そんな失態をさらすのは貴様だけだ。そもそも私は医者からも驚かれたくらいのド近眼で眼鏡を外した時点で目くらだぞ。日常生活で眼鏡を外す事自体必要が無い。それにあと3つは替えがある。壊れても修復するまでにつける眼鏡はいくらでもある。」




「そういえば岸っこはよく中佐に眼鏡とられてからかわれてましたね。眼鏡取られた程度で壁にぶつかったり段にけつまずいたり大げさな事をするなぁと思ってましたが、あれは本気で見えないからああなってたんですね…面白がらせる演技にしては随分自然だなぁと思ってたとこです。」




「…人が必死になってるというのにそんな不謹慎な目で見られてたのか…」




「そうはいっても昔はちゃんと5つ持ってたんですよ〜まだ銃火器がないと戦えなかったころ戦場で全部壊れちゃいまして、この眼鏡が最後のいっこ…眼鏡屋に行く暇がなくてずっとこの最後のいっこでがんばってるんですよ。」




「へー大変なんだね眼鏡っこは。あと一個しかないんだったらせめて一つかしてあげようか?度のはいってないサングラスだけど。」




「度が入ってないなら意味がないじゃないか…」




「あんまみたいに暗黙のうちに分かるさ、『オレは目が見えないからすこし気遣ってくれ』ってな。」




「失礼な…遠くなら見えるってば。多分遠くを見るだけならあんたらよりよく見ると思うよ。これでも射撃の腕はそれなりに良かったんだから。」




「えーボケ老人をも凌駕する見事なボケっぷりを発揮するお前がそんなご立派に活躍できるなんて嘘だろ。そんだったら何で俺が輸卒だったんだ?母体満足のこの俺が!」




「女を床に運べないくらい不器用だったからだろ。モノは女と違って文句言わんし逃げないし簡単なもんだろう。モノは煉瓦もびっくりの胸毛を摺り寄せても『きもい』って言わないんだ、何しろ口がないんだから。不精者のお前にはぴったりじゃないか。」




「うるせいや、10の頃から『ハアハア僕の子供を産んでくだたい真弓たん』っててぃんこおったててた早熟爺にいわれたかないやい。俺は自然体の男なんだ、気取ったり媚びたりしないのが俺の魅力ってもんなんだーお前等みたいに女将と御上に尻尾ふってるよーな小物とは違うんだもんねー。ね!」




「何故私のほうを向いて同意を求めるのだ…」




「新木が一番媚を売ってるじゃないのさ。」




 のん気に雑談を交わす彼等を駒田は遠巻きに眺める。




 彼等の役目は逃げ送れた仲間を陰に救う事であった。




 だが駒田の目の前に映るその者たちは、少なくとも駒田にとっては死にゆく者を葬る為に彷徨う不吉な存在に見えて仕方が無かった。






─────






 道がどんどん狭まり、獣道になった。


 それでもまだ目的地に着かない。




 今更のようだが、彼等は普通の兵隊ではないらしい。


 誰かに見つかれば見つかったで結構なことだと雑談し放題だった。ここでの司令官である岸田もその会話に参加するのだから、だれもこの会話を止めるものは居なかった。進軍中にけたけたと大笑いし大声でどしゃべるとは実に不謹慎だが、意外と楽しいので文句はいわない。




「そういやあんたは新木というのですか。…栄人らしからぬ苗字ですね。糟人はもっと旧式のぼろぼろの服を着てるから違うんでしょうけど…」




 『栄人らしからぬ』といわれて嬉しい栄人がいるはずもなく、新木は帽子を取って坊主頭を遠慮なくかきむしりながら答えた。やや離れたところにいる駒田の鼻にもすっぱいかおりが届いた。3日間風呂に入らずひたすら何かを求めて彷徨っていたのだから仕方ないにしても、随分作法が不精臭い男だった。




