第3話
癌が見つかったと聞いた時、直感は確信に変わった。父はもうすぐ死ぬ。占い師でもなければ医者でもない僕には余命などわかりはしなかったが、もし病が取り去られたとしても、いかに長く粘ろうとも、10年は持たないだろうと思った。実際のところ、見事に予想は当たった。手術よりも前に癌腫は全身にばら撒かれ、ついには骨にまでその手は届いてしまった。骨癌の苦しさは激しい痛みに起因する。骨が脆くなり病的骨折を繰り返したり、腫瘍そのものから産生される発痛物質によってそれは引き起こされる。想像を絶する痛みだ。それも末期となっては取り除く手立てはない。できることといえば鎮痛剤を投与すること、そしてベッドに横になることだけだ。寝たきりの時間も父にとってはある種の褒美であるかのように見えた。家庭を支えるためにあくせく働き、様々なものを犠牲にして生きてきた姿を僕は知っている。きっと、何十年もの間こんな日々を夢見たのだろう。ベッドの横、小さな机の上には、図書館から簒奪するように借りてきた大量の書籍が積み上がっていた。明くる日また見舞いに行くと、その本の塔は2つに別れており、また次の日には新しい塔の方が高くなっている。一日に何頁読んでいるのか、果てしない文字の羅列を幸せそうに食い散らかしていた。今はその飢えを満たせばいい、飽き足りるまで貪り食えばいいと思った。
だがせっかく手に入れた緩やかな休養の日々はあっという間に苦難の時間へと変貌を遂げた。鎮痛剤に耐性がついてしまったのだ。父は痛みを再び訴えるようになり、より強力な効き目のある鎮痛剤が投与された。その度にまた”本の虫”は姿を見せるようになったが、結局は繰り返しでしか無く、そのスパンは徐々に早くなっていった。1ヶ月もしないうちに最も強力な鎮痛剤の投与が始まり、痛みとともに文字喰いは深い眠りについた。
かわりに顔を出すようになったのは、幼い男の子だった。父の深層心理に隠れていた幼児性。全てのペルソナが眠ってしまったからには彼が矢面に立つほかなかったのだ。彼はよく寂しいと泣いていた。子供らしくえんえんと騒がしく泣いた。所構わず四六時中泣いた。家が恋しい母が恋しいと泣いた。そんなときはいつも母が隣に座り、父の背中を擦っては話しかけていた。僕はどうしてもその姿が見ていられなかった。
父がせん妄に取り憑かれて情けない姿を晒すのが見るに耐えなかった訳では無い。共感してしまうのがつらかった。僕も一緒になって泣いてしまいそうになるのが苦しくて仕方なかった。なぜならば、僕の心の中にも、彼によく似た男の子が座っているのだ。甘えん坊で、寂しがり屋で、幼いあの子供こそ僕なのだ。いや、誰しもそうなのかもしれないと思った。人は皆母に包まれて生まれ育つが、激情に支配された少年時代にはそれを忘れその手を離れる。だがいつかそのぬくもりを思い出すのだ。寝たふりをして腕に抱かれたまま寝室に運ばれた時の幸せを、手を繋いで歩いた道を。だが、もう二度とそれが手に入ることはない。そのときにはもう母などいない。自分を産み育てた女性がそこにいるだけなのだ。あの安らかな時間は二度と戻りはしない。その絶望と渇望、それこそが大人になるということなのだ。だからこそ僕らは伴侶を求め、子を育てるのだ。そこに母の愛を求めて。僕はその事をよく知っていて、だからこそ母を求める彼の姿に自分を重ねてしまうことを免れ得ない。