第二話 聖人、腐敗次元に挑む 〜酒と女を求めて ・2
岸田に従う兵達は驚きもせずに短刀を回収に向かった。
そればかりかのん気に雑談交じりに岸田に言う。
「私らも武器もいっこくらい持っておいたほうがいいですね。いい節約になりそうです。」
「銃はやめたほうがいいぞ。応用がきかんし故障や弾切れを起こしたら面倒だ。回収して何度も使えるものがいい。」
「予備まで消耗品だったら予備にする意味ありませんしね。」
「でも大尉殿みたいな使い方じゃ消耗品でないものまで消耗品になりそうですね。」
「大尉と呼ぶな。」
「ではキャプテン国照ちゃま♥」
「大根大好き国照ちゃま♥」
「もーにんぐ国照。ちゃま♥」
「またそのシリーズか…」
「シリーズ化をお望みですか。ふたりはプにてるちゃまの巻★岸っこ国照ちゃまが道端でであった毛唐を殴り倒す豪快なお話です。オチは中佐に怒られてショックで切腹。」
「お魚くわえた国照ちゃま若奥様と死闘の巻★小腹が空いた岸っこ国照ちゃまが燕里ふ頭の漁村を襲撃する白熱したお話です。オチは中佐に怒られてショックで切腹。」
「もーにんぐ国照。ちゃま涙の卒業の巻★岸っこ国照ちゃまがこーまんきちな士官学校卒業生に折檻を食らわす爽快なお話です。オチは中佐に怒られてショックで切腹。」
「……岸っこって何だよ…オチで切腹してる割に何故か続き物になってるし……もう……もういいよ…好きにするがいいさ…」
「ちょっと待ってよ…」
凍りついていた駒田が漸く口を開く。
今まで動いていなかったものが突如動き出したかのように喉が変に震えて声がよく出なかったが、それでも一同を駒田のほうに注目させるには十分だった。
駒田は震えながら言う。
「あんたらナイフで無抵抗の敵を殺して…味方を足で喉潰して殺して…なんていうか、こう、…良心の呵責とかいうものは作動しないんですか。だいたいナイフが何故体内を貫通してぶっとんでゆきますか…あんたらちょっと…変ですよ?」
「貴様から変と言われたくない。」
岸田は目を細めて反論したが、それは駒田のもとめていた答とは全く違った。
彼等は味方を殺した事実には何も感じていない。
それだけはよく分かった。
敵は百歩譲ったとしても、味方を殺し慣れている兵士などありえない。
「可哀想であえて止めを刺すのは分からんでもないですよ、でもあれは…仲間の人間を殺すというより瀕死の動物を縊り殺す様でしたよ。それにもっと躊躇いがあるのが普通です。…あんたら仲間に対して何やってるんですか?…あの人は…生きてたんですよ?地べたに落っこちた玩具じゃないんですよ?!あまりにも無益すぎやしませんか?!何故、仲間を殺した?!」
「生きるためだ!!」
間髪入れずに返ってきた岸田の言葉に、駒田は耳を疑った。
生きるため。
命が危ぶまれたのであれば分からなくも無いが、瀕死の仲間を屠ることと自分の生を保つことには一体何の関係があるというのか。
…………………
「まさか…」
駒田は岸田たちと今はもう物のように動かない男に交互に視線をやりながら、到達した恐ろしい結論に震えた。
「まさかあんたら…この人を食べる気?」
「は?」
「飢えた兵隊さんが死んだ仲間をとって食うって…都市伝説だとおもってたのに…まさかほんとにやる輩がいただなんて…そんな…そんなことって…………」
駒田は呆然とする岸田たちを睨む。
体の震えを気合で静めようと空を硬く握り締める。
見えない何かによって固められた重い足を一歩踏み出し、地を踏みしめる。
そんな絶望的なことはあってはならない。
そのための力ではないのか、自分の力は。
駒田は俯く顔を上げて、岸田たちに言う。
「そんなこと…駒田が許しませんよ!」
今まで縮こまっていた駒田の堂々たる変わり方を見て何か感じたのか、部下が何か言いかける。だがそれを岸田は手で止め、顔を駒田に向け直し、短い一言を放った。
「許せないのであればどうするのだ?」
「ぬ?!ど、どうするって…」
ひるむ事無くこちらを見据え問いかける岸田の行為に逆に面食らった駒田は、今今までの勢いを失い口ごもった。
許せないのは今でも変わらない。
だが、許せないから何をするか。そんな事までは考えていなかった。
聖剣で彼等をなぎ倒す。それも手立ての一つだろうが、暴力を暴力でねじ伏せるのは果たしていいことなのだろうか。そもそも、聖剣をかざして立ち向かったところで彼等に逆に返り討ちになりそうな気がしてそういう『正義感漂う行為』をしようという気になれない。
それ以外に何か、彼等の行為を妨害し、改心させる手立てはないものか…
…………………
駒田の脳裏に、不意に妙案が浮かぶ。
怖気づいていた顔を再度威厳ある顔に戻し、岸田達にしてやったりを体で表すかのように指を刺しつつ言う。
「そういえば駒田は人を生き返すことが出来るのでした。あんたらがどんなに惨い殺人を犯したって駒田が生き返せばいいのです!仲間の肉をもむさぼる餓鬼達は駒田様のセレスティアルイリュージョンを見ておなか一杯になるがいいさ!」
部下の一人が何かいいたげに手を動かすと、岸田はそれを制して口を開く。
彼に狼狽の表情はあるのかと問いたくなるほど、駒田以上に堂々とした態度で、その言葉は投げかけられる。
「ならば生き返してみせよ。」
駒田は一瞬ひるんだが、悔し紛れにそう言っている可能性もないわけではない。とはいえ岸田の顔はその可能性があるのか疑問視したくなるほど、まじめそのものであった。
駒田は苦笑を湛えつつ、道徳的に優位に立つ者の風格を保ちながら答える。
「…信じますか。いい眼鏡ですね。今日から君を岸っこ国tellerGと呼びましょう。」
「呼ばなくていいから速やかにしたまえ。」
睨みを利かせつつ急かす岸田と、何だか哀れんだ目でこちらを見る彼の部下達の視線を浴びながら、駒田は意識を集中させた。
とても直視できなかったが、とりあえず倒れたY国兵の顔を思い出す。
その目だけが強烈に思い出されるが、あの命の灯火そのものを取り戻すように願えばいいのだ。
そして曖昧な想像が確かなものとなったとき、自身に宿る夢の力を発散する。
「死人よよみがえれ─────!」
─────
3分ほど待ったが、結局何も出てこなかった。
生き返ることも無かった。
失敗にしても何か出るだろうにと駒田は首を傾げた。
駒田は想定される失敗の原因を考え抜いた。
「…きっと呪文が安直すぎたんですね。では気を取り直してもう一度。あーはーらーまーやーぱぱらてらぷーぺぺろとれぷーすかっちゅすかっちゅからまやらめーろ─────しーにーんーよーよーみーがーえーれへっへれへへーれれへへへ〜〜んんっんん〜ん〜〜〜」
