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第一話 目覚めればそこは海 〜天国の鍵を秘める夢の聖者 ・4

 ヒラリーは館の中から放り出された女を見ていた。


 仲間達は娘の遺体を埋める事無く二階の窓から放り出した。


 それの慣れの果てが、目の前にあるぼろくずのような死骸だった。




 土に汚れたそれは、沢山の男たちに見られ、捨てられ、以前の気高さが失われたような気がした。


 美とはかくももろいものなのか。いや、終わりあるからこそ美なのかもしれない。




 しんみりと女を思い出す。



 森之宮を名乗ったこの娘は、何故自分たちと対峙したのか。


 自分を神から使わされた執行人だと言ったが、何故罰を与えられると感じたのだろうか。


 何故自分を神から使わされた者だと思ったのだろう。




 館の裏に放置された無残な死体を呆然と眺めるヒラリーに、先ほどからちょっかいを出してくる兵士が近づいてきた。


 自分の知っている『ヒラリー』という存在と何かが違うことがよほど気になるのか、元々仲が良かったのか。それは存じ上げないが、自分に興味があるのは確かだ。




 今回はさすがに脇はつついてこなかった。




「どうしたんだね。…そんなにそいつが気になるか。」




「…何でこの人に襲われてたの。この人本当に残党だったの?」




「覚えていないのか…?」




 兵はいぶかしげにこちらを見た。


 覚えていないも何も、気づいたときは既に襲われた後だ。


 だがそれを説明するわけにもいかないから、そういう事にしておいた。


 ヒラリーという兵士も自分と同じく『記憶喪失』という事にされてしまそうだったが、この際気にしないでおく事にした。




 すると彼は複雑そうな面持ちを保ったまま、苦笑いに近い笑みを浮かべてヒラリーの頭を叩くようになでた。




「…どうりで様子が違うわけだ。お前でも記憶を無くすとこうもしとらしくなっちまうのか…」




「そんなことより。」




 ヒラリーが急かすと、彼はより一層眉間の皺を濃くした。


 すっかり汚れが取れてしまった人間を汚すような物事を聞かせたくない。そんな様子だった。


 ということは、あまり宜しくない話らしい…




「…何でこの人に襲われたの。」




「ここに潜んでいたからさ。」




「潜んでたって…」




「数人の一般人らしい男女がここに潜んでたんだ。栄人がここにいる事自体何かがおかしい。だからやったんだ。その中のリーダー格みたいなのがこの女さ。初めは大人しく何かしら命乞いをしていたようだが…仲間が殺されたのを見ていきなり呪いをかけてきた。お前がいなかったらあのまま全員地面に突っ伏したまま窒息死してたかもな。」




「潜んでたって…命乞いしてたって…彼等は刃向かったわけじゃないの?」




「刃向かわれた後じゃこちらに被害が及ぶ。怪しい奴はとっとと消したほうがいいだろう。実際一匹生き残ったが為に死ぬ目に遭った。…そもそも栄人がここにいる事自体何かがおかしいんだぞ。」






「…じゃあまさか、俺たちは無抵抗で助けを求めてた人たちを殺したというの!」






 顔をこわばらせたヒラリーに突然腕をつかまれた男は、なにやら困った顔をしていた。


 そうするだけで何も言わないので、ヒラリーは続けた。




「この人は殺された人の仇を取るために魔法を放っただけです。テロリストの一員とかじゃない。しかるべき対処をして助けていれば何もしなかったはずですよ。無抵抗の人間を殺すなんてどう考えても非常識じゃないですか…何でそんなむごい事をしたんですか…栄人だからですか…」




「…俺では説明できないよ。」




 なだめるようにヒラリーの肩を叩きつつ、男は神妙な面持ちを保ったままそう言った。


 しばらくそうやってなだめていたが、ふと男がつぶやくように言った。






「…記憶喪失ってのはいいもんだな。俺もなりたいよ。」






「いいわけないでしょ。こちらがどれだけ苦しんでいるか知らないからそんな事いえるんだ。」




「あんまり苦しんでるようには見えんが。」




 あまりにあんまりな言葉にヒラリーがむくれると、男は笑った。


 笑われてなお一層膨れたヒラリーの頭を軽く叩きつつ男は言う。




「まあ過ぎた話はどうあがいたって取り返せんよ。…そんなにこの女に同情するんなら墓でも作ってやろうじゃないか。放置しておいても虫がたかって汚くなるし。面倒だから誰もやらないだけであって別に作ったって誰も文句言わないだろうよ。」




