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第二話 聖人、腐敗次元に挑む 〜酒と女を求めて ・4

今更ですがテーマなんて重いモンはありません。

不謹慎と下品と醜さとくだらなさの全てが詰まった展開と、お堅い世界観とは裏腹に北風吹きすさぶギャグ臭い、勇ましさのまるで無い代物です。鼻くそほじくってテケトーに読んでください。

心地よい内容ではないし正義のお耽美物語はそこらにいっぱいあるじゃないですか、ほら。それにそういうのは自分から描きたいとはなから思ってないので今更ですが読む際はお気をつけて〜


内容の良し悪しはともかく現在の目に余る断片のようにとびとびの展開なのは故意なので最初から読むとページが飛んでるように見えますが、潔く諦めてください。

 まことに静かな集落跡。




 『死んだ村』という名前が酷く似つかわしいこの沈黙の集落をザドックは一人散策していた。




 背筋が寒くなるほどの冷気。


 ルツは元々寒帯地方で寒いのは十分分かっている。何しろ生まれも育ちもR国なのだ。一口にアリ人といってもルツ生まれのアリ人は純粋なシト生まれのアリ人ともまた区別されているが、そんな事は今となってはどうでもいい話だ。生まれた土地で扱いやランクが変わるのは何もルツだけに始まったことではない。


 そもそも自分はそういう区分にやかましい人間ではない。




 だが、ルツの冷気に慣れた自分でもこんな寒さは初めて体験したように思える。




 自分だけではない。恐らく他の者もこの冷気を肌に感じたに違いない。


 この寒さを異常と見たからこそアイザックは外に出ることを良しとしなかったのであろう。この寒さに恐れをなしたノアデアも、…ヒラリーはどうだか分からない。




 だが、体は危機的な何かを察しているにもかかわらず、心は酷く興奮していた。




 恐怖で気が立っているというわけではない。


 一言で言えば、これが俗に言う『血湧き肉躍る』というものなのかもしれない。




 何かが起こるのを酷く楽しみにしている自分がいる。




 戦場でも多少似たような感覚を覚えたことがあったが、ドカンバリバリという凄まじい剣幕にその気がすっかり萎えてしまった。敵は世間一般にいわれているほど弱体化していないのだ。司令官と後方支援がしっかりしていれば戦場はスリル満点の楽しい遠足のようなものだと誰かが言っていたが、そんな阿呆みたいなことを口にした奴を叩き殺してやりたかった。


 考えてみれば元々はR国は八方塞で苦戦していたのだ。やっと態勢を整えて、知らぬふりを続けるS国の尻を叩いて動かして何とか反撃を開始したというだけであって、こんな有様の戦いが楽しい遠足ですむはずがない。




 だが、この身が切り裂かれそうなこの沈黙には自身が戸惑うほどに興奮していた。




 何かが起こる。


 きっと何かが起こる。




 敵と戦うという現実的なものではない、何かが。




 これこそ、長年求めていた刺激だった。




 長い間どれだけ待ち焦がれたことか。


 ただ仕事をするだけの平凡な生活にも飽き、戦場の痛々しい現実を見せ付けられ、酷く退屈だった日々が漸く報われたのだ。


 波乱の半生を生きたアイザックが羨ましく思えるほどに退屈だった日々が、漸く。下手をすれば一生身に起きなかったかもしれない得体の知れぬ何かが、今漸く自分の身に降りかかったのだ。




 人はこれを災厄というだろうが、まさにこれを求めていた。






「くそ、どれだけじらすんだよ…早く来てくれよ。早くしないとイっちまいそうだ。」






 確かに何かを感じるが、その何かが一向に起きない事にザドックはいらついた。


 だからこそこうして意味もなく散策しているわけだが。








体を…………………








 歩いていると、不意にそんな声らしいものが聞こえた。




 誰の声ともつかないささやきがあちこちから聞こえる。


 静かだった集落に突如声が聞こえ出す事自体何かがおかしかった。




 人の気配は全くないというのに。




 ザドックは武器を構えることもなく言った。




「誰だ!早く出て来い、俺はお前をずっと待ってたんだぜ!仲良く遊ぼうじゃねーか!」




 それでもさざめく声しか聞こえなかった。






私の体は何処に行った




私は今何処にいて何をしているのだ




嗚呼、何も見えない




何も聞こえない




何も分からない






 暫く辺りを見回していた。


 上に何かいないかと空を見上げたりもしたが、何もなかった。




 ぽこ、という何かがはぜる音が足元から聞こえた。




 足元を見て心臓が飛んだ。






 地面のありとあらゆるところから血の様な液体がぼこぼこと湧き出ているのだ。






 あまりに凄惨な事にさすがにザドックも悲鳴をあげた。




 とはいえ他の兵士のように取り乱す事はなかったあたり、よほどの物好きらしい。


 一戦を交え血の惨劇と化した集落の片付けをしたとき誰しもあまりのえぐさに気分を害し、敵を恨み、怒りを覚えた中、唯一気丈にてきぱきと処理をし、また笑みさえも湛えていた『気違いザドック』。目の色を変えて死体を漁っていた為気が狂ったと思われても仕方ないだろうが、ヒラリーが変にならないまでは気違いの冠は自分の頭上にあったのだ。


 別に血や死体が好きというわけではないが、『異常なもの』が好きなのは自分でも何となく理解していた。


 オカルトなものが好きだったり事故や事件が好きなのもそのせいだ。




 地面からあふれ出る血のような液体を目の当たりにしても、いきなり視界に飛び込んでびっくりしただけで、恐怖心で肝がつぶれるということはなかった。




 同時に肌で悟った。




 これに触れれば死ぬと。




 液が跳ねぬ様につま先を立てて比較的水が溜まっていないところを選びながら飛ぶように走る。靴裏がしっかりしたものである為、上を歩くだけなら無事らしい。




 そのかすかな足跡に辺りの水は集まり、波打ち、一つの波となってザドックを追った。




 体を貸してくれという絶叫に近い悲鳴がとめどなく聞こえる。


 常人なら何事かと思うだろうし、この得体の知れぬ声に恐怖するに違いないが、ザドックは足跡を追う以外の波…それこそ四方八方から血の海に押し寄せられているというのに笑いが止まらなかった。




 ある意味これも恐怖によるものなのかもしれないが、それを上回る何かが彼の中の血を酷くたぎらせているらしい。顔を赤く染めてヒステリックともいえる高笑いをしながら黴に食われて崩れかけた廃屋に向かって走っていった。




