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第二話 聖人、腐敗次元に挑む 〜酒と女を求めて ・1

 空から降ってきたという男。


 目覚めるのを待っているだけの体力がこちらにはなかったから、強引だが起こしてみることにした。




 肩を抱えながら、ゆすってみた。


 首が据わらずに付随物の如くがくがと揺れるだけだった。


 寝ているのではなく意識がとんでいるのは見れば分かることだった。




 それでも叩いたりゆすったりしながら、比較的大きな声で呼びかけるうちに、何かしらの反応を返すようになった。




 初めはごく小さな声でうなるだけだったが、じきに目をあけた。






「…………誰?」






「それはこちらとて訊きたい。私は岸田だ。」




「駒田です。」




 駒田は支えられていた体を自力で起こすと再度岸田とその仲間を見回した。


 このY国兵はさきほどの奴等とは違って、敵対する意志はないらしい。




 やっと本当の仲間に出会えたのだ。




 だが、どうも何か違和感があった。


 姿かたちは仲間である事は確実だったが、何かが。




 それでも自分と同じ栄人を間近で見るのは久しぶりのような気がした。




 岸田は駒田と同じくぼんやりと駒田を見ていたが、ふと思い出したように顔を改めると質問した。




「お前は空から降ってきたそうだ。…どういうことだ?」




「駒田も…よく分からない…」




「それでは質問の答になっていない。空から落ちてきたならそれ以前に空に居たということだろう。経緯位は話したまえ。」




「えーと」




 駒田は考えた。




 とはいえ、本当のことを言えば何が起こるかわからない。


 かといって、完全な嘘をついてもばれてしまいそうだった。


 岸田という男の目はそう思わせるほど鋭いものだった。






「…空飛んでみたら、落ちました。こう、ぴゅっと。」






 ゼスチュアーを混ぜて、駒田は簡潔に言った。




 簡潔すぎたらしい。


 岸田は唖然としていた。




「だから、空飛んでみたらって…仮に撃墜されて脱出したにしたって、落下傘もつけずに光に包まれて悠然と落ちてくるのは異常だぞ。一体何が起こったんだ。」




「駒田も…よく分からない…」




 その一点張りだったので岸田は眉をひそめた。


 苛付いているのは目に見えて分かっているので、駒田は話を変えてみた。




「そんな目でみないでよ…そんな奇怪なものじゃないですよ駒田は。」




「十二分に奇怪だ。お前を奇怪と呼ばずして何を奇怪というのだ。」




「むきゅ。駒田はゴールデン奇怪…略して金塊でしょうか。でも残念!駒田皆と同じでおっぱいが好きな普通の男児ですよ!」




「いきなり何を言い出すか…」




「ほう、どんなおっぱいが好きだ。」




「でかすぎずぺたすぎないやや控えめで初々しい張りのあるおっぱいが好きです。やや小さめなおっぱいを大きくなるように願をかけつつむしゃぶりつきもみまくって差し上げるのが夢です。おっぱいには男の夢と浪漫が詰まっているのですよ。」




「言ってくれるなこのゴールデンおっぱい野郎!」




 突然胸の話に振った挙句兵士と戯れ始めた駒田を、岸田は呆然と眺めるしかなかった。




 何かのキーワードのように胸の話で仲が良くなったらしい兵士達は暫く駒田と他愛も無いことを話していたが、ふと思い出したようになおも呆然と眺める岸田に言った。




「正体不明でも面白い奴ですよ。」




「正体不明じゃどう対処すべきか分からん。話が合うならちょっと訊いてみろ。」




「何でも記憶が無いそうです。無いから困っているんだそうですよ。」




 記憶が無いと聞いた岸田は、口元をへの字にゆがめた。


 突然現れ、空から降ってきた前代未聞の男は、記憶喪失。




 そういう奴に関わると、大抵ろくなことにならない。




 だが、頭の中でそう整理がつくと、今度はほくそえんだ。







 ………もしかすると、思わぬ収入を得たのかもしれない。


 このまま連れて様子を見る価値はあるやもしれん。








 岸田は腰を上げると、座り込んでいる駒田を見下ろした。






「正体が分からんのなら分からんなりに対処してやろう。我々のなすべきことに協力しろとは言わん。…だがついてこれるかな?」




「ついていってもいいんですか。」




「ついてこれるものならな。」




 それを聞いた兵士は驚いた。


 彼等も立ち上がると、岸田に言った。




「い、いいんですか?連れて行けば彼は戻れなくなるかもしれないんですよ。」




「記憶が無いなら既に普通の日常にはそうそう戻れなかろう。そもそも空から降ってきた事自体不可思議な存在じゃないか。この様子じゃ帰るところすら分からんようだし、うってつけの…」




「確かにそうですが…」




「仮に期待はずれだったとしても使い道はある。」






「つ、使い道って何…」






 会話を聞いてさすがに不安になった駒田が尋ねる。




 不安そうな面持ちの駒田に向き直った岸田は、ふと笑みを浮かべた。


 不安がるなという意味だったのだろうが、取ってつけたような笑みで逆に恐ろしかった。




「そう心配するな。悪いようにはせんよ。」




「ほんとかなぁ…兵隊さんの言うこと信用できない。」




「何を言うか、お前も兵隊さんだろうが。」




「駒田はゴールデンおっぱいソルジャーです。貴様等のようなアカから出来たアカ太郎とは格が違うのですよ。」




「君はそれでいいの…?


