(4)新たな師との出会い
ほどなくして懐徳堂学主、三宅石庵が病没した。享年六十六歳。二代目学主には中井甃庵が就任し、預人も甃庵がそのまま兼務することとなった。資金面のことは五同志がまかなうとしても、懐徳堂の運営は甃庵ひとりがすべてを掌握する体制となった。
仲基は芳春へ、懐徳堂を離籍したいと申し出た。芳春は、仲基が甃庵を嫌っていることを知っていた。また、仲基の学識はすでに懐徳堂の四書五経の講義内容をはるかに凌駕しており、もはや講義に出て学ぶことは何もない。そのため、芳春は仲基の離籍を認めることとし、甃庵へその旨取り次いだ。
甃庵は、仲基の離籍を事務的に処理した。仲基がこのまま懐徳堂に籍を置いていることは今後さらなる危険を伴うと感じていたため、むしろ離籍の申し出は渡りに船であった。
ただ、仲基は五同志の一人である道明寺屋の子息であるため、たとえ離籍したとしても、あくまでも世間は仲基を懐徳堂の関係者とみるであろう。仲基の言動は離籍後も懐徳堂に類が及ぶことが懸念される。甃庵は自矜心が強い仲基から今後も目を離さないことにした。
懐徳堂を離籍した仲基は、自室に籠って読書に精励する傍ら、弟の荒木蘭皐がいる池田へしばしば足を向けた。道中、川が多い。道明寺屋から進路を北にとり、土佐堀川の淀屋橋、堂島川の大江橋を通り、中津川を十三の渡し船で渡河し、神崎川を三国の渡し船で渡る。その後は陸路でゆく。
繁華な街中に住む仲基にとって、池田までの五里の道程は川の風景を楽しみ、農村山野ののどかさに触れ、四季折々の味わいもあって癒しの時間であった。
池田では、酒造家鍵屋の別邸である蘭皐宅に寄宿し、仲基は蘭皐の蔵書を閲読したり、近隣を散策したりして過ごした。
「兄上もぜひ、桐江先生にお会いになられては?」
蘭皐は仲基にすすめた。田中桐江が主宰する呉江社に入門した蘭皐は、桐江の学識と人格の高潔さとに感化され、桐江に心酔していた。
桐江はかつて、時の幕閣の権力者、柳沢吉保に仕えていたが、吉保の君側に跋扈する奸臣を斬殺し、みちのくへ亡命したという事歴がある。
儒学者でありながら単なる文弱の徒ではなく、血の臭いがする武勇伝をもつ桐江に仲基は興味があったが、桐江は荻生徂徠の親友でもあり、未公刊ながら、仲基が「説蔽」で徂徠を批判した手前、桐江と面識を得ることに一抹の躊躇があった。
「しかし……」
蘭皐は「説蔽」を読んでいたので、仲基が何を迷っているのかを察した。
「桐江先生は主義主張の違いなど気になさるお方ではありません。それに、呉江社は儒学の塾ではなく、詩文を愛でる者たちが集まって詩想を磨く同好会です。兄上も難しい本ばかり読んでおらずに、ときには詩文を練ってみるのも一興ではないでしょうか。きっと得るものが多いと思いますが」
「うーん」
これまで難解な儒学や漢学の書物にばかり組み付いてきたせいか、神経が鋭敏になり過ぎているという自覚があった。この際、風雅の道に足を踏み入れることで、肩肘の余計なこわばりが和らぎ、今までとは別の景色をみることができるようになるかもしれない。
仲基はようやく腰を上げ、蘭皐と共に猪名川のほとりにある東明寺を訪れた。蘭皐宅から約十町の道のりである。桐江はこの寺に住んでいて、呉江社の会合もこの寺で開かれる。
奥座敷へ通され、仲基は桐江と初めて対面した。このとき桐江は六十四歳、十七歳の仲基とは祖父と孫ほどの年齢差がある。痩身ながら温厚な好々爺の風情があり、かつて人を斬ったことがある人物とは到底思えない。
「お初にお目にかかります。富永仲基と申します」
「お噂はかねがね蘭皐殿からうかがっております」
五代将軍綱吉に経書を講義したこともある著名な儒学者でありながら、尊大な風はない。
「蘭皐殿も学問熱心ですが、仲基殿はさらにその上をいくそうですね」
「いえ、それほどでも」
桐江は笑顔を絶やさない。
「……お身体をいたわりなされ」
それを聞いた仲基は、ふいに目頭が熱くなった。なぜなのか、仲基自身にも分からない。
「儒教がいう『中庸』とは、なかなか難しいものです。人は日々生活する中で、どうしても片寄りができてしまいがちです。片寄るにはそれなりの理由があるから、それはやむを得ないこととも言えるでしょう。でも、折に触れて立ち止まり、自分を見つめ直すこと。不足や行き過ぎがないかどうかを吟味点検すること。人生とはその繰り返しなのでしょう。かく言う私自身、反省ばかり多くてまだまだ修養が足りていませんが」
生来の病弱ゆえに、長くは生きられないかもしれない。そんな予感が仲基自身を内側から突き動かし、周囲が心配するほどに書物へ没入する日々を送らしめる動機であることに、最近になってようやく気づいた。そんな仲基の精神状態を桐江は一目で見抜いた。蘭皐が事前に仲基の暮らしぶりを桐江に伝えていたゆえかもしれないにせよ、桐江の言葉は仲基の心の琴線に触れた。
仲基は根を詰め過ぎるほどに読書へ埋没するような片寄った暮らしぶりを見直すことに決めた。と同時に呉江社へ入門し、桐江から詩文の手ほどきを受けることになった。
仲基は東明寺のすぐ近くを流れる猪名川べりへ出て、しばしば詩想を練った。大坂にも川はたくさんある。だが大坂の川を見てもあまり詩興が湧かず、なぜか猪名川にたたずむと気の利いた言葉が次々と脳裏に浮かぶ。それに、池田に居ると体調が良いようにも感じられる。地元大坂での生活の微妙な息苦しさや人間関係から解放されるためなのだろうか。仲基は池田で過ごす日数が自然と多くなっていった。