「気の毒だとか思わないんですか。」




「別に…見るからに別嬪さんだったようだから惜しい事したとは思うけど。この女だけ生かしたのはもしかして色の現地調達のためだったのかなぁと一瞬思ったりもした。今となっては謎だ…」




 ヒラリーは男の胸倉を叩いた。


 男は激しく咽ていた。






─────






 適当に穴を掘って、惨めな死に様を晒す女を入れた。


 穴に入れる際見苦しくないように整えてやった。


 そうしてから、土をかけてやった。


 何も見えなくなったが、やっと彼女が外気の辱めから守られるような気がした。




 男は何がしかを祈っていたが、ヒラリーは一体何を祈ればいいのかわからないのでそれを傍観するにとどめていた。そもそもあまり熱心ではないから、読経しようにも断片すら覚えていない。


 神社で手を合わせる事はした事があるが、何か呪文がいるというのは今まで遭ったことが無い。


 誰かの葬式のときも宗派によっては言葉が無いし、あったとしても口ぱくで済ませていた。




 とはいっても何もしないのは何かいけない気がしたので、とりあえず手を合わせておくことにした。




 それを見た男は、目を丸くした。


 彼と祈りの形態が違うというのも驚きの対象になったのかもしれないが、それ以外のことに驚いているようだった。




「ヒラリーも祈るのか。」




「い…いけませんかね…祈り方わかんないから適当だったけど…」




「分からんのは当たり前だ。お前は元々無神論者だったんだぞ。身内の葬式があったって顔を出そうともしない奴なんだそうだ。『死の先に何も無いから人は死を恐れるのだ、何も無い先の未来のとりなしを願って何になる』って。」




「なんかかっこいいですね。以後そうすることにします。死の先に何も無いから人は死を恐れるのだ、何も無い先の未来のとりなしを願って何になる死の先に何も無いから人は死を恐れるのだ、何も無い先の未来のとりなしを願って何になる死の先に何も無いから人は死を恐れるのだ、何も無い先の未来のとりなしを願って何になる」