 職業:ゴールデンおっぱいソルジャー でいいの?」




「職業:99式クライシスキューティクルゴールデンおっぱいソルジャーで。」




「何その名前だけ聞くとお色気満点女戦士みたいなノリの職業名。」




「名前負けしてるよ!明らかに名前負けしてるよ!」




「馬鹿もんそんな職業あってたまるかとつっこむのが先決だろうが!」




 岸田ははやし立てる兵士達の頭をはたいてから、話を元に戻す。




「ともかくだな、信じようが信じまいがついてきてもらうぞ。貴様は我々に拾われた身だ。余計な詮索は慎めよ。…最も、詮索できるだけの知識が飛んでいる以上どうしようもないだろうがな。」




「また不安がらせることを…」




 部下達が苦笑した。


 光が漏れ出す明るい場から駒田を日陰に連れ込むと、岸田に言った。




「とにかく寝ましょう。」




「寝る?」




「君が空から降ってくる前ここで休憩してたんだよ。徹夜で動いてたからしんどくてね…まあ、君も一応休みなさい。」




「こんなところで休んだら危なくないの?」




「心配は要らんよ。手は打ってある。」




 駒田の質問に簡潔に答えた岸田は、元居た木陰に腰を下ろすと、以前と同じような姿勢になった。


 他の兵士達もその場に座り込むと、そのまま寝転がった。




 手は打ってあるという意味が今ひとつ理解できなかったが、大丈夫なんだろうということで駒田も真似をするように転がった。




 地面で寝るのはどうかと思っていたが、案外暖かくて心地よかった。




 自然の癒しだと体を伸ばしていると、不意に岸田の声が聞こえた。


 折角の癒しが台無しになる言葉だった。






「逃げるなよ。」






─────






 栄人達はよほど疲れていたのか転がってじきにいびきをかき始めたが、駒田は何故だか寝付けなかった。気がつくと、頻繁に寝相を変えていた。ごろごろとあちこちに転がっているも同然だった。


 睡眠は十分取っていたからだろうか。


 まだ自分の身の上を受け入れきっていないせいかもしれない。




 それとも、あの夢のせいだろうか。




 一瞬のようで、まる一日じゅうかけて見たような、ヒラリーという女の夢。


 自分が夢の妖精であることからか、こういう妙な物事にも驚くほどすんなり受け入れられる。




 ただ、受け入れる事は構わないが『何故見たのか』まではとんと分からない。




 悶々とした気持ちを引きずって何をするでもなく転がってぼんやりしていたが、ふと何かを忘れていたことを思い出した。


 思い出したが最後、気になって仕方ない。とても寝転がっていられなかった。




 駒田は音を立てないように体をごくゆっくり起こすと、一歩一歩立ち止まるように静かに歩んだ。


 そうして一通りの距離を保つと、ようやく普通に歩き出した。






─────






 うっそうと茂る道なき道を歩く。


 アイザックたちと別れたのが昼頃で、岸田と名乗った妙に若い大尉に介抱されて合流したのもそんな時間帯だった。




 それから2時間後に出発すると言っておきながら、明らかに2時間以上立っていた。


 知っていたが、それでも起こせなかった。


 話によれば、何日も徹夜をしているそうだ。それで2時間だけの睡眠ですませられるのであれば、夢など必要ない気がする。2時間では見る暇もなさそうだ。




 もうあたりは薄暗い。夜ではないが、夕暮れ時というのか、独特の薄暗さがただでさえくらぼったい森をさらに闇色に染めた。


 ルツの寒さが不思議と和らいでいるのは、樹海だからだろう。樹海から出れば、夜の寒波があたり一面を包んでいる事は、記憶が曖昧な駒田でも分かっていた。




 辺りは薄暗かったが、それでも目線はどことなく落ち着かなかった。


 必死に何かを探していた。




 全身の神経を研ぎ澄ましていたはずだった。








「よう王子様。どこいくんだ?」








 耳の側でいきなり声がした。


 駒田は驚いたが、同時に気が大いに休まった。


 見えない誰かに確信的に語りかけた。




「…バカトンボ?」




「いやぁ違うよ。」




 肩に違和感があったのでそっと手を伸ばすと、やはり何かがいた。


 それをつまんで目の前に持っていくと、それはトンボではなかった。




 故郷でも見た事があるもののそれとはどこか違うような気もするが、それはカマキリだった。こんな夜に近い時間に出くわすのも何だか不思議だった。見るのは朝方か昼頃、遅くて夕方だ。




 昔から虫は割と好きなほうだったから、よくちょっかいを出しては威嚇された。体を左右に振るあれが威嚇であることすら知らずに面白がっていじって引きずりまわしていたら、不幸にもカマキリの足がもげた事がある。当時はただの人間の小僧に他ならなかったから、驚いてそのまま捨ててきた。




 それ以来、カマキリには何故か引け目を感じる。




 で、今目の前にいるかまきりだが。




 カマキリではあるが、頭の中にあるカマキリよりあまり立派な体格ではない。


 バガボンドのほうがいささか立派だった。


 駒田は率直に言った。




「…貧弱な体付きだね。」




「あたぼうよ。これでも♂ですからな。だが♀を求めるハートはどの♂にもまけてねぇぜぇぇぇぇ」




「まあ…元気な変態かまきりですこと。」




 そういえばカマキリは雌のほうが体格が立派だった。


 雌に食われて首が無い状態でなお交尾を成し遂げる雄の図はきっと誰しも知っているだろう。


 といっても自分も雄のうちなので、あまりとやかく言えなかった。




 喋るという事はバガボンドと同じ様に妖精なのだろう。


 あまり頼りにしていないが訊かないよりはましということで、目指すものを尋ねてみた。




「かまきり…バカトンボとかゆうトンボ型の妖精知らない?」




「バカトンボぅ?しらんなぁ。そんなアホみたいな名前の妖精なんているのか?」




「いるよ…いるもん…頭にいつもへっついてひねるじゃーひねるじゃー言うトンボ…」




「…なんつか、人知を超えた妖精もいるんだなぁ…」




 カマキリが呆れたように遠くを眺めた。もともと虫なんてどちらを向いているのか分かりかねるが。




 妖精という存在自体人知を超えている、といいたかったが、自分の半身がその人知を超えた妖精だったので迂闊な事をいえたものではなかった。






─────






 このカマキリは何も知らないようだったが人間というものに元々何かしら興味があったようで、駒田についてきた。バガボンドにもそれなりの興味を抱いているようで、肩にへばりついてあれこれと話し掛けてくる。




「王子様の後見役ってどんなんだろうな。死んでしばらく再起不能になってたらオレやっていい?雌はオレの好みじゃないのばっかで命をかけて虫生全うするっつういきごみがどうもねぇ〜…見た瞬間『イイ!』って思える雌がいればかまきりで一通りの一生終えてもいいんだけどさぁ、何かつまんないんだよね。折角よその人間が一杯入ってきてるから、虫の言葉に耳を傾けてくれそうな兵隊さんみっけて外に行こうかと思ってたとこよ。」