部下が耐えかねてふいた。岸田は歯を食いしばりつつこめかみに血管が浮かせていた。大真面目な顔で意味不明な呪文を唱え謎のダンスを踊る駒田は滑稽以外の何者でもなかった。
一通り歌い踊り終えた駒田はもう一度原因を追求した。
「…そういえば前に死人を蘇らせたとき駒田は頭に血が上っていたような。」
駒田は無言で逆立ちをはじめた。
何度か失敗して、やっと勢いよく逆立てたが、そのまま逆立つ事無く背中から地に落ちた。仰向けになったまま立とうとせずに岸田たちに悲しげな視線を向けた。気の毒に思えてきたので部下達は駒田を起こしてやった。
起き上がってから、さらに原因を追求する。
「何も逆立ちしなくても頭に血が上ることくらい…ようは興奮すればいいのです。」
駒田はおもむろにズボンを脱ごうとした。
裸になって興奮でもするつもりかと岸田がさも嫌そうな顔をしつつ止めた。
「男の裸踊りなど見たくない。どこかよそでやってくれ。」
「そんな低俗な方法で興奮する安っぽい体ではありませんよ。駒田だって嫌です…でも気の毒な同胞のためなら…駒田は公開自家発電だっていとわない!駒田が興奮する様をしっかり見届けてくださいね、ほどほどに放電したら『いまだ生き返させろ』と一声かけてください!でも我慢しているときんたまが痛くなるのが玉に傷です!…今のシャレですよ、何故笑いませんか。」
「………頼むから公開された人間の身になって考え直してくれ。」
「じゃあどうやって生き返らせろと?!」
「こちらが訊きたいわ。」
岸田の白い視線を身に浴びつつ駒田は違う案を考えた。
だが、どうしても思いつかない。
思えば本当に無意識的にやっていたことだから、自分でもどうやってやったか覚えていない。
そういえば、と駒田は地面を見た。
「かまきり先生に訊けばきっと分かるかも!…………………って…あれ?」
Y国兵の上にいたはずのセラヴィがこつぜんと姿を消していた。
あたりを見回してもかまきりらしい存在が無い。
かまきりかまきりと叫ぶ駒田を憐れそうに見ながら部下の一人が言った。
「そこのかまきりは君が殺人現場を見て放心している間にどっかに歩いて行っちゃったよ。そんなにかまきりが好きだったのかい…先に言っといてくれれば捕まえておいてあげたのにねぇ…」
「そんな!駒田はバカトンボに続いてかまきり先生にまで見捨てられたんですか!もう虫なんて信じない…虫なんてみんな叩き殺してやる─────」
対先ほどまでの堂々たるいでたちはどこへやら、地面に突っ伏してさめざめと泣く駒田を見ながら岸田の連れ達は思わず目頭をぬぐった。
「泣くのはお止し。かまきりの代わりににいちゃんが捕ってきたコガネムシをあげようね。」
「おおコガネムシ、お前は何という名前ですか!さあ、早くしゃべるのです!」
「こんにちわ僕コガネムシの金子光晴ー(※裏声に)」
「きいて金子光晴ー駒田を見捨てたバカトンボとかまきりを殺せ!早急に!」
「そんなこといわれても困るよだって僕反戦主義者なんだものー平和に生きましょうよー(※裏声に)」
「うるさいコガネムシのくせにインテリ臭い主義をかかげるなこの成金デブ!男は黙って銃 撃 戦!殺せ!殺せ!撃ち落とせ!」
「いまどき過激な人はモテないよー(※裏声に)」
「何ですって!金子光晴の味噌っかす!ジェントルマン駒田の魅力がびた一文理解できないそんなお前に最も相応しい称号を駒田じきじきに与えてあげましょうね、Cherryboyというあまづっぱくも輝く初々しい称号ですよ!ありがたくその土塁Wonderlandの胸に掲げたまえ!」
横で裏声でコガネムシの声を演じる兵士の存在に気づいているのかいないのか『しゃべるコガネムシ』と思い込んでコガネムシに何がしか言う駒田を見ながら兵の一人が目頭を押さえながら顔をそむけた。
「うっ…可愛そうに…痛ましくて見ていられないよ…」
「何か変だと思ってたけどきっと記憶が飛ぶほどの何か恐ろしいことに遭遇してしまったんですね…そして恐怖のあまり虫に語りかける気の毒な人に…早く病んでしまった心が元に戻るといいね…くぅ」
「それならなお良いことだ。秘密は多ければ多いほど良い。」
駒田と共に泣く部下達とは反対に岸田はほくそえんだ。
人の不幸を嘲り笑うというよりは、単に駒田に対して興味がなお注がれた証拠であった。
「空から無傷で光を放って降ってきたあげく気が触れるほどの体験をしたと言い張るのなら間違いなく『我々』と関係を持っているに違いない。」
「我々と関係が…?」
「お前らは感じられんだろうがそいつは人間離れした気焔を放っているぞ。」
『気焔』と聞いた部下達は緩んでいた顔が急にこわばった。
そのこわばった視線を駒田に注いだ。
駒田は気焔というものが一体何のことなのか分からなかったが、それでも彼等にとって何か特別なものである事は理解できた。
「………気焔って何ですか。」
当然のようなその質問に、岸田は待っていたといわんばかりににやりとほくそえむ。とはいえ何かの策に嵌めるようでもなく、単純に話題をふる手間が省けたからかもしれない。
岸田は瀕死の同胞に止めを刺した図体のでかい部下に指示を出す。
「新木、やれ。」
「え。…いいんですか?」
「躊躇うな。」
岸田の冷たい視線に新木と呼ばれた大柄の兵は少々うろたえたが、すぐに立ち戻り同胞の死体の元にかがみこむ。
と、突然異様な空気が新木から流れる。
一言で言えば『冷たい』。空から浮きつける森の冷気とも違うなんともいえない圧迫感が、新木を中心に立ち上る。
新木は腕を少々広げてから死体に手をかざす。
と同時に辺りに立ち込めていた冷気が唐突に一定の波を作る。それは新木からあふれ出て、波のように一定の旋律を保って死体に流れ行くように感じた。
見えない流れに丸くなる目にも映る異様な光景。
死体がみるみるうちに縮んでいくのだ。
身の毛もよだつ見えない波と、ありえない光景。
呆然と新木とちぢむ死体を見やる駒田の前で、事は着々と進められていく。
冷気の波が止まる頃には、死体は人差し指程度の大きさになっていた。
新木はそれを掴むと手早く取り出した布に包みポケットの中に放り込む。顔色一つ変えずに手についた血を服にこすりつけてごく自然にふき取る。
一連の行為が終わったのを見て、駒田と同じく見ていた仲間達が茶化す。
「普段は死体回収員だけあって手際が宜しいこと…」
「まるで便所後手拭き忘れて服でぬぐう様ですがな…」
「何言うね、腐った肉汁とか脳髄とか触ってりゃ鮮血なんて小便より奇麗なもんよ。…で、やっちゃったんですけど良かったんですか、国照たま?」
岸田はある一部分だけ気に入らなかったようだが、一連の行為に関しては満足だった。良かったのかという問いに軽く頷くと、凍りつく駒田に向き直り笑みを浮かべた。
