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シルヴァーナ王国浄化伝  作者: 慈架太子


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第2章:絶望の谷に舞い降りた「傍観者」

アンジェリカが命を削って展開する「紅蓮の聖盾」ですが、1体あたり2トンを超える巨躯が時速60kmで次々と叩きつけられる物理的エネルギーは、魔導の理を超えつつあります。43体による連続した衝撃は、盾を維持するアンジェリカの精神と肉体を限界まで追い詰めました。


物理衝撃の累積: 時速60kmで迫る総計86トン以上の質量が、断続的な衝撃波となってアンジェリカの左腕を襲います。盾の表面には蜘蛛の巣状の亀裂が走り、彼女の口端からは鮮血が溢れました。


いくら「拒絶」の力を持つ盾とはいえ、2トンの質量が持つ慣性エネルギーを完全に相殺することはできず、アンジェリカの足は石畳を削りながら数センチずつ後退しています。


先頭の数体をガブリエラたちが仕留めたとしても、後続が死骸を乗り越えて突進を繰り返すため、盾にかかる負荷は一向に軽減されません。


重心崩しと「滑走」

盾の向こう側で狂乱するアーマーリザードの群れを見つめ、ガブリエラは弓を捨ててアンジェリカの腰を支えました。


「隊長! 正面から受け止めるのはもう不可能です! 盾を『壁』ではなく『斜面』に変えてください!」


ガブリエラは、水と土の魔力を自身の足元に集中させ、アンジェリカへの指示を飛ばします。


絶対絶命の危機が「紅蓮と聖盾騎士隊」を襲います。ガブリエラの機転であった氷結は、皮肉にもアーマーリザードにとって強固な足場となり、2トンを超える巨躯がさらに加速してアンジェリカの盾に叩きつけられました。


崩壊する防衛線

加速する衝撃: 凸凹に固まった氷がスパイクシューズのような役割を果たし、アーマーリザードの時速はさらに上昇。連続する衝撃波が、アンジェリカの左腕の骨を軋ませます。


盾の固定: 突進の圧力が正面から完全にかかり続けているため、アンジェリカの筋力をもってしても盾の角度を1度たりとも変えることができません。


後退の限界: アンジェリカの足元の石畳は粉々に砕け、彼女は背後の隊員たちを巻き込む寸前まで押し込まれています。




アンジェリカと5名の隊員たちは、2トンを超えるアーマーリザードの凄まじい質量と突進力に耐えきれず、紅蓮の盾ごと空中に跳ね飛ばされました。眼下に広がるのは、自らが作り出した灼熱の溶岩と鋭い岩場が入り混じる絶望の谷底です。重力に引かれ、死を覚悟した彼女たちの耳に、静寂を切り裂くような凛とした声が響きました。


「レビテーション(浮遊)」


その詠唱が響いた瞬間、落下していたアンジェリカたちの体は、まるで見えない手に優しく受け止められたかのように、空中でピタリと静止しました。


激しい衝撃で意識が朦朧としていたアンジェリカでしたが、体が宙に浮いていることに気づき、驚愕して目を見開きます。


谷の上で崩れ落ちていたガブリエラとヴィクトリアも、その光景に息を呑みました。自分たちの魔力ではない、より高位で緻密な「風」と「理」の魔法がそこには働いています。





アンジェリカと5名の隊員は、柔らかな風に包まれながら、崖の上の草むらへと静かに降ろされました。つい数秒前まで死を覚悟していた衝撃と熱狂が嘘のように、そこには夜の静寂が広がっています。


土に膝をつき、荒い息を整えながらアンジェリカが顔を上げると、夜空を背に一人の男が重力を無視して滞空していました。


空に浮かぶ謎の男

月光を背負い、風を纏って静かに浮かぶその男の姿は、シルヴァーナ王国の魔導師たちが見せる「詠唱による一時的な浮遊」とは一線を画す、圧倒的に自然で強大な魔力を放っています。


