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第一話 目覚めればそこは海 〜天国の鍵を秘める夢の聖者 ・1

 風と、小波の音が聞こえる。




 太陽の光が、暖かいのは分かった。




 だが、体が水っぽかった。


 温かいようで、冷たい。


 何より、色々な意味で体が重たかった。




 小波の音に混じって、変な声が聞こえてきた。


 大人なのか子供なのか、男なのか女なのか。


 なんとも特定しがたい、聞き覚えの無い声だったが、妙に懐かしささえ感じた。




 その声は、自分に対して何かを即していた。




「いい加減目を覚ませ王子!今度こそ殺されるぞ!」




 物騒な物言いだ。




 よく分からないが、切羽詰っている事は間違いないので、目をあけた。


 青空が広がっていた。遠くにうっすら雲が見えた。




 重い体を起こすと、そこは海岸だった。


 美しいというより、殺風景な印象さえ受けた。そんな、静かで、何も無い海岸。


 遥か向こうに、うっそうと茂る森が見える。


 その木々のざわめきが、波の音に混じってここまで聞こえてきた。




 よくよく見れば、自分は体半分が海の中だった。


 波を受けて、全身ずぶぬれだった。


 流れ着いたのだろうか?


 自分のことだが、理解が出来なかった。




 何より、さっきの声の主がいない。




 人は、自分だけだ。


 ここにいる人間は、少なくとも自分ひとりだった。




「…誰かいるのか?」




「早くここから立ち去らねば命がもたん!ここはロムの海岸じゃぞ!」




「ロム?」




「RとYの国境付近の海岸じゃ!…同盟軍に見つかればその場で射殺されてしまうぞ!とにかく、ここから逃げるんじゃ!」




「…逃げるとゆわれても…どこへ?」




 頭がむれてきたので、帽子の顎当てを外した。




 すると、上から虫が落ちてきた。いや、飛んできた。


 その虫は腕に止まった。




 その虫は、見たことも無いトンボだった。


 何トンボだろう…と目を凝らしていると、そのトンボが喋った。




「とりあえず、あの森に隠れよう。あの森の中も、危険である事には変わりないがの…」




 さっきの声だった。


 虫が喋るとはどういうことだろう。




「おもろいトンボだ…今日はいい夢を見た。でもどんな啓示なんだ?喋るトンボの夢って…」




「夢ではないわ!さあ行くぞ!」




 トンボはまるでこづくように、顔に体当たりした。


 といっても、何かが当たった程度の感触だったが。


 それでも、現実味が感じられた。




 トンボは体当たりしたあと、そのまま森のほうへ飛んでいった。




 重い体を起こして、トンボのあとを付いて行った。






─────






 トンボに即されるように原生林の中に入ったが、泥が靴について、妙に重たかった。


 このままずぶぬれのまま歩き回るわけにもいかない。




 とりあえず、トンボに言ってみる事にした。




 何しろ、喋るトンボだ。


 無茶な注文でも、叶えてくれそうだ。




「…トンボ…服乾かして。」




「そんなもの、自分で何とかせい。」




「出来ないから言ってるんだよ。ていうか、そもそも何で俺はあそこにいたんだ?…何してたんだっけ?」




 よく考えれば、自分の過去がよく思い出せなかった。


 名前も思い出せない有様だった。


 記憶喪失、でもないのだが…もう少しで思い出せる一歩手前の、どうにももどかしい状態であるのだが、何故だか気分が無駄に空回りしているような、そんな焦りともつかないものが過去を思い出すことを拒んでいるようだった。




 考えれば考えるほど、自分がミステリアスな存在に思えてきた。




 丁度座るのに良い具合の倒れた老木を見つけたので、そこに腰掛けた。


 腕と足を組んで、顎を指ではじきながら、気分を落ち着けようとした。




 膝にトンボが止まった。




「色々ありすぎて混乱しておるようじゃの。まあ、仕方ない話じゃ。」




「喋るトンボが目の前に現れただけでも普通びびると思うけど。」




「と言う割に、結構落ち着いておるじゃないか。もっと驚くかと思ったのじゃがの。悲鳴でもあげられるんじゃないかと思ってあまり姿をみせんようにしたんじゃが。」




 羽を閉じたり開いたりしながら、トンボは言う。


 そういわれればそうだな、と我ながら思った。


 普通ならもっと、派手な驚き方一つするものだろう。何しろ、虫が喋っているのだ。


 だが、今さら驚くわけにもいかない。


 驚きより、喋り相手がいるということで気分的に心強かった。…虫でも。




 口を聞くという事は、固有名詞があるのだろうか。




「…トンボ。お前には名前があるの?」




「バガボンドという。」




「バカトンボ…おもろい名前だね。」




「…屈託の無い笑みを浮かべて言われると返す言葉が無いではないか…どうにも肝が据わった奴だと思っていたが、お前は肝が据わっているんじゃなくて単にぼけとるだけか…この先苦労しそうじゃのう…」




