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第一話 目覚めればそこは海 〜天国の鍵を秘める夢の聖者 ・5

 部屋の中は窓の無い廊下と比べればまぶしいほどだった。




 月明かりで照らされる中、二人の姿は確認できた。




 一人が訪問者に気づいて体を起こした。


 この部屋に入ることを真っ先に決めたザドックだった。


 ヒラリーが入ってきたのを見て、少々驚きつつ小声に話し掛けてきた。




「一体どうしたね。」




「うるさくて眠れないのでこっちで寝ていいですか。」




「うるさい?」




「こんなとこだもの…虫に食われて寝心地悪いのかもしれない。何か皆してうんうん唸っているのでうるさくてかなわんのです。」




 虫、ときいてザドックは不思議そうな顔をした。




 しばらく頭を掻きながら何か考えているようだったが、それでも整理がつかなかったのか、首をかしげた。




「……虫?」




「きっとダニか何かですよ。」




「さっきそれでアイザック達と不思議がってたとこだ。」




「三島がどうかしたんですか。」




「あの寝床に寝る奴を決めることになったときになー…こんな森の中の廃墟の建物だしいくら寝床が完備といってもやっぱり使うの嫌じゃね?というわけでくじ引きで当った奴が寝ることになったわけで。…俺は嫌だからとりあえずノアデアを引っ掛けて当たりを引かせたわけだが。」




「いぢめですね。でもそんなことできるんですか…」




「変に神経質だからちょっと汚いと嫌がるんだ。ちょっとだけ皺つけたハズレ2つと奇麗な当たりを作っておいて、皺が気にならないよーに影で隠してアイザックに引かせて、あとは皺の分かるように月明かりの当たるとこでノアデアに引かせれば間違いなく奇麗なほうを引く。まあ別にアイザックが当たり引いたって構わんのだがね。で、見事ノアデアは寝床で寝ることになったわけだが。」




 思えばノアデアだけいない。


 ベッドが膨らんでいたので、あの中にノアデアが入っていることになる。




 布団にすっぽり包まっているので確かめるように布団をちょっとめくってみると、期待を裏切り安らかな寝顔が出てきた。




 ヒラリーも首をかしげた。




「…よくこんな廃墟の寝床で寝れますね。」




「だろう?こんな放置されて幾らかの月日がたっていると推測される村の布団だっちゅうのに、虫どころかかび臭さや湿り気さえないってんだ。初めは虐めだって半泣きだったってのに新品同様の寝心地と分かったや否や勝ち誇ったようにいかに寝心地がいいか実況報告しやがる。で、満足のうちに睡眠。むかつくから引きずり出してやろうかと思ったけど体力の無駄だしまた恨み言をえんえんと聞かされるのもなんだから諦めてこうして転がってたわけ。…堅い床だが、それだけだしまだマシかと思ってたとこだが…」




 ザドックは嫌そうに腕をさすった。




 虫がいると聞けば誰でも嫌だろうが、つまり今まで彼等は被害に一切あっていないということだ。




 いくら扉で仕切られているといったとて、虫が一部分だけいないというのはおかしな事だった。


 しかもベッドは見たところ湿気も黴にも毒されておらず、埃さえかかっていない。




 もしかするとここに隠れていた連中が使っていたのかもしれないが、それにしてもおかしな話だ。




 だが、少なからずここだけは安全地帯であることは分かった。


 ここだけ被害が及ぶというわけではないし、多少何かがおかしかろうが都合がいい。




 ヒラリーは適当なところで転がった。




 確かに床は固かったが、それでものびのびと転がれる事は良いことだった。


 それに埃臭くもなく、かび臭くも無い。殺人現場であったが、血なまぐささもなく実に快適。




 そうして転がっていると、ふと何かが体にかかった。




 目をあけて見ると、毛布だった。


 ザドックたちが持っていたものと同じ物だった。




 体を起こしてザドックと毛布を見比べるように交互に見ていると、ザドックはヒラリーに言い聞かせるように言った。




「床は冷えるぞ。まあ使ったり。」




「貸してくれるですか。ええ人ですね。でもあんたは大丈夫なんですか。」




「気にするなって事よ。」






 それで終わったなら良い話で終わっただろうに。






 言い終えるや否やザドックはおもむろに立ち上がった。


 そして足音を立てぬ様にそろそろとベッドに近寄ると、躊躇い無くノアデアから布団を引っぺがす。




 ノアデアは寝つつも寒いのか体を丸めたが、気にも止めなかった。




 何事も無かったようにその分捕った布団に包まり元いた床に転がるザドックを見ながらヒラリーは言った。




「…毛布よりそっちがいいな…」




「折角の好意にケチつけるんかね?」




「れでーを大切にするのがあんたたちでしょうに。」




「そーですね。レディだったらノアデア引き摺り下ろしてあのベッドごと提供してあげるんだけど。かわいこちゃんだったら添い寝してあげるサービスだってするんですがね。んじゃ、お休みなさい。」