「空気の波を感じたかね?それが『気焔』だ。お前自身はわからないだろうが、お前からもあの流れが漂っているのだよ。」
「………駒田からあんな気味の悪い波動がドバドバ出てるですか…」
駒田の言葉に新木は驚いたらしい。恐れる駒田に迫った。
「…あんた、気焔が読めるのか?!」
「きゅ?!あれは読み物なんですか?!文字の無い電子掲示板…」
「気焔は普通の人間は読む…感じることは出来んのだよ。気焔を読めるヤツは…読めるヤツは…」
「読めるヤツは…?」
「『清貧なる我等の兄弟』、ということだ。」
兄弟。
不可思議な力を持ち、自分には良くわからないが気焔なるものを放つ人間。そして死を体験した後に奇跡を起こすようになった、妖精である自分。
自分と彼等は、『兄弟』だというのだ。
駒田は暫くぽかんと口を開けていたが、何かに弾かれるように新木の腕を掴み、感情につき動かれるままに叫んだ。
「あんたが駒田の姉ちゃん?!」
駒田のその言葉に、一同の顎が外れた。
駒田のその言葉に、一同の脳裏にそれぞれの衝撃音が響いた。
新木はしがみつく駒田を振りほどくと、最もな説得を試みた。
「良いかね、よぉぉぉくお聞き!俺は……男だッ!」
「駒田だって無精ひげ生やした坊主頭の野郎が姉だなんて思いたくありません。でも…残念っ…無念っ…!妖精は何でもありなのですよ!あんたが兄弟なのであれば駒田の姉なのです!駒田のことが分からないなんて…はっ…まさか…あんたもキヲクソウシツなのですか?!」
「何だって?!俺は…俺は先祖代々Y国の艇捻の生粋の土着民ですわよ?!艇捻省っつったら栄人の祖マイヤールの璃人がはじめて大陸に渡ったときにたどり着いたという由緒正しき地方ですわよ?!棲技村の新木友三ってゆったら泣く子も黙るすねかjjjjいやなんでもない、2代目三年寝太rrrrいや違う、誰よりも喜んで召集を受けて村から出て行った村を上げての英雄ですわよ?!生まれてこの方23年初めてお給料を貰うことにドキd○+▽■×★*うち農家だったし畑に水撒きしてたし、完全な無職ってわけじゃないぜ!水撒きなら15のときからやってるから!学校卒業後と同時に毎日水撒きやってたからプロだぜ!でもいまだかつて妹は持ったことありませんが…何か?!」
「むきゅ…駒田妹じゃない!」
「もきゅ…俺も姉じゃない!」
「嘘を言うんじゃありません!駒田と同じ様に魔法使ったじゃないですか!きっとあんたはちんこの下に金玉っぽいビラの奥にまんこがついているんですよ!」
「ツッコミ以前にそれじゃ男か女かわかんねーじゃねぇか!」
「ちんこは前についた尻尾なのですよ。人はソレをfairy tailと呼ぶのです。」
「そ…そうだったのかあああああああ」
「そんなfairy taleあってたまるか!!」
岸田は怒りに任せて駒田の顔に何かを投げつけた。
頬に当たったのでそれほど痛くなかったが、あまり重みの無い痛さだったので石の類ではないことが分かった。
新木から離れて落ちたものを拾うと、それは淡い月の光に照らされて不気味なほど美しい光を放つ。
ガラスのような瓶。底のほうにごくわずかに水のような透明な液体が見える。別に珍しいものではなかったが、蓋が同じく硝子でしっかりと封がなされ、何より硝子にしては随分と変わった…一口に言えば『妖しい光』を放っている。
まじまじと見つめていると、持ち主だった岸田が話を切り出す。
「お前も我々も人とは違う。それだけは分かった。…そろそろお互い手の内を明かそうではないか。」
─────
相変わらず昼間のような明るさだったが、実際は暗闇に包まれているのだろう。樹海に住まう動物の鳴き声も本物の昼間と比べて大分違うものだった。
血なまぐさいということで、岸田たちは移動を開始した。
岸田たちについていくと以前寝ていた場所に出た。
自分が降ってきた木々の茂みが薄い箇所からほんのり覗く空は、この目の前の明るさとは一転して真っ暗闇だった。空がおかしいのではなく、自分の目のほうがどうかしているのは明白だった。吹き込む風も夜独特のひどく冷えたものだった。
自分は岸田たちより暖かい格好をしているのでそう気にならなかったが、岸田たちは薄着のわりに平気な顔をしている。
やせがまんをしている様子もなく、ルツの民だからといって格別寒さに耐性があるわけでもない。南の温暖な気候に慣れた連中はどんなに厚着をしてもこの凍えるような寒さに耐えられないだろうが、寒波に慣れたルツの人間だって寒い時は寒い。
真っ暗な空を見つめる駒田に兵の一人が声をかけた。
「空に何かあるの?また人が降ってくるとか…」
「空が真っ暗…」
「そりゃあ夜だから。そこにいると風邪引くよ。特に君は生身だからね。」
生身。
彼等が薄着の理由は生身ではないからか。
今ひとつよく正体が分からない彼等に駒田は質問を投げかける。
お互いの手の内を明かそうと言っていたから、はぐらかされることはないだろう。
「夜なのにいきなり視界が昼間みたいに明るくさせたりそんな夏みたいな薄着で歩き回ってたり投げナイフで遠くの人間を貫通させたり…あんたら一体何者?それに死体回収員て何?」
駒田の問いに岸田は答える。
座り込むと木にもたれかかりリラックスしている割に随分事務的な口調だった。もしかすると何度か他人を拾ってこういう説明をしているのかもしれない。
「我々は『清貧なる祈り手』。武装せず、薄着のまま、身一つで天に祈りをささげることで全てをまかなう、隠された兵科…神秘の部隊。その力で行方不明になった部隊の捜索、戦死したものの遺体回収が困難になった兵の回収、撤退の際の経路を保護しより確実なものとする…そういう特殊かつ裏で行う任務を請け負う。攻撃ではなく同胞の命を守ることを重視して結成された存在だ。軍部の弱気な心情を表す存在と思われるかもしれないが、これ以上の損傷は受けたくないし、少しでも生存率を高めて民間の反感を少しでも減らさねば戦えん。」
駒田は初めてそんな存在が自軍に存在することを知った。
『隠された』というからには、単に記憶が無いだけではないだろう。そんな不可思議な縁の下の力持ちがいるとは、恐らく誰も知らないはずである。
しかし、何故隠すのか。
これほどの力を持ちながら、何故攻撃側に転換させないのか。
攻撃的な力を持っているのは先ほどの殺戮で分かっているが、それを何故わざわざ隠すのか。気にならないわけではないが、『清貧なる祈り手』なる呼び名、武装せず、薄着のまま、身一つで天に祈りをささげるという行為が軍人というより聖職者のような雰囲気をかもし出していたから、身の回りの危機以外には手を出さないという掟でもあるのかと勝手に思った。
駒田も彼らと同じ様に腐葉土になりかけた落ち葉あふるる地に腰掛けながら、呟くように言った。