 虫がため息をつくところを初めて見た。


 暫く笑っていたが、ふと同じ様にため息を付く。




「…で、俺は何者なんだっけ?」




「さあのう?まあ、今は頭と心が追いついていないだけで、落ち着けば思い出すじゃろ。…服を乾かして、少し休もう。全てはそれからじゃ。」




「…ここで服を脱げって?」




「頭の中で、乾いたときのお前の姿を描くのじゃ。そうすれば、乾く。」




 そんな非現実な芸当が出来るのだろうか。


 だが、最も非現実的なものが言うのだから、できてしまうのだろう。




 自分の姿を思い出すことすらままならないが、とりあえず人間を思い出す。


 乾いた服を着た男を思い描く。


 何だか適当すぎて、白い丸い襟のシャツと、ステテコをはいた、仁王立ちする男を思い描いていたが、まあ、きっと大丈夫だろう。




 それでも、体は冷たく重かった。


 きっと想像が足りないのだ。




 早く乾くように願う。




 てりつける青空の元、白い襟のシャツとステテコをはいた仁王立ちする男が、洗濯竿に釣られて笑う。


 熱いくらいの春の南風がドライヤーのように男を吹き、乾かす。


 風に混じって、干物の匂いが漂う。




「…おい、何を想像しているんじゃ?!」




 バガボンドが頭上でどなった。




 我に返ると、自分は、生暖かい、干物の匂い漂う南風に吹かれていた。


 後ろで、白い襟のシャツとステテコをはいた仁王立ちする謎の男が、洗濯竿につられて笑っていた。




「わははははおもろい〜想像したとおりの人が笑ってる〜」




「どんなもんを想像しとったんじゃお前は…」






─────






 生暖かい干物の匂い漂う南風に吹かれて、服がすっかり乾いた。


 気が付くと、男はいなくなっていた。




 風がやんだので、バガボンドは頭から元いた膝に戻ってきた。




「やれやれ、とんでもないもんを想像する男じゃの…」




「…ていうか今の何?」




「お前の魔法じゃよ。」




 魔法。


 だが、驚く事も無い。目の前に驚愕すべき存在がいるのだ。


 その驚愕すべき存在が、現実を超越した事を言っているのだから、まあ、そうなのだろう。




「へえ…魔法か。」




「…お前は本当に動じない奴じゃの。普通、何ですって?!とか、そんなバカな?!とか、もっともなリアクション返さんか?」




「今さらそんなことゆわれても。でも何で魔法なんて使えるんだろう…俺は元々魔法使いだったのかしら…」




「そうではない。その力は夢の妖精のものじゃ。想像する物を現実にする事が出来る、夢の魔法。だが、お前は元々はただの人間じゃよ。」




「夢の妖精…想像を現実に…そんな愉快なファンタシーが俺の知らぬ間に…口惜しい!」




「驚きどころがちと違う気がしないでもないが…それにお前は覚えているはずじゃよ。ただ、少し気が動転していて思い出せぬだけ。…ここで一日休めば、気分も落ち着いて思い出せるじゃろ。魔法で安全地帯を作るのじゃ。…変な想像はせぬようにな。魔法は精神を集中させる故に、なれないうちは酷く疲れる。無駄に体力を使ってはならぬぞ。」




