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水乙女と片づけ妖精ライローネ  作者: 三條 凛花
第2章 水鳥妖精ライローネ
18/27

18.小さな祝宴、メリモーラの返事

 その夜、私たちは、小さなお祝いをした。


 美しく生まれ変わった塔の上の部屋で、灯りをすべて消して、蝋燭だけをともす。ユウコが創り出したテーブルには、淡いベージュのクロスが敷かれているが、今はちらちらと揺れる火の橙色に染まっていた。



 料理や飲みものを並べていく。


 "妖精(ライローネ)”になってから固形物が食べられなくなってしまった二羽には廃墟街から調達してきたとっておきの葡萄酒と、それから、前日から煮込んでおいた特製の黄金色のスープを用意した。


 牛肉や野菜をじっくりと長時間煮込んで寝かせ、濾してつくったものだ。


 自分用には、スイクンに教えてもらったパエリアという料理をつくった。

 肉、エビ、玉ねぎ、パプリカや米を炒めて、スープで煮込み、サフランというハーブで香りをつけたもの。

 炊き込むときの火加減や水加減が意外と難しく、何度も何度も試作を重ねた。


「腕を上げたな!」


 スイクンが機嫌よく言う。


「ううう……おねえちゃん、感動……」


 ユウコは人が変わったみたいになっており、黒い瞳からはぽろぽろと涙が落ちている。


「有子は泣き上戸なんだ」


 スイクンが彼女を抱きとめるようにして言う。二羽は、二人は、誰よりも信頼関係があるように見えて、羨ましくなった。


 私は生まれてから今まで、母以外の人間に触れたことがない──。




「ねえ、ふたりは、こんなふうに片づけ方を人に教えるのが仕事なんでしょう?」


 天窓の向こうにはいつもと変わらぬ、夜の黒い泉が広がっている。感傷的な気分を変えたくて、私は切り出した。


「どうして、それを仕事にしようと思ったの?」


 ふたりはきょとんとした顔でこちらを見る。


「そうね、どうしてっていうと……むずかしいわねえ」


 ユウコが首をかしげる。


「俺は教えるほうじゃなくて、サポート側だけどな。ユウコが開く教室の準備をしたり、買い出しとかの実働部隊として動いたり、スケジュール管理とか、取引先との交渉とか、そういう裏方みたいな」


「いつも助かってるわ」


 未だぶどう酒の影響を受けているユウコは素直ににこにこして伝え、スイクンはそっぽを向いた。照れているらしい。




「私ね、子どものころ、友だちの家に行って驚いたの。道がある!って」


 ユウコが言う。


「道?」


「そうよ。うちは母が心の弱い人でね。いろんなことがあって、動けなくなってしまっていた。私はそれが当たり前の環境で育ったの。だから、友だちの家でね、家じゅうがどこも綺麗で、ホコリもかぶっていないし、汚れたお皿が積み重なっているわけでもないことにとても驚いたの」


 想像してみて、とても既視感がある、と思った。


「それにね、友だちのお母さんは、突然遊びに行ったのににこにこして迎えてくれて、焼いてあったクッキーを出してくれた。友だちの部屋は、好きなものが一つずつ丁寧に選ばれたんだろうなあという素敵な部屋で……いたたまれなくなったの」


 ユウコは視線を落とす。


「それでね、一念発起して、家じゅうを片づけてみることにしたの! 子どもだったから、分別しなくちゃいけないってことはわからなくて、とにかくこれはゴミだなって思うものをどんどん袋に詰めたの。それがね」


 私ははっとする。ユウコの目はきらきらと輝いていた。


「とっても楽しかった!」


「楽しかった?」


「そう。じゃまだなあ、汚いなあっていう思いがどこかにはあったのよ。そういう不快感が、捨てたものと一緒にどんどんなくなっていくのがとっても爽快で……。楽しくてたのしくって、学校が終わったらまっすぐ家に帰って、どんどん家を片づけたの!

 数日やったら廊下はものの上を踏み越えなくても、ちゃんと床を歩けるようになった。だんだん家の中がキレイになって、そうしたらね、部屋に閉じこもっていた母が出てきたの」


「お母さんが……」


「私は、母に無言でごみ袋を押し付けたわ。絶対にゴミだなってものだけでいいから、入れておいてって。母はいつもみたいにいらいらして、三角の目をしていたけれど……気づいたら部屋の前にぱんぱんになったゴミ袋が置かれてた。私はまた袋を差し入れた。今度は三枚。それもまたいっぱいになって戻されて……。それをくり返すうちに、母の部屋も、家全体もきれいになった。ついでに母はなぜか健康的になったの」


 ユウコの話を聞いて、私は、もしかして亡くなった母に足りなかったのはそれだったのではないかと思った。


 自分の居場所を整えること、いらないものを捨てること──。



 片づけていくうちに健康的になるというのは、実際やってみてわかるような気がした。


 それは身体を動かすという意味でもそうだし、心に溜まった澱を取り去るのにも役立った。


 私自身にも、いつでも心や頭の大部分を占めていた、それでいてその事実自体に気づいていないような悩みがたくさんあったのだ。


 ものを捨てることで、そういうなんともいえない不快感が消える。


 今思うと、その不快感というのは、散らかっているから起きるさまざまな事象に対しての感情だったのだとわかる。


 散らかってるから、なにかをはじめる前に、ものを探したり、取りに行ったり、探したり……。


 それらをひどく億劫に感じていた。


 しかも、そういうことに頭をつかっているから、やらなくちゃいけないことや、やってみたいことにうまく頭の容量を割くことができないのだった。


 ただ目の前のことに向かうだけ。しかもそれさえ何からはじめていいかわからない……。そのときの感情はなんといったらいいのか。出口のない迷宮にいるような気分だった。






 二羽は、この部屋の端に用意したカゴの中で、寄り添い合うようにしてすうすうと寝息を立てた。


 私も少し眠たくなっていたけれど……冷たい水で顔を洗い、頬をパンパンと叩いた。そうして、手紙の返事を書いた。


 内容は、直前まで悩みに悩んだ。


 ショテンで調達してきた便箋に返事を綴る。彼が贈ってくれたメリモーラの花と同じ柄のものを見つけたから。


 彼が花言葉を知っていて贈ってくれたのかはわからないけれど、私はこの気持ちをそっと挿絵に忍ばせることにした。


 やっぱり、どうしても、外に出るのは不安がある。


 それを正直に書いた。でも、当初あなたが言ってくれたとおり、ここまで来てくれるのは歓迎すると。




 同時に、これまで彼にも秘密にしていたことを打ち明けようと思った。だから私は、こう綴った。


『私の本当の名前は、リランディア・フォン・ヘルツシュブルグ。

 あるいは、リランディア・ハルカンシェルだった可能性もあるかもしれない。

 あなたが探していたシーラは私の母です。父である王子、その最愛の令嬢や側近たちにこの泉に突き落とされた母は、──ここ、泉の底で私を産みました』


 封をして、結界の外へぷかぷかと浮かべる。


 廃墟街で見つけた透明な袋に入れてある。これは何度か彼との文通を通して得た知識。この方法ならば、途中で濡れることもないのである。




 塔の上の部屋に戻り、寝台に倒れ込む。仰向けになると、泉の真上に月が昇っていることに気がついた。


 爪のように細い月は、わずかに赤みを帯びている。明日を思い、緊張しながら眠りにつく。


 この手紙がなにを呼ぶことになるのか、私は考えもしなかった。


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