「死んだらしばらく再起不能も何も終わりじゃないの。」




「妖精は体を借りているだけでこの世界では死にはしねぇぞ。ここでオレをぱしっと潰したとしても、オレにその気があればじきに別の体を作って復活できちゃうわけよ。まあ、お前さんみたいに死者の体を使って一気に復活するのは本来はやっちゃいけないことなんだけど。というか、それが出来るのは王の直系か、夢の世界で移ろう妖精ではない別の何かよ。」




 妖精ではない別の何か。


 夢の世界に妖精以外のものがいるのだろうか。




「妖精以外の別の何かって何?」




「うーん」




 カマキリは体を起こして何か考えるようなしぐさをした。


 彼自身もあまり詳しい事は知らないようだった。




「…何でも人生を全うしたあとでも夢の世界にとどまり続ける亡者がいるそうだ。本来死んだ人間は飽きるまで夢を見て、夢に飽きた時点で魂が浄化されて消えるんだってさ。オレの一族は亡者の管理人じゃないからよくわかんないけど。」




「そういえばそんなようなこと王子様も言ってた様な…夢から覚めて初めて『自分は死んだ』って悟るんだってね。駒田もそうなるはずだったそうです。…でも、そうならないやつらもいるんですね、初めてききましたよ。」




「要は体が朽ちてもなおこの世に未練がある連中さ。」




「…まさか亡霊ってやつですか…」




「そうかもしれない。でもまあ、亡霊ってやつはあの世に何かしらの形で封印されているんだそうだ。完全な形で降りてくる事はまず無いんだってよ。だから断片的にしかでてこなかったり、人間の祈りでも結構簡単に浄化できちゃったり、実体を得られなかったりと『生命体』としては不完全な状態でこっちに渡ってくるんだってさ。妖精の封印と管理人の目を掻い潜って出てくる亡霊はよっぽどのやつだよ。まあ、完全体として転生した連中もじきにこちら側にいる管理人に見つかれば、中にいる亡霊だけ封印されるらしいけど。うちも元々はその外回りの『仕置人』らしいんだそうだけど、最近そういう気合のこもった脱走者がいないからオレとしてはかむかむひあー亡霊なんだけどな、はっはっはっ」




「妖精にも色々いるんですね…働く妖精さんがいるとは…」




「特別に任務を与えられて外にくる妖精はエリートだぞ。オレの一族も元々はそうだったらしいけど、オレはそうゆうお堅い職務はあわねーんでこのとおり着の身着のままぶらり旅しているんだわ。王子様とあればきっと他のオレの親兄弟にもあえると思うぞ、そん時はまあ、挨拶してやってくれや。ただし、オレがどこにいるかは内密にな…」




 どうもこのカマキリは『エリート一家に生まれながら遊び呆けている放蕩息子』に値する存在と見える。自分についていきたがったのはもしかすると人間的に言えば『面白そうだからついていく』程度の感覚なのかもしれない。




 ついていく、といえば。




「…バカトンボは元々俺にくっついて行動する役目を担っていたってことなんかな…」




「さあねぇ…だが後見役は名誉ある役目であることには変わりないぞ。」




「くっついて行動するだけなのにね…」




「そうでもないぞ。」




 あっけらかんとカマキリはそう言い放った。


 単にくっついて行動をともにするのが後見役というわけではないそうだが、駒田の知りうる限りではバガボンドは頭にくっついているだけだった。




「じゃあ何するのさ。」




「人間の妖精は妖精としての意識が極端に欠けてるから、体の中にある莫大な力を人間に代わって制御してやる役目をもってるんだってさ。人間の妖精を完全に孤立させたままにしておくと自分の力で身を滅ぼすか、永遠に目覚めないまま一生を終えるんだと。乗り物と同じだね。走り出した車からドライバーを無くした場合は車はどのみちどこかにぶつかって大破だろうし、走らせずにドライバーも乗せなかったらその車は永遠に走らない。人間の妖精そのものの意識をメインエンジンだとすると後見役はサブエンジン。そういう関係なんだよ、お供は。」