 ヒラリーは何となくむかついた。






─────






 それでも毛布は意外なほど暖かかった。


 毛布だけでも十分だった。




 十分眠れたらしく、目を覚ますと窓からは月明かりの代わりに朝になる前の微妙な明るさの空が入り込んでいた。




 体を起こすと、ベッドの上に転がっていた気の毒な男も体を起こした。


 元々起きてていたらしいが、誰も起きていないと思って横になっていたらしい。




 相変わらず全体的に白い男だった。




「やあ、おはようヒラリー。」




「おはようございます白い物体。男ならもっと逞しく焼けないと猫に掘られる悲しいまぐろになりますよ。」




「白い物体じゃなくてノアデアだってば…」




 ノアデアは悲しげに頬をさすった。


 どうも白い事は気にしていることらしい。




 しかし、それにしても白い。


 恐らく体が冷えているのだろう。


 建物内といえどここは冷帯、ぴんとした寒さが肌を突き刺す。


 何より体を温めるはずの布団が剥ぎ取られているのだ。


 ベッドで寝心地はよかろうが上にかけるものがなければ寒い。




 その床に丸まった布団を恨めしそうに見下ろしながらノアデアは言った。




「まぁたザドックか…食中りでよれよれだっちゅうのにちょっとは気を使ってくれてもいいのにさ…まあ今に始まったことじゃないからもう諦めてるけどね…」




「いつもいぢめられているんですか。」




「それこそ生まれたときからね…」




 そう言うとノアデアはため息をついた。


 だが、単純に嫌だという意味というよりは何かもっと別の感情も混じっている様だった。




「こいつとは近所で幼馴染だったんだ。運悪くというのかずっと一緒の学校でねぇ…よく泣かされたもんだよ。大人になってお互いそれぞれ別の職についてやっと離れたと思ったら一緒の隊。神様も随分と酷いお方だ…」




「まあ。仲がよろしいと思ったら幼馴染だったんですね。じゃあ三島もなんですか。」




「アイザックは違うよ。徴兵されてたまたま一緒になっただけ。何でもマーザー州の出身みたいだけど…過去を話したがらないから良くわからないねぇ。…気の毒だから訊けないし。」




「何故出身を訊いたら気の毒ですか。割腹自殺するからですか。」




「え、だ…だって…」




 ノアデアは困惑しながら言葉を探しているようだった。


 暫く無言だったが、整理がついたのか、さきほどよりさらに小さな声で話し出した。




「…覚えてないんだっけね。マーザーはここから南西にある州でね、Y国と隣り合わせの州のひとつなんだ。その隣り合わせのY国の地区がまた不幸にも犀舷省。」




「犀舷省……………」




「おっかない糟人兵の溜まり場の一つだよ。それに加えて横に控えるはK国。さらに運の悪いことに鉱山や工業都市が多かったために目をつけられてY国とK国の連携攻撃をもろに浴びてほとんどの町が壊滅してね。エナビアもマーザー州のひとつだったって言えば多分その凄まじさが分かると思う。何とか侵攻をエナビアまで押し返して今は落ち着いたようだけど、州の殆どが廃墟と化してどれだけの人間が死んだかすらわからないんだって…訛りからしてアイザックはマーザー北部の人間だよ。北部は特に酷いありさまだったって聞くからとても訊けないよ…」




 エナビアといえば恵那部のことか。




 駒田を助けた人間たちが言っていたっけ。


 Y国に奪われたまま未だに奪回できていない地区だと。




 戦争初期のまだユニ側の勢力に勢いがあった頃の話だと聞いたが、それでも『はるか昔の話』というわけではない。


 仮にアイザックが戦火から逃れたマーザー州の住人の生き残りだとするなら、確かに過去を訊く事は古傷をえぐるような行為である。そうでなかったとしても、崩壊した故郷の話をするのは気の毒だ。