 安全地帯といわれても。




 安全というからには、外敵から身を守るものなのだろう。




 自分の敵は、何者なのだろう。


 自分という人間がつかめない今、どう安全なものをこさえればいいのか、見当がつかなかった。




 そういえば、さっきバガボンドが言っていた。


 同盟軍に見つかればその場で射殺されてしまう、と。


 同盟軍とは、何者なのだろう。


 多分、同盟軍が、自分に害を及ぼすものなのだろうが、とんと検討がつかない。




 軍というからには、軍隊なのだろう。


 射殺というからには、銃や弓の類を持っている。


 だが、具体的にどういう人間達の集まりなのだろう。


 どんな風貌で、どんな理想を掲げ、何と同盟をしている軍隊なのだろう。


 何故、自分を殺すのだろう。








 と、突然物陰から見覚えの無い人間が数人出てきた。




 彼等は同じ様な軍服を着て、めいめいに銃を持っていた。


 銃口をこちらに向けてはいたが、撃つ事が出来ないほど、彼等は酷く驚いていた。




「何者だお前は?!…何故、空の人間がこんな所にいるんだ?!」




「誰あんたら?もしかして同盟軍の人?丁度良かったー聞きたい事があったんだよー。」




 立ち上がって兵士達に手を降ると、バガボンドは頬に体当たりした。




「またお前は余計な事を考えたな?!敵を呼び寄せてどうするんじゃ!」




「てゆーか何で敵なのさ?同じ人間じゃないか。何故殺されなきゃならんの?…それをききたかったんだよ。」




 バガボンドの制止をきかずに、丸腰のまま兵士に向かって歩いていった。


 むしろ、兵士のほうが逃げ腰になった。


 それもそうだろう。




「近づくな!」




「そう怒んないでよう。俺は聞きたい事があるんだよ。俺は何者?ていうか、あんた達は何で俺に銃を向ける?そもそもここはどこさ?何であんた達はこんな所に銃を持ってうろついているんだ?」




 突飛な質問をされて、兵士は面食らった。


 質問の内容が『当たり前』すぎて、暫く誰も答えられなかった。




 暫くの無言の後、兵士の一人が口を開いた。


 『敵』に対してにしては、妙に優しい口調だった。




「…そりゃ、お前が敵だから銃をむけてるんだよ。お前はY国兵だろう?その風貌はどう見たって栄人だ。オレ達の敵である事は間違いない。間違いないんだけど…空の兵士が何で陸にいるんだ?ここらで墜落した形跡はないぞ?」




「敵敵って、理由になっていないじゃないか。何故俺は敵なのさ?俺は何もしてないぞ。それに俺は空の人間なのか?この近くで墜落してないんだったら何で俺はここにいるんだ?」




