19.闇の日の邂逅
・新章に入ります。
・2羽やリラと一緒にお片づけに挑戦できる方法を活動報告に載せました!
ついに闇の日を迎えた。
その日はあいにくの雨。しかも土砂降りだった。
私たちのいる水底の塔は、結界の中にあるため何も影響を受けていない。けれども、激しく叩きつける雨粒のせいで、いくつもの波紋ができたり消えたりして、いつも以上に水の向こう側は濁って見えた。
昨夜流した手紙が無事に届いたのか、あるいはこれから届くのか、不安を覚える。
そのときだった。
「ねえ、……誰かが見てない?」
不安げな声を出したのはユウコだ。スイクンが「リラの想い人が来たんじゃない?」とのんびりと言った。
「そう、なのかな……」
ユウコは納得していない様子だ。
私も上を見上げる。はっとする。ひらり、ふわり。水面に見えるあの色は、花舞蛸の色──。
「リラの想い人って、あいつじゃないよな……?」
スイクンが怪訝な顔をする。
私にも、その人の姿がぼんやりとながらも見えるようになってきた。
花舞蛸色の髪を振り乱した女性。手をふりあげ、なにかをわめいているように見える。
けれども、ノエルが来たときとは異なり、その声はここまで届かない。困惑していると、ユウコが「危ない!」と叫んだ。
その人が、泉に落ちたのだ。
泳げないのだろう。もがいているらしく、傘のように広がったスカートとシュミーズ、じたばたと動く脚が見える。
そしてそこに、ゆらりと近づいていくものがあった。湖水母だ。不快なことに、あれが喜々としているのが見て取れる。
ぶわり、ぶわりといつもより速く激しく傘を膨らませているし、触手はうねうねと踊るように動いていた。
水面に向かって昇っていく速度もかなりのものだ。このままでは、あの人が危ない──。
気がつくと私は、天窓のある私室を飛び出し、階段を駆け上がり、塔のてっぺんから跳んでいた。
すう、と結界を通り抜ける感覚がある。これまで感じたことのない冷たさと、服の重さを感じて、怯みそうになる。
けれども、手には母譲りの氷の槍を表出させ、それを湖水母に向かって投げた。湖水母は、まるで犬がしっぽを巻いて逃げるように、触手を傘の中にしまい込んで大急ぎで横穴へ抜けていく。
ほっとした次の瞬間。私は未知の感覚にぞっとした。
息が苦しい……。ごぼりと口からこぼれた息が泡になり、私もまた彼女のようにじたばたと手足を動かした。
「リラ!」
私を呼ぶ声が下から響く。
ややあって、ぐっと足元を押し上げられた。ユウコとスイクンが、私を下から押し上げてくれているのだ。
身体の小さなふたりだけれど、水の中ではあまり関係がないらしい。私の身体が少しずつ水面に近づいていく。
しばらくすると、身体が慣れてきたのだろうか……? 急に呼吸が楽になった。
「リラ、それ……ゴボ」
スイクンがなにかを言いかける。空を掻くようにかざされた自分の手を見て、はっとした。
指と指との間に、薄い膜のようなものができていたのだ。けれども、先ほどまでと違って、ひとかきするたびにぐんと浮上するようになった。
気づくと、スイクンたちが押し上げてくれている感覚もなくなった。脚が、魚のひれのように変化している──?
驚きながらも、母から聞いた"水乙女の末裔なのだ”という言葉を思い出し、どこか納得している自分もいた。
水面近くでは、女性が今もじたばたと溺れている。
するすると水の中を進んだ私は、女性の腰を抱くように掴み、水の中から跳び上がった。
そうして、大量の飛沫とともに、私たちは柔らかい草の上に落ちたのだった。
「大丈夫ですか?」
腕の中でぐったりとしていた女性に問う。彼女は青ざめた顔のまま、カッと目を見開き「なによ!」と言った。
「出られるならさっさと出てきなさいよ! そのためにわざわざ手紙を送ったのに! 母親にそっくりで本当に愚図ね」
突然浴びせられた暴言に驚き、私はかちりと固まった。ぎろりと私を睨めつける瞳は、ルビーのような真紅。
女性は私の腕を振り払い、濡れて顔に張り付いた髪の毛もまたびしゃりと手で払った。
雫が目に入り、思わず顔をしかめる。
その人は、三十代半ばくらいに見える女性だった。
ウェーブがかった長い髪はピンクブロンドだったが、濡れていてもわかるくらいにぱさついていて、ところどころ白いものが混じっている。
身体は華奢というよりも更に細く、頬はやつれ、目の下には隈ができていた。
「──まあいいわ。目的は達成したのだし?」
女性はゆらりと立ち上がる。色のないくちびるが弧を描いている。目はぼんやりとどこか焦点が合わず、光がない。
その手には刃物がぎらついている。
「ふふ、本当はね、あの女に復讐する機会を伺っていたの。でも、いないのでしょう? あんたには恨みはないけれど、母親にそっくりなのが悪いのよ?」
そう言いながらこちらに近づいてくる。
私には、母譲りの圧倒的な魔力がある。でも、状況に頭がついていけていなかった。しかも、脚は魚のように変化したままで動くこともできない。
なにが起こっているのか理解しきれずぼんやりしているうちに、私の腹のあたりまで、刃物が迫っていた──。