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第一話 目覚めればそこは海 〜天国の鍵を秘める夢の聖者 ・2

 永遠の闇と思えるほど、長い時間。


 長い時間、闇の中にいた。




 これが死後の先にあるという、無なのだろうか。


 今までのは、全て死後の願望の夢。


 あんな悲惨な世界でも、生への執着がわくほどの魅力が、それなりにあったのだろうか。




 それならそれでいいだろう。






 ふと、ほんのり明かりがともった。




 闇の先にある光は、現実の世界。


 行きたいような、このまま闇に留まっていたいような。




 そうこうしているうちに、闇が、めくれていった。


 めくれきると、そこにいたのは、浅茶色の刈り込まれた髪の、鼻の高い男が。


 男は、恐る恐る、手を額に当ててきた。


 男の手は、暖かくも冷たくもなかったが、角張った手であることだけは分かった。




「…やっと目を覚ましたんだな。熱も下がったらしい。大丈夫か?」




 暫く男を見ていたが、その顔に覚えがあった。


 その独特の角張った、鼻の高い顔立ち。髪の色。肌の色。暗がりであるが、瞳の色。








 無意識に、男を突き倒して、男から逃げるように体を起こした。




「よ、よるな赤レンガ!」




「ああ驚いた…やっと自分の身の上が把握できたのか。」




 男はしりもちをついたが、突き倒した事に対して別段怒りを覚えたわけではなさそうだった。


 ただ純粋に、驚いているようだった。




 ふと額にトンボが止まった。


 トンボの尾が、鼻面をつついた。


 それだけで、凍り付いていた背筋に熱が戻った。




 よく見ると、カンテラの光がないと真っ暗になりそうな、洞窟の中のようなところに自分はいた。


 荷物に囲まれるように、毛布にくるまれていた。


 しりもちついでに腰を下ろした兵士の他のR国兵は、いなかった。




 トンボの羽をそっとつまんで、トンボを毛布の上に移動させながら、兵士に言った。




「ああ…ごめんなさい…」




「いやいいさ。オレを『赤レンガ』と言ったからには、やっと自分の身の上を思い出せたんだな。」




「た、多分…あとは、…あんまり関係ない事を少々。」




 夢の王と、王子に出会い、そして半分妖精という形で転生して蘇った。


 自分が魔法を使う事ができるのは、夢の王子の半身のお陰だろう。




 何かの本のお話の様ないきざまを、兵士に聞かすわけにはいかない。




「それにしても捕虜ってこんな待遇いいものなの?毛布に包まれて介抱される捕虜なんて聞いた事がないんですが…」




 勢いで半身飛び出た体を、再度毛布にくるみつつ言うと、兵士は不安そうに説明した。




「君は、腕を掴んで引っ張ったとたんに倒れて失神したんだ。暫くして意識を取り戻したけど、そのまま死んだように眠り込んで、動かなくなった。で、よくよく見れば君は酷い熱を出してたんだ。何かの病気にでもなったのかと思ったけど、様子を見ていたら、ただの極度の疲労によるものだと分かった。…そんな状態の人間を敵という理由で叩き起こして連れまわすほど非情にはなれない。…ほかにどこか痛いところとかはない?」




「大丈夫です。捕虜で酷い扱いを受けて死んだ連中の話はききますが、熱を出して介抱されたY国兵の捕虜はきっと俺がはじめてかもしれません。…アリ人は非情な人間だと思っていたけど、そうでもないみたいですね。」




「皆は反対したんだけどね。ただ敵というだけで…衰弱した人間を引きずりまわすなんて、神の教えに背く気がする。敵という理由でさんざ撃ち殺した人間がいう事ではないけど、君に言われて、やっと思い出せた気がするんだ。こんなご時世に博愛の心なんてといわれるかもしれないけど、それでも神はいる。君のように敵兵を説得するような真似は出来ないけど、目の前の人間くらいは、助けたかった。」






 アリ人は信心深いと聞いた事があった。


 何かにつけて祈る習慣を持っていた。


 ユニ人と犬猿の仲なのは、宗教的な意味合いも含んでいると聞いた事がある。


 何しろアリ人やユニ人と顔を合わせたのは戦争のときだから、そんなものは嘘だと思っていたし、欺瞞だとも思っていた。




 今でもそうだと思う。




 だが、彼は信用できそうだった。




「ええ心がけです。きっと死んでも復活できますよ。」




「ははは。君ってつくづく変な人だ。」




 笑われたが、それでも悪い気はしなかった。


 普通の人がきけば、誰にだって変な奴だと思われるだろう。




 一通り笑ってから、兵士は毛布の上で羽を広げたり閉じたりしているトンボを見た。




「…その虫、何度追い払っても戻ってきて君にくっ付くんだ。まるで付き従っているみたいに。鳥や小動物なら懐く事はあっても、虫が一個人に懐いているなんて前代未聞だ。その虫は何なの?」