「それでも」




 不意にノアデアはベッドから腰を上げた。




「ルツの蟻どもに恨みはあろうに、それでも恨み言も泣き言も吐かない。強い奴だよ。」




 そう言うとノアデアは布団に近づき、それを蹴った。


 力いっぱいというわけではなさそうだったが、それでも布団の塊が少々転がった。




「起きろ!この盗人、風邪引いたらお前のせいだぞ。」




「ぐぅ…打ち身になったらてめえのせいだぞ…」




 布団の中から声がした。




 それでも布団の中から人間が起き出すまでノアデアは蹴りを入れ続けていた。




 そろそろ起きてもいい頃合であることが窓の外の空の色から分かったので、ヒラリーもアイザックを起こすことにした。




 寝ているアイザックの口の鼻を手で押さえつけながらヒラリーは言う。






「目覚める事無く死ね!」






─────






 アイザックは最悪の目覚めを体験し息を荒立てていた。




 ヒラリーはやや向こうで仰向けになって転がっていた。




 布団の中から顔だけ出してこちらを窺うザドックは、笑いながら挨拶した。




「おはよう。愉快なモーニングコールだったな。さすが天下のヒラリー様だ。起こし方でも一味も二味も違う。」




「もう…愉快じゃないよ…何事かと思ったじゃないか。」




 何とか落ち着いたらしいアイザックは立ち上がると転がったまま動こうとしないヒラリーを起こした。


 引っ張り上げられて何とか体を起こしたヒラリーを見ながらアイザックは不思議そうな顔をした。




「君もこっちに来てたんだ。寝てたから分からなかったよ。」




「二人になぢられながらファックされているかしらと期待してきたのにのん気に寝ていたのでがっかりです。駒田をがっかりさせた罪は重いですよ。よって死刑です。」




「……………何故…」




 あまりにあんまりな言い草をされて苦笑いするアイザックを見ながらザドックが茶々を入れた。




「どうせするならノアデアのほうがうってつけだと思うぞ。何しろ生まれたときからケツから出たものは下痢だけなんだから締め付ける行為自体処女なんだ。俺は勿論辞退するがね。男を慰みものにするくらいなら珍棒切り取って男捨てるほうがマシってもんよ。がんばってこの白い奴を男にしてあげてくださいね三島由紀夫。」




「何を言うの巌島延年。三島がぼろぼろに朽ち果てなきゃ面白くないですよ。」




「生まれたときからって…そんな大層な持病を持ってたらここにはいません。ていうかそんなとろくさい事言ってないでさっさと布団から出てき!」




 ノアデアに蹴られるザドックを見ながらアイザックは苦笑いを一層濃くした。






─────






 蹴られ続けて漸く布団から体を出したザドックは布団をベッドに投げ戻すと不意に真顔になった。




「…そういえば外の連中は?合図も無くこんなどったんばったんやってたら大目玉食いそうだが…」




 外の連中、と聞いて他の二人も不思議そうな、同時に深刻な顔をした。


 ロムは日の出が遅い。まだ多少暗くても時計を見ると意外な時間を指していることが多い。


 アイザックが時計を見ると、もう早朝から朝に差し掛かる時間帯だった。


 合図はもっと前にあってもよさそうなものだが。




 廊下からは何も聞こえなかった。


 普通なら多少の物音はするはずだ。




 ザドックが率先してドアに近寄ると、アイザックが止めた。






「…何か嫌な予感がする。外から何かしらの合図があるまでここに待機していたほうがいいかもしれない。」






「そんなこといったって…ずっとここにいるわけにもいかんだろう。嫌な予感だろうが何だろうが一度様子を見ないと何も始まらんぞ。ただの取り越し苦労なら笑い話になるだけだし。」




「そういうことをいう奴が真っ先に死ぬんだよ…ぼかぁ死にたくないからここにいますのでとっとと原因追求してきてくださいまし。」




 ノアデアがそう言いながらベッドに腰掛けた。




 だがそれを許すほどザドックは人が良いわけでもなく、そんな『嫌な予感』がするという外に一人で出るだけの勇気ももっていなかったらしい。


 ノアデアの腕を強引に引っ張るとドアまで引きずっていった。




「お前が先に出てけ!」




「言い出しっぺはあんただろうに!俺はここで待ってますって。」




「言い出すのは俺!実行するのはお前!そんなもん昔からのことだろう、今更文句いうな!」




「ああもう…この人そういいながらいっつも俺にやらすのよ…近所の本屋に何とかさんっていう可愛い店員さんがいるときにエロ本買って来いって強制されたこともありました…このまま燃え尽きるんじゃないかってくらい恥ずかしかった記憶が今まざまざと蘇ります。実はこの人その何とかさんって店員さんに惚れてたそうですよ、それが初恋だったんですって。陰険なアピールの仕方だと思わない?しかも無関係の俺まで巻き込んでさ…ああそうそう、確かその店員さんイレーネさんっていう人でした。」