「これこれ…それはただの思想であって唱える言葉じゃないってば。微妙に笑えるからお止め。」




 合掌しながらよく分からない読経をするヒラリーを見ながら男は笑った。






─────






 墓を作って一通り祈りをささげた後、皆と合流するべく戻ることにした。




 ヒラリーは戻る際ふと何かを催した。


 男の服のすそを引っ張って言う。




「トイレはどこですか。」




「ここの集落トイレってもんがなかった。多分住んでた連中も外で済ませてたんだろうよ。適当に外でどうぞ。まさか用を足す方法まで忘れたってことはないだろうし。」




 ヒラリーは言われたとおり集落から少し離れた藪ですることにした。




 よさそうな場所があったので、ここですることにした。


 チャックを下ろして、息を飲んだ。


 しばらく呆然と自分を見つめていた。多分表現的には『目玉が飛び出した』ような感じだ。




 チャックをあげて、足早に戻った。




 男が律儀にもといたところで待っていた。


 えらく早い帰りに少々驚きつつ、彼はヒラリーを迎えた。




「すごい早いね。さっき行ったばっかりだったのに。おうっ」




 血相を変えて帰ってきたヒラリーは、大層真面目な顔をして男の股間を触った。


 男はいきなりのことに変な悲鳴を上げて対抗した。




 恥ずかしそうに前を手で隠しながら、男はヒラリーに抗議した。




「いきなり何するんだ!」




「アリ人の男は去勢するのかと思いましたが、ちゃんとあるようですね。」




「はい?」




「じゃあ俺はちんちんをどこかに落としてきてしまったのかしら!大変だわ!どこへいったの私の黄金バット!どこへいってしまったの私の徳川埋蔵金!」




男はヒラリーを呆然と眺めていたが、ヒラリーが血相を変えている理由をやっと理解できたのか、慌てふためくヒラリーの肩を押さえてなだめた。




「おちつけ!」




「きっとあまりに構ってやらなかったから家出したんだ…おおっなんという事!18センチの自慢の息子よ帰ってきておくれー!お前がいないと俺は生きていけないんだー!」




「お前には元々そんなもの付いてないぞ。」




「そんな!」




「そんな!って言われても…お前はヒラリー・フリードマンという女だぞ。女にはそんな男臭いモノは生えていない。」




 女。




 まさか自分が女だとは。


 鏡で見た時だって、確かに見た目が小柄で華奢だとは思ったが、見てくれはしゃれっ気の一つも無い男のような風貌だった。


小柄な男だと言えば通ってしまいそうな、鋭い目をした可愛げのない存在だった。髪も男と代わり映えが無く、短く切り込まれていた。坊主ではなかったが、それに近い短さだった。


 女兵士というものは見たことがあるが、それでもどこか女らしさを残しているものだ。


 ヒラリーという存在には、その女らしさなど微塵も感じなかった。




 それに『自分』が入っているのだから、ずっと男だと思っていた。




 ショックを隠せないまま呆然としていると、男が心配そうに顔を覗いてきた。




「…だ、大丈夫か…?」




「俺が女だなんて…そんな……お…俺は…………………」




「…記憶を無くすとこんな弊害も起こるのかな…なんか気の毒になってきたよ。」




「俺はれづだったのか!そうか…そうか…………」




「…何唐突に納得しているんだね…」




「だがそれもいい…ふふふ、俺はれづのお方たちを見つけたらまざって遊んでみたいとかねがね思っていたのです。でも男が混じると雰囲気が損なわれるような気がして居たたまれなかったのです。これで品質を損なわずに混じれますね!さあ、分かったとなったられづのお方を探しに出向きますよ三島由紀夫!駒田のすばらしいお遊戯の仕方を存分に学習するのです!」




「待ちなさい、お前の言ってる事には一寸も現実味が無い!しかも俺は三島由紀夫じゃないって!」




 ヒラリーは男に引き止められた。


 ヒラリーの肩を揉みつつ男はヒラリーを落ち着かせるべく言葉を並べた。


 彼の中の今までのヒラリーとあまりに違うために、ヒラリー本人より彼のほうが混乱しているようだった。




「お前が自分の性を呪っていたのは分かるが、やけを起こしてはいかん。それよりトイレはどうなったんだね。その様子じゃ驚いて用を足す以前に戻ってきたようだけど。」




「女はどのようにして小便するものなんですか。初めての体験なので分からないんです…」




「俺にきかないでくれよ…」




「間に合わなかったらお前のせいで小便漏れたって報告しますよ。私を藪の中に連れ込んで漏れるまで女の象徴をいぢり回してきましたって皆に言いふらしますよ。黄金に輝く水を恥ずかしい箇所から出して泣く俺を舐めるように眺めながらなおも指を穴の中で動かしつつ『こいつもらしてやがる。汚くていやらしい女だぜ』って笑いましたって泣きながら報告しますよ。その後嫌がる私を殴りつけながらけつのなかに粗ちんをつっこんでちんちんの先から臭い汁がほとばしりでるまで私のけつを掘ってましたっていいますよ。※きっと一物が小さすぎてどんなに小さいまんこでもがばがばで満足できないからけつの穴を狙ったんだと思いますって付け足して説明しますよ。嫌だったら助けてください。」




「おいおい…た、多分糞と同じようにすればいいんでないか?体の構造からして。」




「下半身脱がなきゃ駄目なんですか。随分面倒なんですね。面倒だから脱がしてくれませんか三島由紀夫。」




「子供だって自分でするぞ。ほら、とっとと行きなさい。」






─────






 苦労して用を足したヒラリーは、妙に内股で恥ずかしげに帰ってきた。


 駒田的には女の放尿を間近で見たも同然で、とても得したような気恥ずかしいような微妙な気分だったが、これからヒラリーという女兵であるからにはこれにも慣れなければならない。




