間章─ 欠けた聖女と、決して折れなかった少女
静まり返った王城の聖女の間には、今も白い花が供えられていた。
けれど、そこに聖なる気配はない。ただ空虚な静けさだけが漂っている。
「……公女殿は、やはり戻らぬか······戻れぬか·····。」
老臣のつぶやきに、侍女は小さく首を横に振った。
数か月前、聖女となる公女が姿を消してから、王都は不安に包まれている。
表向きは静かで平和も、陰では「次なる聖女」の選定を急ぐ声が飛び交っていた。
そんな中――
“神殿によって選定された聖女”という貴族令嬢、リーネ・フロンティアがいた。
「神の奇跡によって、私は聖なる光を……!」
城内の庭園で声を張り上げるその姿は華やかだが、どこか空疎で、無理に塗り固めたもののように見えた。
貴族たちは忖度から拍手を送るが、目を細める者は少なくない。
「……神殿があの子を選んだ、だと?」「裏があるとしか思えん」
「聖女の力が突然“目覚めた”など、都合が良すぎる」
かつての公女に仕えていた侍女は、リーネの振る舞いを見て苦々しくつぶやく。
「……本物の聖女は、もっと違った」
誰が言ったわけでもない。
だが王城にいる者の多くが、何か“本質”を見失っていることに気づき始めていた。
* * *
一方その頃、死の谷へと向かう前の夜――
シエラは、幼い日の記憶を思い返していた。
「シエラ、もっと足を開け。剣は腰から振るんだ。腕だけじゃ、力が逃げる」
その声は、今も耳に残っている。
幼い頃のシエラは、広い訓練場で大人の剣を振っていた。
誰もが「女の子に剣など」と眉をひそめる中、ただ一人、彼女に教えてくれたのが――公爵家付きの騎士団長、ヴァルトだった。
「シエラ、お前は強い。だが、それ以上に……“折れない心”を持っている」
その言葉に、子供だったシエラはぽかんとした顔をした。
「心って、剣より強いの?」
「時と場合による。だが“戦う理由”がない剣は、すぐ折れる。
お前は、誰かのために剣を握る子だ。そういう子は、いずれ最強になる」
その言葉を、シエラは信じていた。
けれどそれから数年――
リーネに婚約を奪われ、罪を着せられ、貴族たちに見捨てられたあの夜。
何より、信じていたヴァルトが何も言わず去ったと聞いたとき。
(私は……誰にも必要とされていなかったのか?)
その一瞬、心が折れそうになった。
けれど、折れなかった。
あの言葉が、心に残っていたから。
(ならば、私が証明する。剣も、心も、折れてなどいないって)
───────
だからこそ、あの死の谷へと向かう決意ができた。
だからこそ、神の声が届いたのかもしれない。
“その時から君は、僕の領域に触れていたんだよ”
シエラは、契約の刻印を胸に感じながら、目を閉じた。
ヴァルトは今、どこにいるのだろう。
どうしてあの時·····
”形見”と自分に言い聞かせている剣を胸に抱きながら思う。チクリと痛む心に気づきはするものの、それでも···。
彼が剣を教えてくれた理由のすべてを、いつか聞ける日が来るのだろうか――
* * *
王都では、偽りの聖女が台頭しようとしていた。
だが誰もが気づいている。“真実の光”は、まだ現れていないと。
それが“追放された少女”だった事は一部の人間のみが
気づいて·····いや、信じている事実だった。