9─赦しと祈りの狭間で
夜が深まり、森の中はしんと静まり返っていた。
焚き火の残り火が、ゆらりと影を踊らせる。
その中で、ヴァルトは一人、剣を膝に置き、ただじっと炎を見つめていた。
──あの時、もし自分がもっと強ければ。
──あの時、誰よりも彼女を信じていると言えたなら。
けれど、あの日。
王城でシエラが「聖女ではない」と断罪されたとき、彼は何も言えなかった。
「……本当に、愚かだった」
低く搾り出した声に、誰も応える者はいない。
だが、その静寂に包まれることこそ、今の彼にはふさわしかった。
自分が何を恐れていたのか。
それは「公爵令嬢である彼女を庇えば、自分も立場を失う」かもしれないという、卑小な計算だった。
「君が、何より孤独だった時に。俺は……剣を抜けなかった」
焚き火の炎が、一瞬揺れた。
まるで、その告白を聞いているかのように。
その時だった。
「……ヴァルト」
声の主に、ヴァルトは顔を上げた。
そこには、月光を背に、シエラが立っていた。
月に照らされ輝く銀髪に淡い紫にも見える澄んだ瞳。
夜風に揺れる外套の下には、確かに「戦う者」としての気高さがあった。
けれど、その瞳にはまだ幼き頃の、優しさと脆さも残っている。
「……聞いてたのか」
シエラは黙って頷くと、彼の隣に腰を下ろした。
「あなたが私を見捨てたとは、思ってないわ。……ただ、怖かっただけよね」
その言葉に、ヴァルトは顔を歪めた。
「違う。その時の俺は愚かでしかなかった·····。
すぐに怖くなったのは、君が……俺の知らない場所へ落ちていくことだった。
でも俺は、それを引き止めるだけの“信念”も、“覚悟”もなかった」
それが彼の、いくつかの後悔のうち最大のもの。
「……君はただの令嬢じゃなかった。俺の誇りだった。
それなのに、王城の空気に呑まれ、誰かの言葉を信じて、君の言葉に背いた」
言葉に詰まるヴァルトの肩に、シエラはそっと触れた。
「私は……もう過去に囚われてないわ。
ユルルやシル、それに──あなたとも、こうして歩ける。
それが今の私にとっては、なにより救いなの」
沈黙が降りる。だが、冷たくはない。
やがてシエラが、小さく笑った。
「昔、あなたの剣の稽古を見て、すごく格好いいなって思ってたのよ。
大人になったら、ああなれたらいいなって」
「……まさか、君が本当にここまで強くなるなんてな」
「ふふ、でもね。憧れだったけど、いつからか『隣に立ちたい』って思ってた」
その言葉に、ヴァルトの瞳がゆらぐ。
「それなら……今、やっと追いつけたのかもな。
俺も、やっと隣に立てるようになった気がする」
焚き火の炎が、再び揺れる。
今度は優しく、静かに、互いを包み込むように。
やがて、シルが寄り添うように二人のそばに座り、ユルルがすやすやと寝息を立てた。
仲間とともに。
そして、互いの過去を赦し、未来に向かって歩き出す──そんな“夜明け前”のような時間だった。