「遺体回収がお仕事なら駒田の死体も回収したのかしら…」
「いかな我々とて生きている者の死体など回収不能だ。」
「まあ何を言うのこのうすら眼鏡92%。駒田は死んだ後に神の祝福を受けて蘇った奇跡の人なのですよ。駒田の伝説の物語を聞きますか?感動のスペクタクルストーリーのプロローグを主人公本人のナレーションで聞けるなんてこんな素晴らしい特典ありませんよ。」
「 はい
>いいえ」
「Y国の飛行兵駒田栄助は来週の休暇に幼馴染・藤子と結婚する予定でした。しかし、交戦中敵機に撃墜されそのまま即死してしまいました。死ぬ前に瞼の裏に焼き付けた、自分を殺した銀の羽。悔しさのあまり魂の平穏を得られない駒田に神は一度だけチャンスをくれました。自分の心が満足したその時に、再び天に還る事を約束し神の力によって蘇った駒田は、復讐を達成する為だけに神から得た力を使って自分を殺した敵機を探します。でも、本当に復讐だけに命をかけていいのだろうか。愛しい藤子の元に帰って、安らかに逝くべきではないのだろうか。駒田は悩みながら、現世を彷徨います。」
「…スペクタクルストーリーのプロローグを主人公本人のナレーションで聞かせてもらったお礼に、今の俺の心情を忠実に表現する言葉を教えてやろう。」
「むきゅ。その言葉とは?」
「『げっそり』。この言葉以外当てはまらん。」
そう言うと岸田はそっぽを向いた。
どうも駒田の話がお気に召さなかったらしい。
駒田は地に伏して泣いた。
「酷いや!駒田の素敵な話をげっそりの一言で片付けるなんて…何て心無い眼鏡でしょう。だから包茎てぃんぽのままなんですよ。服を着ててもちんかすの薫りがむんむん漂ってるヤツに駒田の美しい観照句はびた一文理解できないんだ。岸っこのバーカ。死ね。」
「もう知らん。勝手にほざいてろ。」
「何ですって?!この天下一の癒し系の駒田にそんな冷たい言葉を投げかけるなんて…きっと童貞ですね。もてない童貞野郎はいつだって駒田をいぢめるのです。そんな調子では41の12回目のお見合いの時に戸棚の上に隠しておいた長年をかけて溜め込んでおかずとして活用してきた『日吉みかげちゃんCG集』の束が染み付いた己のイカくささとともにお見合い相手の家族の頭上に落ちてくるという地獄の惨劇に見舞われてしまいますよ。そして『ただの絵にも欲情するのねこの変態野郎』とお見合い相手からラジヲで頭を殴打されてしまいますよ。」
「何で本音を述べただけでそうなるんだ…」
「駒田をいぢめる人間は皆不幸な死に様を晒すのです。頭が肉団子になったとき脳から出されていた体の全ての抑圧が解けて、なおもラジヲでheadを殴打し続けられながら下半身は激しく勃起しお手手で必死にソレを慰めるのです。そして子種と共にあらゆる汚物を垂れ流すのです。それを見ながらお見合い相手の両親は『死してなおますをかかれている…何という生命力!彼こそ我が娘にまことに相応しい殿方じゃ』と感涙するのです。そして見合い相手も動かなくなった岸田ぼでーをことさらに蹴りつけながら『こんな気分は初めて…これが…これが恋?!』ととてもご満悦。サディステックで死姦しか認めないというご趣味の娘さんの家に棺おけの中に入りながら婿養子として入籍。もはや死臭を放ちまくる腐乱しかけたぽこちんだったものを己のまんこに差し込みながら『好きよ国照さん!好きよおおおおお』と内臓をかき回されながら若奥様にファックされることになってしまいますよ。」
「…………………」
「そんな大スペクタクルな結婚は嫌でしょう。ならば駒田を大切に扱うのです。駒田に愛を与えると天からぼんきゅっぼーんなせくしーぼんばーかつゴージャスな女神のようなぱつきん美女が髪をなびかせながら降りてくるのです。そして『貴方の欲するものは琳桐の高級リゾート別荘ですか、Y国が世界に誇る最高級のパールがふんだんに使われたリング・ネックレス・イヤリングの三点セットですか、それとも、わ・た・し?』と訊いて来るのです。」
「どれもいらない。今俺が欲しいのは『お前の沈黙』それだけだ。」
「このインポてつおめ!」
駒田は岸田に投げつけられた瓶を投げ返した。
瓶は岸田の腹に当たったが、小さい瓶だけにそう痛いものではないらしい。単純に瓶が戻ってきた程度にしか感じられなかったようで、表情を変えずに瓶を拾った。
岸田は空に掲げて瓶を見る。
月のかすかな光に照らされて、妖しくも美しい光を放つ。
瓶の中をすかして見ていた岸田の眉間が、不意によった。
そのまま瓶を凝視する岸田には、緊迫した何かが感じられる。何事かと駒田が岸田の顔を覗き込むと、目があった。と同時に、瓶が駒田の額に投げられる。今度は痛めつけるというより単に放り投げてたまたま額に当たっただけといった感じだったから、駒田は何も言わずに落ちた瓶を拾う。
改めて駒田も瓶を見る。
駒田も、眉を顰める。
真似たわけではない。
底のほうに辛うじて残っていた液体が、2,3ミリ量が増えているのだ。
─────
密封された水が増えたことに駒田は不思議でならないという顔をして瓶を軽く振る。音こそ聞こえないものの、瓶の中の水は確かに衝撃に身を任せてゆらゆらと揺れている。
「…水が増えてますね。何ざんしょこれは…」
「死者の血であり、涙。」
岸田の口から出たそんな物騒な言葉に、駒田は一瞬目を丸くした。
死者の血であり、涙。
この密封された瓶の中に入っている『増える水』が、そんな曰くつきのものなのか。血にしては透明で、涙だとしても誰も流していないものが勝手に増えるはずが無い。
「何ですかそれは…今からゴシック調のロックでも歌うつもりですか。」
「何だねそれは…」
「退廃的な歌詞とロックとクラシックが融合されたやかましい音楽の歌です。岸っこって何かそういうダークな曲好きそうですね。休日には黒い服着て悪魔事典片手に呪文を唱えなが」
岸田は無言で駒田の頭をはたいた。
むくれる駒田を他所に岸田は話しだす。
それは駒田をも驚愕させる彼等の不思議な力の『種明かし』だった。
「我々の力の源はその中の液体…『神酒』と呼ばれるものだ。そしてその瓶は神酒を集め溜め込む神秘の水晶。気焔は我々の思考力と気力で神酒を昇華して『ただの考え』を『現実』にする際に発せられる…水で例えれば蒸気にあたるものだ。」
「むきゅ…この瓶があんた達の力の源なのですか。」
駒田は再度瓶を空にかざす。
心なしか、また増えているようにも見える。
『神酒』と呼ばれた増える水をふりながらぼんやりと見ていると、岸田はさらに説明を加える。
「気焔は神酒の蒸気のようなものだから使えば使うほど気焔がほとばしり、神酒が減っていく。」
「まあ…てことは減った神酒はほっとくと増えるんですか。便利なパワーソースですね。」