 水があふれていない大地を踏むと、彼は漸くスピードを上げた。


 火事場のくそ力ともまた意味合いが違うが、火事の知らせを聞けば消しとめられる前に現場にたどり着き、人身事故と聞けば遺体が処理される前に見に行かねば気がすまない。だから自然と足も人より早くなった。ノアデアから『人の不幸が好物ですって体で語ってるみたいで凄く気分の悪い特技だね』と嫌味を言われたくらいだ。




 そのスピードを保ったまま廃屋まで突っ走る。


 赤い波も同じように勢いを増した。




 廃屋に突撃をかますようにひた走る。




 そしてその勢いを足に踏み込め、廃屋に飛び掛る。


 やや傾いた廃屋の屋根を叩くように引っつかむ。


 体を壁に打ち付ける前に足を体にひきつけ、体重をかけて壁に足を叩きつける。


 壁が壊れなかったのは何という幸運か。




 同時といってもいい瞬間に赤い波が廃屋にどっと押し寄せる。




 しがみついているのが大変な程、廃屋はその衝撃で揺れ続けた。


 ふと下を見やれば、とんでもない量の水が廃屋の壁に叩きつけられ、渦巻いていた。




 自分自身の波に妨害されて上にしがみついている自分を追うことが出来ないらしい。自分で自分をなじりあうような喧騒が血の海の中から聞こえてきた。




 その中に聞き覚えのある声のようなものが聞こえたような気がしたが、そんなものに囚われている場合ではない。


 この隙にザドックは屋根によじ登った。




 壊れかけていただけあって他の家屋より少々低かったが、近くに点々と屋根が連なっている。これを伝えば一応逃げれそうだ。




 とはいえ逃げ切れるとは思えないし、しかし逃げ切れてもつまらない。


 自分の命を考えると逃げなければならないが、このまま一生この得体の知れないものと戯れていても面白そうだとも思う。どちらも捨てられないなぁと『贅沢な』選択に戸惑いつつも、下の喧騒を耳にしつつ助走をつける。




 だが、その喧騒の中に一つ異質なものがあった。






おーいおーい待ってくれー


ちょっと待ってくれよ、俺だよ〜…って、わっかるかな〜


20年以上来の幼馴染を見捨てて逃げるなんてあんまりだろ〜








「……の、ノアデア?」








あーやっと分かってくれたーそうっすよ〜


さっきからゆってるのに聞く耳もちゃしないんだから…






 先ほど耳に入った聞き覚えのある声はどうも彼の声だったらしい。


 意外な声が意外なところから聞こえてきた為、助走をつけたにもかかわらず止まってしまった。それでも戻る事はせずに、一応すぐに脱出できる姿勢を保ったままけたたましい血の海の声の一部に耳を傾ける。





「おい…どこにいるんだ?一体どういうことなんだ?」






それが分かれば俺はこんなことになってませんよ…


俺は一体どこにいるんですか〜


何も見えないし何も聞こえない…


そもそも心臓はどこで脈打ってどこで息してるんでしょうか俺は…


ていうかどこで語ってるんだろうね〜自分でも良くわかんないよー




でもさすがそれこそ赤ん坊の頃から今の今まで一緒に居た奴だけあるね〜


お前だけは何となく分かったんだよ…






「………お、お前まさか、…やっぱり、その水の中にいるんだな…?一体何があったんだ?!何がどうあってその水の中に入ってるんだ?!」






そんなもんよく分かりませんよ〜


…ていうか俺は水の中におるんかい?!


どこの水なんですかっつか、分かったんだったら引き出してくれよ!


もうこんなわけのわかんない事嫌だよー


家に帰ってのんびり過ごしたいよー






「ひ、引き出すも何も…どうやって引き出せばいいか見当つかねーよ!そもそもお前とこうして話が出来るって事は、…まさか…まさかそのやかましー声全部一人一人がどこぞの誰かさんなんじゃないだろうな?!」






えっ一人一人ってどちら様?!


声ってどっから聞こえるんですか?!


俺はお前の声しか聞こえないんですけど?!


誰か近くに居るわけですか?!探してみる…


ってそもそも目がどこかわかんないし見えないし!


ザドックさんやーどっちにそのどこぞの誰かがいるのー!


ていうか、お前は今どこにいるんだー!


ちゅーかこれだけ叫んでも喉が痛まないなんてありえねええええええええええええ


それ以前に痛むはずの喉がどこにあるのかわかんねーし!


って今ならジーンスカッチの物まねできそうじゃないの、


っていう前に歌詞覚えてないし…


おーいザドックー!


ジーンスカッチの『太陽を鳴らせ』のサビの部分ってどんなだったっけー?!




うあああああ助けてくれー!




俺は一体どうなっちまったんだー!




私の手はどこにあるんだ、私の体は今どちらを向いて何をしているんだ?!




誰かー!誰か応答してくれー!






 悲痛な声が今まで以上に大きくなる。


 ノアデアのある意味のん気な悲鳴がかき消されて我に返ったとき、血の海が四方から屋根の上によじ登ってきていた。これが人なら『囲まれた』のであろう。


 とはいえ大部分はザドックがよじ登ったところから塊となって上ってきていた。




 助けてくれ助けてくれと叫び狂う水を見ながらザドックは悟った。




 自分を『何となく認知している』のは何もノアデアに限ったことではない。


 たまたま彼と自分が幼馴染だったから自分がザドックだとわかったのであろう。


 大部分の人間はこの『何となく』程度では自分が何者なのかが分からないのだ。


 さらに彼等は酷く混乱している。


 体の感覚が全くもって麻痺し、自分は生きているのか死んでいるのかすら分からないという下手すれば発狂しかねない環境の中『孤独に耐えながら』必死に自分にすがり付いているのだ。




 よく耳を澄ますとどことなく聞き覚えのある声が数個あった。




 全てが絶望というわけではないが、やはりショックだった。


 心のどこかでこの災厄を楽しんでいるが、別のどこかは人間らしくショックを受けた。




 苦笑いなのはそのためかもしれない。






「…ま…まじ?まさか皆が行方不明になったのはこの水のせいなのか?!皆様一体なんでまたこんなお姿に…?!俺たちが寝てた間に一体廊下で何があったんだよ?!ヒラリーが虫でも居るんじゃないかっていってたが、虫にやられたにしたって…さされてこんな風になる虫なんて俺はしらねーぞ?!」






 絶叫に答える者は誰も居なかった。


 めいめいに誰かを求めて助けを呼ぶのに精一杯でおぼろげな存在である自分の声に耳を傾けてはくれなかった。




 ノアデアのように誰か分かってくれるかもという思いがあった為か、迫り来る水に必死に声をかける。






「皆落ち着け!俺だよ、俺はヘレフォード一等兵…ザドック・ヘレフォードだ!俺があんたらを元に戻す方法を探ってくるから、頼むから飲み込まないでくれ!助けて助けて言う前に一体何があってこうなったのか誰か教えてくれよ!」