風貌: 20代後半から30代前半に見える整った顔立ち。

服装: その顔立ちや能力には不釣り合いな、あまり上等ではない、どこかくたびれたシャツを身に纏っている。

眼差し: 崖下の地獄絵図を見下ろしながらも、その瞳には冷徹さと、どこか退屈そうな色が混在している。

魔力: 杖も持たず、ただ指先をわずかに動かすだけで、アンジェリカたち6人の重さを完璧に制御している。


「……やれやれ。2000の軍勢を焼き払う才覚がありながら、獣の突進を真っ向から受けるとは。勇気と無謀を履き違えているのではないかな、アンジェリカ隊長?」


男はゆっくりと高度を下げ、アンジェリカの目の前に着地しました。その足音が一切響かないほど、彼の周囲の空気は制御されています。


アンジェリカは大剣を杖代わりに立ち上がり、激しい消耗に耐えながら、警戒を解かずに問いかけました。 「……貴殿は何者だ。なぜ我々の名を知っている。ルフェーヴル卿の仲間か?」


男は、その安っぽいシャツの袖を無造作に捲り上げながら、小さく首を振ります。 「彼のような俗物と一緒にしないでほしい。私はただ、この国が『面白い終わり方』をするのか、それとも『退屈な延命』を選ぶのかを見届けに来ただけの、通りすがりの傍観者ですよ」


崖下では、目標を見失った40体以上のアーマーリザードが、溶岩の熱に晒されながら苛立ちの咆哮を上げ続けています。ガブリエラたち残りの隊員は、崖下でルフェーヴルを確保したまま、この異常事態を凝視しています。




その男は、表情一つ変えずに再び上空へと舞い上がりました。


男は空中で指先を軽く振るうだけで、無数のファイアバレットを生成し、雨あられと崖下のアーマーリザードへ叩き込みました。


魔法も剣も効きづらかったはずの強固な鱗を、男の魔弾は紙細工のように容易く貫きます。


43体のアーマーリザードは、咆哮を上げる暇もなく、次々とその巨躯を横たえていきました。


絶命したリザードたちは、男が手をかざすたびに空中の歪みへと吸い込まれ、瞬時に回収されていきます。2トンを超える43体の質量が、塵一つ残さず消え去りました。


殲滅を終えた男は、再びアンジェリカたちの元へ舞い戻りました。 「……さて、仲間が心配しているようです。行きましょう」 男が再び「レビテーション」を唱えると、アンジェリカと5名の隊員は柔らかな光に包まれ、ふわりと宙に浮き上がりました。


そのまま夜風に乗るように移動し、男は崖下で待ち構えていたガブリエラたちの元へと全員を送り届けました。


着地したアンジェリカの姿を見て、ガブリエラとヴィクトリアが駆け寄ります。 「隊長! 無事だったのですね……! あの怪物の群れが、一瞬で……」 ガブリエラは驚愕の表情で、空から降りてくるシャツ姿の男を仰ぎ見ました。


