2章10 第38話
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―エレ視点―
私の記憶にある一番古いものは、4~5歳のころ、子供たちと施設へ向かうトラックの中で大人から飴玉を貰った記憶です。
思えば、この幼い同乗者達は難民キャンプや収容所から送られてきたのだと思うし、もしかしたら私自身も、そこから行ったのかもしれない。
そんな感じだったから、いつからか、私の両親はどこか異国の地で死に、物心つかない間に人の手を伝ってその国に流れ着いたのだろうと考えました。
しかし、周囲と比べれば最悪な生活と言うわけでもありませんでした。
そのころいた施設は※ザヴァニ地区 と呼ばれる4~5万人ほどがいる居留地の一角にありましたが、その近くには仮設テントを使い居留民が営む露店が2~3kmに渡って並ぶマーケットがありました。
そこでは両親がわずかばかりの貨幣を稼ぐために仕事を選ばず働いていたり、働いていなかったりする傍ら、路上窃盗をしなくとも「ギブミーマネー」とうろつく子供たちがいました。
とはいっても、基本的に電子マネー取引が主流になっているので、スリを警戒して現金を持ち歩かない住民が多いという事もあり、基本的にこうした行為は顔見知りになる事が目的でした。つまり荷物の運搬などを手伝って、その駄賃として小銭を貰うということです。
少なくとも私は服も食料も支給されるだけ、脳と時間をそれらにあまり割かずに済ます事が出来ました。
※ヨルダンのシリア難民キャンプのようなものを想像しよう。
何も持たずに来た移民が、そんな身分に甘んじるのはまっぴらだと考えるのは自然な流れです。そう考えなければ、そもそも移民なんてしないでしょう?
中には以前に立派な教育や訓練を受けた、職業についていたという証明を行い、以前の主人にそうしていたように、新しい主人の庇護を受けようと宗旨替えを行う事を宣誓し、少なくとも一財産を築くまで表面上は同化したように振舞う人々がいるでしょう。
そうでない者は逃げて来た理由に思い至り国や組織に使いつぶされて精神が疲弊した記憶に苛まれ大人が無気力になるのも子供ながらにも理解できる話です。
そこまでいかずに自立の心があれば、その国の国民の中で考えることを放棄し、ただ自らの神に祈り、日々を過ごし、死を待つのもいいでしょう。しかし大抵は起業家精神にあふれているといえば聞こえはいいですが、その国の法律や習慣も分からずいい加減な仕事をすると現地住民に嫌われ、ともすればグレーな仕事に従事して嫌われ、そうして似たような境遇の者が集まり、国際支援を疑似的な通貨発行機関(信用機関)とし、外国人居留地を形成する。
このザヴァニ地区もそんな地区の一つでした。
※例えばヨルダンにおけるシリア難民の就労許可割合は全体の4%であり、生活を公的・私的支援に完全に依存するか、国内的には就労許可のない違法就労状態である住民が多く、協定や条約により国外追放措置が出来ない場合、寄り集まった集団が半ば治外法権化するのはよくある流れである。
さて、賑わっているマーケットの商品は近くの街などから購入するので、地区へ荷物を搬入する業者は近くの気動車駅から小型車両で搬送して来ますが、たいがいは子供たちの「ギブミー」にさらされていました。
なぜ子供たちがこうした行為をしていたのかと言うのは、理由があります。
街の住民は基本的に街から出ず、貨幣獲得手段が限られていたからです。
というのも、見た目で、特に子供は出身地が分かるので、外に出る事は用心すべきこととみなされていたからです。
確かに受け入れ国側も居留民もドワーフ系であり、民族的には同根ではあったけれど、一見して外見からはっきり居留地出身はわかるからです。
これには、食生活の違いが関係していました。
居留地は混成集落でもあり、各地方に対応するのが困難なため、各地のご当地料理も屋台で売られているが嗜好品のような認識になっており、普段は国際的に供給が確保しやすい柔らかい食品が多くなっていました。
対して受け入れ側は※固めの食事が多かったのです。
※鮭とばや、固い黒パンみたいなものを想定しよう。
咀嚼が多い食事をとると顎が発達して横方向に骨が成長し、このままでは頭骨全体として四角形のような形になり見た目が悪くなるとして頭蓋を上方向に変形することで成長してからの見た目の強制をする文化がこの一帯には昔からありましたが、ここ最近は民族的伝統として堅持するため、居留地外では固めの食事が多かったのです。
対して居留地内ではかつてはこうした風習があった地域出身も食事の変化に伴って必要性が薄くなり、最近ではほぼ廃れていました。
※頭蓋変形は特に幼少期に顕著な差異が出る。
あるとき、買い物に行った時には子供たちを追い払った後、業者同士でこんな会話をしているのを聞きました。
「汚らわしいガキどもだな」
「それにあいつらは恩に感じませんよ、施しは権利だと思っている奴らです。
とはいえ、自称優秀なものを取り立てると増長する、困ったものです」
「アホな奴ほどガキを作りたがるしな!
