中編
その後、私は攻略対象者たちと一緒に魔王討伐の旅に出た。
もちろんその中に魔術師クーリはいない。
無謀というしかない旅だったが、それ以外に魔王に抗する方法が見つからなかったのだ。
とはいえ、私に聖女の代わりが務まるはずもない。
かろうじて聖属性魔法は使えるものの、私の力は聖女に比べれば雀の涙みたいなもの。治癒はもちろん、志気を向上させる補助魔法も状態異常の回復魔法も、ほとんど効力を発揮しなかった。
当然、聖属性の攻撃魔法なんて、夢のまた夢。
なにより、私と彼らの間には好意の欠片もない。
ぶつけられるのは憎悪と蔑み。おまえのせいでこうなったという恨み辛みだけ。
――――好感度がマイナスじゃ、強くなれるはずないわ。
誰ひとり魔王を倒せるなんて思ってもいない死出の旅路を私たちは進んだ。
「退け! 邪魔だ」
魔獣との戦いの最中、騎士団長の息子に手荒く突き飛ばされ、私は膝をつく。
それでも泣いている暇なんてなかった。
どんなに非力であろうとも、必死でもがかなければ死んでしまうのだから。
「その魔獣の弱点は、右肩です! 炎系の攻撃が効くはずですから、右肩に集中攻撃してください!」
私は、ゲームの知識を大声で伝えた。
それによって返ってくるのは、なお冷たい侮蔑なのだけど。
「……君は、それほどの情報を持ちながら、なぜあんなことを」
悲哀のこもった声で呟いた王子が、剣を振り上げ魔獣に突っこんでいった。
今や彼の青い目は光を失い、漂うのは虚無感ばかり。
それがなにより辛いと思う。
あんなに愛していた人を、私は廃人同然にしてしまった。
悔やんでも悔やみきれない痛みを抱え、それでも私は歩いていく。
歩くしかなかった。
日々生死の境目で戦い続け、遅々として進まぬ行程をそれでもジリジリと進む。
最後には、憎悪も侮蔑も悲哀もなにも感じずに、ただただ魔獣と戦うだけの操り人形となり、疲れ果て泥のように眠る毎日を繰り返すだけだ。
そうしてどれだけの時が経ったのだろう。
自分たちが誰でどうして戦っているのかもわからなくなりかけた頃、私たちはようやく魔王の前に辿り着いた。
――――そして、絶望する。
魔王は、今まで戦ってきた魔獣など問題にならないほどに強大で恐ろしい存在だったのだ。
ここに来るまでの戦いで、それでも以前よりはるかに強くなったはずの私たちを、魔王は片手で叩き伏せる。
「うぉぉぉぉっ!」
王子の必死の攻撃も、うるさそうに反対の手で振り払った。
もんどりうって地面に叩きつけられた王子は、ピクリとも動かなくなる。
身じろぎ程度の魔王の動きで、私たちは全員戦闘不能になってしまったのだ。
圧倒的な力の差に愕然としていれば、魔王がこちらに向かって手をかざす。
その掌に高密度の魔力が集まっていくのがわかった。
――――ヤバい、ヤバい、ヤバい! あれは魔王の最大攻撃魔法だ。
一撃で周囲一帯を焼け野原と化すほどの魔力を、魔王は放とうとしている。
今すぐ逃げなければいけないのに、私の足は竦み、王子たちは倒れ動けなかった。
絶望の中、魔王の力が放たれて――――!
「いやぁぁぁっ!」
大声で叫びながら、私は死を覚悟した。
―――――こんなことなら、素直に婚約破棄を受け入れていたのに。
もう何度目になるのかもわからない後悔をする。
もう終わりだと思ったけれど……目をつぶり体を縮めた私に、痛みも衝撃も襲ってこなかった。
「――――なんだ、魔王の攻撃とはこの程度か」
かわりに聞こえてきたのは、ひどく冷静な声。年経た老人のようでもあり幼い少年のようでもある不思議な声だ。
私は、恐る恐る目を開けた。
そこにいたのは、私より幾分小さな背中の持ち主。短い黒髪の中学生くらいの少年だった。
ただし、彼の背には二枚の羽が生えていて、大きな尻尾が目の前で揺れている。
「クリリン、油断するなよ」
別の声が聞こえ、私は慌ててそちらに目をやった。
「え? ……スーツ?」
思わず声が出る。
だってそこにいたのは、高そうなスリーピーススーツを着た紳士だったから。
しかも、ものすごいイケメンだ。美しい金の髪と澄んだ青い目、どこのセレブだというようなスラリと背の高い男性が、片手で髪をかき上げている。
「そっちこそ。戦闘は久しぶりだろう?」
「問題ないさ」
男の雰囲気にのまれた私が呆然としている間にも、少年と男は軽い口調で言葉を交わしていた。
その際、少年が横を向き彼の目が金色で縦長の瞳孔を持っているのが見て取れる。
――――あの目は?
「……魔術師クーリさまですか?」
小さなつぶやきだったはずだけど、私の声を耳に拾った少年は、こちらにくるりと振り向いた。
「クリリンだ。そう呼べ。……もしくは久里朱だ。今はそう名乗っている」
クリスと聞いたとたん、前世のキラキラネームを思いだす。どんな漢字を当てはめるのかなと考えはじめ……そんな場合じゃないと首を横に振った。
どうやら魔王の攻撃は、クーリが魔法で防いでくれたみたい。
「……どうして、助けてくださるのですか?」
感謝の言葉より先に、疑問が口をついた。
だって、クーリの探していた主人は聖女の母だったとミャルから聞いたから。
聖女を陥れた私たちに、彼が好意なんて持つはずがない。
「悠愛がそうしてほしいと願ったからだ」
私の問いかけに、クーリは素っ気なく答えた。
――――え?