 つまりバガボンドが自分の元にこなければ自分はあの海岸で今でも眠り続けていたのかもしれないということだ。




 そんな重要な存在が、何故か行方をくらませているというのも問題だった。






─────






 原生林はたとえ黄昏時の闇に包まれようとも、決して静かなものではなかった。




 どこかから好ましからぬ音が聞こえる。


 だが、それが何の音かはわからない。


 もしかすると銃声かもしれないし、断末魔の叫びなのかもしれない。


 鳥のスクランブルの声なのかもしれないし、駒田の知らない生き物の求愛の声かもしれない。




 生と死が交差するとは、こういうもののことなのかもしれない。




 一方では穏やかに、一方では急速に時が進んでする。


 どんなに鳥たちが縄張りを守ろうが動物たちが子をはぐくもうが、ここは戦場であることには変わりない。駒田の預かり知らぬ所で戦いが展開されているのだろう。




 歩けど歩けどバガボンドは見つからなかった。




 最後のほうは、立ち止まることが出来なかった。


 立ち止まれば、心の中で何かが差し迫ってくる。




 だからそれしか知らないかのようにただひたすら歩いていた。




 似たような景色に飽きたのか、それとも次なる行動らしい行動をしようともしない駒田に飽きたのか、かまきりがかまで駒田のあごをたたいた。




「なんつーか、人間ならもっと賢くやってくんねぇ?さっきからバカの一人歩きしてよー。」




「バカの一人歩きって何?」




「お前のこと。結局何したいのさ?」




 何を、といわれても。




 しゃべるトンボを探しているのだが…確かにこのまま歩き続けたところでそんな世にも珍しいトンボが見つかるわけが無かった。




「バカトンボを探してるんですよ。」




「そのバカトンボというやつが何をさしているのかしんないけどよー、魔法で呼べば済む話じゃねぇか。」




「あ、そうか。それもそうだね…」








 魔法は想像力が勝負だ。




 相手はトンボなのだから、簡単だろう。




 トンボといえば田舎で遊んでいたとき、夕暮れ時になると決まってススキ野原に群がった。


 空が紫と赤のグラデーションの中飛び交うそれは、秋の涼しい空気と共にありありと思い出される。


 よくそのトンボを捕まえていたものだ。








「トンボートンボー…って、あれがバカトンボ?」




 あごをつつかれたので目をあけると、原生林だったはずのところにススキが一面に生えていた。


 涼しげな空気と共にトンボが飛んでいた。






 だが、




 何だか想像をはるかに越えた量のトンボが飛んでいた。




 どう見ても、大量発生したいなごのごとくトンボがぶつかり合いながら飛び交っていた。




 その下ではきならされてぺたんこになった靴を振り回した学生服の少年が無表情でトンボと格闘していた。




 ぱしぃぱしぃと靴で叩き落されるトンボ。




 ただひたすらに、何かを期待するでもなく靴でトンボを叩き落すその少年は、どこかやるせなさそうだった。








 かまきりはぽつりと言った。




「あの小僧がバカトンボ…バカみたいにトンボを叩き落してるから、バカトンボかぁ…アレが頭にのっかってひねるじゃーひねるじゃーいうんだな…さあ、早速呼んでのっけてみたまえ。」




「いいえ…あれは学生だったころのこ・ま・だ。」




「…へたくそ。王子さまならもっとちゃんと魔法使いな。」




 かまきりがあごをたたいた。




 露骨にへたくそと言われると、さすがにへこむ。


 気持ちに左右されるものなのか、変な情景は音も無く消え去った。




「そんな事いわれたって…最近妖精になったばっかりで何がなにやらさっぱりなんだってば。」




「そもそもバカトンボって何さ?もっと具体的な想像しないと、魔法はまともに作動してくれねーぞ。…まあ、現実に降りたばかりの妖精なら仕方ないけどな。世間のせの字もしらん妖精はあいまいな記憶だけで魔法を使う。だから、みょうちきりんな夢が多いのさ。」




「へえ…」




 寝ぼけたような声を出すと、かまきりはふと肩から下りて足元に着地した。


 えらそうに体を剃り返させると、変な気取った声を出した。




「しゃあねぇ、俺が教えてやるよ。魔法をな!」




「かまきりが先生…?人間の先生がかまきりだって…」




「きぃぃかまきりかまきりほざくなこの小僧が!」




 かまきりがふと羽を広げて威嚇した。


 と同時に、今まで無風だったはずの一帯にざわめきが起こった。




 風。




 ふと目に痛みを感じた。


 ごみでも入ったのだろうとこすったが、あらぬところが痛んだ。


 慌てて手を目から離すと、目に当てた指に血が付いていた。




 そのとき、目ではなく『まぶた』に小さな切り傷がついていることに気づく。








「どおだ、俺が人間だったらこんなもんじゃすまなかったぜ〜」




 かまきりが意地悪い笑いを含みながら言い放った。




 たしかに、これがもっと強い力だったら駒田の目は潰されたはずだ。


 しかし、駒田の使うものより随分攻撃的かつ具体的なものである。




 目を、あまり汚れていない腕の内側のそでで拭きながら、駒田は言った。




「何か物語の魔法みたい。かまいたちみたいな魔法…」




「そうさ。物語の魔法みたいに、具体的に魔法が出来るようになったら、本物の『妖精』ってこと。シンプルだが意外にむつかしい。だけど、確実だ。」




「かまきり先生かっこいい。」




「だからかまきり言うなー!俺はセラヴィという名前がある!!」




「かっこいい名前だね…かまきりなのに。」




「だからかまきりってゆうなー!」




「でもどう贔屓目に見たってかまきりだもん…」






 押し問答が数分続いた。






─────






 結局、かまきりの中におさまっているセラヴィという妖精ということで丸く収まった。




 かまきりの中におさまっているセラヴィという妖精は、練習ということで、駒田に次の問題を出した。




「じゃあ、具体的に魔法を使ってみようか。俺がさっきやった目の傷を、治してみんさい。」




「どうやって…」




「それは自分の思うように。」




 そんなの教えになってないじゃないか、と駒田は思った。




 それにしても小さな傷なのにいやにしみる。


 触ると、まだ指に血がつく。乾いていないらしい…


 かまいたちでやられたのならきっと小さな切り傷だろう。




 小さい傷ならいいかげんふさいでもらいたい。




 小さいころをふと思い出す。




 転んだりして傷がついたとき、つばをつけて息を吹きかけていたっけ。


 しばらくほうっておくとかさぶたが出来た。


 痒くてかさぶたをこっそりはいだら、薄い皮が張っていたものだ。






 目の痛みがかゆみに変わった時、駒田は我に帰った。




 触ってみると、傷が乾いていた。


 傷がひどくないものだったのだが、ちょっとしたかさぶたらしいものに触れた。




 やっと魔法らしいものが発動したのだろうか。




 ただ単純に乾いただけだろうか。




 かさぶたを触りながらセラヴィを見ると、セラヴィはかまを上げた。




「出来た出来た。」




「…魔法なの?ただ乾いただけかと思った…」




「小さい傷だから実感が無いだろーけど、大きな傷でもそうやって落ち着いて順序良く想像すればあっという間に傷がふさがる。ただ、大きな傷の場合はたいてい取り乱してまともに想像できないはずだけどな。本とかゲームの魔法と同じさ。本人が強くなれば強くなるほど魔法も強力になっていく。男ならゲームと思っちまえば簡単に習得できるんじゃねえかなー。」




 魔法習得をゲームと思えば、確かに面白そうではある。




 だが、どうせ習得するなら、




「もっとすっごいのが習得したいな…」




 駒田の言葉にセラヴィも反応する。


 人間の作る魔法といものに興味があるらしい。




「ほお。いってくれるじゃねぇか。どんなだ?」




「えーとえーと…天変地異を起こしつつ天空からふってくる究極の魔人が出てきて滅びの光で敵に大ダメージ。」




「…大ダメージ以前に、世界を滅ぼす気かお前は。大体なんだよその究極の魔人って…具体的にどんなものなんだ滅びの光って?」




「さあ?なんとなく考えてみた。でもでも多分鼻から噴出されるんだと思うよ。」




「具体的に想像できないと魔法として発動できません。」




「そうなの?!じゃあ鼻から滅びの光(紫外線)で人間どもを焼き尽くしながら口からケトン体配合の甘い息を吐き出す、ちょっぴり虚弱体質気味な大魔人!体がたまねぎ足が牛蒡で手がセロリで出来たヘルシー素材、頭はキャベツで出来てて一歩歩くごとに牛蒡が体重に耐えかねてぽきぽき折れるカルシウム不足、でも心は世界滅亡に向けていつもひたむき★世界を滅ぼす為に空からふってきたら全身打撲で脊髄をいためて農家のおじさんに拾われて今では村のシンボル!そんな憎いあんちきしょうの名前は…ノストラダメッス!」