「何?ていわれても…バカトンボとかいう珍妙なトンボです。何か喋るんですよこの虫。さあ、力強く胸をはってご挨拶なさいバカトンボ。『バカトンボのバはバカのバ、バカトンボのカはカトンボのカ』と。」




 バガボンドは終始無言だったが、顔に体当たりしてきた。


 きっと『バカトンボじゃない』と不満をいいたいのだろう。




 バガボンドはそのまま頭に止まった。


 まるで兵士を改めて見るように、頭と体全体を兵士の方に向けた。




 結局喋ってはくれながったが、それだけでもただの虫とはどうしても思えない。


 虫なのに、本当に喋りそうなほど、人間臭い動きをする。


 兵士は首をひねった。




「君といいその虫といい、本当に変わっているね。何だかどうにも君がただの人に見えないんだ。…こうして助けようと思えたのは、どこか人間以外のものを感じるからかもしれない。変というか…何だか、不思議な人だ。」




 彼は自身に宿る、妖精という異質のものの異質な雰囲気を微妙に感じ取っているらしかった。


 何しろ、半分が夢の存在なのだ。世俗的な雰囲気を醸し出そうとしても、無理だった。


 どこかが、非現実的な神秘性を帯びているらしい。


 ただの人間だったときから『変わり者』だったから、余計そう見えるのだろう。




 ふと、足音が響いた。


 兵士の名前らしいものを呼びながら、別の兵士がやってきた。


 何か、果物のようなものを丸かじりで食べていた。


 腕には、数個の果実が抱えられていた。




 食べ物には困ってはいない様だ。


 まあ、同盟軍は優位な情勢なのだ。余裕はそれなりにあるのだろう。




 昏睡状態だった自分が起きているのを見て、やってきた兵士は言う。




「起きたのか。手間のかかる捕虜を得たもんだ。」




「やあ、お世話様です。」




「…それにしてもお前はアリ語が変に流暢だな。実は斥候か何か?」




 アリ語が流暢とは。


 学校は行ったが無学に等しい成績だった。興味が無いものに労力を費やすのは嫌いだ。


 異国の言葉など、今まで話そうと思ったことも無い。




 言われてみれば、確かにおかしい。


 アリ人と対等に話す事自体変だったのだ。


 何しろ、本当なら言葉が全く通じないのだから。




 不思議だが、自分の体が半分妖精だと思えば何でも理解できそうだった。




「…斥候ってお薬のことですか。べたべたのチューブ状のをこう、ぺたっと塗るのです。俺はそんなべたべたした薬臭いものではありませんよ。」




「…それは軟膏だよ…斥候という単語のどこからそんな言葉が…」




「だめだこりゃ。…たんにとぼけてるにしてもとぼけ方が随分とんちんかんな蟻野郎だこと…」




「蟻野郎って何?」




「…黒い髪に浅黒い肌に低い背。何事にも無感情にただひたすら戦う君たち栄人の事だよ…何か、改めて質問されると侮蔑の言葉なのか何なのか分からなくなるなぁ…」




 介抱してくれた兵士が説明しつつ、苦笑する。


 ふと、果物を豪快にかじりながら兵士は首をかしげた。




「そういやお前は栄人のわりに随分のん気だな。捕虜にする前に大抵自害して勝手に死ぬぞ、大抵のY国の野郎は。生き恥を晒すならいっそ一思いにとかいうて。お前も目覚めたらまた勝手に死ぬかと思ってたけど…」




「それは栄人じゃないですよ。糟人です。糟人兵は追い詰められたり負傷して助かる見込みがないと悟ると万歳しながら自爆すると聞いたことがありますよ。栄人はどんなに追い詰められても自ら死ぬ事はしません。死ぬにも命令が必要だということを知っているからです。」




「そういえば栄人はむしろ捕虜にした後の対応次第でとんでもないことになると聞いたことがある…糟人兵と違って命令よくきいて大人しいから調子付いたある収容所が半ば虐めのような酷い対応を強いていたら捕虜達が大暴動を起こして素手で看守達を次々に殴り倒していったんだとか…死を恐れず平然と素手で立ち向う栄人兵達を見て『侍が戦の鬼であることは知っていたが、海の男は所構わず地獄を作る』と看守側が慄いたそうな。それ以来栄人の収容所は他の収容所のことを比べると幾分か環境がいいらしい…」