 全てを失うと人間というものはかくも人恋しがるものなのか。


 彼等はただ無心に『体を貸して欲しい』と願い、迫ってきた。




 体を貸せとは何事であろうか。


 今まで貸した事がないだけに、相手が相手だけに、貸してやろうという気にはなれない。




「俺が女であんたらが男で『体を貸せ』って言われたら間違いなくお断りするだろうけどさぁ、…俺が男で相手が液体の場合の『体を貸せ』ってどういう意味になるんだろうな…そ、そのへんをしっかりしていただかないと貸せませんがね…だって俺だって体使ってるんすよ…」




 ザドックがそう茶化したものの、液体の方々は相変わらず体を貸せの一辺倒だった。


 水は自分の体に取り付こうと四方から身を乗り出してこちらにじりじりと差し迫っていた。


 特に正面の波は自分の身長の半分近くまでそそり立っている。いつこちらにどっと押し寄せてもおかしくない状態だった。




 こんな状態では触れずに脱出などという事は出来ない。


 もはや水の中に居る友に助けを求めるしかなかった。






「の…ノアデア…助けてくれノアデアッ!」






 必死の助けも空しく響くだけだった。




 ノアデアが滅多に歌を歌わない理由は何も寡黙だからとか真面目だからというわけではない。


 歌詞を思い出さない限り歌いたくないという変な完ぺき主義者だったからだ。


 そうでなくとも何かを思い出そうとすると決まって他のものが見えなくなる。考え事をさせると何もしなくなるのが彼の悪いところだった。




 まさか、まだジーンスカッチの歌の歌詞を思い出そうとしているのか。




 いっそ『他の奴等と同じように体を求めて迫っている』と考えたほうがまだ諦めが付きそうだった。裏切ったという事にしてしまえばけじめもつくというもの。






「このくそったらあああああああああああああああ」






 噂では糟人は配備品の武具や荷物とはまた別に自決用に手榴弾を一つ忍ばせているらしい。糟人に対しては死んで来いといっているも同然の旧式のしかも乏しい配備品しか与えないというが、その中であって一つだけ残しておくとは実に恐れ入る。戦一つに命をかけるとは実にスリリングかつ潔いことだと真似ていたわけだが、まさか本当に使うことになるとは思っていなかった。




 ザドックはほぼお守りのように常に身につけていた手榴弾の栓を抜いて着火すると目の前の水の壁に向かって殴るように内部に突っ込んだ。




 どうせ死ぬなら『まともに』死にたい。


 異常なものと出くわしたとしても、自分だけはまっとうな死に方をしたかった。その信念を貫くことは恐らく難しいだろうからこそ。


 死ぬときにもポリシーを立てておくことこそ彼の美学であり、同時によりスリリングな『無駄なあがき』をすることが出来る。適当に生まれてしまったからには、適当に死んでいてはつまらない。折角出会えた異常事態に受動的に死を頂いていては出会った意味がない。そんなつまらない死に様は物語のヒロインだけで結構だ。だからこそ自爆同然のこんな近距離で爆破しようと思ったのだ。




 目の前が真っ赤とも真っ白とも付かない色に染まった。


 全身をバットで殴られたような衝撃が走った。


 音はどんな音だかちょっと形容できない。だが、耳障りだったのは確かだ。




 しかし、本来ならばこの程度ではすまないのだろう。


 本来ならば全身が木っ端微塵になって死ぬのだ。




 ただの水ではないためか、手榴弾の爆発の大半を吸収したらしい。


 破片なども殆どを吸収したらしく、怪我らしいものは何一つなかった。




 だが、体に『彼等』が飛び散って付いた。




 それでも前方が開いた。彼等は爆破によって散ったのだ。


 元々は死ぬ気だったのだ、ザドックは爆破の衝撃で廃屋のもろい屋根にあいた穴に飛び降りた。屋根から飛び降りるのはさすがに出来なかった。なぜなら下にはまだ上に登りきれていない血の海が溜まっているのだ。




 飛び降りたときに爆破で壊れて落ちた破片を踏んづけてうまく着地できなかった。尻餅をついたが、そんなものはどうでもよかった。体裁悪いとか行っている場合ではない。もたもたしていれば上から水がなだれ込んでくる。相手は大量の水なのだ、こんな小さな廃屋などに入り込んできたら大洪水でもおきそうだ。




 扉は酷く頑丈で、押しても引いてもがたがたというだけで一向に開く気配がない。


 叩いていると自分がふってきた穴から追う様に水が流れ込んでくる。




 待ってくれ待ってくれと叫んでいるが、自分達が今何をされたのかわかっているのだろうか。とはいえ木っ端微塵になるはずの体がないからこそ彼等は泣きながらすがってくるのであろうが。




 頑丈な扉とは違い壁は酷く痛んで隙間だらけだった。


 その隙間から地面を見ると、赤い水溜りがなかった。




 どうせ誰も住んでいない家なのだ。


 お行儀良く扉から出て行くことはない。


 ザドックは壁に突撃した。




 いとも簡単に壁は壊れた。




 勢い余って地面に顔から突っ込んだが、痛がっている余裕はなかった。


 待ってと叫ぶ水を尻目に、落下したときに痛めた足を引きずって逃げ走った。




 ノアデアの声は相変わらず聞こえてこなかった。




 何とか声が聞こえないところまで逃げる事は出来た。


 別の廃屋の影に隠れつつ、ほとんど行き倒れたように体を乱暴に倒す。




 ひねった足の痛みや打った顔の痛みなど気にならないほど、体の奥底がぎりぎりと締め付けられるように痛んだ。痛みのあまり地面で悶え転がる。


 思えば全身が真っ赤になるほどのしぶきを浴びたにもかかわらず、今はそんな跡すら残っていない。

 乾いたにしては随分早すぎるし、あれだけ鮮やかな赤が奇麗さっぱりなくなってしまうというのもおかしな話だ。




 痛みに苦しみながらザドックは理解した。




 あれは自分の体の中に入り込んだのだ。


 『体を借りる』べく自分を押さえつけようとしているのであろう。




 だが、体の痛みと共にあれが何だったのかが頭の中に入り込む。激しい痛みが脈打つごとに自分の知らなかったことが、知ってはいけないようなプライベートなことまで、まるで脳に直接刻み込まれていくように頭の中に入り込んでいった。




