(5)盟友との邂逅
ある日、仲基は詩作のために猪名川のほとりを歩いていると、柳の木陰に茣蓙を敷き、その上でいびきをかいている乞食然とした僧侶がいることに気づいた。気味が悪いので足早に通り過ぎようとしたところ、その僧侶はむくりと起き上がった。
「呉江社のご同士であられるか?」
仲基は驚いて立ち止まった。が、返事をしようかどうか迷っている。
「桐江先生の呉江社にはご年配の風雅人ばかりが集まっている中に、年若のご兄弟が混じっていると聞く。あなたがそのご兄弟の一人ではありますまいか?」
「御坊は桐江先生をご存知なのですか?」
「著名な儒学者ゆえ、ご尊名は存じております。だが、面識を賜ったことはありません」
僧侶は垢じみた袈裟を身にまとってはいるが、言葉遣いが丁寧で、しかも意外と若い。歳の頃三十ぐらいか。
「でも、呉江社のことにお詳しいようにお見受けしますが?」
「近くに住んでいるため、噂で耳に入ることを知っているだけです。このあたりの住人ならみな知っていることであり、特に拙僧が詳しいというわけではありません」
「そうですか……ところで、私が呉江社の同士であることがなぜ分かったのでしょうか?」
すると僧侶はゆっくりと茣蓙から立ち上がった。
「あなたの憂いを含んだ面立ちは、いかにも詩想を練っているようにお見受けしたので、もしや呉江社のご同士ではないかと思ったまでです。ほう、図星でしたか」
そう言って僧侶は声を立てて笑った。笑うと目がなくなり、人懐っこい表情になる。
「拙僧は日初寂顕と申します。宇治黄檗山萬福寺で得度し、今はこの近くにひとり草庵を結んで住んでおります」
「黄檗宗。坐禅を組まれるのですか?」
「そうです。だが、このような上天気の日には、川べりに茣蓙を敷いて寝転がる方がよほど性に合っているのですが」
そう言って日初はまた豪快に笑った。仲基もそれに釣られて相好を崩した。
仲基は警戒を解いて日初へ自己紹介した。大坂の在で、懐徳堂にゆかりがあること、弟の養子先の縁でときどき池田へ来ていることも話した。
「こうしてお知り合いになったのもご縁です。あなたも一度、坐禅を体験されてみてはいかがでしょうか?」
「はあ」
仲基はこれまで坐禅を組んだことがなかった。
「拙僧が住んでいる蓮秀庵ヘご案内します」
言われるまま、仲基は日初の後へついて行った。
ほどなくして蓮秀庵なる草庵に着いた。そこは蘭皐宅からほんの四町ほど隔たった場所にあった。草葺きの粗末な建屋に、立て板に墨書きで「蓮秀庵」と書かれた表札が掛かっている。庵のすぐ横に、立派な枝垂桜が盛んに枝を伸ばしている。それが得も言われぬ情趣を醸し出していて、仲基は、庵と枝垂桜とが織りなす枯淡な風景を前にして、今まで経験したことがない、禅境とでも言うべきものをじんわりと感じとった気がした。
「この枝垂桜は、春になると褪紅色の花弁が見事に咲き誇ります。それはもう、息をのむほどの美しさです。この木の下で、近所の村人が酒食を持ち寄ってお花見するのが毎年の恒例です」
仲基は、今は葉桜ではあるが、満開の枝垂桜の木の下で花見を楽しむ人々の姿を想像した。仲基のこれまでの生活習慣の中には、美しいものを愛で楽しむという事象は存在していなかった。
「きっと、楽しいでしょうね」
「楽しいですとも。拙僧は酒を飲むわけにはいきませんが、村人から佳肴を呼ばれるのもまた結構なものです」
そう言って、日初が庵の中へ入ったので、仲基もその後に続いた。
土間と畳の間二間からなる質素な草庵だが、奥の書斎には大量の書物が壁伝いに並べられ、かつ文机の横にもうず高く積まれている。仏教の本もあるが、歴史書や文学書がかなりを占めている。
「失礼ながら、御坊は僧侶というよりも、まるで学者のようですね」
仲基がそう言うと、日初は面目なさそうに、
「どうも拙僧は、仏門にいながらあれこれ気が多くていけません。特に古代史への興趣が尽きません」
と言った。
日初の日常は読書と坐禅三昧で、糊口を凌ぐ手段は托鉢だという。近所の村人から野菜のおすそ分けにあずかることもある。糧食があるうちは草庵に籠り、なくなれば草庵を出て、読経しながら近隣を托鉢して回る。
「今日も托鉢に出て、村人からたくさん御心を頂戴しました。みなさん本当に優しい方々ばかりで、ただ感謝の言葉しかありません。拙僧はこの両の手足と首、それに胴体があれば何も不足はありません。幸いなことに、拙僧は生まれつき頑健な質ですので」
日初が手のひらで首筋を叩きながらそう言うと、仲基は病弱な自分を思って悲しい気持ちになったが、老子の言う「足るを知る」ということを日初はすでに知っていると思った。
日初から手ほどきを受けて初めて組んだ坐禅は、邪念ばかりが脳裏に去来し、とても無心になどなれない。果たしてこれでいいのだろうかと仲基は迷い、日初に聞いた。
「毎日毎夜、それこそ何年、何十年と黙然と坐り続けてようやく何事かを得られるかもしれない類のものです。あるいは何も得られないかもしれない。そういうものですから、まあ、気長にやりましょう」
日初は声を出して笑った。仲基はすぐに結果を求めたがる自分の性急さを反省した。
年の離れた友人を得た仲基は、日初の蓮秀庵に足繁く通うようになった。坐禅を組んだり、学問や仏教について議論したり、ときには山野へ出て、茣蓙を敷いて共に寝転がった。
「兄上は最近、だいぶ顔色が良いように見受けられます」
蘭皐が仲基に言った。蘭皐も仲基に連れられて蓮秀庵へ赴き、日初と面識を得ていた。
「日初御坊と過ごすのが楽しくてな。とりわけ屋外で陽を浴びながら寝転ぶ味は格別だ」
元来色白の仲基はほんのりと日焼けし、虚弱な体質が退行して健康が台頭したように見うけられた。