 問答に答えていた兵士が、ふと構えを解いた。


 銃は手放さなかったが、構えを説いたまま近づいてきた。


 仲間が制止するが、すぐ側まで近づいてきた。




 その顔には、殺気らしいものはみなぎっていなかったが、とにかく不信そうだった。




 暫くこちらを見ていたが、手が届くところまで近づくと、ふと体に触れた。


 手を上げて暫くされるままにしていると、兵士は後ろにいた仲間に言った。




「…こいつ戦う気はなさそうだぞ。武器を一つも携帯してない。」




「それでもY国兵じゃないか!汚らわしい栄人の一人だ!敵であることには変わりない!」




「だが抵抗もしない。本当に、戦う気がないらしい。…彼も人間じゃないか。殺すのは忍びない。捕虜にしたらどうだろう?」




「そんな正体不明の奴をか?冗談じゃない!いつか必ず牙を剥くぞ!」




「だからこそ今のうちに捕らえておくのさ。…いいな?」




 視線をこちらに戻して、銃を持つ手に力を入れた。


 逆らう事は出来ないという意味だろうが、今はそのほうが良かった。




「捕虜でも何でもいいよ。俺は、俺が理解できるようになるまで、誰かに連れられていたほうがいいみたい…」




「賢い選択だ。投降すれば悪いようにはしない。今のうちに妥協したほうが命を無駄にする事はない。どのみちお前等は負けるんだ。」




 そういうことはよく分からなかったが、とりあえず危害を加えないという事は分かった。




 混乱していると、相手が誰であれ、人が側にいるだけで安心できる。


 特に今までが今までだった。


 自分自身も良く分からない有様だったから、なお不安だった。




 兵士に即されるように腕をつかまれたとき、捕虜になったというのに、今までどこかで張り詰めていたものがほぐれた。






─────






 ふと、誰かが言う。




「目覚めよ。お前は、見る権利がある。目覚めるのだ、息子よ。」




 顔を上げると、そこは、神々しい程のまばゆい宮殿のようなところだった。


 後ろを見ると、柱の向こうから青い空が見える。だが、風一つ入ってこない。


 天を仰ぐと、ここは部屋の中なのかと疑う程の高さだった。


 天井が、見えない。代わりに、淡い光で真っ白だった。


 床も、発光していると思わんばかりのまばゆいほどの白い石で出来ていたが、石のくせに堅くも無く冷たくも無かった。


 何時間と座っていても、きっと痛くないだろう。


 しかし、何故そんな所にいるのかが、分からなかった。




 正面を見ると、遠くに見ても鮮やかに見える美しい玉座に、見たことも無いものが座っていた。


 その堂々たる姿は、只者ではない事はわかるが、顔が見えなかった。


 何しろ、顔が光り輝いていて、言い方が悪いが、まるで電球のようだった。


 そこからして既に只者ではない。




 ひざまづいていた体を起こして、その光る人に声をかける。




「あんた誰だ?ここはどこ?」




「私は夢の王。万物にひと時の安らぎを与えて、死を迎えたものたちを迎え入れる役目をもつ。死ぬ前に、人は夢を見るからの。三途の川は、何か人間が水辺が好きらしいので、作ってみたら大好評。今では観光スポットで、死んでも無いのまでちょくちょく見に来る。で、ここは私の家。」




「…まさかあんた、神様ってやつですか?」




「皆そう呼ぶ。そんなたいそれたものじゃないんだがなぁ。人に楽しい夢を見せる妖精さんとでも言ったほうがいいんだけど。」




「神様って事は、俺はどうなったんだ?!」




「撃墜されて、墜落して死んだよ。海に落ちて、体も何も燃え尽きて。所謂名誉の戦死ってやつ?」




 目の前の電球頭ではなく、後ろから、子供のような声が聞こえた。




 見ると、小さな子供のような、変な着飾り方をした少年が立っていた。


 可愛らしかったが、素直な優しい少年には見えなかった。


 どこか、くせのある笑みを浮かべていた。




 はじめてみるが、どこかで見た事がある少年だった。




 驚いてただ無言で見つめていると、その少年は軽く手を上げて挨拶した。




「どうも〜あの電球の息子です。改めまして、はじめましてなのかな?オレは特にはじめましてってカンジはしないけど。」




「…ということは、君は王子様…?ていうか、俺もあんたを見るのは初めてじゃない気がする…」




「それはそうだろう。お前は何度もここで息子に出会って、息子を現実の世に連れて行った張本人なのだから。」




 思いもよらぬ事を、夢の王に言われた。


 王子を現実に連れて行ったとはどういうことだろう。


 何より、ここに何度も来た覚えなど無い。




「どういう事?俺はあの世とこの世を行き来出来るよーな力なんて持ってない。」




「ここはあの世じゃない。あくまでも、夢の世界だ。お前は、寝る時に何度もここに来た。そして遊んだのだよ、息子と。初めてではないと思うのは、実際何度もあっているからだ。」




「そういえば、こーゆートンキチなかっこの子供と、遊んだ記憶があるような?…あれは皆夢だったのか。」




「人は皆そいつと遊んで、夢の中で安らいでいく。だが、ほとんどの奴は、大きくなると存在を忘れてしまう。仕方の無い話だし、当たり前の話でもある。…大きくなっても、息子と遊んでくれたのは、お前ただ一人だ。時々外に連れ出して、子供に見せていただろう?」




 そんな人攫いのような事はした覚えなど無い。


 首をひねっていると、王子が答えた。




「お前、何か物語とか、絵を書くの好きだったろう?お前は気が付かないうちにオレを書いてたんだ。話をひねっていたんじゃなくて、夢の中で見たものを、スケッチしてたのさ。実体の無いオレ達夢の妖精にとっては、それが『おでかけ』なんだよ。」




 確かに話を作ったり、絵を書くのは好きだった。


 徴兵されるまでは、年の離れた弟や妹に本を作っては見せてやった。


 ノートのあまりもので作った、実に粗末なものだったが、喜んでくれた。


 近所の子供達も、作った本を読んでは続きをせがんできた。




 まさか、それが夢の世界を書いたものだったとは。




「…俺の才能じゃなくて、ただの夢の写しだったって事か。ちょっとがっかり。」




「人はそれを『インスピレーション』という。神の与えたもうた究極の閃き、と誰かが言っていたな。それを感じ、そのひらめきのままに筆を振るった連中の絵や詩は、後世まで残る一品として残っている。夢を現実に持っていく事自体、もはや才能なのだよ。お前は、生まれながらに作家の才能を持っているという事だ。…ただ、生まれた時代が悪かった。」