 やはりあの赤い海は消えた仲間の慣れの果てだったのだ。




 そして自分達を恨む存在。


 それは集落に居た謎のルツの民達だった。








我々は何かしたのか。


我々の言葉を聞こうとせんのは何故だ。


何故殺した。






生かして返さん。






お前たちだけは…








 無抵抗のまま殺されたルツの民の怒りが、仲間と、今まさに自分を飲み込もうとしているのだ。ザドックはもはや自分のものとも他人のものともつかぬくらいごちゃごちゃになった意識の中で思う。




何という執念だ。




だが、なんという愉快な連中だ。




敵なんだから撃たれて当たり前だというのにこんな呪いをかけるとは、ルツの民は本当に面白い。




ルツに生まれて俺は幸せだったぜ。




こんな滅多な呪いをこの身で体感できたんだ。


シトにはこんな恨みがましい呪いはなかろう。




だが、何故だろうな。






まだ居ない連中が居る。






………アイザックとヒラリーはまだ食われていないんだな。






 誰かが自分を押しのけて体を借りようとする。


 そのたびに体が酷くきしむ。




 だが、ザドックは笑った。




 腹の底から出る、嗚咽とも笑いともつかないくつくつという声が沈黙する集落に響く。






このまま呪いに甘んじておれるか。




誰かが残っているのであればそいつらに助けてもらうまで。




死んでは元も子もないだろう、折角の呪いは生きて語ってこそよ。




俺は体がなくてもいいや。




後で戻るなら別に今無くてもいい。




これは貴重な体験だ。今のうちに吟味しておこう。







いいとも、体ならいくらでも貸してやろう。








だが、貴様等の『全て』が代償だぜ!








 仲間に見取られること無くザドックは一人はじけた。




 しかし、ザドックだった赤い、先ほどの海のようなものと比べるといささか小さな水溜りは、体がなくなったことを嘆くことも彷徨うことも無く、一直線に元居た場へ帰って行く。






あれは恐らく生き残った人間を飲み込むべくアイザック達を襲うだろう。




最後の希望を飲みこませてなるものか。




体は借りずとも必ず戻る!




生きて帰るぞ!




そのためにも奴等を自由にさせるな!






 唯一呪いに苛まれなかった『反逆の赤い滴』は、ザドックの最後の意志だけを支えに爆破によって散った小さな海の欠片を食い、やがて海に匹敵する大きさになった。




 そして呪いにうつろう赤い滴と確固たる意志の元反発する赤い滴は静かに対立し続けた。どちらも救われたい一心で付近に侵入した人間に取り付き、そしてそれを妨害してきた。






 そしてその欠片が、今まさに駒田の手の中にある。


 石の中にノアデアの一部、そして今しがた手に入れた石のなかにはさらにザドックの一部がある。






 駒田は石を握り締めた。






 あの夢は…………………






「あの夢はただの夢じゃなかった。白い物体とか巌島延年とか三島とか…ヒラリーが俺に助けを求めていたんだ。夢で必死に状況を説明してたんだ。」






 忽然と消えた杉浦などにいちいち構っていられなかった。


 助けてやるといって消えたのだ、魔法でどこかに連れて行かれたのでろう。




 そんなことよりも、一刻も早くあの死んだ集落に行かねば。




 『思いがけないもの』を手にして喜ぶ岸田たちに向かって叫ぶ。






「早く!早くしないと三島達が危ない!」






─────






「たっちゃーん」




 不意に声がかかる。


 背中を軽くつつくように叩かれる。




 振り向くと、色合いこそ派手ではないが鮮やかな模様のワンピースを着た女がにこやかに微笑んでいた。小柄であまり冴えるような美女というわけではない。それでもその笑みは見るものを和ませるであろう独特の可愛らしさがあった。




 髪の毛は耳の辺りまで切られ全体的にふわふわしていた。ぱっと見ショートカットともセミロングとも違うが、ヘアスタイルの事はあまり詳しくないのでよく分からない。

 それでも、さわやかな印象を受ける。


 モダンな色合いのワンピースに合う髪型であった。




 首元に白いスカーフが巻かれていた。柄物の服だったので、逆に目に付く。




「可愛い服だね。似合うよ。」




「ありがとう。奇麗な生地だったから買ってきて作ってみたの。」




「それ作ったの?凄い。売ってるやつかと思ったよ。ほんと器用だね…」




「えへ。かっこいい生地があったら今度はたっちゃんの服作ってあげるよ。どんな服がいいかな…」




 そう言うと女は首をかしげた。


 どんな服がいいか考えているらしいが、そんなしぐさもまたいじらしくもあり可愛らしくもあった。




 いとおしさが胸を打つ。




 女の頭をなでるように自分に引き寄せながら言う。






「青いシャツがいいな、側にいたら君のその赤いワンピースがより映えるように。形は君に任せるよ真弓♥」






「左様でございますか、有難うございます。サイズはいかほどでございましょうか。ご不明でしたら測らせていただきますが、どう致しますか。」






 明るい、だが業務的な言葉が胸から聞こえる。




 はたと胸の中の存在を見やる。




 先ほどの愛しい女の代わりに、眼鏡を無駄に光らせて笑みを浮かべる髭面の男が自分の腕の中にいた。




「ぎゃあ」




「どう致しますかお客様。測定は無料でございますが。」




「よ…寄るな水谷!」




 水谷を突き放すと、彼は腕を腰に当てて言い返す。




「いきなり抱きついてきたのはそっちだろうに。視線が異次元の方向いてるから何事かと思ったら、また奥さんの白昼夢…こんな事態によくもそんなのん気なことやっとれるな、あんたも。」




「だからその目になってる時は寄るなっていったろ水谷。」




 木にもたれながら座る新木がこちらに声をかける。




 岸田や駒田も本来は別のほうを向いていたのか、顔だけこちらに向けてじっと見ていた。何事かという顔がその心中を語っている。




「妄想の渦に巻き込まれてその二の腕に抱かれてしまうぞ、出発して間もない頃にだって国照ちゃまも被害にあってたじゃん。俺も『君の作る料理なら何だって食べるよ真弓♥』とか言われた挙句抱きつかれたことあるし。しかもそのころお互い名前さえ知らない赤の他人のころだせ?初めは新手の嫌がらせだと思って思わず頂いちまったけどさー、まさか同じ寮の相部屋に当てられるとは思いませんでしたがな。」




「な…何を頂いたんですか…」




 新木は石崎の視線に一瞬はっと顔を改めるが、すぐにそ知らぬ顔に立ち戻り駒田達に声をかけた。




「それより原因わかったかい?あんただけが頼りなんだからがんばってよね。」




「むきゅ…原因はわかったけど何だか腑に落ちないらしいのです。」




「ふーん、原因って何だったんだ?歩いても歩いても『目的地』に到達できない原因。ぐるぐる回ってたせいでこの辺りにいた赤いやつ皆結晶にしちまったし、もうとっととその目的地とやらに到達しても差し支えないんだがねー。」