「そうだ。本来は放置しておけば勝手に増えていく。特にこういう戦地だったところはよく増える。気をつけておかないと限度が来るほど良く増える。」
「何でこんなとこだと良く増えるんですか。」
「神酒の源は『死者の魂』だといわれている。死者が多い場所であればあるほど神酒の増加率が上がっていく。そうでなくとも生物が生息している箇所では必ず少しでも増えていく。この樹海は生物の宝庫だ、たとえ死者がいなくても少しは増えるはずだった。」
そう言うと岸田はため息をつく。
「だが、ここでは何故か…全く増えてくれない。」
「きゅ?!」
「我々は現在防護の術を常時保持している。その術がかかっている限りは睡眠もいらず腹は減らんし喉も渇かん、厚着をしなくても体温を保つことが出来、敵の攻撃からも鉄壁の防御を誇ることが出来る。だが、常時保持し続ける際少しずつだが神酒が慢性的に減っていく。移動とて本来は徒歩ではなく効率のいい移動の術があるが、これも神酒が減っていく。減る一方では任務を果たす前に全ての効力が切れてしまう。生命線である術が全て切れてしまったら、我々はマイナス温度の森の奥深くに全くの無防備で放り出されたと同じことになる。…現に我々がお前を見つけたとき、神酒が切れかけて効力が薄れていた。」
そうこう言っているうちに、また少しだけ神酒が増えたように見える。本当にそんな危機的な状況に陥っていたのかと思うほどであるが、岸田に投げつけられていた際は確かに底にわずかに残っていた程度だった。
あの残りわずかが、彼等の命綱だったのだろう。
だが、その後で魔法のような力を使っていた。
「…でもあんたたちってそう言う割に無駄遣いしてませんか?だって駒田が敵兵と戯れてる際に短刀ぶん投げて、夜でも視野が良くなる魔法なんてもんをこっそりかけたりしてたり、…駒田姉だって変な術使ってましたよ。」
「俺は身近に死者がいたから何とか吸収できて一応出来たんだよ。」
岸田と駒田のやり取りを傍観していた新木が話に首を突っ込む。自分の話だけに無視するのは示しがつかないからだろう。
「遠方にいる奴等を吸収できないなら、身近で吸収するしかない。もしも補充率と消費率の割が合わない場合は何でも良いから生物を殺せっちゅうのがうちんらでは常識なのよ。気の毒だとは思うけど、あのレンガだけじゃ足りないし…あのまま放置したらあの人だって余計苦しいだけだろ。そらぁ他所から見たら殺し方は酷いと思うけど一応すぐに逝けるようにしたつもりなんだよね…あれでも。…でもよ、」
「でも?」
「この視界が広まる術はほぼ空状態でもできた。上級ならいざ知らず無意識的に出来てたなんてさ…いくらなんでも普通じゃありえないぞ。」
「俺も無いのに出来た。神酒が無いんだから防護が切れて我々の体は飢えと寒さで凍えててもいいはずなのに何故か切れる兆しも何も無い。…術を使った後で神酒が無いのを思い出したくらいだ。」
岸田もさも不思議そうに言う。
岸田が瓶を投げたのは、その時たまたま確認していたためも知れない。
それにしても、彼等の非道な殺戮の裏にはこういう事情があったとは。
同胞をも殺害した動機は何のこと無い、『とにかく誰かを殺して神酒を得なければ自分達の命が危ない』という本能的な行為だったわけだ。一応人を食う為に殺害していたわけではない事は分かったが…
ふと我に返ると、彼等は駒田を凝視していた。
彼等は目で訴えていたが、岸田が彼等の意見を代弁する。
「…この有り難いが妙な一件、…お前が引き起こしているような気がする。」
「むきゅ。駒田が…?」
駒田が渋い顔をすると、岸田たちは腰をあげ、立ち上がった。
岸田は駒田を見下ろすようにして、言う。
「お前が持っていると本来の補充率を取り戻すようだ。だがもっと手っ取り早く補充したい。我々には時間がないのだ。」
「もっと…って、どうするですか。」
「祈れ。死者達を呼び寄せて、神酒となってもらうのだ。博士達は補充の際は祈れと申しておられたが、普通なら勝手に補充されていくのだからわざわざ祈る事はしたことがない。…増えなくなってから何度か祈ってみたが、全く増えない。…だから祈ることでどう変わるかは分からんが…正直神にもすがりたい状況だ。お前の手の内にある間だけ増えるのであれば、我々の代わりに祈ってくれ。」
そう言うと、彼等は駒田を見下ろしつつも頭を下げた。
特に恩があるわけでもないが、困っているのは間違いない人間を放置しておくのも気の毒だ。単に祈りをささげるだけでいいようなので、駒田は立ち上がった。
「何に祈ればいいのでしょうか…」
「研究者の話では死者の鎮魂を祈ればいいらしい。」
鎮魂を祈ればこの瓶の中に入るのか。この中に入る事は果たして死者達に有益なのかはよくわからないが、彼らがそう言うのだからそうする他無い。
瓶を握り、適当に祈りをささげる。
…………………
気の毒な死者の方々
駒田の祈りを聞いてください
駒田は─────
チーズケーキが食べたいで─────す!!
…………………
ぶっ
鎮魂の祈りのときにそーゆーお願いごとするか普通?!
俺だってくいてええええええええええええ
チーズケーキはヘビーじゃん俺どうせならアップルパイがいい
祈りをささげるとどこからか声が聞こえた…様な気がした。
目をあけて見ると、岸田たちは神妙な顔をしてこちらを見ているだけだった。
さっきのささやくような声は彼等の仕業ではなさそうだった。
何より、先ほどのささやきは祖国の言葉ではなかった。
彼等がアリ人の言葉を使うとは思えない。
再度目を瞑り祈りをささげた。
…………………
チーズケーキはあまづっぱくて美味しいのですよ
文句をいう奴は体の穴という穴にチーズケーキを詰め込んでオーブンでチンしますよ
ところであんたらもしかして死者の魂ってやつですか
この眼鏡たちが困っているので瓶の中に入ってください
…………………
文句なんて誰も言ってないのに…
見るからにトラウマになりそうな体罰だ…
ていうかお前さんは俺らの声が聞こえるのか?
…………………
聞こえますともなんたって今噂の駒田様ですよ
あんたら死んだんですか死んでないんですか
てれぱすぃーを使う生きた変態だったら岸っこにいいつけて血祭りにしていいですかいいですねいいですよね
文句をいっていないですって?じゃあ誰ですかヘビーとかほざいた阿呆は
あとで体育館の裏に集合ですよ
…………………
駒っていえば…もしかすると聖人様?
よく見れば噂と同じ飛行服を着たY国兵の栄人だ!
聖剣を携え奇跡を行い戦闘を無血で調停したというカフク山の聖者様だ!
おい皆聖者様が助けにきてくださったぞ!
助かった!
助かった!
これで帰れる!