私は信じられずに息をのむ。
だって、悠愛って聖女の名前でしょう?
私に攻略対象者との仲を邪魔され日本に帰った聖女が、私たちを助けてほしいと願ったの?
「俺の娘は優しいからな。……本当に、素直で純粋で、天使みたいな世界一可愛い娘だ!」
自慢げにそう言ったのは、スリーピーススーツ姿の男だった。
彼は、高々と片手を突き上げる。
見れば、その手にはいつの間にか大剣を握っていた。
娘ってことは……ひょっとしてひょっとしなくとも、聖女の父親なの?
「あれは――――まさか、勇者の剣か?」
背後から呆然としたような声が聞こえた。
振り返れば、傷つきボロボロになりながらも王子が立ち上がっている。
「勇者の剣?」
「そうだ。もう本物は失われて二百年近く経つが……城の宝物庫にあったレプリカとそっくりだ」
「本物だからな」
こちらを見てニッと笑った男は、剣を構え魔王と向き合った。
「ということで、正直おまえとこいつらのどっちが勝とうと俺にはどうでもいいんだが……最愛の娘に『お願い』されたからにはな、悪いが死んでくれ」
言った瞬間、男の姿が消える。
驚く間もなく、ズシャッ! という音が聞こえ、見れば男が魔王の腹を横なぎに切り裂いていた。
魔王は、信じられないような顔で男を見、そして自分の傷を見る。
愕然として、腹を押さえ咆哮を上げた。
「グォォォォッ!!」
しかし、それは同時に断末魔の叫びとなる。
男はもう一度、今度は魔王の頭上から一直線に剣を振り下ろし、魔王を真っ二つにした。
咆哮を途切れさせた魔王は、あっけなく倒れてしまう。
地に落ちた魔王の体が、サラサラと崩れ消えていった。
後にはなにもない大地が広がるだけ。
私は、声も出せずにその戦いとも呼べぬような一方的な殺戮を見ていた。
「……弱いな。今どきの魔王は、みんなこんなに弱いのか?」
呆れたように男は呟く。
魔王を倒したばかりなのに、息ひとつ乱していない彼の顔に浮かんでいるのは困惑だ。
「さあな? だが、最近の魔王は人間に無理やり復活させられていたからな。そのせいかもしれないぞ」
男の疑問に少年姿のクーリが答えた。
「無理やり復活させられていた?」
「ああ。魔王が定期的に復活するのは知っているだろう。人間の魔術師がその周期を早めることに成功したんだ。以前は百年周期だったが、最近は数十年に一度は復活させていたと思う」
――――そんな! いったいどうして?
私は驚き息をのむ。
クーリは、淡々と説明を続けた。
「最初は、魔王を召喚して使役しようとしたらしいんだがな。そのために異世界から聖女を召喚する魔法陣のアレンジを試みたんだそうだ。……結果、召喚には失敗したが、体を形成しつつある魔王を無理やり目覚めさせることには成功したらしい」
クーリの答えに、男はますます首をひねる。
「わけがわからんな。どうしてそんな危険を冒すんだ? 弱いうちに討伐しようって魂胆か?」
「偉大な竜である僕に、卑小な人間の思考などわかるわけがないだろう。……だが、そんな殊勝な理由じゃないみたいだぞ」
クーリは悪そうな笑みを浮かべた。羽が得意げにパタパタと動く。
「このことは、ご主人さまにも報告してあるんだが……彼女は、戦争が儲かるからじゃないかって言っていた。あと、魔王を倒して平和になると、兵士とかグンジュサンギョウ? とかの従業員が失業して不景気になるんだろう? そうすると国民の不満が溜まるから、それが国王に向く前に、魔王という明確な敵意を向けられる相手を作ってガス抜きさせるんじゃないかとも。……あ、あとは『聖女』を召喚できる立場の優位性を周辺諸国に知らしめるためもあるって言っていたな」
―――――うそ! そんな理由で?
とても信じられない……ううん、信じたくないと思う。
クーリの言葉を聞いた男は、いやそうに顔をしかめた。
「……それが本当ならバカすぎる」
「おまえの子孫だろう? 勇者さま」
「そうだが。……直系じゃないからな。俺の子は悠愛だけだ。今の王族は俺の代わりに王位を継いだ従弟の子孫だぞ」
勇者と呼ばれた男は、不本意そうに言い訳した。
……聖女の父であり、今の王族の先祖と言われる目の前の男。
きっと彼は、聖女の母の時代の勇者なのだろう。
そして、魔王を倒した後で聖女の帰還に伴い地球に渡り、向こうで結婚したに違いない。
地球とこの世界は時の流れる早さが違う。こちらの一年が地球では一ヶ月だ。
聖女は十六歳だったから、こちらの世界で換算すれば、彼はおよそ二百年ほど昔の勇者となる。
「―――――そんな! そんな愚かな真似を父上が許すはずがない!」
いろいろショックで呆然としていれば、大きな声が聞こえてきた。
叫んだのは王子で、先ほどの話が信じられなかったのか、クーリと聖女の父を睨んでいる。
王子の周囲には他の攻略対象者たちも集まっていた。誰もが今聞いた話を信じられないと言わんばかりに、目を見開き固まっている。
「許すもなにも、魔王の復活を命令していたのは国王だぞ」
クーリはあっさり暴露した。
「そんな! そんな、バカな――――」
王子はその場に崩れ落ちる。
「おいおい、その程度でショックを受けていたら、この先持たないぞ。なんせべスラの王族たちは国を捨てて逃げだしたんだからな」
誰もが耳を疑う言葉を、聖女の父が発した。