 愚痴を言いつつノアデアはドアのノブに手をかける。


 廊下から独特の冷気が入り込む中、そろそろとドアが開かれた。




 ドアの向こうを見た4人は血が逆流したような、そんなぞっとするような感覚を覚えた。






 あれだけいた人間が忽然と姿を消していた。


 個々の持ち物だったと思しき袋だけが残っているというのも、気味が悪かった。






 ドアから顔を出して確認してみるが、完全にもぬけの殻だった。


 ただ、それ以外の異常は見当たらなかった。




「うーん…荷物が残っているって事は置いていかれたわけではなさそうだし…寝てる間に蟻に運ばれちゃったのかしらん…だったらここから出たらどこかからか狙撃されそうだなぁ…というわけで、」




 ノアデアはさっとドアを閉めると極めて業務的な笑みを浮かべた。




「外に出るのもなんですのでここで待ちましょうか。」




「時にノアデアさんよ…何を待つわけ?」






「…………………CMを。」






「さあ良いこの皆、COMBAT・MAXIMUMのお時間ですよ!」






 ザドックはノアデアの後頭部を鷲掴むと額といわず顔全体をドアに力いっぱい押し付けた。


 ガンという痛々しい音が遠巻きのヒラリー達にもしっかりと耳に届いた。




 なおもドアに顔を押し付けながらザドックは言う。




「お待ちかねのCMが始まったぞほら!開けろ!」




「こんばっとまきしまむって何だよ…何だか無茶苦茶なこと言ってません?」




「キュリウム(化学式Cm)を発見して特許を放棄して未来の発展の為に皆に技術を分け与えた科学者夫妻の汗と涙の物語ですよ!主題歌はなんとあのケミストリー(chemistry)だそうですよ!センチで長編メートルナノー!そういうわけだからとっとと開けろ!」




「そんな物語知らないよ…というか題名にコンバットってついててあらすじがソレって何かとてつもなくブラックな結末になりそうですごくやなんですけど。」




「題名なんか深い意味無い!そんな憶測する暇があるならとっとと開ける!」




 ドアの前であれこれと言い合う二人をぼんやりと眺めていただけだったヒラリーだったが、話が終わらないのを見てつとドアに近づいた。




 二人を押しのけると、ごく普通にドアをあけた。




 何事も無かったように外に歩みだした。




 あれほど危機感を覚える異常な沈黙の廊下を淡々と歩くヒラリーを呆然と見ていたが、一人行動に出ると不思議とためらいも半減するわけで、部屋に残された3人はおずおずと、それでいておっかなびっくり廊下に足を踏み出した。






─────






 どなたかがその体重を持ってぶち抜いた損傷の激しい階段を苦労しつつ降りていく。




 この階段を下りるだけでも大層なきしみ音が響く。


 これに気づかなかった自分達がおかしいのか、それとも何か尋常ではないことが起こったのか。




 いっそ自分達が空けていたという事で済ませたかった。




 苦労して1階に降りたが、こちらも誰もいなかった。


 物音一つしないのも奇妙なものだとヒラリーは思った。




 朝だというのに鳥のさえずりさえ聞こえない。


 ましてここは森の中である。動物の声が聞こえないというのは異常なことだ。




 ヒラリーも異常を感じてはいたが、それでも行動しなければどうしようもないという念が足を動かさせていた。




 何しろ待っていてこの状況が改善するとは思えない。


 このまま待っていてもいつかはここから出なければならないときが来る。




 外に通じる扉に手をかけようとすると、アイザックが止めた。




 遠くからでも顔が青く見えた。


 ただ臆病風に晒された結果か、こういう空気に過敏なのか。






「やっぱりやめたほうがいいと思うよ…何だか嫌な感じがする。」






「駒田はあんたの顔を間近で見ると嫌な感じがします。良く見ると剃りそこなった髭が見えるので思わず引っこ抜きたくなるのです。不潔っぽい男は異性はおろか同性にも嫌われますよ。」