人口動態確認だけでも年に数千万(※日本円で数十億)かかってるらしい!」
私は、なぜ彼らが否定的な感情を抱いているのか聞いてみたことがあります。
というのも住民の大半はドワーフ系ですので、耳の形からエルフ系に見られることが多い私は警戒されない事が多かったからです。
居留地に来ている民族にはまず無断で借用したり強引な取引を行って、相手が断れない状況にして値段を値切るという悪癖があり、不当な利益を得ているとみなされているというのがまず先行しているということでした。そもそもこの集落も違法越境してきた600人が無許可で仮設集落を建てたことに端を発しており、土地返還を求める組織的運動も街の外ではあるという事です。
もちろん私も荷物運びなどを手伝ったことはありますので、彼らが言っている事も理解できる要素はあります。
あるとき、40か50歳になる商店主のところに荷物を運ぶ手伝いをしたときの事です。私は知り合いの、もしくはその時初めて会った同年代の5~6人と人力車を曳き商店へ荷物を降ろしていると、最初から怒りながら近づいてきて、
「おいガキども気をつけろよ!」
と店主は怒鳴りました。
もちろん集積場までの個人請負会社や1次請負の場合は商品の欠損などはそちらで補償費が支払われますが、子供たちはそうした保険に入っている訳はありませんから店側が危険負担する必要があります。なので、業務による損害保険支払いの補償額の上限がある損害保険を使うことを非常に嫌う風潮は一般的にありましたが、その時の店主は監視や手伝いに自身の徒弟(従業員)を出す事すら渋り自分で確認に来るほどのケチぶりで、ガミガミと吠えて駄賃を渡すと、仕事が終わった私たちを邪険に追い払ったのでした。
そこまで猜疑心や経費にうるさいなら、それなら自分たちでやったり、雇い入れたり、または貧困民への支援を行うという考えがまったくないのは、全くわかりませんでした。
私は帰宅してから、周りからはジュリと呼ばれるこの国出身の16才になる年長の少女に「人が偉くなるとは、同時に道徳も身につけることだと教わりました。しかし余裕のある方がより他人を見下している事実を感じます」と、遠回しに集落の皆が道徳を身に着ければ、受け入れられるのに、なぜしないのかという事を聞きました。
その少女はその前の年、保護官から両親の前で「貴方の娘は売春婦です」と14才の時に母親に告げられ、監護権を停止されて18才までいるようにと施設に送られてきたといっていました。
彼女曰く、「※運悪く心臓が悪いおじさんが腹上死してね。すぐ逃げたんだけど防犯カメラから足が付いたらしくて。ほんと運がない」と、周囲に言っていました。
※フランス映画でこういう作品あったんで、たぶんノンフィクションです。間違いない!
「だから言っているでしょう?
苦労したものが他人に優しくなるというのは幻想だって。
なぜなら人は自分のためにしか努力できないのだから、努力による果実は全て自分に帰ってくるべきだと思うのは当然でしょう」
彼女は常々「人とは商品なのよ、国に自分を売り込むか、私人に売るか、そのちがいなだけで商品なのだ」と言っていました。
驚嘆すべきことだと、当時の私は考えていました。
人が商品!?そうならないように社会制度が整えられ、規範が共有されているのではないのでしょうか?