アンジェリカは、安っぽいシャツをたなびかせる男を凝視したまま、低く鋭い声で言いました。 「助けられた……ということか。ガブリエラ、ルフェーヴルの確保は?」


「はい。しっかりと。ですが、このお方は……?」




「皆さん怪我は?」


宙に浮いていたシャツ姿の男は、地上に降り立つと、アンジェリカたちを見渡して静かにそう問いかけました。


アンジェリカは、激しい衝撃による全身の痛みと、左腕に残る盾の重圧に耐えながら、自らと隊員たちの状態を確認します。


跳ね飛ばされた際の打撲や擦り傷、魔力枯渇による疲労は見られますが、致命的な傷はありません。


崖下で待機していたため直接の負傷はありませんが、緊張と激戦の連続で疲労の色が濃く滲んでいます。


アンジェリカは男を真っ直ぐに見据え、低く通る声で答えました。


「……貴殿のおかげで、死人は出なかった。礼を言う。我らはシルヴァーナ王国の騎士、多少の傷は勲章のようなものだ」


一方で、捕虜として転がされているルフェーヴル卿は、恐怖と屈辱、そして男の圧倒的な力に打ちのめされ、言葉も出ない様子で震えています。




男はアンジェリカの左腕や口端の血を見据え、淡々とした口調で続けました。


「隊長さんは怪我をしているようだな。今はアドレナリン、ドバドバ状態のようで痛くないようだが。」


その言葉が終わるか終わらないかのうちに、男の手のひらから複数の光の弾丸、ヒールバレットが放たれました。


アンジェリカへの着弾した。盾を支え続けた左腕の骨の軋みと、全身の激しい打撲痕を光が包み込みます。アドレナリンで麻痺していた鋭い痛みが一瞬だけ引き、直後に温かな活力が筋肉の奥底まで染み渡っていきました。


同じく跳ね飛ばされた5名の隊員たちにも光弾が命中し、擦り傷や魔力枯渇による立ちくらみが劇的に改善されていきます。


回復魔法特有の詠唱や儀式もなしに、ピンポイントで負傷箇所を癒やすその技術に、ヴィクトリアら魔法に精通した隊員たちは言葉を失いました。


「……痛みが、消えていく……」 アンジェリカは驚きと共に自分の左手を見つめ、握り直しました。先ほどまでの重苦しい疲労が嘘のように晴れています。


アンジェリカは男に対し、剣を下げて向き直りました。 「重ねて礼を言う。貴殿はいったい何者なのだ? これほどの魔法を使いこなし、我らを救い、治療まで……。ただの『傍観者』とは思えんが。」


男は相変わらず安っぽいシャツの袖を気にしながら、視線を王都の方角へと向けました。





男は、安っぽいシャツの襟を無造作に正しながら、まるで近所の知り合いにでも話しかけるような軽い調子で「小言」を漏らしました。


男の指摘:現実的な戦力分析

「関係ないけど少し小言を言っていいか?」


そう前置きして、彼はまずアンジェリカを真っ直ぐに見据えました。


アンジェリカへの忠告 「隊長、いくら聖盾だって限度がある。1体2体のアーマーリザードならともかく、1体2トン以上で時速60km、それが43体だ。無謀が過ぎる。聖盾って言ったって魔道具なんだから、物理的な限界を超えれば壊れるし、あんたの命も削れるぞ」


アンジェリカは反論しようと口を開きかけましたが、男の言う「物理的な質量と速度」の正論に言葉を飲み込み、黙って聞き入ります。


ガブリエラへの評価 男は視線をガブリエラへと移しました。 「それとガブリエラさんだっけ。あなたの発想はとても良かった。死地での機転、発想力、通路を狭めたのだって、マグマを凍らせたのだって、隊長の盾をずらす助言だって、岩盤を崩そうとしたのだってとても良かった」


ガブリエラが驚いて目を見開く中、男は淡々とその「惜しい点」を指摘しました。


「惜しいのは、全て詠唱が必要な魔法で、発動に時間がかかってしまった事だ。リザードの速度に対して、あんたたちの構築がコンマ数秒遅かった。これさえ解決できれば、すべての策は成功していたと思うよ」


男の言葉は、単なる説教ではなく、戦場の真実を突いた極めて精緻な分析でした。静寂が辺りを包みます。ガブリエラは自分の手を見つめ、アンジェリカは盾を握る左腕の感覚を確かめるように沈黙しました。


「……ぐうの音も出ないな」


アンジェリカが自嘲気味に笑い、男を見ました。 「確かに貴殿の言う通りだ。我らは自らの力に、あるいは『聖盾』の名に甘えていたのかもしれん。だが、その『無詠唱』に近い速度、貴殿なら我らに教えることができるのか?」