「ふーん…つまり俺らはやっかいな奴を拾ったって事か。んじゃ、殴り殺されないように大切にして差し上げないとね。」




そう言うと、兵士は持っていた果実を投げてよこした。


よくよく見ると、りんごだった。




「美味いぞ。まあ、今は療養っつー事さ。食いなさい。毒とかは、入ってない…と、思う。俺にもよくわからんけど、食っても大丈夫だ。」




「分からないって、…これ、あんたらの持ってきたもんでしょうに。」




「のんのん。これは反体制派のものを強奪したものだ。ここにとどまるときに食うものだったらしいから、新鮮そのもの。ここも反体制派のアジトの一つだったんだ。お前を休めるところを探してたら、まさかバスカビルの潜伏先のいっこを見つけられるとは思わなかった。お前は俺達の幸運の星らしいな。」




「バスカビルって何。バ ス ガ ス バ ク ハ ツ。」




「R国内はおろか国外でも暴れてる自称正義のレジスタンスなテロ組織ですよん。シトにはルツの自由を侵す権利は無いってR国民のくせにR国にたてついてる奴等。お前にとっちゃR国産の味方といってもいいんだろうがね…」




「バスバスバスハツ。ガスバスバツ。バスッ……そいつらが一体どうしたですか。」




「ロムのカフク山と樹海を介してY国の奴等をこっちに手引きしているんだそうだ。西北側の州は初期の大戦の時にかなり痛めつけられて以来放置された傷だらけの土地が多いが、同時に捕虜の収容所が多い。多分そいつらの解放をする為にこんな入り込んできているんだろうけど。まあこっちだって捕虜を開放されちゃ困るし色々面倒起こされたらたまんないから、こうやって入り込んで迎え撃っているわけ。」




 R国の最北端の州ロムのカフク山のある付近はY国とR国の国境近くにあると共に、原生林と山岳地帯が連なる未開発の土地だ。


 ここは、昔から難所だったし、何より道に迷いやすい。さらに、山脈が立ちはだかる。


 その条件の悪さがたたって、昔から誰も開発しようともしなかった。


 戦争である今は、天然の壁とはいえないまでも、防護幕である事は間違いない。


 攻めにくいが、ここを抜けて何かをするとも考えにくかった為、盲点だったのだろう。




 りんごをかじりつつ、兵士に訊ねる。




「…で、そのバスカピルって存在は今何処へ?」




「ピル…」




「反応した人えろい人。」




「やーいえろい人。」




 介護に当っていた兵士は頬を赤らめて無言で顔をそむけた。


 よってたかってえろい人といわれて恥ずかしく情けなく感じているらしい。




 ひとしきり笑ったところで、林檎をよこした兵が説明を続けた。



「ここで見つけた奴なら一人何とか生かしておけた。全員がお前みたいに無抵抗ならまあいいとしても、皆が皆武器を片手に抵抗して来るんだからよく生かせたと思うよ。ここはお前が療養出来る様な綺麗な所だけど、ちょっと外に出てみろ。血生臭くてたまらんよ。たまんねぇからここに転がり込んできたわけ。ここは外に出るより安全だし、静かだし、何より臭くない。今日はもう日が落ちてきたから、ここで休もうかと検討中との事。…言葉が完全に通じて、とんぼをペットに連れた変な捕虜なんて奇妙キテレツだから、皆が休むころには寝られなくなるぞ。今のうちに寝とけ。」




「何で?」




「きっと質問攻めにあうだろうよ。浅黒い不潔な奴と軽蔑する反面、純粋に栄人には興味はあるんだよ。何しろ唯一天空人に真っ向から逆らった海の民だからな。旅先で殴り殺されかねんような危険の伴う旅なんて、いまどき金持ちの暇人が道楽のためにする程度だ。…で、そういえば…ところでお前の名前は?」




「彼はまだやっと自分が栄人で、オレ達が敵対するアリ人という事が把握できたばかりだよ。…まだ完全に記憶が戻っていないんだ。無理をさせないでくれアイザック。…精神的にストレスをためさせるとまた体の調子まで悪化しかねない。」




 介抱してくれた兵士が反論する。


 アイザックと呼ばれた兵士は、食べ終えたりんごの芯を遠くに投げ捨てると、座り込んだ。




「ダニエルさんにはきいてませんわよ。…民族の話なんて思い出さなくてもいいから、まず名前を思い出すべきだと思うぜ。捕虜君なんてずっと呼ばれるのもどうかと思うけど。」