私は彼女におずおずと尋ねます。
「そうした考えで、3年も施設に閉じ込められるのは苦痛に感じないのですか?」
彼女は明るく笑った後、
「思うところはあるけど、ま~でも、仕方ないから3年は大人しく勉強にいそしむことにするわ、これも自分の商品性を高めるためと思えばお得よね」
と言いました。
――また、それから数か月後、
街から出た少年が行方不明になってから3か月後、両親あてに監護権停止と少年刑務所移送を知らせる通達がされ(スリをした疑いで(実際にやったのかどうかは、わかりません)司法警察から逮捕され)、デモが行われたときには、
「いつかあなたは私に聞いたわね、なぜ彼らはこの国の道徳に従わないのか、これが答えよ」
と、怒りを隠さず、このように言っていました。
「例えば窃盗なんていうものは、世間では悪のように言われているけど、実際にはたいしたことがない行為なの。30人の泥棒がいたなら、非業の死を遂げるのは6人もいないし、逆に賞賛されるものは10人を下らない事は証明されているの。
既得権者は盗みと強盗によって富国を成して来たのだから、いくら彼らがそれを規制しようとも、富の不平等や政府の不当な徴税に対する知恵と勇気はいつの時代も勇敢な行為とみなされているわけよ。
そもそも刑罰を受けるかどうかの観点で言えば、逆境が被告に不利な証拠となる裁判慣習がある国では、治安を理由に軽犯罪で引き立てられ簡単な裁判手続きで刑罰や社会奉仕が言い渡されるのだから、そもそもやるかやらないかも重要ではない。財力や称号のなさが有罪や刑罰の加減に直結しているのだから、貧困なものが罪業を気にかける理屈がないでしょう?」
たしかにここの住民の嫌われている強引な取引の(彼らが正義と信じる)理由としては、筋が通っているようには思えました。
しかし正直なところ、私はよく施設内にある共同端末でSNSを閲覧して、そこでよく美談が賞賛されていましたので、何か言い返したい気持ちと、現実的な策が思い付かないという思いに挟まれていました。
彼女は続けます。
「子供が純真で居られる時期は貴重である、と私も昔は習ったわ。その時は、私もそれはプラスの意味で受け取っていた。でも今は違う、子供を無知に留め置く行為は、部屋の温室の中で飼育された蛹から孵化した蝶が唐突に野に放たれ、即座に鳥に食われるようなものだと知っている。
強者となったなら自分の権利を濫用しろ。人の統治には法と道徳があるが、道徳の範疇であるならどのような罵倒も意味がない。それでどうにかなるものは自らの収入源を持たない者だけだ、だから私はここを出たら、ここに来た理由とまた同じことをしようと思う
私は子供のころ父が失業して、行政のお慈悲(皮肉たっぷりに)にすがろうとしたことがあった。
その時の担当官の対応は今でも覚えているわ
迷惑そうに、本当に出来ることはやったのか、まだ母親は若いのだから出来ることがあるはずだ、娘も何かしらバイトができるのでは?外国人でもしているぞ、自助努力は!あの手この手で追い返そうとしていたのを今でも覚えている
両親がそうした対応に辟易して申請を断念したのを見たとき、両親がガンコだったのもあるけれど、その時の私は何を言えばいいのかわからず、行政が申請の受け取りを拒否するのは違法だと知らない私たちは、しばらく、本当に苦しい生活を送ったわ
そうだというのに、今ではGDPがどうの言いながら政府は外国人に手厚い支援をしている! はははっ、笑っちゃうわ
それを見た瞬間、信仰していた者が全て吹き飛んでしまったのね
私はね、別に支援をするかどうかに文句を言っているのではないの
道徳だの道理だのルールだの、それまで社会を成り立たせるのに重要だと騙されていたものが心底どうでもよくなった
犯罪を起こさない事より、違法行為をしても自らの利益を追求することがこの国で求められている事なのよってことよ
なぜなら犯罪として処罰されなければ、違法行為はないのだから!
私は今回補導されたけれど、別に前科が付いたわけでもないし、公には何の犯罪も犯していない。これこそ私の考えが正しい証拠よ」
私は13歳になるころ、ある子供を産めないというエルフの慈善家に引き取られましたが、彼女のその言葉は私の心に深く刻み込まれていました。
辛い現世は来世幸せになるためだ、という幻想があったわけではありません。でも、堕落すまいとする思いがなくなったら、人は動物と変わらないという信仰が、彼女の話は詭弁だという強い一つの声が私にはありました。




