(3)お蔵入り
石庵の弟子で、懐徳堂預人の中井甃庵は、仲基が書いた「説蔽」を読んで困惑した。何と大胆なことをうたったものだろうか。
仲基の鬼才ぶりには舌を巻くが、これは儒学批判と受け取られることは間違いない。孔子の思想と言えども所詮は前時代の学説の加上に過ぎない、と述べているようにも解釈され、とりわけ伊藤仁斎や荻生徂徠を名指しで批判しているのは、その学徒からの反撥が予想され、明らかにまずい。
懐徳堂は甃庵が江戸の有力な儒学者や公儀要人と接触してようやく官許を得たばかりである。大坂において儒学の伝統を公的に維持伸長していく役割を担うことになった懐徳堂であるのに、その門下生がこういう論文を書いたとなると、懐徳堂とは一体何なのかと世間から詰問されることになるであろう。一歩対応を間違えれば官許取り消し、最悪の場合は懐徳堂の解散を命じられることにもなりかねない。それは決して杞憂ではない。
甃庵はすぐに病床の石庵のもとを訪ねると、「説蔽」を公表するのは懐徳堂にとって致命的な事態を引き起こしかねないため、この論文を門外不出とすべく仲基と芳春に了解を取りつけたい旨を訴え、その賛同を求めた。
石庵は、仲基の若気ゆえのとがり方も、文章からにじみ出る軒昂たる意気込みをも好もしく感じ、門外不出になどせずともいいのではないかと思っていた。だが、すでに気力も体力も衰え、この先もう長くはないことを自覚している。懐徳堂は自分が亡き後も存続していくべき有意義な学塾であり、ここで自分の意見を主張するのは得策ではないと考えた。
「そなたに任せる」
石庵は一言そう言って、床に臥した。
石庵の了承を得た甃庵は、その足で道明寺屋へ行き、芳春に対し、仲基の「説蔽」をこのままお蔵入りにするように申し入れた。芳春は、確かにこの論文を世間に公表したら波紋が起こり、懐徳堂だけではなく、仲基にも非難が浴びせられるであろう事態を憂慮し、甃庵に同調することにした。
二人はすぐに仲基の部屋へ向かった。
「ちょっといいか」
芳春が先に立って部屋へ入ると、仲基は机に向かって読書に没頭していた。
顔を上げた仲基は、芳春のほかに甃庵がいることを認めると、すぐに要件が何であるかを察した。
「おぬしの『説蔽』を読んだ」
芳春はそう言い、一呼吸おいてから続けた。
「改めておぬしの学識には驚いた。あれほどのものを若いおぬしが書き上げるとは思いもしなかった」
仲基は無言のままである。
「だが、『説蔽』はこれ以上、他言するな。おぬしにそのつもりはなくとも、あれは儒学批判であると世間は受け取るであろう。そうなったら懐徳堂が非難されることになり、おぬし個人にも矛先が向けられることになる。その事態を避けるためにも、公表は差し控えよ。石庵先生も甃庵先生も同じご意見だ」
「石庵先生もそう言われたのですか?」
仲基は意外に感じた。石庵なら、このような新説の書も許容するだろうと思っていた。
「その通りだ」
甃庵が初めて口を開いた。
「懐徳堂は官許を得て、今や公的な学問所である。あまりに斬新すぎる説を開陳して、誤解を生む事態だけは何としても避けなければならない」
仲基は甃庵が好きではなかった。儒学者でありながら周旋の才があり、交渉事にばかり時間を費やしている俗人であると見ていた。
「石庵先生がそう言われるのであれば、それに従いましょう」
仲基は石庵のことは尊敬していた。その学識にというよりも、石庵が若い頃、陽明学に走って師匠に破門されたことや、かつて多松堂という学塾を開いていたとき、土地家屋の資金提供者の中に不徳の人物がいることを嫌い、そこを引き払って自己資金でもって別に建屋を借りて移転したといった事歴に魅かれていた。
「分かってくれたのなら安心した。学問熱心なのはいいが、くれぐれも養生を忘れずにな」
芳春はそう言って、甃庵とともに仲基の部屋を出て行った。
仲基は、「説蔽」を公表すれば世間に大きな波紋を起こす可能性があることは分かっていたのだが、石庵だけは、あるいは公表を許してくれるのではないかと期待を抱いていた。ところが、その石庵が公表を控えることに同意したと聞き、大きく失望した。石庵が病床にあり、気が弱っているせいかもしれない。仲基はそう思いはしたものの、もはやこれ以上、懐徳堂に籍を置き続けることの意義を感じられなかった。




