完食・には頬・張るィズム
今日は一週間に一度のお楽しみ。
仕事を手早く切り上げた僕は、靴を脱ぐや否や台所へ向かうと、冷蔵庫の扉を開けば中には、昨日から準備していた赤身肉が眠っている。
靴下や手袋の処理も後に、冷蔵庫から取り出したお肉へ塩胡椒をまぶし、鉄のフライパンにも油を引く。
ここまでは正に完璧。
そしてここからがこの料理の大一番。
まだ鮮血滴るステーキ大の赤身肉をゆっくりとフライパンの上に横たえさせる。
ジュッという天使のラッパが如き、肉の焼ける天啓の音楽と腹を擽ぐる肉の香り。一週間に一度の贅沢、ここが至福の時だ。
レアが好きなので表面にだけ火を通せば、後はタレを作って完成。
居間に移動する時間すら惜しみ、そのまま台所で最高の晩餐と洒落込んだ。
◇
その夜のことである。
僕は草原の中に咲く一輪の雑花となっていた。
もちろん夢の中の話で、だけど。
しかしその夢には、なんとも言い知れないリアリティが存在した。花弁や茎や葉に当たる心地の良い風を、鮮明に感じることができたのだ。
ただし、それだけだった。
言葉通り花となった僕は大地から栄養を吸い、太陽の朗らかな陽気を浴び、ただ根を枝を伸ばす日々を過ごした。
他に何をするでもなく、他に何が出来るでもなく。
現実の数時間が夢の中では数ヶ月に感じられ、花か人か曖昧となった僕はいつしか、この花暮らしが一生続くものと思うようになっていた。
「―――」
まぁ現実は…いや、夢の中といえど話はそう簡単ではなく。花の生にも終わりはやってきた。
夢を見始めてから…自分の身体が花になってから体感で半年ほど経った、ある夕方のこと。
一匹の虫が視界外から唐突に舞い降り、僕の蜜と蓄えた栄養を全て吸い尽くす。花は呆気なく枯れ、夢からも覚まされるのであった。
◇
それから丁度、一週間後のことだった。
もう、先週見た夢の内容なんて朧げになっていた頃――今度は一匹の虫になる夢を見た。
どこにでもいるだろう、何の変哲もない普通の虫。
しかしその虫というのが、何の因果か…以前の夢で僕の蜜を吸い尽くした虫だったのだ。
けれどその事に気が付いたのは目覚めてから。夢を見ている最中はただ純粋に、初めて味わうリアルな虫の性を楽しんだ。
宙に浮かぶ感覚、世界の見え方、感覚の鋭さ、その全てが新鮮だった。
けれども今度の夢は、先週よりも呆気なく…あっという間に覚めることと相成った――虫の天敵である鳥に出くわしたのだ。
これまでの平凡な一生の中で、死に直面した機会など数える程しか経験したことのない僕が、鳥に対して抵抗できる筈もなく。
僅か数日で、その生涯に幕を閉じるのであった。
◇
それから僕は、一週間の間隔で不思議な夢を見続けた。
自分が喰らわれ覚めれば、次に見る夢は喰らった相手側へと視点を移して。
この日は虫を啄む鳥になって大空へ飛び立つ。その一週間後には鳥を捕食する程に大きな魚で海を回遊する。更に一週間後にはどこか見覚えのある…人間の青年の姿となっていた。
「あぁ、やはりこの夢はそういうことか…」
現実の自分よりも幾分か高い声に多少の違和感を覚えながら、晩御飯に出てきた〝とある魚〟の竜田揚げを完食した僕は席を立つ。
食後の散歩がてら家の外…夜でも賑やかな街を散策してみれば、やはり見覚えのある街並み、見覚えのある景色、見覚えのある光景だった。
「…ということは、ここを通れば――」
馴染み深くもそこは、人気のない裏道。
ビルとビルの狭間にある薄暗い、人一人通れるか程度の細い道。けれど今は二人の男が並んでいた。
いや、正確には一人の男と一つの遺体といった方が正しいだろう。今まさに男の片割れが、鈍い色の鉄によって事切れたのだから。
「あ、ぁあ、あ、あああああ」
自然と溢れる青年の声は、首から血を流す男から命を奪った…もう一人の男の視線を奪った。
殺し屋と呼ばれるその男の顔を、僕は実際には見たことがない…けれど、鏡を挟んだ世界でならば一番見た顔であった。
――その男は今日も今日とて。
一週間に一度の贅沢であるステーキを…血の滴る美味しい肉を丁寧に丁重に大切に食するのだった。