 不意に空かな何かがふってくる。




 何事かと駒田が落ちてきた何かに近づくと、牛蒡のように細い足をもちたまねぎのような丸い体をもちセロリのような怪しい香りをたたえた腕とキャベツのような頭を持つ、鼻に相当する部分が青白く輝く生物のようなモノが、その重そうな頭だけ地面にめり込ませていた。




 それは必死に体を起こそうと手を地に添えて力をかける。


 だが、ぽきりという音と共にセロリ臭がより濃くなった。


 異様に長く細い足は既に間接が3.4個、全て変な方向についてしまっている。落ちてきた衝撃で出来てしまったものらしい。




 地面にめり込んだ頭をかすかにこちらにむけて青白い光で闇を照らしながら、それは悲しげに呟いた。




「もう……ダメッス。」




「もう……ダメッスか…」




 天変地異を起こしつつ天空からやってくる究極の魔人のあっけない最期を見届けた駒田は、終始渋い顔をしていた。そんな駒田に、セラヴィはいつにもまして淡々とした声で教え諭す。




「具体的に想像できないと魔法として発動で き ま せ ん。」




 遣る瀬無い程の冷たい風が吹きすさぶ。


 悲しみとも悔しさとも違う感情が、駒田の頬をぬらした。






─────






 駒田はノストラダメッスを忘れることにした。


 そしてなかなかうまくいかない具体的に考えられて、しかも『究極』の域に達する、凄い魔法を考えあぐねていた。




 肝心のバガボンドのことまで忘れているらしい。


 そんな駒田を見かねたセラヴィが暇そうな悲鳴をあげた。




「なんでそんな凄い魔法をほしがるんだよ。お前は妖精になってもまーだ人殺しをしたいのか?」




「だってだってどうせ使えるなら今のうちに開発しておこうとか思うじゃないのさ普通。今つかえなくても、せめて形だけでも考えておこうかと思って…最終目標を決めておくと効率のいい育て方も計画できるではありませんか。」




 セラヴィは首をかしげた。




「魔法なんて特にいらねーけどなぁ。変に使うとものめずらしさからとっつかまって解剖されたりひでー目にあうぞ。聖人とかいう存在も、中には信仰心が強すぎて頭と体が故障して変な幻覚みて『神の奇跡だ』とかいって聖人になった奴もいるみたいだけど、不思議な力を使って迫害されて死んだ奴は妖精の力におぼれたただの愚者なのさね…ほんとはな。人間に転生した妖精が大抵短命なのは力を見せたためなんだぞ。王子様の『妖精の力』ではなくて、お前自身の『人間の力』を鍛えたほうが世のため人のため、そして自分のためってもんだ。まあ、今の『魔法を暴発』させる状態のことを思えば多少魔法のコントロールとかは訓練しないとダメだろうけど。」




 セラヴィの言い分はよくわかる。




 だが、せっかく持った魔法の力をこのまま封印してしまうのはあまりに惜しい。そんな『もったいない事』をすぐさまやってのけるような人間は、よほど悟った人だろう。よく特殊な力を持ちながらも己の力を呪い嘆くという人物像を見かけるが、そんなものは自分の為に使えないことを嘆いているに過ぎない。自分の為に自在に使えるなら、どんなに殺生に関わる力でも手放すことを躊躇するのが人間である。




 駒田はあいにく悟り人ではない。ただの男だ。当然、今の不思議な力を早々に手放そうと思うはずが無い。




 しばらく考えていた駒田は、はたと手を打った。




「おおっそうだ…イッツアミラコーな魔法があったよ!」




「世界を吹っ飛ばす魔人を召喚する魔法2…?」




「いいえ…旅のときにとても便利な魔法ですよ!」




 駒田が目を輝かせたのを見て、セラヴィも少し興味を持ったらしい。




「ほぉー…で、どんな魔法だ?」




 答えの代わりのように、駒田はその魔法を発動させるように意識を集中させる。








「いでませ便所ー!!」








 風の音すら、止まった。




 そこにあるのは、妖精と、半分妖精の人間。


 それ以外のものは、草と木と、少量の花。


 便所などという人工的なものは、この森のどこにも現れることは無かった。




 駒田が眉をしかめた。




「何故魔法が出ないのかしら…これほど役に立つ魔法は無いのに。」




「…すっげぇ微妙なお役立ち魔法でげすね…」




「皆は笑うけどトイレの問題はとても重要なことなのですよ。駒田はいっぺん切実に感じたことがあります。訓練中に気圧が変わったせいか便秘だった腹が突然…ああっ思い出すだけでも歯を食いしばりそうです。あのときほど気合を込めて飛んだことはありませんよ!全身にオーラをまとって光速で的に体当たりしていきたい。全てを一瞬で終わらせたい。そんな気分でした。頭の中で旋回する言葉は『うんこ』『便所』その2文字だけでした。それより問題なのは、この話を仲間にすると大笑いされることですね。笑った奴に下剤を飲ませて空に向かわせて差し上げようと思ってたのにそれを実行する前に駒田は死んでしまいました。せめて死ぬ前に実行したかった…折角門外不出★ドリーム駒田ダイアリー(ダークネスバージョン)に奴等の名前を記入したというのに…!」