「いつも言われるんだよね、俺がもっと栄人らしい姓だったらお前等阿呆3人組は我が組織に相応しい3人組だというのにってさ。」




「いつも糟人に間違えられてるしね。」




「そうなんだよ、何かムカツクよな。」




「思うに名前以前に糟に混じって銀蝿ばっかりやってるからだと思います。」




「なにをうー服はつねにぴかぴかだったぞ。そこが糟との相違点!」




「それも盗んだからじゃん。摩り替えられた一度も洗われていない汗臭さ漂う垢だらけの服に当たってしまった気の毒な兵隊さんは今どこで何をしているのでしょう…」




「恥ずかしいやつめ…服位洗いたまえ。」




「国照ちゃま…怒るところが微妙に違 い ま す よ」




「何処がだ?」




 どうも岸田は話を半分以上聞いていなかったらしい。


 ここでバカにしたような笑いをかますのは世界の何処をとってもこの3人くらいしか居ないだろう。岸田は一応彼等の上官であり、それなりの階級なのだから普通は慎むべきである。




 だがそれはそれで面白いので駒田も笑っておいた。




 そうして雑談しているうちに、盗みの話から名前の話に戻っていった。




「水谷と石崎と新木。『いつも3人揃って何かかんかやってるが、新木がもっと風流な苗字ならいかにもでいいのに』ってよく伍長がいってたけど、一体どんな苗字だったらお気に召したんだろうな…」




「火野という苗字だったらいかにもな気がする。もう、ぱっと見で何の魔法を使うか一目瞭然そうな苗字ですよ。でも実際はどんな資質を持ってるかしらんけどさ。ここで『胸毛を自在に操る資質』とかだったら全てが台無しになりそうな予感。」




「そんなに凄い胸毛なのか…」




「国照ちゃまは御覧になったことがありませんか?逞しいの域を超えた想像を絶するモジャモジャゾーンがこいつの胸にあるのです…もはや乳首が隠れてるくらいですよ。頭が坊主なのにその分胸と脇と腕と足がロンゲだなんて恐ろしい話だと思いませんか。陰毛なんてもうまっぱで世間に出てもモザイク不要なくらいフサフサですよ。真っ裸で居ても遠目で見たら黒い服と黒いズボンをはいているのかと思わんばかりですよ。もうさ、整えるとかいわずにいっぺん全部剃れよ!風呂に入るたびに皆から『きもい』って視線浴びて何が面白いんだ?!男だってあの域の無駄毛は反則もんだぞ…」




「えー…剃るとより一層濃くなるっていうしさぁ…」




「髭と同じ要領で毎日剃ればいいだろ!そんなんじゃ未来の奥さんの首に毛が絡まって窒息死しちまうだろうが!」




「おしゃれには人一倍気を使う水谷様が珍しく怒っていらっしゃる…」




「何このきもい毛達磨…全身に力いっぱい無駄毛処理を施したい…そう思ったのがこいつとの縁の始まりでした。ガムテープで引っぺがそうとしたらガムテープが破れたのでもう諦めましたが。」




「女だったら恋の始まりって話になるんだろうけどねぇ…」




「女だったとしたって異常な恋の始まりだろう、それじゃあ…」




「皆騙されるな。水谷だって水を操るような苗字をしていながら実は鼻毛を操る資質をもってるんだぜ。崖から落ちそうになった仲間を助けるべくしこを踏むと鼻毛がぶわっとあふれるんだ。そんでさわやかにこうのたまうんだぜ、『さあ、これにつかまるんだ。でも今朝方から鼻風邪をひいててさぁ、鼻毛がべ」




「話が大いに脱線したので仕切りなおします。水谷と石崎と新木。『いつも3人揃って何かかんかやってるが、新木がもっと風流な苗字ならいかにもでいいのに』ってよく伍長がいってたけど、一体どんな苗字だったらお気に召したんだろうな…」




「鼻毛を操る水谷と胸毛を操る新木、では石崎は何毛を操るのか…」




「く…国照ちゃま?!私は毛なんてそんなもの」




「御免陰毛しか思いつかなかった。」




「俺もだ、何故だかお前の毛というとちん毛しか思い当たらないんだ。きっと露出狂みたいにコートをばって脱いで裸体をさらしながら『さあ真弓さん、僕が導いてあげるよ!』と叫びながらちん毛を」