 表情は分からないが、実に残念そうである事は分かる。


 夢の王は、姿勢を少し変えながら、さらに付け加えた。




「お前は戦中に生まれたために、本来持つべき筆の代わりに銃を持たされることになった。夢を見ようにも、時代がそれを拒む。息子が寂しがっていたから、何事かと思って見てみれば、お前は兵士になって夢を見る暇も与えられない有様だった。お前は訓練に明け暮れ、夢を見る事も無く、死んだ。…だから、ここに連れてきたのだ。」




「やっぱり死んだんですか、俺は。」




「少なくとも体はぼろぼろになって海で漂っている。」




 死んだといわれれば、なんとも複雑な気分になる。


 そういえば、確かに自分は戦闘機に乗っていたはずだった。




 だが、意外と悲しくは無かった。




「…もう、戦わなくてもいいんだね。」




「ここに来るお前のような奴は、皆そう言って喜ぶ。死ほど悲しい事はないというのに。よほど酷い苦痛を味わって生きていたのだろうな。惨い話だ…」




「でも、これで夢を見続けられる。俺はその方がいい。」




 そういうと、王の光が少し陰ったような気がした。


 何かまずい事を、言ったような気がした。




「…ここにいちゃ駄目なんですか?」




「ここはあくまでも夢の世界。死後ここに人が来るのは現実の世界に未練があるからだ。未練を吹っ切る為にここに来て、精一杯最期の夢を見る。…そして、未練の消えた人間は、ここから消えてしまうのだよ。永遠にな。その時こそ、本当の意味での死亡だ。私達は、魂の安らぎを助けるためにいるのであって、お前達を永遠の世界に導く存在ではない。さっきから、私は神じゃないといっているだろう?そういう意味なのさ。…お前もここにずっといれば、やがて消滅してしまう。…ここは天国ではない。夢なのだ。」




「じゃあどうしろっていうの?…いちゃいけない、でも死んだ。俺にどうしろっていうんだ!」




 戦わなくても良い事は喜ばしい。


 だが、死んだという事実を受け入れ切れなかった。


 受け入れようとしても、王達がこうでは受け入れようが無い。


 これでは魂の安らぎの話ではなくなってしまう。




 王は、苛立つその姿を見て、陰っていた光を元に戻した。


 まるで、そういう反応を待っていたようだった。




「私は、お前にもう少し生きていて欲しいと思う。息子はお前が好きだが、私もお前が好きだ。このまま若くして殺すのはあまりにも惜しいと思うのだ。…お前の行く末を、もっと見ていたい。」




「…でも、あんたは神様でもないんでしょ?」




「いかにも。私は神ではないから、お前を生き返すことは叶わん。…だが、生まれ変わらせる事なら何とか出来る。」








 生まれ変わる。


 自分以外のものに変わってしまうのであれば、意味が無い気がする。




 すると、王子が服の裾を引っ張った。




「お前の朽ち果てて海に漂ってる体を、そのまま蘇らせる事は無理だ。だけど、夢の妖精の体に魂を入れると、暫く実体を持っていたという実績と、生きるという事に執着心を持った人間の魂が勝って、妖精はその人間に『生まれ変わる』事が出来るんだよ。」




「…そんなことしたら、つまり、………妖精が死ぬって事じゃないか!」




「そうでもないんだな〜半分人間で、半分妖精。人間のものじゃない力がどうしても残る。元々人格も何も持たない妖精は、生きているとかいうレベルのものじゃないんだ。よく思い出してみろ、妖精は皆へらへらと笑って動いているけど、生き物じゃない。生きている生物になる事で、初めて生を持つ。たとえ半分でも、現実の世に生きるという事は、夢の中の存在でしかない、実体の無い妖精にとっては名誉なことなのさ。願ってもいないチャンスなんだよ。」




「言ってる意味がようわからないよ…だって、それでも、人間になってしまえば考える事も自分で動く事も出来なくなるんだろう?死んだも同然じゃないか。」




「オレ達は、見ているだけでも生きている事になるのさ。お前の目を通して、世界を見る。それだけでも夢の妖精にとっては生きている証なんだ。それに、お前が人生を全うして再びここに戻ってきたとき、妖精はまた元の姿になる。まあ、価値観の違いさ。そんな気にする事ないよ。」