「そういう嫌な感じじゃない。…プラスクにいたときに感じた嫌な感じに似ている…」






 プラスクと聞いてヒラリーを除いた二人は何ともいえない面持ちになった。




 プラスクといえば北マーザーの町の一つ…今となってはもはやその面影をとどめていない地区だ。




 やはり彼は北マーザーの侵攻を体験している。


 だが、こんなときに知ったとて何になろう。






 それでもヒラリーは再度扉に向き合った。






「そんなもん知ったことか。こんな小汚い小屋でこんなむさい奴等と一生過ごせと言うですか!」






 堅くきしんだ扉を殴るように力づくでこじ開ける。






 空気は清々しい。


 肌寒さも昨日と何ら変わりが無い。






 だが、昨日と変わりなく『何も無い』事が4人にとって異様な恐怖心をあおった。






─────






 廃屋から出たヒラリーは3人などお構い無しに勝手に歩き出す。


 アイザックが引きとめようとしたが、ここまで来ると大胆になるものなのか、ザドックが叫ぶように言った。




「かまやしないさ、どうせ4人だろうが5人だろうが100人だろうがやられるときはやられるんだ。集団行動はそろそろ飽きてきた頃だったんだ、俺も好きにさせてもらうぞ。」




「す、好きにも何も…何も起きてない今のうちにここから逃げなきゃ…たとえただおいてけぼりを食っただけだったとしてもこのままここにとどまるのは…」






「…………今更逃げられんよ。お前も分かってるんだろう。」






 歩きながらザドックは言う。






 昨日と何も変わりない風景。


 昨日と同じく森と同化しつつある死んだ集落。


 伝って引き返していけば帰れるであろう、森に侵食されつつある道。




 だが、それを伝っても二度と帰れない気がした。




 ヒラリーによって開けられた扉から覘いた集落は、帰るべき道はすぐ目の前に開かれてはいたが、何かがその全てを塞いでいるような圧迫感を感じた。






 それはどうも自分だけではなかったらしい。






 絶望というよりは、同じ考えの人間がいたことで安心感さえ感じた。






 ザドックの背中を呆然と眺めていると、ノアデアがため息をついた。




 こちらは諦め切れていないらしい。


 半分諦めたような、だが恨めしげな口調で言う。






「あいつはいいさ、こういう状況でもむしろおもしれーとか思ってんだに。昔からそうだもん。嫌だっつってるのに胡散臭い心霊スポットとかよく連れてかれてねぇ…目の色変えてあちこち見回っては何も起きないからやれ墓碑を壊せだの唾を吐きかけろだの強制するのよ、俺に。」




「…で、どうする?これから。」




「俺はアレみたいに夢と浪漫を追う冒険野郎じゃないの。好き勝手にしてもいいならこんなとこからとっととおさらばしますよ。…君もそうなんだろ?」




 問いにアイザックはああ、と気の無い返事をする。


 だが、心ここにあらずといった面持ちだったのを見て、ノアデアは眉を顰めた。




 それすら見ていないらしいアイザックは、いとも簡単に前言を撤回した。






「…やっぱり危ないよ。引き止めてくる。」






「おいおいお前もかい!好きにするって言ってる連中なんて説得しようが無いんだからほっとけばいいのに…もー賢くない奴ばっかで胃が痛むわーだれぞ正常な頭の人いないわけ?」




何処へと消えたヒラリーとザドックを追うように駆け出したアイザックを見ながら、ノアデアは地団太を踏んだ。






─────






 かつては女達が集まって井戸端会議でも開いていたであろう小さな井戸の縁に腰掛けたヒラリーを見つけるのはそう難しい事ではなかった。




 近寄りがたい雰囲気を出しているのはいつものことなのでアイザックはそう気にせずに話し掛けた。






「…一人で行動するより皆で行動したほうがいいと思うよ。こういうときだからこそ…」






「そもそもあんたたちなんぞ知ったこっちゃないんですよ。」






 アイザックの存在に気づいたヒラリーはアイザックの言葉をさえぎるようにやや大声で言った。


それからたたみかけるように不平を続けた。


 彼に言っても取り立てて何か有益になるはずはなかったが、今まで溜めていたものをぶちまけるにはうってつけだった。




「駒田は何で緑の物体の一員なんですか。何だか知らん不当な争いに巻き込まれて珍妙な事件に出くわしておまけにどうでもいいへヴぉい男に好かれるなんてこの上ない屈辱ですよ。…煉瓦と共に栄人の一般人を殺すことに加担しただなんて仲間に言ったら駒田は祖国で生きていけません。」




「…………………」




「そもそもヒラリーってなにもんなんですか!記憶が無くなったんじゃなくて中の人がすげ変わったんですよ、駒田は駒田栄助と言う栄人の男です!こいつの本来の中の人とは全くの別人なんです!駒田は生まれたときから今までこんなみすぼらしくて汚らわしいアルク人の女として生きてきたことなど無い!」