「ずっと捕虜なの?」




「さあねぇ?ずっとかはわかんないや。少なくとも誰か彼かに助けてもらったり逃げたりすれば、捕虜ではなくなるだろうよ。…折角名前を呼んであげようと思ったんだから、思い出してみろ。」




 捕虜に親しげに名前を聞くなんて、随分余裕のある兵士だ。




 暫く考えていたが、ふと昔を思い出す。


 本を描いて、子供に読んであげるという習慣がついた頃、ちょくちょく子供が縁側に遊びに来た。


 子供達は、ませた事を言いながらはやし立てた。






 先生、まだですか。先生、まだですか。








「…………………駒田。」








 アイザックが、その呟きを逃すはずも無かった。




「コマダ。お前の名前はコマダというのか?」




「昔近所のガキに駒田先生駒田先生と呼ばれていたようですよ。」




「先生?…君はどう見たって、まだかなり若いじゃないか。」




 ダニエルが、控えめながらきっぱり言った。


 確かに駒田はまだ成人したてであろう、若い背格好だった。実際教師を目指しているのであれば、まだ在学していてもおかしくない。




 アイザックはダニエルにつっこむ。




「あだ名か何かだろ?お前考えが固すぎ。お前の場合は頭のネジ、緩めたほうがいいぞ。」




 ダニエルは無言でアイザックを睨んでいた。


 何か言いたげだったが、辺鄙なことしかいえないから、あえて無言。


 そんな感じに見えた。




 そんなダニエルを無視してアイザックは質問し続ける。




「栄人は最後がダーとかターで終わるのがファミリーネームだって聞いたことある。…名前は?」




「嘘だぁ。オレはケイタという名前の栄人を見たことあるぞ。そいつのファミリーネームはフジムラだった。」




「ヤマダーカワターオダーフジタートミターウメダー。皆ファミリーネームだけど、皆ダとタじゃねえか!俺の言い分はある程度当たってるだろう、コマダ?!」




「ルツの民の名前は、たいていの場合苗字が最初で名前があとですよ。」




 駒田の説明に、一瞬時が止まった。




 そして、アリ人二人による『こまだは苗字か名前か』について議論がつづいたという。




 りんごで多少飢えがとれて、体の緊張もほぐれてきた駒田は、その議論を聞きながら寝た。


 だから、いつ議論が終わったかは不明だった。






─────






 朝、なのかは、日の光も差し込まぬところにいたため分からなかったが、とにかく朝だと言われて駒田は起きた。




 昨日と違って、堅いパンと、水が出てきた。


 あまり、美味しいものではなかった。だが、仕方ない話だったので、文句は言わなかった。


 どうも、皆これを食べたらしい。


 という事は、兵士と同等の扱いを受けているという事だ。




 早速ダニエルが額に手を当ててきた。


 まだ、体の具合が心配らしい。


 駒田は以前のように払ったりはしなかったが、不満そうに言った。




「もう大丈夫ですよぅ。駒田を子ども扱いする愚かな人間は瓶の注ぎ口に舌はさんで『おふぇーへえええー』という悲鳴をあげながら一生お瓶にフェラしつくさなければならないのですよ。」




「……と、ともかくだね。大丈夫大丈夫といいながら熱病で死んだ奴ならいくらでも見た。…昨日はそのトンボに守られていたから結局ずっと寝ていたし、大丈夫だとは思うけどね…」




 ダニエルが言うには、見張り以外の他の兵士が休みに来たときアイザックの言うとおり駒田に興味を示した兵士達が寝ている駒田を起こそうとしたところ、トンボがまるで駒田を守るように攻撃してきた為に、起こせなかったそうだ。