「話が大いに脱線したので仕切りなおします。水谷と石崎と新木。『いつも3人揃って何かかんかやってるが、新木がもっと風流な苗字ならいかにもでいいのに』ってよく伍長がいってたけど、一体どんな苗字だったらお気に召したんだろうな…」




「鼻毛を操る水谷と胸毛を操る新木とちん毛を操る石崎、そしてその長は鼻血澱粉画鋲を操る岸っこですか。『お前等もっと伸ばせ!もっとだ!』そういいながら鼻血が出るまで澱粉溶かしたLotionという名の液体と画鋲でなぢるんですね。駒田は謎の軍人さんに拾われたはずだったのに…軍服着たSMクラブのホストと客に拾われていただなんて…駒田も故郷に帰るころには調教されてるのかな…皆から刺さるような視線を受けながらまことみぢめに生活する中、つらいはずのその視線にえもいえぬ快感を覚えるようになったりす」




「話が多大に脱線した故仕切りなおす。水谷と石崎と新木。『いつも3人揃って何かかんかやってるが、新木がもっと風流な苗字ならいかにもでいいのに』ってよく伍長がいってたけど、一体どんな苗字だったらお気に召したんだろうな…」




「むしろ4人揃ってたら御誂え向きだったろうに。」




「御誂え向きというと水谷と石崎と火野と…」




「そーだなー、…風間とか?」








「風間は好かん。」








 風間という名前に意外な反応を示したのは駒田だった。




 驚いた一行の視線を浴びつつ駒田はなおも酷く渋い顔をして繰り返すように言った。






「風なんていりませんよ。大体そろえなくたっていいではないですか。あんたら3人は3人でいいじゃないですか。駒田は風は好きじゃない。あんなびゅーびゅーと吹きっぱなしのしまりのないモンなんぞ操ったって得にも損にもなりませんよ。」






「…そうかなー風使いって何かいい感じじゃないですか?仲間に数人それっぽい資質を持ったのいますけど、上級の奴等になればなるほど華麗な魔法を使いますよ。」




「だねー、自然に関わる資質は希少価値は無いけど人によっては何かの物語に出てきそうなかっこいいの使えるみたいですしね。上級の奴等の演習をちらっと見たことありますがどこぞの国の本に載ってた魔法使いそのまんまのものを使える人もいるようですよ。嗚呼いいなぁ…あれはある意味憧れですよね…」




「でも現実は水谷さんは鼻毛を操るんだってさ。」




「違うと思いたい…それだけは違うと思いたい…まだ分からないけど、そんなアホみたいな資質だったらその鼻毛で己の首を締めて全てなかったことにしたい…」




「連隊3伝説『屁を操る資質』『よだれを操る資質』『垢を操る資質』を超える伝説が今始まる…」




「垢を操る奴はなんと現在中尉様なんですがね。汚くても下手にクリーンな資質よりよほど使える便利な魔法らしいですからかなり重要な存在らしいですよ。生きた伝説のそのお方はいっぺんだけ見たことありますが、…新木なんて目じゃない絶妙な臭さを放ってました。そうでないと資質を生かせないからってのは分かるんですが、常時犬畜生と同じようなかほりを漂わせてるってのは気の毒としか思えません。」




「屁とよだれはどうなったのかな…」




「きっと芋食った翌日屁が暴発して死んだんだろ。伝説しか聞いたことないから。あの謎のクレーターみたいなの、きっとあそこはその伝説の屁を放つ奴がいた兵舎だったんだ。」




「よだれの資質の奴はきっと盗み食いで急ぎすぎて咳き込んだときに気管支に入って己の唾の魔力で死んだんだと思うよ。だから『ごはんはよくかむこと。』って張り紙がトイレに張ってあるんだ。」