 王子はのん気に言った。




 価値観の違い。確かにそうかもしれない。


 だが、生き返ったところで何をしろというのだろう。


 また、戦えというのだろうか。


 それだけは御免だった。




「…生き返って、何をしろというの?」




 王は、足を組むと玉座に肘をついた。




「…さあな?」




「戦うのはもう嫌だ。生き返ったら、また軍に従事しなきゃならなくなる。…それだけは嫌だ。」




「ならば、軍に帰らなければいい。生きることに意味がないから、価値がある。生き返った後は、お前がやりたい事をやればいい。私が命令する道理はない。」




「そんなの無責任じゃないか。この手の生き返しには何か裏があるんだろう?そうじゃなきゃ変だ。…てゆーか、そうじゃないとちょっと困る。」




 そういわれても、困る。


 王は、そう言いたげに光った。




 暫く王は目的らしいものを考えていたが、ふと考えがまとまったらしく、姿勢を改めた。




「ならば一つ頼もうか。」




「もったいぶんなよ神、さあ何だ?」




「私の娘が現実世界から帰ってこない。あいつは人間が好きでな、勝手に色々なものに転生して、長いことずっと現実世界におるんだ。そういう妖精は意外とおるんだが…まあ、そういうなら私のじゃじゃ馬娘をこちらに引き戻して欲しい。たまには顔を見せろとな。」




 人探しならぬ妖精探しらしい。


 もっとすごい事かと思ったが、本当に今思いついた程度の小さな『裏』だった。




「…そんだけ?帰郷せよ王女、親が寂しがっているの巻…」




「まあ、いいではないか。それに現実世界で妖精を探すのは一苦労だぞ。何より、世の中がえらいことになっている。こんな状態でうろつくのは危険が伴う。…身を守るために、一ついいものを貸してあげよう。」




 王が手をかざすと、光と共に、一振りの剣が出てきた。


 切っ先は、まるで光の筋そのもののようにまばゆいものだった。




 それを王直々に手渡された。




 まるで空気のように軽いものだった。


 何度か持った事がある銃とは大違いだった。




「これはプレスタージョンの剣というもんだ。私がまだ若かったころ、お前のように夢を見る大人がここに来た。その男は私の体を使って現世に転生して、祖国の危機を救った。…今では、アリ人の知る御伽噺の存在になってしまったがな。国に危機が訪れたとき、プレスタージョンという名の光り輝く戦士が現れる。彼はアリ人の聖人…御伽噺としても聖書の中でも、救世主として今でも信じられている。お前の敵がアリ人なら、これを見せればお前に友好的になってくれるはずだ。」




「おひゃ…何か、持っているだけで勇者な気分になるね…」




「これは人の身を切るのではなく、良心を切る。良心を切られると、戦う気力を失う。何より、持っているだけで心が落ち着く。身を守る手段にもなるかもしれん。とりあえず、落とさないようにズボンにくっ付けておこう。」




 王は、輝く切っ先の聖剣の柄の部分をみすぼらしい紐で結ぶ。




「ひも付き聖剣…何かかっこわるいよ…何ていうか、盗まれないようにたこ糸で結んだブランドの財布みたいな…」




「まあ、無くすよりはマシだろうに。さあ後ろ向いた。」




 渋々背中を向けると、ベルトにくくりつけられた挙句、尻のポケットに突っ込まれた。


 あれほどの長剣が、小さなポケットにすっぽり収まってしまった。


 今までハンカチすら入れたことの無い、まるで飾りのようなポケットに。




 聖剣をポケットに突っ込み終えると、王は青い空の見える出口を指差す。




「…さあ、あとはここから出て行くだけ。…良い夢を見ろ、我が息子達よ。お前は、見る権利がある。乱世を生きれば、その分、反動的に美しい理想と夢を持つ。お前は生きて、夢を見るべきだ。」