「…それはご愁傷様。でもきっと中の王子様が『そんなもんいちいち魔法に頼らないで適当な木陰でしろ』ってことで妨害したんだろ。」




「ええっ?!」




 駒田はさらに眉にしわを寄せた。


 さも嫌そうに不服を申し立てる。




「みみずにぶちかけると腫れあがるそうですよ、駒田これ以上ビッグな一物になったら面倒みきれません。何も知らない童貞野郎どもはひたすらにBigsizeを求めてやまないようですが、実際のところあまりにでかすぎるのも嫌われるんですよ。とあるとても気弱そうなひょろ長い仲間はもやしのよーな体に似合わず24センチという大層立派な砲台をお持ちでした。太くてでかいそれはもう立派なイチモツだったんですが、女達からも敬遠がられてあげく賞賛を通り越して『栄養がちんこに行き過ぎたんじゃないか』と暗い噂が立っていました。駒田は一時的であってもあんなみぢめな思いをするのは嫌です。みみずがいない場所ってこんな森にはない気がするので恐ろしくておちおち用が足せません。」




「その前に女もいないじゃん。そんなもん迷信だろうし実際腫れたって女と出くわす頃には元に戻ってるだろ。」




「人間たるものもしもの時を考えないといけませんよ!もしかすると一寸先の闇の奥に」






 言いかけて、駒田本人がぎょっとした。




 自分の言うとおり、一瞬だけだが、確かに感じたのだ。






 人の気配を。






 それはセラヴィも同じだったらしい。




 一度感じると肌がなかなか忘れようとしない。


 しばらく沈黙した上で、分かりきったことを聞く。




「ど、どうかした?」






「人間がいる。しかもかなり近くだ。」






 一匹と一人はじっと身を縮めて気配のしたほうをじっと凝視した。


 もう闇がすぐ近くまで差し掛かっている今では、肉眼はさして役に立たないが、それでも心願に頼れるほど人間が出来ているわけではない。


 目がある以上、目でものをみないと気がすまない。




 しばらくの沈黙の後、駒田はつぶやいた。




「や、やっぱりですか…でも一体何人だろう。」




「さすがにそこまではわからんよ。」




 アリ人なら、たとえR国兵であっても聖なる剣を見せれば敵対心を解いてくれる。栄人なら、仲間だと思ってはくれるだろう。どうなるかは、対応次第だと思うが。森に済む原住民達が外を出歩くとは考えづらいが、どちらにしても命にかかわる事は無い、と思う。




 息を殺して耳を澄ますうちに、気がつかないうちに、剣につながるみすぼらしい紐に手が行く。恐ろしいときは、無意識的にこの紐を握るのが癖になっていた。






 人の気配が草木を掻き分け、踏む音になった。


 それが、間違いなくこっちに向かっているのを聞いたとき、初めて自分がまた悪い癖を出していることに気がついた。




 紐を持つ癖ではない。




 人のことを考えると知らず知らずのうちに魔法で『誰かを呼び寄せる』癖だ。




 以前はアイザックやダニエル等の敵とは思えないかなり情け深い者達が駒田の魔法にかかり、それが幸を総じて今まで生きてこれた。この魔法にかかる人間に悪い奴はいないとバガボンドが言っていたが、それでも敵だらけのロムの樹海での人寄せの魔法は駒田にとっても恐ろしい誤算だった。






 草むらにしゃがみこんで身を隠す。遅すぎる感もあったが、下手に背中を見せるより良い様に思えた。今更のささやかな抵抗も無駄であった。








 が、ふと足音がはたりと止んだ。




 気配すら消えた。








 駒田は初めこそ胸をなでおろしたが、次第にそのことへの不安が出てきた。




 何故、突然気配まで消えたのか。


 魔法が切れたからか?いや違うだろう。魔法が切れても、突然ひきつけられた人間がどこかに消えるはずない。




 『魔法に惹かれた奴に悪い奴はいない』




 言葉が逆に心に重くのしかかる。


 悪い奴ではない誰かが、突然消えた。




 駒田は腰をゆっくり上げる。




 木陰から、さきほど足音がしたほうを見る。


 何もいないのを確認するかのように、木陰からそっと歩み出る。


 何もいない事が苦痛であるというのに。






「おいおい、危ないぞ!!」




 かまきりが駒田の行動に驚いて鎌を上下させた。




「見るだけなら言やぁ見てやるのに。人間のお前より虫のオレのほうが安全だろ。」




「だって自分で見たいんだもん。」




 もはや森の中に申し訳程度に入り込む月明かりだけが駒田はセラヴィに引き止められたことが逆に励みにでもなったかのように、木陰から出て大胆にあたりを探る。




 しばらくして、気配と足跡の主が『消えた』理由がわかった。








「かまきり先生…この人、死んでる?」








 うっそうとした草むらの中に倒れこんだそれを見て、駒田は目を丸くしながら小声で言った。その声には恐怖や焦燥感、不安等は無かった。恐ろしいほどの、淡々とした興味がそこにあった。




 セラヴィがその倒れこむものの上に乗る。




「…ちょっと、わかんねーな…」




 Y国兵と思しきその人物は、砂と泥と傷にまみれていた。


 苦境から逃げてきたということが分かるが、一体何があったのだろうか。




 何事も複数で動くはずの兵士がたった一人で歩き回っていること自体おかしな話。しかも、彼は一つも武器を携帯していなかった。人の事を言える立場ではないが何だか異様だった。




 どちらにせよ、何かから逃げている最中に駒田の魔法にひきつけられたのだろうか。その途中で力尽きたなら、まことにお気の毒な話である。




 かまきりが倒れた兵士の上で体を起こした。




「うーん…いっちょ実践として魔法使って回復してやれば?目を覚ますかは分からないけど。」




 そういわれて駒田はあわててしゃがんだ。




 こういうお方を回復させるにはどうすれば良いのかはよく分からないが、とりあえず元気に歩けるようになればいいので、適当に歩き回っている人間を想像した。




 適当すぎてカメラを持った眼鏡でスーツ姿のにこやかな殿方が小走りをするシーンを想像していた。ちょび髭と七三分けの頭がまばゆいばかりのおじさんだった。






 不意に悲鳴が聞こえた。






 とはいえ切羽詰ったものではない。


 驚いて出したといった感じの、そう鬼気迫るものではない悲鳴だ。






 目をあけると、今までいなかったはずの人間たちがいた。




 案の定想像したとおりのカメラを持った眼鏡でスーツ姿のにこやかな男がいた。それはまあいい。あまりよくないが、原因が大体想像がつくからいい。むしろさわやかに華やかに忘れてしまいたかった。