「し、死に様まで伝説級だな…」




「つまりお前が鼻毛で自殺すると連隊マニュアルに『週一回は鼻毛を切ること。』ってかかれるわけだ。新兵はそれを見るたびにお前に思いをはせるんだぜ。」




「胸毛だっていつか書かれるぞ…」




「はっはー俺は自殺なんてしないもんねー」




「寝相が悪くて胸毛が首に絡まって死ぬんだ。それ以来『毎日胸毛を剃ること。』ってマニュアルに追加されるんだ。新兵はそれを見るたびにお前に思いをはせるだろう…」




「そんな調子で意味のわからん項目を増やしたら連隊マニュアルがぶっとびウィザードお笑いバイブルになってしまうだろうが。本を開いた瞬間1頁使って『ごはんはよくかむこと。』ってかかれてたりしたらオレだったら吹くぞ。」




「ていうか今でも十分お笑いバイブルだと思うけど。美術が得意なインテリ尉佐官が集まって作ったというすばらしすぎて想像を絶するマニュアル…あれを手にしてしまったが最後軍隊の持ついかついイメージが木っ端微塵に砕け散ってしまう、世界一イカした連隊マニュアル。」




「読んで欲しい連中に限って難しい文章が読めないのが多いからマニュアルを作らない師団連隊が多いって聞くけど、作っているけど作っているうちに入ってないっていってもいいくらいやけっぱちになってる度がすごすぎるよねアレは…」




「よくOKを貰ったよなアレは…貰った新しい連中笑っていいのかどうなのかって感じのものすごく微妙な顔をして読んでるのを見かけるけど。」




「中佐殿曰く『あまりにも内容がイカれててウケたから可』ということらしい…変なところに気合がこもりまくっていて肝心のところがほとんど欠落している謎のマニュアルなのはその為だ。とはいえどうせ口頭で教え込まれて空気で慣れる所だ、特に我々は技術より精神を要する。心が安定していなければ資質が良くてもまともに力を扱えぬ。だからこそ読んでいるだけで緊張する変に堅い理屈をこねているマニュアルよりは軽い読み物として読めるものをと思われたのであろう。ちなみに『何か学生時代を思い出すなぁ部誌みたいだ』ということで急遽1頁を中佐が独占なされた。」




「まじですか!」




「どのページだろう…どのページもろくな内容じゃなかったから尚更気になる…」




「それは私も聞いていない。あの奇天烈な冊子の中のどこに中佐の書かれた箇所があるというのか…」




 『どのページもろくな内容ではない』からか、うかつにどこと言えず、かしましい兵士達も流石にだんまりになった。


 とはいえ気まずい雰囲気というわけではなく、単純に何処だろうと考えているだけらしい。




 さくさくという歩く音だけが響く樹海だったが、本来なら草木も眠る深夜である。


 いや、そろそろ早朝に差し掛かる時間か。


 それでもルツは日が落ちるのが早く日が上がるのが遅いから本来なら真っ暗なのであろう。

 狙撃兵が自分達を的確に狙えたのも、何か先端技術を収集したものを持っているというよりは燃えるトラックの側に居たためかもしれない。




 深夜だから静かというのはおかしかった。




 樹海には少なからず夜行性の生物が居てもおかしくはない。


 夜のほうがうるさいとさえ言われる樹海であって、この静けさは異常だった。






 この耳が劈けるほどの『沈黙』に、駒田は覚えがあった。






 と、その時その『記憶』とは違う展開が響く。




 やや離れたところだが、確かに聞こえたのだ。






 銃声が。





─────






「ぎゃああああああううぅ助けてくれえええええ」






 そんな感じの半ばありきたりな悲鳴をあげて仲間達は突如苦しみもがき、身が弾け、液体になった。



 血の海は意外なことにちょくちょくとお目にかけたことがあるから変な気は起きなかったが、肉片が全くなかったのには驚いた。


 そのはじけ方は、かつて遊んだ水風船を思い起こさせた。




 妹が買ってもらった水風船。


 自分は別のものを買ったためか、妹だけだった。


 当時は悔しかったから、悪戯で水風船に爪を立ててやった。


 ぱしゅっという音を立てて水風船は弾け、水がぱっと、だが意外と辺りに飛び散らずに地面に落ちた。


 それを見た妹は嘆いたっけな。




「わあん酷いよ兄ちゃん、昌子の風船返してー」




 今まさに、妹の台詞と自分の気分とが一致していた。




 気持ち悪いとか一体何がという理屈ではなく、誰に言うでもなく『仲間は戻ってこないのか』という寂しさしかなかった。だが妹と違うのは、悔しさはないということ。何しろ『何がそうさせたのか』が分からないのだ。元凶無くしては恨むことも憎むことも出来ない。