 足を伸ばして勢いで立ち上がると、今までもたれていた木を後ろ手に叩く。


 幹には品の宜しくない文字が刻まれていた。




「言う前に変だって気づいたみたいだから言わなかったけどさー、『アホ』って目印なんて俺以外につけるやついないし明らかにループしてるんだよね。あんたの言うとおり歩いていくと必ずこのアホの木に戻ってくるって事は何かあるんだろうよ。元々腑に落ちないんだからこれ以上腑に落ちない事なんてないだろ。」






「この辺りに『隠蔽』がかけられている。」






 岸田が簡潔に答えた。


 駒田には腑に落ちない理由が良く分からなかったが、新木はすぐに分かったらしい。




 顔を少々緊張させながら言う。




「い、生きてる奴等がいるってことですかね。」




「だがこいつの持つ石からは『全員死亡した』という情報しか得られんらしい。」




「生きてたら何故ダメなんですか。おめでたい話ではないですか。」




「何がおめでたいものか。我々は奴等を討伐しに来たのだ、死んでいてくれたほうがありがたい。仮に生きていたとしても改めて仕留めるだけだがね。」




 彼らが『奴等』を探す理由があっけなく晒された。


 ただ追っているわけではなく、逃げた人間を殺すために彼等は存在しているのだ。所謂『刺客』というものらしいが理由は知らぬが随分強硬な手段をとるなと駒田は眉を顰めた。

 とはいえ元々隠しているつもりは無かったようで、そんな過激な事実を言っても悪びれる事無く岸田は続ける。




「通常この手の呪いは巫や信者どもの死後発動される。生きている奴がいればいるほど呪いは軽いものになる。生き残りを助ける為にな。あらゆる人間を取り込む呪いがこうして発動されていた以上、石の情報の通り本来ならば全員死んでいるはずなのだ。だが『隠蔽』が使われているということは、誰か別の人間が我々を邪魔しているということだ。迷惑な奴もいたものだ、どこのどいつだ?」




「むきゅ。何だかよく分かりませんが…この世の童貞を裁くために立ち上がった駒田2号の仕業ってことにしておきましょう。どうするんですか、全て岸っこのせいですよ。今度からはきちんとオトナになってから作戦に挑むこと分かりましたね。そんなことより」




 岸田の冷たい視線を浴びながら駒田は顔を水谷のほうに向けた。


 水谷は何事かと身をほんのり引いた。




「な…何でしょう。」




「何となくあんたこのまやかしを破れそうな気がします。駒田面倒なのであんたがやってくれませんか。」




 えっと水谷は声を上げた。


 他の連中も目を丸くしていた。


 この妙な反応を不思議に思わないはずが無い。駒田は少々の間の後誰に言うでもなく尋ねた。




「何故驚きますか。」




「…だって、だって隠蔽を破る資質っていったら一級品とされる資質の一つですよ。私がそんな大層な資質持ってるだなんて…ほんとにそうだったらさっきの狙撃兵だってすぐに分かるでしょうし…」




「気焔を読むのが上手いとは思ってたけど、まさか資質がそんなすごいものだったとは…上級になったらほぼ間違いなくエースになれる資質じゃないですか…」




「ふーん…でもやってみないとわかんなくない?思い過ごしかもしれないし。」




 一人冷静な新木はアホの木にもたれつつ鼻をほじった。




 確かにやってみないことにはどうしようもない。


 水谷は穏やかに気焔を放つ。


 するとそれを引きずり出すように駒田も気焔を放ち始めた。




 暫く頭の中であれこれ練っていたものの、そもそもどのように想像していいのか。『隠蔽を破る』という極めてイメージしづらいものだけに、混沌としたイメージしか浮かばなかった。


 それにくわえて、ものすごい量の気焔が自分から渦巻いている。体がきしむ程の量だった。岸田があれほど弱っていたのはこの体の負担からかと初めて理解できた。




 暫くは瞑想らしいものを続けていたものの、駒田の遠慮の無い気焔に耐えられないのか、水谷は手を振って制した。






「い…いたい!いたいよもうだめです!」






 その瞬間、空気が凄まじい音を立てて『割れた』。






 それは皆の耳にも届いているらしく、その耳障りな音の中に誰かの悲鳴らしいものが聞こえた。






 暫く耳を押さえてうずくまっていたが、不意に顔に何かが衝突した。


 それを追い払うべく咄嗟に耳から手を離して手で顔をはたいたが、そのときに漸く自分のなしたことを実感した。




 耳に痛いほどの沈黙が破られて、本来の樹海らしい木々のざわめきや畜生どもの声などがあちこちから聞こえた。




 皆も同じように耳に残る破壊音に耐えていたが、水谷が動いたことで彼等も動き出した。




 彼等も今までとは違う森を見て驚く。




「おおー虫がないちょる。」




「…本来はこんなにやかましい夜だったのか…」






「むきゅ。」






 不意に駒田が走り出した。


 皆は何事かと目を丸くしたが、すぐに理由がわかった。




 今までは無かった『獣道』があったからだ。




 ここを何者かが周辺ごと隠蔽していたという事は、『目的地』はこの先にあるということ。


 岸田は半ば自分に言い聞かせるように、3人に言う。




「…ここが最後の正念場だ。死ぬなよ!」




「はっ!」




「了解。」




「ういーす」




「…何故お前はこうも気が抜けておれるんだ…」




「うーん、大物ですから。」




 そうこうしていると、ふと視線を感じた。


 視線の先を見ると、駒田が木陰から顔を半分出して悲しげにこちらを見ていた。




 岸田たちは急いで駒田を追った。




 が、新木の肩を掴んで進行を妨害するものがいた。




 何事かと新木が背中越しに後ろを見やると、石崎が微妙な笑みを浮かべてこちらを見ていた。




「…ずっと気になってたんだけどさ、この際言っとくね。」




「はいはい手短にね。」




「『初めは新手の嫌がらせだと思って思わず頂いちまったけど』って言ってたけどさ、初めは純粋に何かとおもってたけどさ、思い返してみるとその頃ある事件があった事をつい先ほど思い出したんだ。」