「…………………」




「まああんたたちは勝手にしてりゃいいんですよ。皆が行方不明になったのもきっと殺された栄人の呪いですよ。自業自得です。そんなものに不本意に巻き込まれるのは御免なので駒田は早くもとの体に戻らないといけません。あんたらと遊んでいる暇は無いのです。きっとまた力の加減が出来なくてどこぞの誰かとリンクしてしまったのでしょう…妖精って大変な生き物だということがよく分かりました。しかしどうやって戻ればいいのかしら…」






 わめき散らしたあとで一人悩むヒラリーを見ながら、アイザックは複雑な面持ちをしていた。




 暫く無言でヒラリーを見ていたが、微妙な面持ちを湛えたまま近づく。


 腕を伸ばせば触れる程度まで近づくと、感情のこもらぬ乾いた口調で淡々と言った。






「…君の言いたい事は良く分からないけど、少なくとも僕の行為が気に入らないことだけは分かった。でも君が思ってるほど君に恋慕しているわけじゃない。君がここまで気にするのならこの際はっきりさせておくけど、君が男と女の間に友愛などありえ無いという主義だとしたらお気の毒なことだけど…つまりそういうことさ。ザドックたちが茶化したのを真に受けて不愉快に思ったのだとしたら後で彼等に謝ってもらうよ。…それより今は各自別行動するときじゃない。」






 淡々と話すその様もどこか緊迫していて気分がよくなかったが、その話す内容も駒田の気分を削ぐものだった。


 男の恋愛の対象になるのは御免だったが、それでも『ただの友達』と強調されるのも気分が悪い。






 それより、たとえ彼にとって意味不明であっても、少しくらいは『駒田自身』の言葉に耳を傾けてくれてもいいのに。






 何より、そんな事はどうでもいいというように戻るように急かすこの男に駒田は思った。


 今まで会った者達からは感じられなかった感情だったから、自分自身で戸惑いさえもした。








 こいつ、人のためとか人を気遣ってるような素振りをするだけしといて結局自分の都合のいいことしかしない。








 俺こいつ嫌いだ。








─────






「起きろ!」






 遥かな空から一気に地上に落ち行く駒田の襟首に必死にしがみつきながらバガボンドは叫ぶ。



 突然力尽きて落ちるとは思わなかったが、目覚めたばかりでここまで力を使うことが出来るということも驚きのひとつだった。




 呼びかけに応じない駒田は、完全に意識が無い状態だった。




 いきなり力を使いすぎて体が参っているところに自分の声に反応して一時的に力を止めたことでそのまま力がすべてストップしてしまったらしい。


 機械に例えればエンスト状態のようだ。




 力が戻ればまた意識が戻るだろうが、このままでは墜落死しかねない。






 まさか早々に自分の出番になるとは…






 バガボンドは半分呆れつつも、自身の小さな体から力を発動させた。






─────






 原生林といっても、樹の少ないところと多いところと結構まばらだ。


 樹海とよばれるここも、歩き回っていれば、多少光が入ってくるところがある。




 青黒い服を着た兵が数人そういうところを見つけた。




 うっそうと茂る木々を掻い潜り漏れる光は、筋となってそこを照らしていた。


 神秘的でもあった。




 じかにそこには行かなかったが、彼等はその付近で休憩することにした。




 取り立てて座れそうなところが無いので、そのまま地面に腰を下ろして、木にもたれた。


 そのうち若い兵が、眼鏡を拭きだした。戦場の真っ只中、随分余裕のある構えだった。


 眼鏡を取ると、よく見えないからなのか、元々のつり目がよりいっそう険しく細く、額には皺がよる。


 何か癪に障ったことがあるというものでもなく、近眼独特の顰め面だ。




 しばらく辺りを警戒していたが、眼鏡を拭く男を見て、同伴していた兵達も石のように重くなっていた腰を遠慮なくどさりと土の上においた。




 あぐらをかいてため息をついた。




 幸い、時々上から吹いてくる風は涼しいものだった。


 ルツそのものは冷帯に位置するから、この樹海も想像するであろう密林とは違って肌寒い森だ。だが、ここは海から吹く風によって運ばれる湿気と森独特の暖かさが合い重なって、妙な熱気が体にまとわりつく。朝方はよく霧が出、日が上がると冷帯なのかと疑う熱さになる。幸い夜はすごしやすいのだが、残念なことに今は夜とは程遠い時間だ。