 やおら顔を赤らめているヒラリーを不思議そうに男は見ていた。




「そんな恥ずかしいものかね。」




「久々に女体の神秘3点セットを見てしまいました。ぽっ」




「3点セット?」




「まあ。男のくせにとぼけるだけなんてえろいお方ですね。毎日貴様の頭の中を支配している豆・マムコ・菊紋の黄金3点セットですわよ。きっとお前は生まれてこの方36年間現物をみたこと無いだろうけどね、さもしい童貞はこれだから駄目なのよ。ほほほ!」




「36年も生きてないっちゅうに…」




「童貞と言う箇所を否定しなかった辺り概ね当っているのですね。29年生きてて童貞とは恥ずべきことですよ。駒田は15で益荒男になりました。駒田の初日の出のお話をしてあげましょう。そう、あれは15の誕生日の時のお話です…………………」




「29年も生きてないし。記憶喪失になるとこんなむごいことになってしまうのか…気の毒になぁ…」




「…それでも否定しない辺り童貞なんですね。目の前に女がいるのにファックしないあたりよっぽど無能なんですね。そんな無能者は股間のマグナムガンで女をぶち抜くように狙撃銃で脳天ぶち抜かれるんですよ。駒田は女の蜜の味は知ってますが銃の鉛の玉の味はさすがに知らないのでそうなったときはどういう味だったか教えてくださいね。」




「ああもう…見る影も無いことになっとる。少なくともそんな恥ずかしい言葉を吐く人間じゃなかったんだぞかつてのお前は…」




 男は大げさに腕で目頭を押さえた。


 泣いてはいないのだろうが、『嘆かわしいやつめ』と体で表現しているようだった。




「泣くほどのものなんですか。いいではないですか、おなごが恥ずかしげなことをいうても。駒田的にはいとしおらしい娘さんが恥ずかしげに『あ…あなたの股間の棹状のObjectを私のまむこに挿入してください!なんていうか、こう、すぱぁっと!おおっ!きて!きて!きて!オオッオオオオゥ』とすげえ言葉を吐いたらより一層男らしくなれそうですが。だから皆もきっと喜んでくれますよ。駒田の脳内フォルダの中から選りすぐったいやらしい言葉を遺憾なく発揮しましょう。駒田純情無垢だからあんまり分からないけどがんばりますよ!」




「いかんいかん。」




 相変わらず危険な用語を乱発するヒラリーに男は真顔で制した。


 倫理上の禁忌に駆られてというよりは、何か別の深刻な理由があるからのようだった。




「いいかね、決してそういうやらしい事は皆の前では言うなよ。」




「何故ですか。興奮して襲われるんですか。所謂戦場でりょうぢょくモノがついに公開ですか。」




「そうじゃない。ただでさえ女兵士は嫌われているんだ、そんな破廉恥なことを言えばますます孤立してしまうぞ。」




「…嫌われてるんですか。何故。Y国では女兵士はさして珍しくないですよ。駒田にも松山香織という女のせむぱいがいましたが名パイロットの一人として有名でした。腕が立つ上に小股の切れ上がったいい女だそうなので男達の間で抱いてみたい女ランキングで常に上位を保っていましたよ。とはいえ駒田的には好みでないタイプの女だったのですが、個人的にすーぷれっくすをかましてみたいので抱きたい女として一票を投じました。駒田はもっとこう、堀が深くて物憂いさを感じる妖艶な感じのびぢんじゃなきゃ股間が反応しないのです。匂い立つような美女じゃないといけません。マシヤマカヲソさんは個人的に顔があっさりしすぎです。きっと顔にGがかかりすぎたんですね。お気の毒なことです。」




「何だかよう分からんが…Y国の兵のことか、変なところだけ覚えてるんだな。どうも宝石を取る海女が一家を支えるというY国では女も男と同じように戦場に立つのが当たり前らしいから、奴等は男女入り混じっていることが時々ある。ただ、R国では女は戦線に立つべきではないって考えが通ってる。女は男が守ってやるものだって。それが使命だと思っているからこそ力も入る。…その女が戦場に立って自分たちと同じ事をすることを気に入らない奴が多いのさ。とてもね。」