上から吹き付けていた冷気とはまた違った空気が駒田達の周りに集まった。
風のざわめきが人の声に聞こえるようで兵の一人が辛抱溜まらず合掌した。
他の者達も似たようなものだった。
駒田の周りに不穏な空気が流れているのは間違いなかった。
次第に風の音が意思を訴える人の叫びになって岸田たちにも届。異国の声、祖国の声、それぞれが一緒くたになって、耳とは言わず体中に響く。
助けてください聖人様
俺達は死んだのか生きているのかさえ分からないんです
どうか混沌たる腐食から我々を解放してください
貴方の力になるのであれば喜んでその瓶に身を投じましょう
身の毛もよだつ声無き声に包まれてもなお微動だにせずに祈り続ける駒田は常人を逸脱したある種の聖性を帯びているように見えた。
祈りを終えた駒田が握っていた瓶をすかすと、底の方にわずかに溜まっていただけだったはずの神酒は瓶一杯になっていた。振ってもちゃぷちゃぷと揺れるだけの空間すらないほどみっちり詰まった瓶を確認してから岸田に返そうとすると、岸田は顔をゆがめてぱっと駒田から遠ざかった。
よく見れば兵達は皆同じような顔をして駒田を遠巻きにしている。
駒田は口を尖らせて瓶を揺らしながら言った。
「溜めろといったから溜めたんですよ…そんな顔しなくたって…」
「本当に補充率が上がったのも驚愕すべきことだが…まさか一瞬で一杯になるとは…そこまで溜まったものは持ったことが無いから恐ろしくて持てんよ…」
「まあ。何かいけないんですか?」
「神酒を持てる限度というものがあってな、…以前仲間の中で瓶にひたすら神酒を溜め込んだ奴がいたんだが、自分の能力を超えた量を持ったそいつは神酒の放つ霊気に耐え切れずに発狂して悶死したのだ。本来訓練していない人間が洗礼を受けた瓶を持っただけでも精神が圧迫されて廃人になりかねない。そもそも危機感を覚えて避けるのがその瓶に対する普通の人間の反応なんだぞ。」
彼等は『訓練された』存在らしい。全く訓練もせずにそんな代物を持ち続けた自分は、それだけで『彼等とも違う』存在であることを露呈させたようだ。
ともあれ一杯でもいけないらしいので、駒田は瓶を指で弾きつつ言う。
「一杯でもダメみたいです。申し訳ないんですがちょっと出てきてくれませんか。」
すると岸田たちの目の前で瓶の中の神酒はみるみる減っていった。
半分位になったところで止まるようにと合図するように再び瓶を指で弾くと、減少はぴたりと止んだ。
「コレくらいでいいですか。大分減っちゃいましたけど。」
「………け…………結構…………………な…お手前で…」
岸田は顔を引きつらせたままそう言い、掌を差し出した。
良いらしいので、駒田は出された掌に瓶を乗せた。
しかし、半分で十分だとは。
「限度量が随分と少ないんですね。それじゃ自然と底上げされなかったらあっという間になくなっちゃいそうですよ。」
「でも半分も持てるのはかなりのものなんですよ。」
兵士たちはそう言うと自分の懐に手を入れた。再び出されるとき、彼等の手にも瓶があった。どうも一人ずつ持つものらしい。ずっと岸田の持つ瓶一つで全てをまかなっていたものと思っていた駒田は、目を丸くした。
「まあ。あんたらも持ってたんですか。」
「ええ。持っていないとあれこれ出来ないんです。」
「私らは神酒はコレくらいが限度なんですよ。これを思えば国照ちゃまはかなりのものです。」
そういうと彼等はめいめいの限度を指で示した。
確かに半分以下だった。普通に使っていたってすぐになくなってしまいそうだ。
現在神酒は遠目では見えないほど極わずかに底にあるだけだったので、駒田は彼等の分の補充もすることにした。
誰に言うでもなく駒田は言った。
「気の毒なのでこの方たちの瓶にも入って差し上げてください。指で指してる量が限度らしいので越えないようにお願いしますよー。」
そう言うなり彼等の目の前でみるみる神酒は量を増していく。ありえない光景を目の当たりにした彼等は口をあんぐりあけてその様を見ていた。
適量になった瓶はそれ以上増えなかった。
ぴったりな所で止まる様は見事なものだった。
暫く放心状態だった岸田たちだったが、風の中に舞う者達は休めてはくれなかった。
助けてください助けてくださいと泣き叫び訴え続ける風の声に唯一平然とした対応をしていたのは駒田だけだった。
唯一風の声に耳を傾ける駒田に死者たちは訴える。
私たちの体は別のところにあります
最後の力を持って案内します
どうか澱んだ呪縛から解放してください
「……………案内?」
そう言ったきり風の音ははたと止んでしまったのを見た兵の一人が不安そうにあたりを見回した。
「…どこに案内するってんだろ?天国とか言うんじゃないだろうね…」
別の兵士はほとんど涙目だった。祈るように手を組んでよよよと新木の肩にもたれた。
「私等がこの世で最も『ありえない存在』だと思ってたよ、そしてそれは一生続くと思ってたよ…これからずっと驚く事が無い刺激の無い一生になると思ってたのに、それは単なる思い込みだったのね…真弓〜俺生きて帰れるかな…たとえ体が滅んでも想いは……」
「おいおいこんな時までのろける気かあんたは…」
「そうですが、何か?」
「さ…さすが愛に生きる人★岩崎さん…」
兵士達の泣き言を耳にしつつ、駒田はある一方から異様な圧迫感を感じた。
以前これとよく似た圧迫感を感じたことがあった。
一秒でも早くこの場から逃げ出したくなるような、切り裂かれるような感覚。
どこだったか…………………
思い出していると、兵の一人が声をあげた。
「何だろこの複雑な気焔…『奴等』に良く似てるけど…」
「気焔…?この切り裂くような圧迫感も気焔なの?」
駒田の問いに兵は言う。
彼は黒ぶち眼鏡で髭面といういかにもいかつそうな風貌であったが、背の低さと共に物腰の比較的柔らかい感じで、顔つきも丸顔に近くて大人しそうな男だった。粗野な風貌の新木とは違い、どこか知的に見える。
彼は自信なさげな面持ちで駒田の顔を見た。
「殺気がこもっているとこういう切り裂くような冷たい気焔になるんだ。気焔は発するものを中心に波打つように出るから、上手く読める体質であればそれが何を思いどこにいるかが分かるんだけどさ…」
「むう。」
駒田も集中してみるが、四方八方から冷たいものを感じるだけで何処に何がという特定はサッパリつかない。それでもがんばっていると、岩崎と呼ばれた泣き黒子の男が新木から離れつつ言った。
「無理無理、普通はわかんないもんだよ、水谷さんは気焔を読むのが特別に上手いから分かるだけであって…そもそも普通の人間は気焔はわかんないんだし。」
「普通はわかんないんですか…?」
「そうだよ。おぼろげであれ読める人間は特別なのさ。だから君と我々は『兄弟』。少なくとも我々はそう思っている。」
岩崎と呼ばれた兵はそう言うと、水谷と呼ばれた男に視線を向ける。
水谷と呼ばれた兵は首をかしげつつあたりを見ていたが、不意に顔を上に向ける。闇目のきくこの目であっても薄暗く見える真っ黒な空にまぎれる木々の間を指差した。
「あそこだ、あそこに何かいるっぽい。」
駒田はその行為そのものに何故か妙に不吉な予感を感じた。
