23.マイア・クレイの復讐
いつのまにか拘束していた虹色の輪が消えている。
「なっ……」
「何もしないわよ。逃げたいだけだもの。あいつらがいたら無理だもの」
女性はつんとそっぽを向いた。
「どうして母や私に……」
言いたいことはいろいろあったのだけれど、言葉が出なかった。彼女は心底面倒くさそうに顔を歪める。
「どうしてですって? おまえたちが傲慢だからよ」
「傲慢……?」
「今だってそうじゃない。──ねえ、あんたは何も思わないの?」
女性の視線が捉えていたのは、ユウコだった。きょとんとしているユウコを見て、彼女はちっと舌打ちをする。
「はあ……。ねえ、この姿を見たらわかるでしょう?」
ユウコと私は、開いた口が塞がらなかった。
私たちの目の前で、彼女がしゅるしゅると姿を変えていったからだ。
姿かたちはユウコやスイクンと同じ。細い首にすらりとした長い脚を持つ水鳥だ。
違うのは、頭や胸、背中の羽が、オレンジとピンクを混ぜたような色をしていること。
「ふふ、わかった? あたしもあんたたちが言うところの妖精なの。あたしの名前は暮井真唯愛。ずっと昔、愚かな人間に無理やり連れてこられてそれからずっとここにいる」
「それは……私たちの先祖がっていうこと?」
「そうよ? まあ、あたしが助けないでいたらそいつは死んじゃったから、あんたは直系ってわけじゃあないと思うけどね?」
マイア・クレイは、ふたたび人の姿に戻るとく、く、と笑った。
「どうしてお母さまをこの泉に?」
「──こんなに恵まれた場所だなんて知らなかったからに決まってるじゃない。あたしが呼び出されたのはね、幽閉された公女のところだった。彼女もまた泉の底で暮らしていた。ここと同じようにシェルターがあってね。何不自由ない場所だったわ。
ちなみに、かけた魅了が解けたあとも、ずっとそこに隠れてたのよ? たまに地上に出ては、あの女が忌々しくてここにゴミを撒いていたのだけれど」
弱りきった母と、落ちてくる毒虫やごみを思い出し、思わずぎりりとくちびるを噛んだ。口の中に鉄の味が広がる。
「やっぱり、あなたが……」
「シェルターの場所はね、ここを出て小さな山をひとつ越えたところ。単にこのあたりに土地勘があったから連れてきただけなんだけど、まさかここにもシェルターがあったなんてね」
マイア・クレイは忌々しそうに顔を歪めた。
「あたしを苦しめたやつの子孫だもの。復讐する権利があるでしょう? 長く生きていたらね、どんどん魔法の力が増えていったの。それで人型もとれるようになったし、魅了魔法も使えるようになった」
マイア・クレイは自らの両手を上に向け、握ったり閉じたりして見せた。
「だから、暮らしの安定と、あいつらへの復讐として選んだのがあんたの親を使った婚約破棄っていうわけ! 途中までは面白いくらいうまくいったんだけどねぇ」
彼女が肩をすくめる。ぶわりと身体の中から怒りが湧き出した。
「母は、母は……あなたのせいで、こんなところで死んだのよ」
「そんなの知らないわ」
「あなたが仕組んだことじゃない」
「……だったらなに?」
マイア・クレイは心底不思議そうに尋ねた。こてりと首をかしげ、その目には本当に罪悪感などこれっぽっちもないように見える。
ところが、次の瞬間。彼女は、はっと横に飛び退いた。
「──外したか」
”父”が言った。
床に丸くて平べったいものがめり込んでいる。
あれは先ほどまで彼女を拘束していた虹の輪だ。
「いやな予感がして戻ってみれば……」
「いやだわ、ネプティ。愛するあたしにそんなものを投げつけるだなんて」
マイア・クレイが”父”に向かってうるうるとした目を向ける。父は心底嫌そうに眉を歪めて、吐き捨てた。
「貴様のことなど愛したことはない。今までも、これからもな」
「ふふ、まあいいわ」
マイア・クレイの血のように赤い目が、さらに妖しく光った。
「この場で一番強い子をもらうだけだもの」
「……!」
その視線が捉えているのはノエル──。しかし、私が彼の前に出るよりも、マイア・クレイの手がノエルに届くほうが早かった。
「……え?」
マイア・クレイの手がノエルに触れる。けれども、驚きの声を上げたのは彼女のほうだった。
ノエルの前に一羽の鳥が立ちはだかっていたのだ。
「スイクン!」
スイクンの胸には、穴が空いていた。
それは彼女に傷つけられたからではない。特殊スキルを発動していたのだ。
分別ダストボックス。集めたものを入れると、仕分けからゴミ出しまですべてやってくれるという能力──。
彼女は、その穴に触れてしまっていた。
「あ、あああああ……!」
身体がねじれるようにその穴に吸い込まれている。なにか掴むものはと宙をさまよった手が、ノエルの服をがっちりと握っていた。
私は慌てて彼の腕にしがみつく。それを助けようと父が、伯父が、ユウコが。皆私たちにしがみついた。スイクンまでもがユウコが吸い込まれるのを止めようと彼女の羽をくちばしではさみ……。
そうして次に私たちが目を開けたとき、──見知らぬ場所で、光を浴びて、拍手に包まれていた。