男は少し面倒くさそうに首を掻きながら、王都の空を見上げました。





男の淡々とした、しかし有無を言わせぬ正論に、アンジェリカは思わず沈黙しました。夜風が火刑の跡が残る谷を吹き抜け、彼女の燃えるような赤い髪を揺らします。


「……返す言葉もないな」


アンジェリカは、先ほどまで握りしめていた大剣の柄から力を抜き、男を真っ直ぐに見据えました。


男の辛辣な、しかし真摯な忠告

無謀さへの指摘 「それでもわずか15人の部隊で2000人を屠るなんてことは普通はできない。隊長も副長も、もう少し戦術を使わないと、部隊に死者が出るぜ」


「普通」ではない成果への危惧 男の言葉には、彼女たちが成し遂げた「奇跡」への称賛ではなく、その奇跡が「個人の力量」と「幸運」に依存しすぎていることへの冷徹な警告が込められていました。


アンジェリカの自省と受容

アンジェリカは傍らで俯くガブリエラや、顔を強張らせているマーガレット、エリザベスたちの顔を一人ずつ確認しました。


「……貴殿の言う通りだ。私は、彼女たちの命を預かる隊長でありながら、己の『聖盾』と彼女たちの『忠義』を過信していた。2000人を倒した高揚感で、足元が見えていなかったのかもしれん」


アンジェリカは男に向かって、一歩歩み寄りました。


「戦術、か。力で押し通すのではなく、理で勝つということだな。貴殿のように、シャツ一枚で戦場を支配するような真の『戦術』を、我らはまだ知らぬようだ」




男は、少し照れくさそうに頭を掻きながら、しかしその瞳には確かな熱を宿して提案しました。


「俺は嫌事を言っているんじゃない。惜しいと思っているんだ。……どうだ、みんなで俺の魔法を学んでみないか?」


その言葉に、アンジェリカだけでなく、ガブリエラ、エリザベス、ヴィクトリアら全隊員が息を呑みました。わずか15名で2000の軍勢を屠り、王国最強の一角であることを証明した彼女たち。しかし、目の前の男が見せた「次元の違う効率性」は、彼女たちがさらに先へ行くための鍵であることは明白でした。


アンジェリカは、安っぽいシャツを着たこの底知れぬ男を真っ直ぐに見据え、不敵に笑いました。


「……面白い。2000の軍を退けた我らを、これほどまで『惜しい』と言わせておいて、断るほど私は無粋ではない。部下たちの命を預かる隊長として、より確実な勝利を掴めるというのなら、喜んでその教えを請おう!」


アンジェリカは隊員たちを振り返りました。 「総員、聞いたな! 我らの戦いはまだ終わっていない。この御仁を師と仰ぎ、さらなる高みを目指すぞ! 振り落とされるなよ!」


「「「ハッ!!」」」 15名の精鋭たちの返声が、夜の谷に力強く響き渡りました。




男は流れるような動作で土魔法を行使しました。


「まずは飯だ」 男が地面を指差すと、土が生き物のように盛り上がり、瞬時にコの字型のかまどが5つ、等間隔に並んで形成されました。 さらに男が「ストーンボード」と低く唱えると、空中に薄く鋭い5枚の石板が生成され、それぞれの竈の上に吸い込まれるように設置されます。


次の瞬間、男はアイテムボックスから先ほど仕留めたばかりの巨大なアーマーリザードを1体、空中に取り出しました。 重さ2トンを超える巨躯が宙に浮いたまま、男の指先の動きに合わせて目にも止まらぬ速さで解体されていきます。


硬い鱗を持つ皮、そして強靭な骨が、まるで見えない刃でなぞられたかのように鮮やかに外されていきます。


空中で見事な赤身の肉の塊へと姿を変えたリザードの肉は、5つの竈の石板の上へと均等に配られました。


男が指を鳴らして火魔法を放つと、竈に赤々と火が灯り、石板が熱を帯びていきます。ジューッという食欲をそそる音が夜の谷に響き渡りました。 最後に男はアイテムボックスから小皿と塩を取り出し、手際よく並べていきます。