 しまいには兵士達の関心は駒田より駒田に懐いている不思議なトンボに興味が移って、トンボにちょっかいを出していたとか。




 兵士の相手をしたバガボンドはお疲れ様な事である。




 側にあった飛行帽を被って外に出る。


 外に行く途中血の跡が見えた。




 外に出て改めて洞窟を見ると、天然の穴ぐらというより、ちょっとした崖に穴を作ったという感じのものだった。


 うっそうとした原生林なので天候までは分からなかったが、雨ではないことは確かだった。原生林というと普通暑いものだと思われるかもしれないが、寒帯の森は酷く寒い。




 Y国の青い証を身に付けた外人兵を見た兵士達は、敵兵である事を忘れたかのように興味津々の顔つきで近づいてきた。




「ようコマンダー。」




「こまだですよ。だがそれもいい。以後Commandoと呼びなさい。Commanderでも良いですよ。」




「噂どおりの変な奴だな。…で、その虫が喋るって、本当なのか?」




 ダニエルから聞いたらしい。


 バガボンドは確かに喋るのだが、今は大事になるのが嫌なのか全く口を利かない。


 されど、ただの虫ではない事はその行動で分かる。


 だから本当に喋りだしそうだという考えが根付いたらしい。




 駒田は頭のてっぺんに止まっていたバガボンドを即すように、自分の後頭部を軽く叩いた。




「ちょっとバカトンボ、喋ってーだって。」




 だが、動く事すらしてくれなかった。


 暫く頭を叩いていたがどうにも頑固なバガボンドを見て駒田は諦めた。




「…きっと驚かれるのが嫌なんだよ。」




「シャイな虫だな。驚きゃしないよ。何しろ隣にいた奴が頭撃ち抜かれて頭が肉の塊みたいになっても驚かなくなった位すっかり落ち着いちまったんだしな。」




 笑い事ではないが、兵士は笑っていた。


 慣れとは怖いものである。それとも、誇張して言っているだけだろうか。




 それでも動く事すらしないバガボンド。




 何が何でも喋らせてみたいのか、ハエを追払うように手を振ったり、そこらにいる普通のトンボによくやるように目の前で指を回したりしていたが、しまいにバガボンドにそっぽを向かれてしまったのを見て、兵士達はため息を付いた。




「聞いてみたかったのにな、トンボの声。」




「うーん。よくしゃべるほうなのになぁ。驚かないっていってんだから、一言くらい何かしゃべってみてやりなさいなバカトンボ。ほら、あーでもほーでも。」




 それでも、何も喋らなかった。


 兵士達は諦めてトンボから視線を外す。


 一人だけなおもバガボンドをつついて喋る事を期待していたが、皆が少し離れていくのをみてついに挫折した。


 最後まで残っていた兵士の背中は、妙に哀愁を感じた。




 するとよほど哀れに思ったのか、バガボンドはその兵士の肩に止まった。




「私に何を期待しとるんじゃね。」




 その声を耳の側で聞いた兵士は面白い程に目を丸くして、無言で肩のトンボを凝視していた。


 顔が、不必要なほど赤くなっていた。


 よっぽど驚いたらしい。が、その驚き具合は、恐怖というよりは興奮に近かった様だった。




「…い、意外と可愛い声してんすね。」




「それはどうも。」




 一言そういうと、バガボンドは駒田の頭に戻ってきた。




 暫く兵士は小刻みに震えていた。


 恐怖ではない事だけは分かったが、それが歓喜のものなのか、驚愕のものなのかは分からなかった。






─────






 どこかに出発する事になった。




 駒田は束縛される事も、武器を突きつけられることも無かった。


 代わりに、ダニエルが終始側についていたが、むしろ心強かった。


 ダニエルも他の兵士も随分大切に扱ってくれるので、なれない進軍にさほど苦痛は感じなかった。




 それにしても、どこに行くのだろうか。




 暫く歩き続けたが、どれくらい歩いた頃か、ふいに動くが止まった。




 詳しい事はよくわからないが、興味も無かったので近くにいた名も知らない兵に声をかけた。


 彼もまた気のいい奴だったようで、嫌な顔一つせずに話をきいてくれた。




「そういえば、バスガスバスの人は?生け捕りにしたって聞いたのに。」




「バスガスバスって何デスカー」




「バスガスバクハツー言えた!」




「バスが爆発する人って何デスカー」




「うっ…バスの人だもん…バスの人だもん…」




「ナンデースカー」




「ううっぴぅあな心の駒田をいぢめるだなんて…きっと童貞ですね。駒田をそんなにいぢめるとラムネを飲んでいる最中後ろから軍曹に耳に息を吹きかけられてしまいますよ。驚きのあまりラムネが気管に入ってsparklingな窒息に咽悶える中軍曹に服をはがれて縄で縛られて逆さ釣りにされるのです。なおも咽続ける兵士Aの体中を縄で縛り上げた軍曹は兵士Aの体に謎の管を串刺し、管からぴゅっと出る血を愉快そうに眺めるのです。そして飲みかけのラムネを見た軍曹は『貴様はそんなにラムネが好きか!そうか!では私が飲ませてあげよう』と新しく開けたラムネ瓶をケツの中につっこむのです。腸にsparklingな衝撃が響き、さらにうんざりと傷口にラムネをぶちかけられて、口にも新しいラムネ瓶を突っ込まれるのです。」