 その男がカメラを構えて小走りに追いかけていた被写体に問題があった。




 今までどこにもいなかったはずのR国兵数人を、そのカメラの男は追いかけていたのだ。




 いきなり現れて記念に一枚と笑いながら狂ったようにシャッターを切りまくりながら小走りに追いかけてくる眼鏡とちょび髭の謎の男に、兵士達は怯えながら逃げ惑っていた。


 闇の中ではあったが、カメラのフラッシュが断続的に続くので、一体何なのかが大体見えた。嫌ならその手にある銃で撃てばいいのに、と駒田は思った。




 兵の一人が何かに引っかかって転んだ。


 写真男のシャッターがなめ尽くすように兵を写す。


 全身余すところなく撮られる兵は、恥ずかしそうに顔を隠しながら何故かセクシーなポーズをとっていた。




「いいYOいいYO最高だYOー!」




 そう言いながらなおも兵を撮り続けるカメラを持ったにこやかな男。


 兵は顔をなおも手で隠しながら最高潮のご様子。


 被写体になると人はかくも変わるものなのか。




 逃げおおせた仲間達が木に隠れながら逃げ遅れた男を見ていた。




「あのルーベンが…ルーベンがあられもないポーズを取ってるぞ!」




「何やってんだよたははははははは」




「ぷぷふ」




「笑うなー助けてくれー!体が勝手にウッフ〜ン」




「ウッフ〜ンって…笑 い 殺 す 気 か」




「もうだめだ助けて腹がひへへへおーほほほひいっひいいっひいいぃぃい」






「ぶふっ」






 木の間とはまた違うところから妙な笑いが響いた。






 何事かと木々の間から顔をのぞかせていた者達がそちらに顔を向けると、そこには青い服の男が口を押さえつつ震えていた。しばらくシャッター音だけが響いていたが、青い男が堪えきれずにぶしゅっと鼻と口から息を漏らした。ひきつけを起こしたかと思わんばかりに震え方が激化する。




 哀れな被写体は今にも一肌脱ぎそうだ。




 木々の間から、妙にうわずった声が響いた。


 失礼だが、何だかニューハーフのお方たち独特のイントネーションに近かった。




「…お前の仕業なんだろう?!とめたれ、このままじゃ素面に戻った後自殺しかねんぞ!」




「とめ方が分からないんです。撃ち殺してください。」




 木陰から銃弾が発せられる爆音が響いた。


 奇妙な写真家は被弾した。だが、血が出なかった。




 撃たれたにもかかわらず、眼鏡の怪しい男はにこやかに霞のように消えた。




 ルーベンと呼ばれた男はポーズをとったまま呆然としていた。


 一体何が起こったのか、にわかに判断できないようだった。




 隠れていた連中は木陰から出る事無く、駒田に銃口を向けたまま言った。


 声が違ったから、口を訊いている奴は先ほどの奴とは違うようだ。




「…お前は何者なんだ?」




「駒田です。」




 木陰からひそひそと小さな声が聞こえた。


 そうして、またこちらに声がかけられる。




「噂で聞いたことがある。まさかお前が奇跡をとりなした聖者様だというのか?」




「まあ、もう噂としてあちこちに…そうだとしたらどうするんですか。」




 木陰からひそひそと小さな声が聞こえた。


 そうして、またこちらに声がかけられる。




「ならばお前を殺す。」




「…何でですか。聖人様にたてつくなんて神に逆らうも同然ですよ。」






「神が栄人などに力をお貸しなさるとはとても思えん。」




「そうだそうだ、お前なんて聖者様じゃない!俺は認めないぞ!」




「噂なんて噂に過ぎないんだ。ここでお前を殺したとしてもそれもまた噂になるだけさ。」






 木陰から言う台詞ではないとは思ったが、格好つけて体を外に出すのも賢くない。それでも、意気地の無い連中に罵詈雑言を吹っかけられた気分になる。




 信じない輩は必ず出てくるとは思っていたが、その理由が人種の違いによるものからだとは。浅はかだとは思うが、もしかするとこれが当然の反応なのかもしれない。それにしても噂の伝達とは早いものだ。今朝方の話だというのに、もう伝わっているらしい。




 もはや彼等がこのY国兵を追っていたのは明白なので、あえて剣を出さずに尋ねた。




「信じるも信じないもあんたたちの勝手ですよ。今は気分的にあんたたちを助ける気にはなりませんし。…ところでこの倒れてる方は一体何者かご存知?」




「何物も何も…栄人だが?」




「逃亡したから撃った。確かに手ごたえはあった。だが何故かここまで逃げてきた。で、お前に会った。それだけだよ。」




 自分の足元に倒れこむ男を、座り込んで改めてじっくりと見る。


 確かに月明かりにほせんやりと映し出される男の左肩がとりわけ黒っぽい。これが血だと感じたのは、月明かりを少しだけ反射してほのかに光って見えたからだった。意外と血なまぐさくは無いと思った。




 再度立ち上がり、影で蔑む嘲笑を投げかけている人間たちを、呆然と見た。




 これが真の争い。




 そうだ。自分が出会ったR国兵は、異端者だったのだ。


 敵である自分を助けてくれた彼等は、普通ではありえない。




 ただ立ち尽くすだけで、反論も何も出来なかった。不思議と正義の人ぶって何がしかの説教をしようという気にもならなかった。この一件を頭では理解していたが、何か突然裏切られたような気がして駒田は呆然と立ち尽くした。