「アーマーリザードの肉は、見た目によらず極上の霜降りだ。下手に凝った味付けをするより、塩だけで食うのが一番美味い」


2000の軍勢を屠り、死の淵から生還したばかりの「紅蓮と聖盾騎士隊」の面々は、そのあまりに現実離れした光景に呆然と立ち尽くしていました。


ヴィクトリア: 「解体に魔法を使っている……? いえ、魔力操作が精密すぎて、まるで手足のように空間を切り裂いているわ……」


ガブリエラ: 「あんなに硬かった鱗が、あんなに簡単に……」


アンジェリカ: 「……はは、戦場が瞬く間に厨房に早変わりか。全くだ、貴殿には驚かされてばかりだな」


アンジェリカは空腹を思い出したのか、鳴りそうになった腹を抑えて苦笑し、椅子代わりの岩に腰を下ろしました。


「さあ、お言葉に甘えよう! 2000の敵を倒し、怪物を退けた後の祝杯……いや、祝肉だ! 皆、遠慮なく食え!」




焼けた肉の香ばしい匂いと、竈で爆ぜる薪の音が静かに響く中、アンジェリカは差し出された肉を一口運ぶと、その尋常ならざる美味さに眉を動かしました。しかし、彼女の瞳は依然として鋭く、安っぽいシャツを纏った「師」を見据えています。


「……美味い。驚いたな、あの怪物がこれほどとは。だが、腹が満たされる前に聞いておきたいことがある」


アンジェリカはナイフを置き、真っ直ぐに問いました。


「貴殿、名は? これほどの力がありながら、なぜ名も無き傍観者を装う。それに、なぜ我ら『紅蓮と聖盾騎士隊』のことを知っている? アイアン・ゲートの戦いも、この谷での窮地も、まるで見越していたかのようではないか」


ガブリエラや他の隊員たちも、食べる手を止めてタケシの答えを待ちます。


男は自分の皿の肉を無造作に口へ放り込むと、熱そうにハフハフと息をつきながら、面倒くさそうに、けれど隠す様子もなく答えました。


「名前か。……タケシだ。苗字なんて上等なもんはない。ただのタケシでいい」


彼はシャツの袖で口元を拭うと、夜空の向こう、王都の方向を指差しました。


「あんたらのことを知ってる理由? そりゃ、王都の酒場に行けば嫌でも耳に入ってくるからな。 『紅蓮のアンジェリカが率いる向こう見ずな20人が、アイアン・ゲートに特攻をかけた』……。 そんな噂を流して、裏でほくそ笑んでる奴らが王都にいたもんでね。気になって見に来てみれば、案の定、無茶な戦い方をしてるもんだから、つい口が出た。ただそれだけだ」


タケシと名乗った男は、地面に転がされたルフェーヴルを顎で示しました。


「ルフェーヴル卿……あんたの派閥の連中だよ。あんたがアイアン・ゲートでアンジェリカ隊長と『共倒れ』になるのを、今か今かと待ってる連中が王都で祝杯の準備をしてたぜ」


「……王都に、我らの出陣を嘲笑う者がいたというのか」 エリザベスが拳を握りしめ、低く唸ります。精鋭20名という、決して少なくないはずの命すら、彼らにとっては使い捨ての駒に過ぎなかったという事実に、場に緊張が走りました。


アンジェリカは冷徹な表情でルフェーヴルを見下ろし、それから再びタケシに視線を戻しました。


「タケシ……。貴殿は、その『祝杯』をぶち壊すために、わざわざここまで来たというのか? 我らに力を貸すために?」


タケシは首を横に振りました。 「いや、俺はただ『美味い酒』が飲みたかっただけだ。英雄がトカゲに食われるのを見ながら飲む酒は、きっと不味いからな」





タケシは肉を飲み込むと、鋭い眼光でアンジェリカを見据えました。


「まずアンジェリカ、属性は火だったな」


アンジェリカは居住まいを正し、頷きました。 「ああ。私の魔力は火の性質が極めて強い。大剣への付与、そして紅蓮の盾の展開……すべて火の魔力を根源としている」


タケシはふんと鼻を鳴らし、空中に小さな火の玉を浮かべました。


「火の魔道士ってのは、えてして『燃やす』ことや『爆発させる』ことにばかり意識が行きがちだ。あんたもそうだ。大軍を焼き払い、盾を熱くして拒絶する。だが、火の真髄はそこじゃない」