 汗を乱暴に腕でぬぐいながら、一人が眼鏡を拭く兵に言った。




「岸田大尉殿。」




「大尉と呼ばなくてもいい。普通に呼んでくれて構わんよ。…記念に頂いたようなものだからな。」




「では国照ちゃま♥」




「…それのどこが普通なんだっつの。」




「語呂が大変良うございます♥殿下と張り合える美しい高貴な響きでございますよ、名前だけ♥その他の箇所については真に残念ながら御承知の通りです。せめてもの慰めに幸せの黄色いハンカチで涙をぬぐって差し上げましょうか?」




「何が御承知の通りだ。私の侮辱はともかく殿下を辱めおって。もういいわい。」




 岸田と呼ばれた若い男は、拭いていた眼鏡を改めてかけた。


 確かめるように辺りを軽く見回すと、国照ちゃんと呼んだ兵を睨んだ。




「で、何だね?」




「大変言いづらいんですが…」




「あれだけのことを言っておいて言いづらいことがあるものか。話せ。」




「これ以上の移動は無理です。」




 不意に真面目な顔になって、彼は岸田に向かい直した。


 見れば、彼以外の連中も同じような顔をしていた。


 顔は確かに疲れきってはいたが、単に疲弊を訴えているわけでもなさそうだった。




「…これだけ探していないのであれば、賊は殲滅できたことになりましょう。そもそもここは交戦中の地です。巻き添えを食らえばいかな奴等といえどもただでは済みませんでしょう。」




 話を聞きながら、岸田はふと何処からともなく小さなガラス瓶のようなものを取り出した。


 小指くらいの大きさだろうか。


 指でつまんで、薄暗い中、かすかに漏れる光に透かす。




 底の方にほんのり、水らしいものが溜まっていた。




「…もう引き上げましょう。我々は死にに来たわけではありません。ここを守りにきたわけでもないはずです。」




「ここを守るのは我々の任務ではない事はわかって居るよ。ここで無駄に命を捨てることがまかり成らぬことも。」




 暫く掌で瓶を転がしていたが、ふと手の動きを変えると、瓶は掌から消えていた。


 手品のようだった。




 岸田は姿勢を変えてあぐらをかくと、自分にも言い聞かせるように言った。






「だがこの程度で根を上げるようでは閣下に顔向けできん。ここは我々の最も得意とする地であるはずだぞ。奴等が殺しあえばあうほど我々にとって有益につながる。…まだ帰る事は出来ない。」






「確かにそうですが、…私たちは起きている間日の出を3度拝みました。1日に日の出は3回もあるものでしょうか。」




 それを聞いて初めて、自分の体にまとわり付くけだるさの正体がわかった。




 岸田はあぐらをかいたまま、再度木にもたれた。


 暫く難しい顔をしていたが、節々のきしみの意味を悟ってようやく体が正常な反応を始めたのか、ぱかと口をあけた。懐から懐中時計を取り出して、目を一層細めた。




「…こういう場合はどれくらい寝れば適切だろうなぁ…」




「24時間対抗睡眠をしたいであります。24時間眠り続けられるかを競います。勝つ自信ならありますよ。」




「肩がこったので按摩を受けながら睡眠を試みたいです。多分天国を垣間見れる勢いで眠れます。」




「もういっそ花を抱いて眠りたい気分であります。寝床にきんもくせいのぽぷりを仕込んで花のほのかなかほりに包まれながらすきなあのこのかみのにほひをおもいだしながらねむるの…うふふ」