「有難うとはいわないけど、まあ、王女様をがんばって探してみるよ。」






─────






 夢の王の宮殿から出て王子に道案内されながら立派な船に乗り込んだ。


 フェリー船の様な、なかなかに近代的なフォームの大きな船だった。


 船には、自分と王子の二人しか乗っていなかった。




 揺れる事無く、風と水を切る音だけが聞こえた。




 遠目から見ても光り輝く宮殿とまるで絵本から出てきたような美しい赤茶色の屋根が連なる町を見ながら、王子が言う。




「夢は、永遠に見てたらつまらんよ。」




「何故?おもろそうじゃないの。」




「永遠の不変と平和を約束された天国に召された人間が地獄に思いをはせるって話を、どっかで聞いた事がある。…平和が続くと、平和ボケになって、危険で血生臭いものにおっかなびっくり興味がわくのは当然の話だと思う。永遠につづく楽しい夢なんて、ないんだよ。夢は時々見るから楽しく感じるのさ。親父は未練が無くなったらいなくなるっていってたけど、楽しい夢に飽きた奴は、無に帰るんだ。夢から覚めてね。…覚めて、初めて楽しかったと思うもんだよ、夢ってのは。」




 何だか、悟りを開いたような口を利く子供だ。


 だが、相手は妖精なのだ。子供の風貌をしていても、きっと自分よりも相当長く生きているのだろう。




「君のいう事はむつかしくてよう分からんよ。」




「大人のくせにのーたりんだなぁ。…オレもやっと長い夢の世界から出られるんだなぁと思ってね。」




「…君はここの妖精じゃないか。ていうか、出るって…?」




 王子はこちらをむくと、にやりと笑った。




「お前に転生する夢の妖精は、オレだ。オレは生まれてこの方いっぺんも外に出た事が無い。いくら夢の存在っつったって、不変の夢の世界は飽きるぞ。だから姉貴は帰ってこないし、他の連中も外に行ってる奴がいるんだよ。どんな刺激がまっているか楽しみ。」




「…一瞬で帰りたくなると思うよ。」




「ソレくらいすげぇ世界なのか?!今から胸がどきどきするわ…」




 王子は戦争を何だと思っているのだろう。


 だが、彼等は死なない存在なのだから、その程度の解釈なんだろう。




 それにしても、まさか王子が自分になるとは。


 もっと驚くべきなのだろうが、今は不安でそれどころではなかった。






─────






 船が音も、振動もなく止まった。




 三途の川の向こう側は、今まで自分が生きた現実の世界。


 現実の世界はまるで闇夜のように真っ暗で、何も見えなかった。


 まるで、未来を暗示しているように思えた。




 船から下りると、うらびれた停船場に闇を照らす一本の照明塔が立っていた。


 決して立派とはいえないそれは、船に乗り切れるかどうか分かりかねる量の人々を青白く照らしていた。


 夢の世界とは対照的な、冷たささえ感じる、そう明るいとはいえない照明からうかぶ人々の顔は、酷く明るかった。




 彼等はやっと来た、とばかりに、船に乗り始める。




 髪の色も肌の色も、背格好も、服装も、年も、てんでばらばらであるにも関わらず、皆笑顔だった。


 老人と子供が、目を丸くして船を眺める。


 美しいドレスを着た貴婦人と、ぼろ布を纏った小姓が、楽しそうに話していた。


 現在起こっている戦争勃発以前から犬猿の仲だったアリ人とユニ人が、肩を組んで船を歓迎していた。


 最後の一発だと叫びながら、各国の兵士達が宙に向けて、祝砲を撃った。


 そして銃や武器をかなぐり捨てて、船に乗り込む。




 その中に、一緒に戦地に飛び立った戦友がいた。




 あれだけいた人が、あっという間に船におさまった。


 自分たちをここに運んだときと同じ様に、音も無く、爽快に川を走っていった。






 気が付くと、目から涙が流れていた。




 何で泣いてるんだろう。


 そういおうとしたが、笑い声とも、咽びともつかない声しか出なかった。


 それでも、王子は何を言おうとしていたのかが分かったようだった。


 変に着飾った服の胸のポケットから小さなハンカチを出してこちらによこした。




「…葬式はどんな人間のものでも悲しいもんだろう?それと同じさ。それは哀れみの涙だよ。お前は死んだ人間の行く末を見たのさ。…奴等をうらやましいとは思っちゃいけない。墓を見ながら早く入りたいと願うのと同じ行為だからね。さあ、奴等の分まで生きよう!」






 王子の小さな手が、涙で濡れた手を引いた。




 その小さな手は、無限の力を持って自分を闇に引き込んだ。


 逆らう事も出来ない力を持って。


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