 そういえば自分が『気が狂った』といわれるようになった際、本来気に病むべきはずが男たちは笑っていた。


 お気の毒様という苦笑かとも思っていたが、もしかすると『だから女は来るなといったのに』という軽蔑の意味合いがあったのかもしれない。心配されていたのではなく、嘲笑されていたのだろう。




 それを思い返すと、目の前の男も目の敵に見えてくる。


 いかな人のいい自分でも、そう聞かされると嫌な気分になるのは当然のことだ。






「…あんたはずっとついてくるね。あんたも俺を馬鹿にするためについてくるの?」






 男は冷たい一言に怖気づく事無くヒラリーを見つめていた。


 不愉快になるであろうこの言葉に、不快感を抱いた様子が無いというのも不思議なものだ。




 その質問を吟味するように首を振ると、懐かしげに言った。




「…はじめて口を利いた言葉がそれだった。記憶がなくなってもそれが気になるってのもお前らしいよ。」




「だって気になるじゃないの。」






「…世の中上手く出来てるもんで、『か弱い女』を守るのが男の定めと盲信する奴がいれば、どこかに必ずその反対の思想を持つ奴がいる。俺は単に黒獅子とあだ名されて大半の連中に女として見られなかったほどの崇高な独立心と気性の荒さに惚れただけさ。…だが、今のあかぬけたお前もかわいいと思うよ。ただ、えろいのは勘弁な。」






─────






 どうもここでしばらく待機するらしい。


 こんな薄気味悪い死んだ集落に泊まるのは気が引けるが、そう思っているのはヒラリーくらいなものらしい。他のものにとっては、丁度いい休憩所のようだ。




 ヒラリーは大人しく言われたとおりのことをした。


 何か手伝おうものならお前の仕事じゃないと逆に怒られるから、言われた物事以外は何もしない。




 『おい気違い』と呼ばれることを除いては、案外苦労はしなかった。




 ぼんやりしていると、数人の男たちが近づいてきた。


 彼等も暇を持て余した連中らしい。




 その中には、案の定ずっとついてくる男も混じっていた。




「よう。何してるんだい。」




「何にも…」




 何も、と返事をしながらヒラリーは不審そうに彼等を見た。


 自分が疎まれた存在であることを知った以上、誰も彼もが自分に負の感情を抱いているように思えて仕方が無い。自分とて罵倒や嘲笑されるのは嫌だから、そういった物事から避けたいという本能が働くのは当然である。マゾのお方たちだってこんな陰険な苛めなら嫌がるだろう。




 そんなヒラリーを見て、あの男を除いた兵達はものめずらしそうな顔をした。




「…ほんとに記憶が無いようだ。怖がってるぞ。」




「でも物言いが随分優しいのう…以前ならうかつに声をかけたら『黙れ雑兵ども』ってご立腹なさったのに。」




「…三島由紀夫、誰ですかこのぼんくらリティー炸裂させた人々は。」




 相変わらず三島と呼ぶヒラリーを苦笑しながら見やった男は、簡単に説明した。




「だから俺は三島由紀夫じゃないってば。…記憶が無いならわかんないだろうな、こいつはノアデアでこっちはザドック。で、俺は」




「三島由紀夫。」




「三島由紀夫?」




「三島由紀夫!」




「お前らまで三島由紀夫いうな!」




「お前群衆の中で叫んだら数人振り向きそうな平凡な名前だし、もういいじゃん三島由紀夫で。」




「何となく文才がありそうな名前だと思うぞ。よく分からないけどすごくそんな気がする。」




「嫌だ!俺は生まれて親から貰ったアイザックという名前で十分だ!平凡でも何でもいい。」






 アイザック。






 駒田を助けようとしたうちの一人もアイザックだった。


 アリ人の世界ではありふれた平凡な名前らしいが、駒田にとってはどこか特別な存在だった。




 あの骨太で逞しい体躯に意志の強そうな鋭い目を持つ指導者とは程遠い、いかにも配布されたものをとってつけたような、貧相な背格好の若造だった。赤茶けた毛がやけに目立つせいか、頭でっかちに見える。ノアデアとザドックと呼ばれた男たちも似たり寄ったりの体格だ。