 肉体がなくなった仲間達は無事だった仲間にすがりつき、すがりつかれた仲間は同じように苦しみ、弾けていった。




 伝染病のように自分の部隊中にそれは広がっていった。




 自分が無事だったのは、自分が肺炎だったからだ。


 人より少々遅く進んでいたために自分だけ免れたのだと思う。




 だから一体何故こうなったのかという事はまるでわからない。本当にほんの少々離れていただけだったのに分からないというのも情けない話かもしれないが、本当の事だから仕方がない。




 付き添ってくれた仲間がこの異常な事態を知るや否や奇声を上げて自分を突き飛ばし、明後日のほうに走り出した。




「ガスだあー体が溶けるガスだあー」




 そんな感じの悲鳴だったが、自分はガスだとは思えなかった。


 仲間だった物体の大部分はその悲鳴に吸い寄せられるように逃げた仲間のほうに向かって波立つように追っていった。


 自分の元にも仲間の波が押し寄せていた。




 熱に浮かされているおかげなのか、こんな時であっても意外と頭のほうは冷静だった。


 元々死ぬか生きるかの瀬戸際を渡っていたのだ、今も変わりない。


常人なら仲間だったもの、しかも今やどろどろとした液体状のものに攻撃を加えるなどという事は使用としないだろう。ある者は純粋に躊躇い、ある者は水を切ることなど出来ないと。




 だが自分はやった。




 拳銃だったが、迫り来る赤い波に発砲した。




 確かに水に発砲しても傷つける事は出来ないが、効果がなかったわけではない。


 彼等だったものはこの火花と音に対し、明らかに驚き、恐怖していた。




 波が緩やかになり、こちらに向かう流れに躊躇いが生じていた。




 そうだ、所詮こいつらは人間だったのだ。




 そう思うと元々少なかった恐怖はより一層引いた。


 声を出すのは苦しかったが、それでも我が身を守るべく怒鳴る。




 彼等に『人間ではなくなった』ことを悟らせないように、言葉を選びながら威嚇する。






「近寄れば貴様等全員殺す。いいか、分かったか。死にたくなければ俺に近づくな!」






 だが、睨みあいは人間の時の様に長々と重苦しく続くものではなかった。


 奴等は躊躇う一方じわじわとこちらに歩み寄っていた。




 どこからか悲鳴が聞こえた。


 自分を見捨てた仲間の声かもしれないが、正直悲鳴などどいつが出しても同じように聞こえるから分からない。




 俺も水になるのか。




 そんな弱音が頭を掠めたとき、予想だにしないことが起こった。






 ざああという水が流れる音が上からした。






 それは確かに我が身の側だった。


 真夜中の森の中ではよく分からなかったが、たまたま日が入りやすい地形だったのかほのかに入る月明かりでそれが見えた。




 上から別の液体が降ってきたのだ。




 だが、質感や独特の嫌な感覚からしても仲間だった物体と酷使していた。


 こいつらも俺を狙ってきたのだろうかと思った矢先、考えとは少々違う展開が起きた。




 上から降ってきた液体は、同じ液体である『元仲間』を、『食い始めた』のだ。




 仲間達の声ともいえない声が耳に届く。


 いや、耳ではないかもしれない。


 だが、何処から聞いているのかは自分でも分からない。




 それでも確かに二つの液体は敵対していた。




 二つの液体は水と油のように決して混ざり合う事無く、自分の側で取っ組み合っていた。




 それで分かったが、このふってきた液体は恐らく唯一であろう生き残りの自分を守っているのだ。


 何故かは分からないが、助けてくれとこちらに向かってくる液体を押し返し、飲み込もうとしていた。こんな非人間的な物体に好かれる覚えはなかったが、助けてくれる存在であるのならありがたい事は確かだった。