タケシはその火の玉を、熱を一切発しない「青い針」のような形に変質させました。


「あんたの火は散りすぎだ。2000人を焼く時はそれでもいいが、アーマーリザードのような硬い個体を相手にするなら、火を『熱』ではなく『鋭利な刃』として圧縮しろ」


「魔力を外に垂れ流すな。大剣の表面だけで燃やすんじゃなく、刀身の内部で魔力を超高速回転させてみろ。そうすれば、斬る瞬間に爆発的な貫通力が生まれる」


タケシは足元に転がっていたアーマーリザードの剥がれた鱗を一枚、アンジェリカの前に放り投げました。


「いいか。その鱗を、熱で溶かすんじゃなく、火の魔力を針のように一点に集中させて『射抜いて』みろ。無詠唱、かつ最小限の魔力でだ。それができれば、あんたの聖盾の耐久値も、剣の威力も、今の数倍には跳ね上がる」


アンジェリカはその鱗を見つめ、自身の内にある猛々しい火の魔力を、かつてないほど繊細に制御しようと神経を研ぎ澄ませ始めました。




タケシは、言葉で説明するよりも早いとばかりに、右手の人差し指をすっと突き出しました。


「見てろ。火を『燃焼』ではなく『一点への収束』として定義するんだ」


タケシの指先から、バチッという小さな音と共に、髪の毛ほどに細く、鋭い光を放つ**「火の針」**が伸びました。それは熱を周囲に逃がさず、すべてのエネルギーが先端に集中しているため、青白く澄んだ色をしています。


タケシがその指先を、地面に置かれたアーマーリザードの鱗へ向けてわずかに振ると、


魔法を弾くはずの硬質な鱗が、まるで熱したナイフでバターを切るかのように、音もなく真っ二つに両断されました。


断面は鏡面のように滑らかに焼き切られており、余計な爆発もすすも出ていません。


「……信じられん。あんなに硬かった鱗が、これほど容易く……」 アンジェリカはその圧倒的な「密度の差」に息を呑みました。


タケシは指先の針を消すと、不敵な笑みを浮かべてアンジェリカを促しました。 「火の魔力を、広げずに一点に押し込め。理屈はそれだけだ。……さあ、やってみろ」


アンジェリカは言われた通り、自身の右手に意識を集中させます。しかし、彼女の魔力はあまりにも強大で猛々しいため、どうしても指先から「火の粉」や「炎」が溢れ出してしまい、なかなか細い針の形になりません。


「……くっ、魔力を『抑える』のではない、『凝縮』させる……。言うのは簡単だが……!」


額に汗を浮かべ、アンジェリカは自分の魔力と格闘し始めました。





アンジェリカは、かつてないほどの集中力で己の右手に全神経を注ぎ込みました。


戦場を焼き尽くす広範囲の炎に慣れ親しんだ彼女にとって、強大な魔力を一点に押し込める作業は、まるで荒れ狂う大河を針の穴に通そうとするかのような、気の遠くなる作業でした。


指先に魔力を集めようとした瞬間、ボンッという音と共に熱風が吹き荒れます。 「違う! そうじゃない、アンジェリカ。それはただの『小さな火炎放射』だ。外に逃がそうとするな、内側に押し殺せ!」 タケシの鋭い叱咤が飛びます。