 外人は体格がいいと皆は言うが、間違いなく体格がいいといえるのは極わずかであることがこの短時間でわかった。確かに骨太でごつい印象はあるが、言われているほど立派な体型の奴はいない。




 きっと本来の自分のほうが体格的にも風貌的にもこの若い兵たちよりずっといい。


 自画自賛かもしれないが、はっきりいえることだ。




 ただ、今の体が極端に小さかったからか、そんな貧相な男たちでも多少大きく見えた。


 女の視点から見れば男は確かに威圧的であり、どこか恐ろしくもあった。






 ヒラリーにじっと見られたアイザックは不思議そうな顔をした。


 何をそうも熱心に見ているのやら、という感じだった。




「俺の顔に何かついてる?」




「熱い視線を送られてるのに『俺の顔に何かついてる?』は無いだろう。折角だから『どうしたんだいハニー』って言いながら抱きしめて差し上げろ。ショックで記憶が戻るかも知れんぞ。」




 極めて中途半端な鍵鼻の奴がそう茶化して笑った。


 ザドックと呼ばれた男だったと記憶している。




 だが、仮にもヒラリーは女だ。


 ザドックの言葉にはヒラリーに対する嫌がらせやセクハラのような意味合いは無かったと思うが、何となく不愉快だった。






「…俺はこの冴えない小男とそういう関係だったんですか。」






 突然ヒラリーが放ったこの言葉を聞いて、3人は目を丸くして絶句した。




 嫌な沈黙の後、3人のうち1人が噴き出した。


 ノアデアといったか。妙に血色の宜しくない、きっと3人のうちで最も貧相というイメージがある男が、アイザックの肩を抱くようにもたれながら、変な笑い声を出していた。




「もう駄目じゃん、救いようが無いよ…記憶が無い状態でも完膚なきまでにフラれてるよお前…」




「しかもコクってもいないのにな。ここまで気の毒な男はそういねぇな…」




「なっ何バカなこと言ってんだよ!違うんだ、違うんだ」




「どうせそういう関係になるなら最低でもアレくらいの男でないと近所の笑われ者ですよ。」




 顔を赤くして何がしか言うアイザックとそれを笑う二人を他所に、ヒラリーは平然とそう言い放ちつつあちこちにいる兵のうち一番男ぶりのよさそうな奴を指差した。




 指をさされた男は眉間に皺を寄せつつこちらをちらりと見たが、すぐに何事も無かったように顔ごと視線をそむけた。あまりいい気分ではないが、嫌われているということを考えればこれでもまだ優しい対応であろう。そもそも指をさす行為自体あまり好ましいものではない。相手の階級と虫の居所具合が悪ければ何をされるか知れたものではなかった。




 ヒラリーに『お前だけは嫌だ』と遠まわしに言われたも同然のアイザックを同僚達はこれでもかと言わんばかりに笑った。




 アイザックは目がほんのり潤んでいた。




 嫌われているはずの女兵士にずっと付いてきてあれこれとちょっかいを出したり世話を焼いてくれるわけだから少なからず好意を抱いている事はヒラリーもわかってはいたが、そういう気分になれる状態ではなかったし、そういう気分に浸るときでもないような気がした。