「うっ…何故とぼけただけでそんな目に…」




「駒田をいぢめた人は皆悲惨な死に様を晒すからです。体中からラムネを一身に受けた兵士Aは想像を絶する苦痛とえもいえぬ快感に悶えながら興奮のあまり体中に差し込まれた管から血をぴゅっぴゅっと放出しまくりsparklingな衝撃を受けつつ意外なほど静かに死に向かっていくのです。そんな様子を軍曹はさも愉快そうに観察し、事切れるまでラムネを飲ませ続けるのです。腹がぱんぱんになる一方体中の血の気が無くなるのをとても楽しそうに閲覧された軍曹は、死後の兵士Aをソーダ付けにしてミイラにして煎じて絵画の油絵の具の一つにしましたとさ。そんな歴史的な死に様嫌でしょう。だったら答えるのです。Re:そういえば、バスガスバスの人は?生け捕りにしたって聞いたのに。」




 兵士はさも面白そうに駒田の頭を叩くようになでた。




 外人嫌いで滅多に同じ場に居れないはずの栄人が何か話すだけで、彼にとってはとても面白いらしい。何を言ってもにこにこしながら頭をぽんぽん叩くだけだったので、さすがの駒田もお開きにした。どうも彼は栄人が側にいて何か話しているという事に夢中で放す内容については右耳から入って左耳から出ているようだ。




 ダニエルに同じ質問をすると、さすがにすぐに話してくれた。




「ああバスカビルね。彼は後方に送ったよ。」




「俺は?…一緒に連れて行って、収容所に送ったほうがよかったんじゃないの?」




「そんなに捕虜生活に甘んじたいのかちみは。」




 ふと、昨日話かけてきた兵士が会話に首を突っ込んできた。アイザックと呼ばれた男だった。


 彼のほうがずっと側にいるダニエルより、事情を知っているかもしれない。




「甘んじたいわけじゃないけどさ、でもそういうものなんじゃないの?」




「まあ確かに栄人の収容所は下手な会社の社宅よりいいらしいけどな。いつもなんでだろうと思ってたけど、昨日やっと理由が判明したわ。それに手際がいいから働かせると便利らしいし。」




「むきゅ。捕虜は働かないといけないんですか…」




「むきゅ…何をすると思ってたんですかい…?…」




「捕虜してるんだと思ってました。」




 アイザックは微笑みながら駒田の頭を軽く叩いた。


 つくづくスキンシップが好きな人種だと駒田は思った。




「…良い待遇してくれるなら、別にわざわざ連れまわさなくったっていいじゃない…俺を共だって、何か良い事があるの?」




「人質になる。」




 随分あっさり言うので、駒田は何も言い返せなかった。


 だが、人質という割に大切に扱ってくれるので、逃げたいとも思わなかったし、嫌な気分にもならなかった。むしろ人間味のあるアリ人のほうが、好きになった。


 記憶が無い今、ただの同族である栄人よりは助けてくれた恩あるこの気のいいアリ人たちのほうが頼りになる気がした。




「…人質になるという事は、栄人と接触するって事?」




「そうかもしんないし、そうではないかもしんない。捕らえた奴の話ではこの先にある小さな集落があって、そこに反体制派が潜んでいるそうだ。奴等の目的は追い詰められた栄人の援護。奴等はアリ人でありながら会った事も無い栄人を好いているんだよ。だから、仲間のアリ人を人質に取るよりは、栄人を出したほうが効果が高いはずだ。無謀ともいえる収容所の襲撃を何度もしたりしている結構過激な連中なんだよ。同朋であるアリ人が何人も死んだって涙すら浮かべないのに、収容所の内部のありもしない『拷問』の内容を書いたびらをまいて泣いて訴えるよーな奴だしな。奴等が言うには栄人は元々は温和で素朴で謙虚な民族であって、ユニ人に唆されなければ何もしない平和的な人間だったんだとさ。」




「ええこというね。」




「そう思うお前ものん気で良い奴だよ。俺が栄人だったらそんな連中たたっきってやりてぇな。」




 ダニエルは無言でアイザックを肘で小突いた。


 これ以上の暴言はやめろ、という意味らしい。


 刺激的なことを言って諍いが起こることを彼は恐れていた。




 それでも、アイザックは続ける。




「『栄人は素朴で温和な民族』だと決め付けられちゃたまんねぇよ。そんなもん、『そうあれ』と逆説的に強制しているようなもんじゃないか。俺はそんな独善的なレジスタンスの連中は嫌いだ。…だが、親兄弟を殺した無慈悲で冷酷な蟻どもも嫌いだ。」