 だが、逃げることも出来なかった。




 足がすくんでいるわけではないが、立っているのがやっとであった。


 体が熱いのか寒いのか分からないほどに震えていた。




 そんな感覚が麻痺した状態が一応解けるのは、人の声を聞いたときだった。




 数人の足音が早足に…というより駆けているのであろう、こちらに向かっていた。


 真夜中、しかもこんな込み入った森の中でそいつらは自分の姿をすぐに見とめたらしい。




「マジかよ…あいつ呪われずに生きてるぞ!」




「こいつらも仲間割れをしているな…岩崎、やれ。」




「了解」




 誰かがそう受け答えると、辺りに冷気が舞った。


 それは物理的な寒さではないことを知ったのは、真の寒波が目の前の液体を包み込んだ時だった。




 それはまるで宝石のように空気中に散り、吹きすさぶ冷気にもてあそばれるように震えていた。寒い、苦しい、助けてくれと液体が叫ぶが、それが仲間のものなのかどうなのかはわからない。


 それは月明かりに照らされて酷く美しく光を放っていたが、じきに液体のしっとりとした光沢から金属のような光沢に変化していった。


 最後には金剛を思わせる妖しいほどに美しい光を放つ石になっていた。




 何が起こったかはわからないが、とにかく自分は助かったということだけは理解できた。




 拳銃を降ろすと同時に気も抜けて、自分は尻餅でも付いたように酷く乱暴に腰をおろした。




「大丈夫か?」




「…大丈夫だ。…多分。…何が、………一体……何が起きたんだ…?」




「見ての通りだ。その液体に食われれば死んだも同然だったということ。お前の仲間らしいのは食われて取り込まれていたぞ。…お前は一体どうやって生き残ったのだ。銃声が聞こえたが…お前が放ったようだな。そんなもので勝てると思ったのか。」




「分からないが、多分これのおかげで俺は助かったんだと思う。」




「どういうことだね。」




「奴等は元々人間だったんだろう。…撃ったら慄いていたぞ。だから威嚇して何とかしようと思った。…確かに動きは鈍くなったが、人間とは訳が違うらしい…もう一つの液が助けに来てくれなかったら俺も食われていた。」




 自分を守るように降り注ぎ、実際守りぬいてくれた液。


 だが、彼等は解せなかったらしい。




「確かに二つの塊が争っていたな。おかげで我々も酷く楽に処理ができた。しかし…呪い同士が反発しあっているということか…?奴等は元は一つの塊だったはずだ…一心同体のはずのものが一体何故?」






「一心同体の中にそれを乱す『反乱因子』の意志が入り込んでいるのですよ。」






 彼等の中に居た一人がこちらに向かって歩きながらそう言った。


 理解できなかったが、元々話の根本からあまり理解しているとはいえないのでもはやどうでもよかった。




 彼は自分の足元にあった結晶のようなものを摘み、拾いながら続ける。






「『きゃー助けてままー』ていう逃げ腰の塊の中に『馬鹿野郎こんなものに取り込まれてなるものか』っていう鋼の意志を持ったのが入り込んだ。その意志が本来のコアである回天教の呪いの意志と離反して独立しているようです。…つまり、あの赤い物体の中にも駒田達の仲間が居るってことですよ。」






「…そんなことを何故知っているのだ?」




「皆が教えてくれました。」




「皆?」




「ガッツ石英の中の人が色々教えてくれるんですよ。」




 そう言うと彼は自分の側を早々に離れ、どこぞに歩いていこうとした。

 その歩きようは、どことなく自分から意識を離そうという感じのやや大股で、かかとを引きずるような派手な歩き方だった。




 初めは自分が邪魔だからという意味かと思ったが、すぐにそれが親切であることが分かった。




「俺たちを襲った初めの液体はあえて逃して足跡代わりにしようとした呪いの物体です。本来はこの呪われた空間から回天教の呪いが離れないようにこうやって見張り続けているんですよ。たまたま入り込んじゃった気の毒な方は恐らくこの方以外生きていませんでしょうけどね…そこまで強固に守りきれるだけの力があるわけでもありませんし。…恐らく瓶に神酒が溜まっていなくても彼等が助けてくれますよ。何しろ今の彼等は神酒の元であり容器の元でもあるんですから。…だからその方を殺す意味はありませんよ。」