『あれ』は本来は見つけてはいけないものだ。
胸のどこかの誰かがそう言った気がした。
「水谷さんから離れなさい!」
反射的に口にした言葉に一番驚いたのはその言葉を言った駒田本人だった。
駒田の言葉に驚きつつも岸田たちは咄嗟に従った。
もしかすると彼等も何処と無く危険を察知していたのかもしれない。
遠巻きにされた水谷はむくれた。
「ちょっと!何で離れなさいなんだよ…」
上から何かが落ちて来た事に気がついて、水谷も漸く自分の行動がいかに危険だったかを知った。
うかつに発見したことを告げてはならなかったことに気づく頃には、自分の身は上から肉体を求めて寄ってきた何かに覆われていた。
血の様に赤い滴が涙のように滴り落ちる。
はじめは極わずかに数滴、次第にその量は多くなる。
この方は私たちを見つけてくださった
この方ならきっと私に腕を下さるに違いない
この方ならきっと私に足を下さるに違いない
この方ならきっと私に両目を下さるに違いない
何処とも知れない声無き声とともにその赤い血のようなものは指を指した水谷の上に音も無く滴る。
水谷は真っ赤に染まったが、すぐにからりと乾いたように元に戻った。
戻ったように見えた。
だが現実が異なる事は彼の行動でわかった。
酷く苦しげに頭を抱えつつ、叫ぶように遠巻きに様子を見る駒田達に訴えた。
それは先ほどまでののん気さから想像できないもがきようで、女の声かと思わんばかりの金切り声だった。
ぎゃああああああああああああ
何かが入ってくるよー
何かいっぱい入ってくるよー
オレがつぶれるっつぶれるっ来るなああああああ
そんなような事を鬼気迫る悲鳴とともに訴えるのを、駒田達は呆然と見守ることしか出来なかった。
何が起こったか、何もわからなかった。
あの血の様な赤いものが一体なんだったのかすら分からないのだ。彼を助けようにも何も出来ない。
30秒もたっていないだろうが、酷く長く感じた。
どんな悲惨な戦場でも聞けないだろう、今まで以上に凄まじい悲鳴が耳を劈いた。
同時に、酷く耳障りな破裂音とともに彼ははじけた。
はじける瞬間、彼は酷く真っ赤に腫れあがり無残な水ぶくれ状態だったのが妙に印象に残った。
それが頭にやたらこびりついて、目の前のまるで血の池のような物体など見ているようで見ていないような有様だった。
不思議なことに、まるで体内から溶かされたかのように内臓と思しきものや骨らしいものは飛び散ってはいなかった。代わりに、血ともいえない禍々しいほどに赤い液体が当たりに散っていた。
嗚呼、私の腕が
嗚呼、私の目が
嗚呼、私の足が
嗚呼、私の体が
誰の声ともつかぬなにかの声が、酷く口惜しげにつぶやいた。
『彼等』にとっても、この破裂は予期せぬことであったようだった。
唐突に起こった赤い襲撃に一同は呆然としていた。
そこにあるのは何者かの悲しげなささやきだけだった。
そんなささやきの中に怒号に近い声が不意に耳を劈いた。
「げ、足元!!」
足元、という声に漸く我を取り戻すと、随分離れたところに溜まっていたはずの赤い水がすぐ足元にまで差し迫っていた。この赤い滴は体が欲しい体が欲しいと泣きながらじわじわと自分達の体を求めて『近づいていた』のだ。
誰に言われなくても一同は赤い水から飛ぶように遠ざかった。
この水に魅入られ我が身に取り込んでしまえば仲間と同じようにはじけてしまう事は、体験せずともわかった。しかもこの水は『意思を持つ』水である。
感づかれて逃げるのを見た赤い水は啜り泣きから叫びに変化した。
じっくり見ていないと動いているということが分からないほどのじわじわとした歩みが、まるで積を切った濁流のように激しく『飛び掛った』。
体を貸してください
体を貸してください
せめて手を貸してください、頭が痒いんです
せめて口を貸してください、皆に伝えたいことがあるんだ
せめて足を貸してください、家に帰るために
「馬鹿な事を言うな、この赤いけだものめ!」
逃げつつ岸田は懐から懐中時計を出した。
蓋を開けて津波のように襲い来る赤い滴に向ける。
懐中時計の蓋や硝子に赤い滴がうつった時、岸田から切り裂くような例の気焔の波がほとばしった。
四方に飛び散り、それぞれの体を欲して波となっていた赤い滴はその気焔によって凍らされたようにぴたりと止まった。
その止まりようは、まるで『時が止まった』かのようだった。
襲ってくる気配がないのをみると、一同はほっと息のついた。
凍りついたままの赤い滴を見ながら、岩崎が胸をなでおろしつつ言った。
「へえぇ、何とか私等だけは助かりましたね。…しかしコレ、何なんでしょう?」
「わかんないけどさぁ…なんだか…水谷みたいな気焔を放ってるなコレ。…まさか水谷、コレに取り込まれたって寸法?もしかして耳を澄ますと水谷が『体をよこせお前等〜』と…」
「うわキツ」
「…てことは何?まさか体をよこせっていってるヤツ全員水谷みたいにこの赤いのに取り込まれて体を破壊されたナニカですか?」
「うっわぁきも…マジですか。つか、それじゃ水谷死んだも同然じゃん。」
おしゃべりな兵達も流石に絶句した。
ただひたすらに凍った赤い水を見つめるしかなかった。
彼は唐突に現れた赤い物体に訳もわからずに取り込まれ、体を木っ端微塵に破壊されてしまったのだ。体がなくなってしまった以上、元に戻しようがなかった。
駒田もどのように戻したらいいのか分からなかった。
生き返すにも、そもそも体がないのだ。
と、不意に岸田がくつくつと笑い出した。
仲間が死んだも同然の状態だというのに、そんなことなどどうでもいいといった感じに含み笑いをしつつ呟く様に言った。
「…そうか。こいつらが空気の中で泣いておった『案内人』なのか。」
「え。」
「案内人って…」
「お前たち、何故気焔を感じつつもここにとどまっていたか忘れては居まいか?奴等は『最後の力を使って案内する』といっておったではないか。『澱んだ呪縛から助けてくれ』とな。…『死んだのか生きているのか分からない』と嘆いていたのは体がこんな液体になって勝手に彷徨うようになったからだ。…つまり、こいつらがここに来るまでの跡を追えば我々の追っていた『奴等』が見つかるというわけだ。我々はついに当たりを引いたのだよ。」
「当たり?当たりも何も、水谷が取り込まれちゃったじゃないですか…」
「その事はその事だ。…だがこいつらの気焔で分かったぞ。こいつらは死んだ『奴等』の慣れの果てだ。」
『奴等』。先ほどから彼等が言う『奴等』とは何物なのか。しかも『死んだ』という事は、追っていた者たちは少なからず誰かが死んでいるということになる。
「や…奴等?って、慣れの果てって…」
「恐らく戦火に巻き込まれたのであろうよ。その際に奴等は自分達を殺した者に報復を仕掛けたのだろう。この赤い水の大元は『奴等』の呪殺の意志だ、あとの体をよこせといっている連中は連中が残した呪いにかかって訳も分からないまま取り込まれていった者達だ。…呪縛に囚われていてなお我々の元まで意図的に来ることが出来たとはたいしたやつらだ。と共に感謝せねばな。おかげで手間が省けた。」