「もうやめろアイザック。おしゃべりが過ぎるぞ。…今はこんな事を話しているときじゃない。」




 止まらないアイザックの批判を見かねて、ダニエルは駒田を庇う様にアイザックを制した。


 だが、露骨に栄人は嫌いだといわれても、何故だか駒田は不快にはならなかった。


 言われても仕方の無い話だと、諦めていた為だろうか。




 栄人は嫌いという中に、それでも何か好意的なものを感じたからかもしれない。




「…アイザックさん。あんたはええ人だ。」




 批判されたのに、笑顔でそんな酔狂じみた事を言ってのけた駒田を見て、ダニエルは面食らった。


 アイザックも驚いてはいたが、同じ様に笑った。




「どうも。俺は栄人は嫌いだが…お前は好きだ。何もしなければお前は死なない。俺が保証するよ。」




 アイザックは笑いながら、駒田の頭を軽く叩いた。


 駒田の頭にとまっていたバガボンドが、慌ててアイザックの急襲を避けると、アイザックの頭にとまった。


 滅多に駒田以外の人間にとまらない虫がとまったので、アイザックは見えない虫を見るように上目遣いになりながら言った。




「…今日はきっと良い事がありそうだ。」






─────






 ふと、一団に動きがあった。




 二人の兵士がこちらに向かって歩いてきた。




「バスカビルが潜伏どころの騒ぎじゃありませんよ。…大胆にもY国兵が占拠してます。感づかれたのを知って派手に打って出る気ですよ多分。こんな大自然の脅威を越えてきたってのにどっから入手したんだかそれなりの装備をしているようです。これもバスカビルの手引きってやつのおかげなんでしょうかね…」




「むふぅ…」




「とはいえこうした集落を一個二個つついてやればどんなにバスカビルが手引きしようが逃げると思いますよ。ミイラ取りがミイラになっちゃ意味ないってことくらいは分かっているようですからね。『過去の戦場』と捉えられてやや手薄になっていたからこそこういう風に出てきたわけでしょうから、また武力が集結していると気づけば無理と判断するでしょう。…最も、糟人が司令官じゃなければの話ですがね。まあ何というか…見るからに『準備中』に気づいた時点で我々が勝ったんでしょうね。」