「へえー。どんな?」




「そうだ、思い返すと確かそんなことがあった時期だった。あれは、お前、だったのか…」




「ふーん。」






「財布を盗まれてエライことになった時期と、お前との初出会いの時期が、見事に一致するんだが、ど う い う こ と だ ろ う な …」






「あっ!」




 新木が指を差した。


 指の先を見ると、駒田と岸田と水谷が木陰から顔を半分出して悲しげにこちらを見ていた。




 新木は肩の手を振り切って急いで駒田達を追った。




 強引にはぐらかされた石崎は何がしかを叫びながら後を追うしかなかった。






─────






 荒涼とした『死んだ集落』が見えてくる。




 見飽きるほど見た光景だったが、駒田にとっては初めて来た所だった。


 実際目にすると、あのまさに死を予感させるような張り詰めた空気は無かった。恐らく水谷の力でここ一帯に張り詰めていた呪いが解けたからかもしれないが、思ったより光が入るところらしく、月明かりで煌々と照らされていた。


 所々で何かが動いた。小動物や鳥が自分達の来訪に驚いたらしい。




 それでも、どこからか嫌な空気が漂っている。




 駒田は力の限り叫ぶ。




「三島───三島───どこですか三島─────!!」




「三島?」




「そんな人間どうでもよかろう。水谷、気焔はどこから感じるか?」




 水谷はうーんと暫く唸っていたが、自分が率先して走ることでどちらから感じるかを示した。さすがにもう指を差して『あっちだ』とは言わないようだ。




 崩れかけた廃屋の横をすり抜け、干からびた井戸の小広場を横切る。




 廃屋の中に一際傷んだものの横も通った。


 壁に穴があき、破片があたりに散っている。




 ここで俺は呪われた奴等と戦ったんだぜ。




 誰かがそう言った気がした。




 建物を横切り続け、目の前にあの唯一腐食に耐えた建物が現れる。


 忘れもしない、色々なことがあった思い出の場所だ。




 彼等にとっても唯一無事な建物というのは何か『嫌な予感』をさせるものらしく、たじろぐようにその歩みを止めた。




 そろそろきえゆくであろう月明かりに照らされて浮かぶ館は神秘的ではあったが気味が悪くもあった。




 岸田が眼鏡の縁をつつきつつ呟いた。




「…奴等はこんなところに隠したのか。我々が他の連中を追って始末している間、奴等はここでのうのうと隠れていたのか。仲間が殺されているというのにのん気なもんだ…まあ、死んで当然だな。」




「でも誰もいませんでしたね。死に際の呪いは強力なものいっこだけのはずなんですがね…あの隠蔽は誰がやったものなんでしょうね。元々やつらがかけておいたもの…にしては随分強固でしたし。」




「普通のものは死ねば解ける。だからこそ我々は討伐を命ぜられたのだ。そもそも死ぬ間際の魔法が呪いとして恐れられているのは誰にも魔法が解けない『暴走状態』だからだ。…あれは誰かが新たにかけたものだろうよ。」




 岸田がゆっくりと歩みだす。


 それを見た3人も歩み始めた。




 彼等が追い続けた石がここにあるらしい。彼等にとってはここにある石を探し出して持ち出せば全ての任務が終了するのだ。何日もこんな森の中で潜伏しつづけ、教団の人間を暗殺し、石を探し続けたのだ。いい加減早く終わらせて帰りたいだろう。




 だが、駒田は嫌な予感がした。




「…何かやな予感がするよ。ちょっと、待ったほうが…」






「元々嫌な予感などしまくっておるわ。…待っててもどうしようもなかろう。何か起こるなら速やかに起こり、速やかに解決したほうが良い。万が一何か起こっても…お前が助けてくれるのであろう?」






 何もいえなかった。




 彼等は空から落ちてきた謎の存在に命を預けているのだ。


 そうしなければ生きて帰れないかもしれないという彼等が不憫でもあった。




 何故そこまでして教団を追い、石を持ち帰るのか。








 彼等はドアの取っ手を握る。






 その瞬間、近くで雷でも落ちたのかと思わんばかりの衝撃と光が襲った。






 一応、眩暈が治ったはずだった。




 目を開けたつもりだったが、何故か何も見えなかった。


 一面真っ白。これしか形容できなかった。




 歩いたつもりだが、どうも歩いた気にならない。


 何しろ視界が完全に真っ白なのだ。






 おーい






 と言おうとしたが、どうも言った気にならない。




 一体何が起こったのかと辺りを見回したつもりだが、見回したかどうか自分でも定かではない。真っ白で自分が何をしているのかさっぱりわからないのだ。




 何も見えず、何も聞こえず、自分は動いているのか止まっているのかさえよく分からなくなってきた。手を見ようにも見えない。足を見ようにも見えない。そもそも自分は下を向いているのか?




 徐々に焦燥感が頭によぎる。






 と、どこからか誰かが言う。










我々と同じ視点だ。




我々はまさにこの状態だぞ。




君は飲み込まれたのだ。




だが大丈夫だ。




我々と違って、君にはまだ体がある。




君といた皆も同じ状態で虚空を彷徨っている。




落ち着いて、この『結界』を破るんだ。






大丈夫、君ならできるさ。








君は聖人様だもの。








 今まで『助けてくれ』の一辺倒だった『彼等』が、自分を助けるべく励まし、助言する。




 彼等のささやきで我を取り戻した駒田は、自分の姿と、消えた4人の姿を思い出す。真っ白にかき消された自分達をこの白い世界から引きずり出すには、そうするしかなかった。










「…お、おい!」






 唐突に誰かにゆすられた。




 目を開けてみると、岸田がいた。


 何故かさかさまだった。




 駒田は暫く目をしばたたかせていたが、ぽつりと呟いた。




「…まあ岸っこ、何故逆立ちしているのですか。」




「俺にはお前が逆立ちしているように見えるんだが…というか…」



 岸田はなんと言っていいのかという複雑な面持ちでちらりと視線をそらした。


 同じようにそらすと、彼の微妙な面持ちの理由がわかった。




 駒田の足元はるか向こうの下のほうに、新木が仰向けで転がっていた。




 やや上のほうに斜めの状態でたっているような水谷がいた。




 だが、何処を見ても石崎の姿が無い。




 きょろきょろと見回す駒田が何を探しているのか分かったのか、さかさまのまま岸田が駒田で言う『上』を指差した。




「石崎はあの点…らしい。」




 目を凝らすと、確かにはるか彼方に黒っぽい点が見える。


 あれが石崎らしいが、これは一体どういうことなのだろうか。




 そもそも目を開けたと分かったのは岸田が視界に入ったからであって、辺りは完全に真っ白のままだった。




「…な、何なんですかここは。」




「私にもわからん。感覚が完全に麻痺して何がどうなっているのかさっぱり分からない状態が暫く続いたと思ったら、いきなりここにいたのだ。とはいえここもほぼ感覚が麻痺しているに等しいぞ。」