「…………………」




「…………………」




「そしてまくらのしたにすきなあのこのしゃしんをいれておくとゆめでであえるのヨ♥」




「すきなあのこのかみのけをおまもりにすると恋が成就しますか?」




「すきなあのこのいんもうをまくらのしたにいれておくと夢で結ばれますか?」




「すきなあのこをまくらのしたにいれておくと現実で結ばれます。」




「ああよかった。新木が疲れのあまり壊れたかと思ったよ。」




「よかったよかった。まずは一安心ってとこかな。」




「…宜しくない。貴様等全員壊れとる。」




 兵士たちの取りとめのない雑談に岸田が早々に終止符を打った。


 時計を懐にしまいつつ岸田は続ける。






「決めた。これから1時間睡眠を許す。各自とっとと寝ろ。」






「あと23時間足す気にはなりませんか。」




「1時間といったら『あっそろそろ眠れる』という頃じゃないですか。せめてあともう2時間…」




「あたたかなふとんとぽぷりのかほりがあれば1ぷんでも…って、寝つきが悪いなお前…」




「あい分かった。じゃあ間を取って2時間寝ることにする。おやすみなさい。」




 岸田は早々に寝る体制に入った。


 といっても、やや前かがみになって腕に額を乗せただけだったが。


 さすがに眼鏡はとらないらしい。




 それを見て兵達は少々慌てるようにせわしなく岸田に言った。




「全員寝るんですか?煉瓦等に見つかったらどうするんですか。万が一『とばっちり』を受けたら…」




「それこそ願ったり敵ったりだよ。…我々には多くの死体が必要なのだ。それも奴等のな。不足している今新しい死人が増える又と無い機会であろう。第一彼奴等には我々を殺す事など敵わん話だ。まして奇襲など茶番にしかならん。『昔』のようにそう心配する事はない。全員遠慮なく寝るがいい。」




「それも…そうですね。」




 兵達はめいめいに転がった。


 地面は意外とやわらかく、暖かくもあった。寝心地はそう悪くは無い。




 木々のざわめきが子守唄となって、疲れた体が眠りにつくのもそう時間はとらなかった。




 寝つきの悪い兵も今回はさすがに疲れたのか、早速眠りの波が意識を飲み込もうとした。


 とはいえ他の者はすうすうと小さな寝息を立てているから、人より寝つきが悪いのは変わりない。




 徐々に押し寄せる眠りの波に身を任せてぼんやりと木々から漏れる光の筋を見ていると、光の筋に異変が起きていることに気がつく。




 初めは身動き一つせずに見ていた。




 淡かったはずの光の筋が、確かな筋になっているのだ。




 ただの目の錯覚だろうと初めは思った。


 だから、そのままぼんやりと見ているにとどめていた。




 だが、じきに夢と現の狭間から引き戻される。






 木々の間から、光と共に人間が降りてきたのだから。





 ほのかな光がそれを守るように辺りを照らしていた。


 浮くように降りてきたそれは、確かに人間だった。




 体を起こしてそれの側に駆け寄る。




 詳しく見なくても、自国の兵である事は分かった。


 近づくと、それについていたらしい虫がぱっと逃げた。




 だが、何故空から落ちてきたのかが分からない。




 それも仲間同様意識が無い状態だった。


 仲間はゆすれば起きるだろうが、彼はゆすっても叩いても目を覚ますことは無かった。


 寝ているわけではないことは明らかだった。




 突然空から降ってきた男を見て、兵はおろおろとしていたが、じきにやや向こうで寝ている年若い上官に知らせるべく足早に戻った。




 戻り膝を抱えて寝る岸田に声をかける。


 肩をゆすって、夢の中から彼の意識を引きずり出す。




「岸田殿!大尉殿!」




「大尉って呼ぶな…」




「おきて!おきるざますよ国照ちゃま!大変ざますよ!大変ざますよ!」




 素っ頓狂な声を聞いた仲間も目を覚ました。




 顔を上げた岸田は大層不機嫌そうだったが、眠りを妨げられたからというより、何か別の理由がありそうだった。しかしながら、あえてここでは追求しないことにする。




 ずれていた眼鏡を戻しながら、岸田は目を細めた。




「茶間が座間座間やかましいわ。何だねいきなり。」






「空から人が降って来ました!」






 指をさして、何が落ちてきたかを知らせた。


 指の先に居る男を見ながら、岸田はなおも冷静だった。




「寝ぼけたことを言うな。仮に現実だとしてもどうせどこぞから吹っ飛んできた戦死者だろう。ほっとけ。既に事切れた人間などいかな我々とて必要の無いものだ。」




「餓死や病死でもないのに怪我1つ付いていない戦死者って何ですか!息をしている戦死者って何ですか!光を放ちながら身一つでゆっくり落ちてくる戦死者って何ですか!答えるざますよ国照ちゃま!国照ちゃま!おおっオオオォォオォォオオオ国照ちゃまアアアォォァアァァオゥ」




「うるさいざます!」




 あまりのことに興奮する兵の頭をぱしりとはたいて、岸田は倒れている男の元に駆けて行った。






 自分と同じく若い男である事は分かった。


 飛行服を着ているからといって、空からほいそれと降ってくるものではない。






 …しかも光を放って、らしい。






─────






 バガボンドは地面に転がる駒田に群がる男達を遠目で見ていた。




 厄介な奴等に見つかったものだと思った。




 岸田たちが何者かはバガボンドも分からなかったが、妖精としての何かが本能に訴えていた。






 あれは危険な存在だと。






 とはいえ虫である自分ではどうすることも出来ない。


 様子を見て、彼等と駒田を引き離すべく機会をうかがうしかなかった。


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