「むふぅん」




 駒田が複雑そうな目をして話を聞いているのを見たダニエルは、駒田を集団の輪から引っ張り出した。




 彼の仲間の救出劇を台無しにする作戦なのだ。


 いくら記憶が無いといえど、聞いていたら身にしみるだろう。




 自分達に懐いているのはわかるが、それでも同胞の作戦を打ち砕く話というのは胸に痛むらしい。


 どことなく悲しげな顔をしていた。




 それこそ小動物のようなつぶらな瞳をしてこちらを見るので、居たたまれない。




 ダニエルはあやすように駒田の体を後ろから抱きかかえると、ぐるぐると回転した。


 ダニエルに振り回される駒田の足は宙に浮いた。

 おほほおほほと笑う駒田は大層喜んでいるようだった。




 無言でひたすら回転するダニエルと駒田を遠目で見ながら作戦の話を進めていたアイザック達は思わず話を脱線させた。




「ところでダニエルは何をやってるんですか…」




「みりゃ分かるだろう。駒田をあやしているのさ。あれでいて結構大変なんだ。」




「ああ何か分かる気がする。」




「あれ見てると何か構いたくなるよね。一人にさせといたら集団の真ん中に配置しても迷子になってそうなバカっぽさが随時漂ってるし。」




 重心が狂って駒田の足が木にぶつかった。


 拍子にひっくり返っていた。


 それでもおほほおほほと駒田は笑い続けていた。よほどうけたらしい。




 兵士たちは何故だかすさんだ心が慰められた様な気がした。






─────






 一団は問題の集落に到着した。




 物陰からそっと見るだけでも、たしかに背の低い独特の背格好の浅黒い肌の兵士が見える。


 確かに同朋なのだが、何故か恐怖を感じた。


 純粋な恐怖。


 駒田は、それが何故かよく分からなかったが、無性に寒気が続いたのだけは分かった。




「どうしましょう?」




「…うまく交渉して帰ってもらう…なんてのは、流石に虫が良すぎるか。…できれば、こいつを祖国に帰してやりたいんだけどな…。」




 アイザックの言葉に、駒田は動揺した。


 自分でも良く分からないが、アイザックのいう事に言いようのない恐怖を感じた。


 思わず声をあげて、アイザックの服を掴んだ。




「いやーやめてー!ずっと捕虜でいい、収容所で酷い仕打ちを受けてもいい、だから帰すなんていわないで!」




 今まで大人しかった捕虜が、妙な事に反応して暴れ出した事に、一同が驚く。


 敵に気付かれるわけにもいかないので、アイザックは帰りたくないと叫び訴える駒田の口を塞いで、抱き込むように押さえつけて身動きを封じた。




 予想外の事に、ダニエルが不思議そうに言う。




「帰りたくない…?だって君は、Y国の人間じゃないか。」




「何か妙に懐かれちまったらしいな…敵に懐くなんて変な奴だこと。お供も変な虫だし、どうにも常識を覆す存在だな。」




「…それとも何か別の理由があるんだろうか。そもそも発見したときから、既に様子がおかしかったもの。」




 空の人間が、たった一人で森の中にいた事自体、変な話だった。


 ふと、別の兵士が口を開く。




「もしかすると、脱走兵かも。そうたくさんいるわけではないんですが、そういう事例がちょくちょく見受けられるそうですよ。」




「…そんなバカな。単身でここまで来る事自体無理があるぞ。こいつみたいに自力で自由に空を飛ぶならまだしも。」




 アイザックはそう反論しつつ、自分の頭を軽く叩いた。


 バガボンドが反応して飛び跳ねるようにして頭から離れたが、またすぐに着地した。




 塞いでいた手が離れたところで、駒田はここぞとばかりに言った。




「もう言っちゃうけど俺は国境付近の邊林基地にいたんだ。でももう戦うのが嫌だったから同志と共に脱走したんです。他の奴は皆死んじゃったけど、俺はその変な虫のあとをついていったら運良く山を下りる事が出来たんです。で、森で迷って途方に暮れている時にあんた達と遭遇したって訳です。だから、もう帰りたくないよう…帰ったって逆賊扱いされて処刑されるか酷い目にあうもの。あんた達には協力するけど、頼むから帰すなんていわないで…」




 よくもまあここまで嘘をつけたものだ、と駒田は自分自身に驚いた。


 だが、本当の事を話すよりは信憑性のある嘘だった。




 仮にあの集落を占拠しているY国兵が人質である自分の身柄を確保して撤退する事を承諾すれば、自分はさっき自分が言った通りになるか、斥候と勘違いされてやっぱり殺されかねない。普通に受け入れられたって、結局また戦場に放り出されて死んでしまうのが落ちだ。




 だったら、このまま同盟軍の元にいたほうがいい。




 それに、彼等は敵とは思えない程人の良い兵士たちだった。


 出来るならずっと一緒にいたかった。




 だからこそ、なおさら帰るのが嫌だった。




 だが、事実より真実味を帯びた嘘であるにも拘らず、兵士たちの目は不信に満ちていた。




「…信じてくれないの?そうだね…駒田(捕虜)だものね……駒田なんて…駒田なんて…」




「というか…そんな平凡な理屈でもなさそうなんですけどねぇ、君の場合。…どうする?」




 ダニエルはアイザックに目をうつす。


 アイザックは、暫く考えていたが、決心したように言った。




「お前等は裏から行け。俺が表から行く。」




「…大丈夫?」




「多分ね。こいつがいれば大丈夫な気がする。Y国兵はユニのくそったれどもの手先のK国兵どもとも違っていくらか話が分かる連中だと聞いたことがある。初期の頃の話だったかなぁ、追い詰められて負け確実と推測される状態になったとき降参するからせめて自分達を見逃してくれって頼んでみたらほんとに話に応じてその戦闘で得た捕虜も解放して全員逃がしてくれたって話も聞いたことがある位だ。ただし取られた陣地は未だに奪回できずにY国側に取られたままだがね。」




「まあ。そんな由緒正しいとこがあるんですか。」




「恵那部のことだね…かつてあそこはエナビアというR国側の領域だったんだよ…その当時はシトの魔の手からルツの地を一つ解放したってえらい喜んでたそうだけど、君知らないの?」




「…記憶が無いの…」




「…そうだったね…ごめんよ…」




「…そうじゃなくてそんな古代の話元から記憶に無いの…駒田歴史の話はとても苦手なのです…」




「……古いったってそこまで古くないよ…ちゃんと時事に耳を傾けとこうよ…」




「構成する隊の全員が糟人兵じゃない事を祈るしかないが…一人でも栄人兵が混じっていれば間違いなくそいつが長だ。そいつに掛け合えば何とか話を聞いてくれるかもしれない。お前を返す条件にお引取り下さいって言えば分かってくれる…といいなぁ…ちょっと向こうに対する得が少なすぎるから危うい賭けだけど…もう一人二人捕虜がいれば何とかなったかもしれないけどなぁ…」




「むきー帰さなくていいってばー」




 駒田が反論すると、再度口を塞がれてしまった。


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