 ルーベンと呼ばれた被写体だった男は未だに違う意味で呆然としている。








 まるで永遠に続くと思われた沈黙が、ふと破られた。








 沈黙を破ったのは、闇に隠れるR国兵たちだった。




 ふいに低いうなり声のような音が、影から聞こえてきた。


 そのうちごそごそと騒がしくなったようだった。




 自分を殺すどころではなさそうだった。




 何事かと影に近寄ろうと一歩足を踏み出すと、聞き覚えのある声が駒田の背後にかけられた。






「心配いらんよ。」






 見ると、見覚えのあるシルエットが数人見えた。


 もう闇がかなり差し迫っていて誰が誰だかわからなかったが、それが自分を拾った岸田たちである事は明白だった。




 目を凝らしてじっと影を見ていると、岸田らしい声が聞こえた。




「睨むな。折角助けてあげたのに。」




「睨んでませんよ…こんな暗さですからよく見えないんです。」




「もうそんなに暗いのか。」




 岸田と思しき人影が何かを懐から取り出していた。


 恐らく時計だろうが、こんな暗がりでそんな細かいものが見えるのだろうか。




 だが、岸田は闇など知らないといったそぶりで時計をふと見ると、そのまま懐に戻した。




「確かに夜だ。」




「よ、よく見えますね…」




「どこぞの誰かのおかげで俺たちの視線は現在を持ってしても真昼間のような明るさに見える。おかげさまでとんでもない時間を寝過ごしてしまったよ。」




 駒田は自分のせいかしらと思ったが、そうではなさそうだった。


 現にそんな魔法を使った覚えがない。




 第一に、『どこぞの誰か』に反応した影があった。


 彼がその犯人なのかもしれないが、一体どういうことなのか。




 何より非常識なことに遭遇してもえらく冷静な彼等はどこか異様だった。




 駒田はどう訊けばいいかさえ困った挙句、一言だけ、何とか口に出来た。










「……………あんたたちは一体何なんですか……」










 何なんだ、と問われた岸田らしき男とその仲間は、やはり冷静だった。


 まるでその質問には慣れきっているようだった。




 岸田らしい男が、先ほどの言葉に反応していた連れに命じた。




「奴の闇目を我々と同じ視点にして差し上げろ。」




 その言葉に反応した男は、何かしらのしぐさをした。


 暗くて何をしているかは分からなかったが、そう大掛かりな行動でもなかったから、光がある場であってもちゃんと見ていなければわからなさそうだった。持続的な行為というよりはちょっとしたしぐさに近い。




 と、思っていた矢先、突然目の前がまばゆくなった。


 暗闇から太陽照りつける野外に出たと同じような感触に囚われた。




 しばらく目を両手で伏せて光からのがれていたが、じきに光に慣れて目をあけることが出来るようになった夜とは思えない、まるで太陽が再び上がったような明るさだった。




 足元には、見るも無残な状態のY国兵と、それに乗ったまま呆然としているセラヴィがくっきりと見えた。




 先ほどまでは完全な闇のベールに包まれていた木陰も、その影にいる連中がくっきり見えた。声から察する事は出来たが、3人いた。彼等はまるでそのまま眠り込んだようにその場に倒れこんでいた。



 ルーベンは遠い未来を見つめているようだったが、唯一無事のR国兵だった。




「ほんとに昼間みたいですね。一体何したですか…」




「あとで説明してあげよう。それよりこういうお馬鹿さんどもが迷い込んでくるとは今日は本当に運が良い。」




「これで多少は持ちそうですね。」




 彼等は敵の到来を喜んでいるようだった。


 何とも不可解な彼等の言動に不安を覚えた駒田は、色々尋ねてみた。




「…もしかしてあんたらの仕業ですか、あの人たちが倒れたのも。」




「奴等かね?」




「いきなりうなり声上げて倒れてしまいましたよ。大丈夫なんですか。」




「大丈夫だとも。」




 そういうと岸田は張り付いたような笑みを浮かべた。


 そしてこう付け加える。






「じきに心臓麻痺で死ぬだろう。」






「全然大丈夫じゃないじゃないですか…」




 駒田が眉をひそめると、相手も眉をひそめた。


 不愉快に思ったというよりは、駒田の言い分が解せないようだった。




「こいつらは貴様に手をかけようとしていたのだぞ。何故死んではならんのだ?こんな異人どもなど生きていても仕方ないではないか。」




「そんな言い方酷い。」




「…不思議なことを言う男だ。」




 そういいながら岸田は小さな短刀を取り出すと、呆然とする生き残りに向かって軽く投げた。確かに岸田と生き残りの間にはかなりの距離があった。


 だが、何とも形容しがたい耳障りな音と共にぱっと生臭い赤が散った。




 生き残りに刺さったのではない。


 軽く投げたナイフが、遠くにいた生き残りの体を貫通して不気味な赤黒い穴をつくり、ナイフは向こう側にあった木の幹に刺さっていた。




そんな様子に目もくれずに地に伏した栄人兵を覗き込むようにかがみこむ岸田の部下の一人。とても仲間に対する言葉とは思えないほど淡白な言葉を放つ。




「あー…これはもうだめだな。」




「死んでるのか?」




「いいえ。ただ、もうだめですね。体温がかなり低くなってます。生気も感じられません。今の状態で仮に蘇生させたとしても神の奇跡でもない限りまずまともに生きていけないでしょうよ…」




 触っていないのに『体温』。倒れる姿を見て『生気』。


 ますます何か異常なものを感じた駒田は、何も言えず何も出来ないまま突っ立っていた。何か口答えすれば、何か自分のみに何かよくないことが起こりそうな…




 凍る駒田の前で彼等の作業は淡々と進む。




 岸田は無感情のまま顎を突き出し、指示する。




「そうか。ではせめて苦しみが長引かぬよう葬ってやれ。」




 指示を受けた大柄の部下が、倒れこむ兵の肩を足で蹴るように回す。上半身だけ半ば仰向けになった男はもはや生気を失った顔をしていたがそれでも小刻みに震え体を温めようとし、なお生にしがみついていた。


 上半身だけ月の光を浴びる男の首に、兵の足がどっかと乗せられる。




「ああーお前の血は無駄にしねぇぞ、必ず仇をとってやるからな…っと。」




 軽い調子の祈りと共に、鈍い破壊音が聞こえた。




 その音の中に、もはや人の声とは思えないくぐもった音が聞こえる。


 消え入りそうな震えが、狂気を帯びたような激しい痙攣に。






 駒田は見た。




 その音が地に響く瞬間に、男の目に一瞬だけ、生きる者達にさえみられない、強烈な生の炎がともったのを。






 自分も死ぬ瞬間、あんな目をしていたのか。






 駒田の頭は一瞬それだけをよぎらせ、その後は真っ白になった。

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