第27話 扉を閉める
荒谷は、鍵を俺へ渡さなかった。
残り十三時間。
「管理者が開ける規則だ」
二人で地下二階へ降りた。
保存庫の前で荒谷が物理鍵を回し、俺が職員証を通す。
八年間、一度も通信網へ接続されていない扉が開いた。
中には旧型の端末と、銀色の記録媒体が並んでいた。
最新の全住民記録。
過去七週分の世代保存。
そして未使用の予備が三本。
壁には八年前の運用標語が残っていた。
《記録は住民の生命線です。
一人も失わないため、必ず複製してください》
荒谷は読まなかった。
俺も声には出さなかった。
俺は予備媒体を端末へ入れた。
《書出対象を選択してください》
氏名。
生年月日。
家族関係。
居住地。
出生。
死亡。
病名。
常用薬。
推定完了まで、五時間四十分。
「始めます」
荒谷は止めなかった。
承認を押すと、媒体の表示灯が点滅した。
上階から連絡が入った。
『中央監査です。
保存庫の予定外操作を確認しました』
荒谷が応答した。
「閉鎖時刻前倒しに伴う確認です」
『操作を中止し、扉を開放してください』
「現在、規定に基づく消去処理中です」
荒谷は俺を保存庫へ残し、外へ出た。
「荒谷さん」
振り返らなかった。
扉が閉まり、外から鍵がかかった。
外から閉じられれば、俺は完了まで逃げられない。
荒谷が監査員へ俺を引き渡すつもりなら、もっと簡単な方法があった。
扉の向こうで、複数の認証音が鳴った。
監査員が管理権限で開けようとしている。
だが災害保存庫は、中央網を失ったときにも住民記録を守るため、現地の物理鍵を最優先にする設計だった。
八月停止の教訓が、中央の命令を四時間だけ止めていた。
監査員の足音が近づく。
『中に作業者がいますか』
「媒体破砕前の復号鍵消去を行っています」
『映像確認を』
「保存庫はオフライン区画です。
入室すれば処理が中断します」
荒谷は規則だけで監査員を止めていた。
書き出し残り、五時間十二分。
間に合わない。
国家機能停止まで十三時間あっても、中央の削除命令は四時間後に始まる。
復号鍵が消えれば、途中のデータは読めなくなる。
俺は項目を減らした。
病名。
常用薬。
消せなかった。
診療所で必要になる。
出生と死亡の詳細を外す。
居住履歴を最後の住所だけにする。
家族関係は残す。
推定、四時間十八分。
まだ足りない。
画面には、処理を速める別の選択肢もあった。
《優先住民を指定する》。
人数を一万人へ絞れば、二十分で終わる。
俺はその欄を閉じた。
ここまで来て、自分の知っている一万人だけを選ぶわけにはいかない。
画面下部に、資格評価関連の付属表が自動選択されていた。
納税額、資産、学歴、職歴、収益性、医療負担予測。
人間を十七%と八十三%へ分けた数字。
すべて外した。
推定、三時間五十一分。
外で監査員が扉を開けるよう要求している。
『片山作業員。
聞こえていますね。
操作を中止してください』
名前を呼ばれた。
俺は返事をしなかった。
『違反記録は共同体へ承継されます。
移行後も責任を免れません』
共同体の市民ではない俺を、共同体の法で追う。
その矛盾を指摘しても、時計は止まらない。
荒谷の声が割り込んだ。
「保存庫内は通信応答禁止です。
復号処理への干渉は要領違反になります」
『あなたは何を守っているんですか』
「処理手順です」
荒谷は最後まで、正義とは言わなかった。
『命令違反として記録します』
「処理完了後に開けます」
荒谷の声は変わらなかった。
媒体の表示が百%になったのは、削除開始の七分前だった。
《書き出し完了》
俺は媒体を抜き、耐火ケースへ入れた。
予備媒体一覧から製造番号を削除する権限はない。
扉が開いた。
荒谷と監査員が立っている。
監査員は俺の手元を見た。
耐火ケースは作業服の内側に収めてある。
鼓動のたび、角が肋骨へ当たった。
「未使用媒体は三本です」
監査員が言った。
荒谷は棚を数えた。
残っているのは二本。
「一本は初期不良。
先ほど破砕機へ入れました」
「記録は」
「廃棄済みとして私が承認します」
荒谷は自分の管理者証で、製造番号を廃棄へ変更した。
「破砕片を確認します」
監査員が言った。
「破砕機はすでに封止工程へ入りました。
再開放すれば、未処理媒体すべての廃棄証明が無効になります」
「あなたの判断で、確認を省略すると?」
「現地管理者として、私が責任を負います」
監査員は荒谷の顔を見た。
荒谷が共同体へ移らないことも、責任を追及する日本国が数時間後になくなることも知っている。
「記録します」
それだけ言った。
ケースの中の媒体は、行政上存在しなくなった。
「作業者は退出を」
監査員は俺の顔を見なかった。
行政回線が停止した。
俺は媒体を鞄へ入れ、最後の退庁者として正面玄関へ向かった。