アンジェリカは唇を噛み締め、右手の指先を見つめました。吹き出そうとする炎を無理やり抑え込むため、彼女の腕は激しく震えています。 「……くっ、魔力が……暴れる……!」 溢れ出していた火の粉が徐々に形を変え、指先に赤黒い「球」となって固まり始めました。


「そうだ。その球をさらに潰せ。限界まで細く、鋭く、研ぎ澄ませろ!」 アンジェリカの額から大粒の汗が滴り落ちます。彼女のイメージの中で、猛々しい紅蓮の炎が、一本の細く鋭利な「鋼の針」へと再構築されていきます。


ついに、彼女の指先から、数センチほどの揺らめく「赤い線」が伸びました。タケシの手本のような青白い純粋さには程遠く、まだ不安定に明滅していますが、それは明らかに「炎」ではなく「刃」の形をしていました。


アンジェリカは、その震える指先を目の前の鱗に突き立てようとします。


「……はぁ、はぁ……。見ていろ、タケシ……。これで……どうだ!」


彼女の指先が鱗に触れた瞬間、パチパチと火花が散ります。かつては弾かれていた魔力が、わずかに鱗の表面を削り、焦げた線が刻まれました。


タケシはそれを見て、少しだけ口角を上げました。 「……マシになったな。だが、まだ太い。その針が完全に静止するまで凝縮を続けろ。それができなきゃ、実戦じゃ使い物にならんぞ」





アンジェリカの周囲の空気が、極限の集中によってピリピリと震え始めました。


彼女はもはや、背後の隊員たちの視線も、竈の火がはぜる音も聞こえていません。視界にあるのは、指先の魔力と、目の前に置かれた漆黒の鱗のみ。


「内圧」の高まり: 膨大な魔力を無理やり一点に押し込めているため、アンジェリカの指先からはパチパチと空間を削るような異音が漏れ出します。真っ赤に燃えていた魔力は、圧力が限界を超えた瞬間、タケシが見せたものと同じ**「静かな青」**へと色を変えました。


激しく震えていた腕が、ある一点でピタリと止まります。それは彼女が自身の魔力を完全に掌握し、「放出」ではなく「固定」に成功した証でした。


貫通の瞬間

「……いけッ!」


アンジェリカが鋭い呼気と共に指先を突き出すと、青い光の針が音もなく鱗へと吸い込まれました。


43体の突進を支えたあの強固なアーマーリザードの鱗が、紙細工のように無抵抗で貫かれます。


爆発も熱風もありません。鱗には、針の太さそのままの、正確で滑らかな小さな穴が一つ、向こう側まで綺麗に突き抜けていました。


アンジェリカは指先の魔力を解くと、大きく肩で息をしながら、穴の空いた鱗を手に取りました。


「……やった。通ったぞ、タケシ……! これが、『密度』の力か……」


彼女の瞳には、かつての力任せな破壊とは異なる、洗練された「力」への理解が宿っていました。


タケシはそれを見て、無造作に拍手を一つ打ちました。


「合格だ。コツを掴むのが予想以上に早いな。その感覚を忘れるなよ。大剣にそれを応用すれば、次はアーマーリザードを文字通り『撫でる』だけで真っ二つだ」


タケシはそう言うと、隣でその様子を凝視していた斥候担当のガブリエラへと向き直りました。


「さて、次は斥候のあんただ、ガブリエラ。あんたの多属性を使い分けるセンスは悪くないが、さっきの戦いじゃ『構築』が遅すぎて命を落としかけたな」


タケシは地面の土を少し掬い上げ、即座にそれを小さな氷の膜で包んで見せました。


「あんたは氷を作ってから土を動かそうとする。そうじゃない。土の弾丸を核にして、その外殻を氷の層で包み込むイメージだ。二つの魔法を『直列』ではなく『並列』で処理しろ。そうすれば、風を切る音すらさせずに、アーマーリザードの急所を音もなく撃ち抜ける」


ガブリエラは真剣な表情で頷き、自らの手の中に土と氷の魔力を同時に練り始めました。






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