「むきゅ…?」




「体を動かせば分かるが、歩こうにも足踏みするばかりでさっぱり前に進まない。それどころか下手に動くと体が回転しだすぞ。一番近くにいたお前の側に到達するまでに俺は何十キロも歩いたに等しい量の運動をしたようなきがする…というか…」




 岸田はちらりと他所を向く。


 苦笑がより歪み、ただの苦痛の顔になった。




 何事かと再度目をやると、その理由がわかった。




 先ほどまで下にいたはずの新木が頭上にいるのだ。


 そして上にいたはずの水谷が自分と同じ高さに。




 何より、彼等がより一層遠のいているような気がした。




 岸田がげっそりとした面持ちで事態を説明する。




「…もがいたために一応勢いはついたものの、回転までついてその状態でお前に当たった為に…俺達は回転しながら遠のいているらしい。しかも何をやっても止まってくれん。」




「きゃーこのまま放置したら駒田達はお空の流星のごとき明後日のほうに飛んでいってしまうのですか…って、まさか…」




 駒田はあたりを見て自分のいる場所を確認した。


 真っ白で何も無い。床も壁もあるのか無いのか分からない。






「…ここはまさか、無重力の空間なんですか?」






「多分…空気がある白い宇宙のようなところらしい…だから、このまま奴等と離れていったら俺達は一体どうなっちまうのかは俺にもわからない…」






「ま、魔法で何とかしましょうよーあんた時空を操る奴なんでしょうー」




「どこをどうすればいいんだ…俺の時を止めたとしてもこの回転は止まってくれるのだろうか…というか自分にかけたら誰が解除すればいいんだ…?というかお前が何とかしろ!」




「駒田は何をどうすれば止まってくれるんですか!魔法はある程度理論的でないと発動してくれないのですよ!駒田無重力は一応何度か体験してはいるんですが宇宙の法則のことはさっぱりわかんないんです。」




 そうこうしているうちにじわじわと皆から離れていっている。


 新しい力を生み出して何とか戻ろうと岸田とともにじたばたと動いてみたものの、さっぱりだめだった。




 もはやお空のお星様状態になってしまった3人の仲間をほとんど涙目で見やるしかなかったが、岸田がいるだけでも心強かった。


 これで誰もいなかったらそれこそ恐ろしい空間であろう。




一番遠くにある塵より小さい存在を見ながら、岸田はふと言った。




「…石崎を何とか起こせんものかな…」




「何故ですか。」




「あれは『引力』を操っていたはずだぞ。あいつの力があれば一応無重力ではなくなるはずなんだが…」




 岸田はそう言うと何か考え込んでいたが、不意に顔を上げた。


 何か決心したかのような深刻な顔だった。






「…俺とお前が押し合えばお互い正反対のほうに方向を変えて飛んでいくはずだ。…お前は石崎の元に行け。そして奴を起こしてこの無重力の空間を何とかするんだ。」





「そんなことしたら岸っこはお空の彼方にぶっとんでっちゃうじゃないですか…」






「そうしなければ俺たちは完全に離れ離れだぞ。俺は大丈夫だから、お前が行け。…俺はもしとりそこなった時どうしようもないが、お前なら何とかできるだろう。」






 そう言うと岸田は駒田の腕を掴んだ。


 そうやって何とか態勢を整えて、お互い押し合える体勢になった。




 駒田が塵より小さい黒い点と重なったときに押せば、重力が変化して思う方向に飛んでいけるはずだった。だが、それと同時に全く正反対の方向に岸田が飛んでいかねばならない。




 岸田はその間完全に孤独のままこの異常な白い空間を彷徨い続けなければならないのだ。




 岸田の握る手が強くなった。






「…頼んだぞ。」






 岸田の搾り出すような一言と共に、その手の力が体を支える力となって放たれた。




 今まで目と鼻の先にいた岸田がみるみる遠のく。


 お互い離れていっているだけに、そのスピードは嫌に速く感じた。




 手を離してすぐ、だが辛うじて顔が識別できる状態にまで遠ざかったころ、岸田が叫んだ。






「必ず起こせよ!お前で分かったが、奴等は寝ているわけではない!気絶しているわけでもない!やつ等の意識にお前の声が届かない限りやつ等は目を閉じたままだ!息すらしておらん!必ず捕えよ、そして目を覚ますまでひたすら呼び続けろ!やつ等の止まった時を動かせるのは俺ではない、お前だけだ!頼んだぞ!頼んだぞ!」






