2.樹の日に降るもの
ざ、ざ……。じゅわり、じゅわり。
樹の日が八度巡るたびに、書物が降ってくる。
今日の天気は曇り。
泉の底から見る空は、霞がかったグレー。いつもは鮮やかな青い魚たちも、影のように沈んで見える。
ぼんやりと上を眺めているうちに、花と同じように少しずつページが外れながら、私の手元へと書物が落ちてきた。
今日は、水鳥図鑑と恋愛小説。
書物は水に濡れると重たく柔らかくなり、ページがばらばらになって落ちてくる。
けれども不思議なことに、結界を通り抜けると、きちんと”元通り“になっているのだと母は言った。
落ちてくるものたちの中で、一番ありがたかったのがこれだった。
私は母に似て、本の虫なのだ。誰も居ない、何もないこの世界で、本は心の拠り所だった。
深い泉の底で生まれた私は、外の世界を知らない。
ここは結界に守られた聖域のような場所だけれど、同時に廃墟でもある。結界の中には、街がまるごと一つ沈んでいるのだ。
とても固い素材でできた建物は、倒れて斜めになっているものが多い。母によると、この素材は木でもなければ、石でもないのだそうだ。
あちこちに同じような素材のグレーの柱が倒れており、柱同士は細く強靭な糸で繋がれているが、ところどころ切れている。
ほとんどの建物が倒壊しているので、よじ登って上から入る必要はあるのだが、不思議なことに、店として機能しているものが多くある。上からみると室内は横倒しになっているのだけれど、床に降り立つ瞬間にぱちんと音がして、部屋そのものが地面と水平になるのである。
そして、もちろん、ここに母と私以外の人間はいないのだけれど、そこからは何度でも食物や生活に必要なものを採取することができた。
ただし、そのままでは食べることはできず、店の中にある鉄の箱に入れて、温めることが大切な条件だった。
食べものにしろ、生活必需品にしろ、こうやって空から降ってくる書物とはまったく別な言語が必ず書かれていた。
母が故郷で使っていた言語は、空から降ってくる書物のもの。しかし、店で採取するものは見知らぬ言語なのだという。
母の余生は、その言語の研究に費やされたといっても過言ではない。そう、母はつい先日死んだのだ。
ほとんどの建物が倒壊している中で、無事なものがひとつだけ。母と私は、ここをねぐらにしていた。
それは鈍い銀の壁で囲まれた、四角い建物だった。
この一帯ではもっとも背が高い建物だ。他の建物が倒れていたり、背が低かったりするので、水底にそびえ立つ塔のような外見。
屋根には四角く平らなので、登ることができるのだけれど、そこにたどり着くまでには階段を十五回登っていかなければいけない。
屋根の上は手すりで囲まれているため、落ちる心配もない。
母の書物にあった挿絵で見る城のバルコニーを、屋根の上に作ったような印象だ。
しかしそこには、不思議なものがあった。
木でできた赤い柱を長短合わせて四本組み上げた、不思議な形の置物。高さは母の腰くらい。
その赤い置物には、両端をつなぐように縄がかけられており、その縄からは小さく薄い紙が垂れ下がっている。
なにか宗教的な儀式のものではないかと母が言っていた。
また、置きものの両側には、石でできた鳥の像がある。
一羽は羽を休めており、もう一羽は今にも飛び立ちそうに大きく羽を広げている。
私はごくごく小さなころから、なぜだかこの置きもののそばが好きだった。ここに寝そべって絵を描きながら、母が洗濯ものを干す様子を眺めていた。
ちなみに、ここでの洗濯は独特なやり方を必要とする。
まずは、大きな水桶に水を汲む。生活用の水はすぐそばで賄うことができる。結界の外に水桶を突き出すだけ。
結界は外からの侵入を阻むものであり、中から出ることはできるようなのだ。母は、水を汲みたいとき、入れ物を手にして結界の向こう側へと突き出していたものだ。
とぷりと重たくなったらこちらに引き戻す。すると、水桶の中にはたっぷりの水が入っている。
ここに、廃墟の店で調達してきた石鹸水を加えて洗うのである。
以前は魔法を使って身体や服などを浄化していたそうだ。けれども、言語研究の過程で服を洗うということを知り(母は生粋の箱入り令嬢だったので、使用人が行なうようなことは知らなかったとのこと)、試してみた。
重労働ではあったけれど、廃墟街の店に行けば、さまざまな香りの洗剤が売っていて、それを使いたいがために洗濯をしているのだと言った。
ちなみに、泡がたっぷりはいった汚水は、どの建物にもついているご不浄に流すことができる。
この泉のご不浄は魔法のよう。水を流すレバーがあり、それを引くとくるくると渦を巻きながらどこかに消えていくのである。