 そこだけは、駒田もヒラリーも共通していることは確かだった。






─────






 小屋に戻って、ヒラリーはふと女の行動を思い出す。


 女が見ていたあの穴は一体なんだったのだろう。


 例の部屋に入ってみると、思いがけない事を目の当たりにする。




 ヒラリーは近くを通りかけた兵士に尋ねてみた。




「ねえ、あの辺に穴開いてなかった?」




「は?」




「俺が一人でここに来たときはあそこに穴が開いてたんだ。」




「知らんねぇー。夢でもみたんじゃない?」




 まともに取り合ってくれないのが少々癪に障ったが、つまり彼が見たときは穴は開いていなかったということだ。


 だが、女がここで穴を見ていたのは確かだ。


 最も、『気が触れた可愛そうな兵士』として見られている以上誰の信頼ももらえなさそうだが。




 しかし、もう一つ何かおかしいことに気づく。




 ここの部屋には何故か多少、家具が残っている。


 ベッドもあったりする。


 所謂殺人現場だが、それでも敵を葬った場所で寝泊りする事はいくらでもあだろう。


 最も、自分はそんな経験はしたためしがないが。




 ただ、何故か、ここを忌み嫌うように誰も寄り付かない。


 彼女の遺体は処理したというのに。




 部屋を出て、廊下で座り込んでいる仲間に尋ねてみた。




「何で部屋の中に入らないの。」






「…その部屋、何かいやなかんじがする。皆嫌がって小さな何も無い部屋にいっちゃったよ。別にお前が陣取っても何も言われないでしょ、好きにしなよ。」






 とはいえ本当に言葉に甘えると『気違いヒラリー』の名前がよりいっそう強固なものになってしまいそうだったので、部屋でゆっくりすることは諦めた。






 今日は、とりあえずこの小屋で休むことになった。




 相変わらず仲間からお大事にといわれていたが、もう気にならなくなった。






─────






 2階の廊下の奥ばったところに寝るのに丁度よさげな棚を見つけた。


 この体のサイズなら、棚の中に体を入れることができそうだった。




 埃臭いようでかび臭い床に転がっての雑魚寝は嫌だった。


 そもそも1階は床が森独特の侵食に犯されていて所々腐っていたから、どうしても2階の廊下やその他の小さな部屋に人が集中する。2階は廊下まで人間まみれだった。


 自分の身の上を考えるととても部屋に入れてもらえなさそうだったし、廊下でさえいい顔をされなさそうだった。小さな部屋と小さな廊下だったから、今の状態でもあふれていた。