 最後のほうはほとんど絶叫だった。


 だが、その声はすぐに距離と白い空気によって消されてしまった。




 米粒のようになり、やがて全く見えなくなった。






 暫く駒田は見えなくなってしまった岸田を呆然と見つめていたが、気持ちを改めて下を向いた。この状態ではさかさま状態で石崎を捕まえねばならない。






─────






 3人も、駒田も見えなくなった岸田は、駒田を飛ばしたときの姿勢のまま硬直していた。


 このまま薄気味悪い真っ白の世界を一人で突っ走り続けなければならないのか。




 宇宙の果てがあるという話はきいたことがあるが、ここには果てはあるのか。


 あったとしたら、自分はどうなるのか。




 漠然とした恐怖が岸田を襲う。




 震える手で、懐から懐中時計を取り出す。


 自分の恩人から頂いた、大切なもの。




 だが、蓋をあけて時を見るのが恐ろしかった。




 自分は何時間この状態でいなければならないのだろうか。


 それを知るのは大切だろうが、知ってしまったが最後取り返しがつかなくなるような気もした。




 ひたすら時計を握り締めて、気分を落ち着かせるほか無かった。






─────






 駒田は徐々に近づきつつある人間を見て体の血の気が引いた。




 背格好で違うと分かるだけましだったのかもしれない。


 あれが石崎ではなく水谷だと分かったとき、とっさに石崎を探した。




 確か石崎は一人だけ異様に離れたところにいたはずだった。




 それらしい点を見つけた。




 水谷は、やや離れたところを通り過ぎようとしている。


 自分は結構なスピードで移動しているらしい。みるみる近づいているのが分かった。




 まずはこのスピードを少しでも削がねば。




 駒田は自分でも不思議に思うくらい、冷静にポケットをまさぐった。


 中から出てくるのは光り輝く剣とともに、それにそぐわぬみすぼらしい紐。




 柄を内に握り、構える。


 すぐ側にいた水谷に向かって剣を投げた。




 紐は意外と伸びるものらしい。無意識的に自分が伸ばしているのかもしれないが、それでも現状はこのほうが便利だった。


 聖剣は結構なスピードで光を放ちつつ飛び、水谷の腹に刺さった。




「ぎゃああああああああ」




 水谷が叫んだが、水になる前の断末魔のほうが凄かったように思える。そもそもこの剣は体を傷つけるものではないはずなので、多分大丈夫だろう。




 駒田は紐を引っ張り、正反対のほうに飛んでいく水谷の力を使ってスピードを殺ぎ落とした。紐を手繰り水谷の体から剣を引き抜く頃にはとまっているに等しい早さだった。




 傷ついていないものの確かに剣が刺さった腹をさすって水谷が何がしか抗議したが、駒田は無視して点を狙った。


 やや向こうにいる新木を見て自分の動くスピードを知る。


 そして、その上で彼方にいる石崎に狙いを定め、剣を投げた。




 紐はずるずると伸びていったが、剣は白に同化して見えなくなった。




 しばらくすると、紐から手ごたえが伝わった。


 上手い具合に石崎に命中したらしい。




「水沢紐引っ張れー!」




 いきなり剣を突き刺されたことに抗議していた水谷などお構い無しに駒田は自身も紐を引きつつ言った。水谷は水沢じゃないと文句をたれつつ紐を手繰ることに協力した。




 引っ張っているうちに勢いがついたのか、意外と早くに石崎が目の前にお目見えした。




 光り輝く剣が左脇に刺さっていた。




 これが物理的なものを切る剣なら彼は即死しかねないが、聖剣は人間に刺さってもひたすら痛いだけらしい。何だか良く分からない悲鳴をあげて痛がっていたが、血も傷もなかった。駒田の所有物だと分かると早速怒りに任せて自ら剣を抜き、駒田の頭に振り下ろした。ざっくりと頭にめり込んだものの、自分の所有物だからか、まぶしいだけで痛くも痒くもなかった。




 頭に剣を刺したまま平然と駒田は言う。




「むきゅ。大変ですよ、ここは無重力空間らしいです。駒田をここに送り届ける為に岸っこがお空の彼方に飛んでいってしまいました。何とかして皆を一箇所に集めてあげられませんかね。」




「というか…ここはどこなんだ?一体なんなんだ?さっきまで自分が一体何をしているのかさえわかんなかったが、…気がついたら脇に剣が刺さってるし。」




「わかりませんがもしかするとこれも誰かさんの罠かもしれませんよ。とにかく宇宙の彼方に向かってぶっ飛び続けているであろー星の子国照ちゃまを何とかしないとホワイト小宇宙のどこかの星で『岸田国照:時空の彼方からやってきた異次元の国の大尉様。何かの拍子にこの星に飛んできてしまい、帰る方法を探しつつも現在雅美の家に居候中。』とかいう説明がついたコメディストーリーが新連載されてしまうかもしれませんよ!」




「はあ…」




「○記念すべき第一話・『赤い彗星』…主人公・丸山雅美は陸上部のマネージャー。陸上部の部長・山本俊二に恋心を抱く可愛い女の子でした。ある日雅美が部活動でかいた汗を流すべくお風呂に入っていると、空から何かが降ってきました。壁を突き破って風呂場に振ってきたのは、歴史の教科書にある兵隊みたいな格好をした男でした。初めは何事かと思った雅美は彼を不法侵入者の変態かと思って大胆にも風呂釜に彼を沈めて溺死寸前に。後で彼・岸田の身の上と事情を聞き何だかかわいそうなヤツだとわかった雅美は帰る機会がつかめるまで家にいてもいいように両親に頼みました。でも一時は変態扱いされて殺されかけた岸田は雅美に感謝するどころかこの小娘に一泡吹かせてやると恨み満々。彼はひょんなことから雅美の書いた山本へのラブレターを見つけ、これはいいとばかりに中身を摩り替えます。岸田によって赤紙入り封筒にされてしまった事も知らずに雅美は山本にラブレターを渡しますが…」




「何気に嫌なところで切るなー山本は赤紙を受け取ってどうなってしまったんだー雅美はどうなったんだー!」




「むきゅ。こういう話が起こらないように妨害するのですよ!童貞野郎が女の子と一つ屋根の下にいてはいけないのです!雅美のぺたぱいをもみしだく事以外能が無いヤツにそんな美味しいお話を奪われては駒田の名が廃るのです!でも問題が!駒田、腐ってもロリコヌではないのです!最低でも18歳以上の娘さんでないとダメなんです!という具合に悲しみに泣きぬれつつ主題歌を垂れ流しますよ貴様等!つつつーつつつーつるつるつーつつつーつつつーつるつるつーつーつー、はい」




「ぼくらの分隊にやってきたー」




「国照ちゃまは時の大尉様ー」




「泣き虫怒りやあわてんぼう(だと面白いね)ー…って歌ってる場合ではないね。」




 石崎は気焔を放つ。


 何がしかのしぐさをしつつ気焔に波を作る。




 すると、まず新木が動きを見せた。


 彼そのものには動きが無いが、こちらに向かって移動しているのだ。




 彼が徐々にスピードを早めているのを見て石崎は駒田の頭から剣を引き抜く。




 剣を下段に構えなおし、意識が無いまま飛んでくる新木に狙いを定める。


 背中から飛んでくる彼は、まさに無防備そのものだった。




 それらしく無駄に光のエフェクトをかけてみる。意味こそ無いものの彼等は自由にそういうことが出来るらしい。






「奥義」






 新木の尻に聖剣を突き刺した。






「フヲアアアアアアアアアアアアアア」






「金返せこの盗人!死ね!」






 何だかマヌケな割にものすごい悲鳴をあげる新木に向かって頭突きを食らわし、腿を膝蹴り、背中を拳で突きまくる。どんな奥義なんだこれはと駒田と水谷は唖然と見守るしかなかった。




 どういう奥義なのか語ることも無くひたすら新木をぼこる石崎は、あまりに夢中になって我を忘れたために、彼方から流星の如く飛んできた岸田の頭突きをもろに受けて引力に逆らいつつ彼方にとんでいったそうだ。

どうもMHKです。

ここでは間違いなく反応はもらえないものと思っていたので反応があったという事自体に結構びっくりしてます。実はここ以外ではもらっているので感想を頂くこと自体は新鮮味は無いんですが、何だかんだいっても反応はありがたいもんですね。一般的に好ましくない内容のモノをモノをと書いているので尚更ですたい。この気持ちを考えると芸人やクリエイターを殺す方法は無視することだっていうけど確かにそうかもしんないですね。


それよりどうも食中毒になったみたいで、点滴を打ってきました。勘弁して欲しいです。

もはや爽快なほど小説とは関係ないことなんですが、9月であっても弁当には気をつけましょうってことだけはいいたいのでそっと書いておきます。

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