「殺す?…あんたたちは俺たちの味方ではないのか?」




「敵も味方もないんですよこの方たちには。さっきやった魔法みたいなものを使うには人間の魂が必要なんですって。今までも敵味方無関係に無差別に殺してきたようです。なんだかファンタシーでうそ臭いけど何かほんとみたいです。あんたも死にたくないんだったらこの方たちと関わらないほうが身のためですよ。」




「ああ…魔法ってのは今ひとつぴんとこないが、確かにあんたたちは不思議だな。人間とは思えない気配を出している…」




 そう言ったとき、不意に彼等の顔つきが変わった。




 目では見えないが気配でわかった。




 不思議なものだと自分でも思ったが、あまり好ましい気配ではなかったから肝が冷えた。確かに人間とは思えないといわれれば誰でも何かしらの反応を示すだろう。


 だが、そういう反応ではなかった。


 勿論、目では見えない。肌で感じたに過ぎない。




「…言い方が悪かったな。謝るよ。だから乱暴な事はしないでくれよ。」




「ああ、せぬとも。…ところで」




 暴言を言われたにしては酷く淡々と彼等は会話を運ぶ。


 だが、こちらもそう濃厚な話題についていけるだけの知恵も体力もなかったから気にはならなかった。




「君は顔色が酷く悪いな。仰天してそうなったのか…それともどこか具合でも悪いのかね?」




「…よく見えますね…びっくりしてなったのもあるだろうけど、俺はこれでも病気なんだよ。この冷気で肺を痛めてる。熱で目が回る。…このままほっとかれたら死にそうだ。何かの縁だ、助けてはくれまいか。」




「いいだろう。だが訊きたい事がある。正直に答えなければ捨て置くぞ。」




「レンガに拾われても同じ事を言いそうなくらいこっちとしては弱ってるんだ。嘘なんてつく余裕はない。で、何だ?」




「名は何だ。所属や階級はどうでもいい。」




「名前…?杉浦だ。杉浦仁。」




「栄人か…良いことだ。閣下もさぞお喜びになられるだろう。最後に問う。人間とは思えない気配を出しているとは具体的にはどういうことだ?不躾な言葉を糾弾しているわけではない。遠慮なく真実のみを述べよ。」




「…え…こ、言葉では上手く言えないかもしれんが…」




「こちらにその旨が伝われば体裁などどうでもいい。逆に変に飾る事はやめたまえよ。」




 どう説明していいかわからないが、熱でうだる頭の中で必死に纏めた。




 そうだ、あの時。確かに感じたではないか。






「…あんたたちがここに来て、あの液体を凍らせたとき。あんたたちから身の毛がよだつような何かを感じたんだ。人間とは思えない何かを感じたんだよ。…あんたたちがいるなら何が起こってもおかしくない気がした。実際いち早く死ぬはずだった奴がこうして最後まで生き残っているんだ。奇跡としか言いようがないがね。」






「…………すばらしい。」






 闇の中で彼等は笑った。




 決して褒める言葉とはいえなかったが、一人を除いて彼等は酷く満足そうだった。


 唯一生き残ったのは『異質なものと対等に遣り合えるだけの精神力を持っているからだ』とも言った。


 熱で浮かされてやった行為だと自分では思っていただけに、何だか不思議な気分になった。






「君は選ばれた。杉本仁と言ったな。君は今日を持って我々の眷属だ。そして次に目覚めるときは我々の兄弟である。…約束どおり君を救ってやろう。」






「ほんとですか。」






 身を乗り出そうとしたが、何故か体が凍りついたように動かなかった。


 疲れ果ててそうなったわけではなさそうだと直感が悟った。




 視界もなんだかおかしなことになっていた。


 真っ暗の森の中のはずが、視界の中に別のものがちらつく。




 幻覚なのかしらと思ったが、次の瞬間そうではないことが分かった。


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