岸田は凍った滴から体を背けるともはや用済みとばかりに早々と歩み始めた。
結晶の様に静かに存在する赤い滴に少々悲しげな視線をちらりと送りつつ、兵達も彼の後を追う。
思えば彼等は具体的な任務の話はしていない。
彼等は本当に人を救いにやってきたのだろうか。彼等の任務は死者を拾いに来たとか逃げる仲間を保護するというものではないのだろうか。
『奴等』とは何なのか。口調からすると、敵対しているように聞こえるが…
それ以前に、また彼等は仲間を見殺しにする気なのか。
「ちょっと待ってよ…」
自分が言わねば誰も言い出しそうもなかったから、駒田が言う。
兵達は一度見捨てようとしたにもかかわらずやや明るい顔をしつつ振り返ったが、岸田は酷く面倒くさそうに立ち止まっただけだった。
「水沢さんどうするのさ。」
「水沢とは何者だね?そもそもY国に多い姓の一つだぞ、私の覚えている限りでも3人いるが少なくとも全てここには居ない。貴様の妄想の人物に構ってはおれんのだ、『道案内』といってアレをよこしたのであれば恐らく気焔で道しるべを施してあるのであろう、気焔は暫くすると消えてしまうぞ。」
「妄想じゃないもん、水……なんだったか忘れたけど、アレに取り込まれた仲間はどうするのさ。まさかあんたらこのまま見捨てていく気?」
「そうだ。」
首だけこちらに向けていた岸田は漸くこちらに体を向けて言った。
「気の毒だが我々にはどうしようもない。アレは呪われた人間の集合体であってそれに取り込まれた水谷も死んだとは言い切れんが、呪いを解く事は我々には出来ん。つまり我々の手で元に戻す事はできんのだ。戻せんのであれば死んだも同然だ。諦めろ。」
「何だかよくわかんないけどさ…でも止める事は出来たじゃないですか。」
「止める事は出来ても水谷を復活させる事は出来ぬ。何よりその赤い水の中には幾多の人間が呪縛されているのだぞ、気焔のその複雑さで分かるだろう。その中から水谷の気焔だけを取り出してどうにかするという事は出来ん。」
「あんたも応用力のないガリ勉ハゲですね。時を止めることが出来るなら時を戻す事だって出来るでしょって言ってるんですよこの童貞野郎。」
駒田は頬を膨らませつつ言い放った。
指摘と共にいわれのない悪口を言われた岸田もむくれたが、どうも彼を不愉快にさせたのはそれだけではないようだ。苦笑とも自嘲ともつかない笑みを浮かべつつ、それでも目は相変わらず駒田を睨んだまま言い返す。
「簡単に言ってくれるな。それこそ御上が最も求める力だ。不利益な物事の時を戻して『無かった事にする』力こそこの上ない強力な武器として求められておる。…だが私は出来ん。簡単に言ってしまえば力不足だ。出来る可能性はあっても私自身がその可能性に追いついておらんのだ。」
「役に立たない大尉ですね。だから大尉なんですねきっと。他の奴等はどうなんですか。」
駒田が新木達の方に視線を向けると、石崎が腕を組みつつ説明した。
「私等は時を止めることすらできませんよ。時と空間を操る資質を持つのはこの世でただ一人岸っこだけです。」
「資質ですって?!また駒田の知らない専門用語を…」
「基本的なものなら頭に思い浮かべてしまえば魔法は使えますが、それでも個人個人に得手不得手がありましてね。どうがんばっても出来ない種類の魔法と唯一使える種類の魔法というのが個人個人にあるわけです。目覚めたばかりで基本すらままならない下級や私達みたいにまだ基本から脱したばかりの中堅はまだこの個人に中に眠っている唯一の属性である資質が一体どういうものかすら掴んでいない事が多いのでそれっぽいことしかできませんが、」
「ぎゃああああああああもうお勉強は嫌あああああああああ」
駒田は水谷の断末魔の叫びを真似つつ頭を抱えて悶えた。
不謹慎な物まねをするなあと白い目で見つつも、駒田には魔法に関する事には興味がないことを知った石崎は説明を止めた。
一通り悶えた後で立ち戻った駒田は仁王立ちをしつつ仕切りなおす。
「つまりあんた達の中では時よ止まれが出来るのはうかれた眼鏡坊主だけってことですね。」
「個性と同じように一人一人資質は違うんですが、似たような資質があるのも確かです。けれども時を操る資質を持つのは岸田大尉ただ一人でして、それ故に」
「もういいもういい、あんた達の常識なんてしったこっちゃありませんからいちいち説明しなくていいですよ。岸田=童貞、これがここの常識です。時を操る資質を持つが故にいつまでもショタ臭くて童貞を保ち続ける十代に見える45歳の大尉殿なんですね。うーわーわかさをたもちつづけられるなんてうーらやましーな〜」
駒田は奥ばったところで最高潮のむくれっつらをしていた岸田の頭を叩くように掴むと、時が凍りついた赤い水の前まで引きずるように連れて行った。
そのままボールでも掴むように後頭部を掴んだまま言う。
「あんたはただのバカ野郎です。称号をただのえらい飾り物と思ってやいませんか。ほんとの大尉ってのは部下を亡くすと悲しみますよ。大尉でなくても班長から大将までどの司令官だって部下がどんなものか知っている。命を預かる身である以上、どんなに無理と分かってても助けようとしてやるのが礼儀でしょうが。泣いてやるのが礼儀でしょうが。それは本音ではない、建前としてです。『やるのが好ましいこと』ではなくて『やらねばならないこと』なんだぞ。雑兵如いては一般人の信頼を失っては軍は軍としてなりたたないということを習ってないのか。軍は軍だけでは戦えない。軍人は威圧的であっても傲慢になってはいかんと教えてもらっていないのか。死んでいないと分かってて助けようという行動さえしないで笑いながら放置して何が大尉だ!それがかっこいいとでも思っているのか!お前の今した事は軍人以前に人としての行動じゃない、恥ずべきことだぞ!」
岸田のむくれ顔が一瞬はっと戻ったが、むくれ面とも違う、重く苦しい怒りの面に変わった。
「…確かにそうかもしれんな。俺の行動には非があったかも知れん。だが、助ける手段がないといっておるだろう。無駄にあがくよう指示してどうする。」
「出来ないからやらないを続けてちゃ成長できないじゃないですか。可能性があっても出来ないのと可能性があってもやらないのは全く違いますよ。時を操る魔法が使えるのならやってみようとか思わないんですか。時を止めることが出来るなら逆行させる事だって出来るはずじゃないですか。」
「………………ど、どうやって…」
「そんなの知りませんよ。時を止めたのと同じじゃないんですか。あんたたちが一体どうやって魔法を使うかなんてしりませんが…って、説明はいりませんからね!」
駒田達を見守っていた石崎がぷっと膨れた。
それを見た新木がぷっと笑ったのを耳にしつつ、駒田は強く言う。
「さあ眼鏡、想像が理性の裏のもう一つの世界に届くまで…お前の酒を神への手土産に…元気だったころの水谷さんを想像しなさい!この赤い物体がふってきたときを思い出しなさい!」
真面目なのかどうなのか分かりかねる男の言葉だったが、とにかくやってみなければ彼は解放してくれなさそうだった。
岸田は躊躇いがちに、時を止めた時と同じように懐中時計を出すと凍った水の前に差し出した。