 だから、それらと隔離できる棚のスペースは丁度良かった。


 この狭さが逆にベッドを思い起こさせて、それなりに眠れそうだった。




 意外なほどまあまあの寝心地だったので、ずっとはまりこんでいた。


 それを見て箱入りと笑う連中が大半だったが、特に気にしなかった。




 特等席が出来た気分で床に転がったりゆがんだ壁にもたれたりしている連中を見下ろしつつゆっくりしていると、階段からまた誰かが上がってくる音がした。


 よくよく見れば、例の3人だった。




 ほのかにライトで照らされる明かりを頼りに3人は床に転がる者達をまたいでいたが、ふと正面にあった棚の中の人間と目が合った。




「箱入り娘だ…」




「棚です。」




「ていうかそんなとこで寝る気か?次の日体がきしんでも知らんぞ。」




「でももうスペースないですよ。あんたら何してたんですか。」




「食中り…」




 ほのかに赤っぽいライトの明かりに照らされたノアデアは酷くやつれたように見えた。

 太陽の下で見た彼は元々男にしては妙に色白だったが、光の具合がまずいのか、死人のように白く見えた。




 あの食事で食中りを起こすような胃腸の持ち主ではY国ではとても生きていけなさそうだ、とヒラリーは思った。




 どこかに休めそうな場所は無いものかと辺りを見たが、階段で座って休んでいる人間もいるわけだからあるわけが無い。


 我慢して1階で休むしかなさそうだった。




 すると、廊下に転がっていた1人が3人に声をかけた。




「ここの部屋使えば?誰も居ないし寝床だってあるぞ。」




 そう言って指し示すようにドアをこつこつと軽くノックした。




 誰も居ない部屋があるということに不信感を持たないほうがおかしい。


 3人もふと不思議そうな顔をした。




「誰も居ないって…何で誰も入らないんだ?こんな廊下よりはいいんじゃないのか。」




「なんかこの部屋に入ると背筋が寒くなるんだ。きっと女の呪いがこの部屋を封印しているに違いねぇ。皆うす気味悪がってはいりゃしないから、誰もいないんだよ。」




「そういえばここだったな、女を仕留めた部屋って。」




「む、霊験あらたかなお部屋ですか……」




 ザドックが妙に目立たない、まこと控えめな鍵鼻をさすった。


 『霊験あらたかな』部屋であることに、大層な興味を抱いたようだった。




 それとは逆に『霊験あらたかな』部屋だからこそ、ノアデアは震え上がった。




「やだよそんな気味の悪い部屋で寝るの…仕方ないから1階で休もう。」




「やっぱり夜中に女の霊が出るんかな。金縛りとかにあって『よくも殺したな…』とか」




「や、やめろよう…」




「俺未だかつて金縛りにあったことないし霊にも遭ったことが無いんだ。ついでにいうと霊的な寒気って奴も未体験なんだ。鈍感ってやつなのかなぁ…」




「鈍感な奴は知らない間に憑かれているって聞くぞ、…そんなリスクを背負う必要無いだろ。」




「栄人的幽霊の出方って奴を拝んでみたいからここで寝よう。下で寝たってどのみち眠れないだろうし、必ずでてくるってわけじゃないだろうに。さあ来い病弱太郎。栄人の幽霊は何でも足が無いとかきくし、それが真か否か調べるチャンスだ。学会に発表できるぞ。」




「ひい何で俺まで…!」




「今のお前にとり憑く霊なんていねぇよ、とり憑かなくても死にそうな体してるし。折角だから冥土の土産にいっぺん見とけ。人生の先輩にあえるかもしれないんだぞ。出会ったらまず『死んだらやっぱり冥土ってとこに行くんですか』って訊けよ。それさえ分かれば死ぬのもさして怖くなくなろう。」




「いやあーあいたくないよー!」




 女のような悲鳴を上げながらノアデアは部屋に引きずり込まれていった。




 アイザックは先に部屋に入った連中を呆然と見ていたが、ふとこちらに目をやった。


 さてどうしたものかといった感じに首をちょっと傾けた。




 ヒラリーも同じように首をかしげた。


 棚の側面に頭が当った鈍い音が薄暗い廊下に響いた。




 アイザックは口を微妙にゆがませて、部屋に入っていった。




 ヒラリーのしぐさに何となく受けたものと思われる。






─────






 肌寒さで、目を覚ました。




 まだ夜だったのか、あたりは真っ暗で何も見えなかった。


 体を起こすと、頭を打った。


 そういえば、人が一杯で寝るところが無くて、棚の中に体を無理やり寝かせたんだっけ。




 お前の体は小さいから、そんなことも出来るんだな。




 図体の大きい奴等からそういわれて笑われたが、意外と寝心地は悪くは無かった。


 狭いところは逆に気分が落ち着いてよく寝れる。




 変なときに目がさめると、こんな状態だしなかなか寝付けないのが現状だった。




 しばらくぼんやりしていたが、ある異変に気がつく。




 廊下が妙に騒がしいのだ。




 人のしゃべり声が聞こえるわけではないし、酷い耳障りな音が聞こえてくるわけでもない。


 かすかな音があちこちから聞こえてくるのだ。




 寝返りをする音かもしれない音と、痒いのか、肌をひっかいたりこすったりする音。


 寝苦しいのだろうか、時々うなる声が聞こえる。


 服の擦れ合う音だって数人ひしめき合ってその数人が頻繁に出せば結構な音になる。




 人間だからして当然だとは思うが、その頻度が尋常ではなかった。


 耳を澄ませばばりばりと引っかく音とごろごろと寝返りを打ったり姿勢を変える音、そして夢うつつで出すうなり声がほぼ途切れる事無くあちこちから聞こえてくる。




 古い建物だし何より廃屋だ。


 ダニか何か虫がいるのかもしれない。


 つくづく床で寝なくて良かったとヒラリーは思った。


 棚の中にまでダニが入ってきていなかったという事自体何となく不思議だったが、都合が良かった。






 とはいえこうもうるさいととても眠れないので、アイザック達の部屋に移ることにした。




 こうなるのであれば最初から移っておけばよかったと思いつつ、棚から這い出る。


 移動する際誰かを蹴飛ばしたらしいが、うなり声が聞こえただけで怒られる気配は無かったので、そのまま放置して、あの霊験あらたかな部屋のドアをあけた。




 廊下はライトも何も全て消された真っ暗闇だったから、ドアの向こうは嫌に明るく感じた。


 月が出ているらしい。窓から青白い光がともっていた。




 その光を頼りに床で寝る二人と、ベッドで寝ている一人を見たとき、何故だか安心した。


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