10.鳥はどこから来たのか(2)
会場は出版社の1階ホールだった。
アリス先生の新刊発売記念パーティー。この日はワークショップ形式で、講義を受けるだけではなく、先生がひとつずつのグループを回って声をかけてくれるのだという。
隣に座っていたのは、シニアと言える年代の方。厳しそうな顔立ちで、尖った鷲鼻。けれども、目が合うとにこりと笑い、途端に幼い感じになった。
「吉田美誉子です。西先生のファンでね……」
その隣には、黒いボブヘアの女性。
グレーがかった瞳をしているし、抜けるように白い肌を見ると外国の方だろうか。年齢は二十代半ばから後半くらいに見える。猫っぽい吊り目がちの瞳に、すっと通った鼻すじの美しい人だった。
「……」
「この子は、あたしの娘みたいなもんなんだけど……。あまり喋れなくてね」
吉田さんが苦笑する。美しい女性はぺこりとお辞儀をした。
その日のテーマは「片づけがすすまない理由」だった。グループ内で自分の体験談や思うことを自由に話し合う。
吉田さんは「時間がない」と言った。彼女のお仕事は助産師さんだそうで、日々の仕事で手一杯だという。
外国人風の女性が吉田さんになにか耳打ちをする。
「片づけのやり方を知らない」
彼女の代わりに吉田さんが発表した。
サインをもらうべく書籍も持参したけれど、書籍にはない新しい情報もたくさんあって、とても有意義な時間を過ごした。
そうして、ついに終わりの時間が近づいてきた。
「こうすればいいとわかっている。でもできない。それには必ず理由があります。なにか”わからない”ことがあるんです」
アリス先生が言う。
テレビの印象よりずいぶん小柄だが、少し吊り目がちの猫っぽい目に、すっと通った鼻筋や薄い唇で、とても美形な女性だった。
「わからないことですか」
司会を務める男性が言った。
こちらは先生よりもさらに若そうで、大学生だと言われても違和感がない。パーマを当てているのだろう、ふわふわとした髪の毛は明るい茶色に染めている。
全体的な雰囲気は子犬。
やや垂れ目がちの瞳に、整っているもののややまるみのある鼻、少しぽってりとしたくちびるは口角が上がっている。
「そうです。たとえば、片づけの工程の中で『わける』作業に差しかかるとき。
お客様の何人かが必ず言う事があります。それは『面倒だからなにも考えずに淡々と手を動かしたい』ということ」
アリス先生はスポットライトに照らされて、少し眩しいのか目を細めていた。意外なことに声には少し震えが見られたし、耳の端は赤くなっている。
私はそれに気がついて、なぜだか一気に親近感を覚えた。
「もちろん、そうしたやり方が合っている人もいるでしょう。でも、このケースでは、単にわけるのを面倒くさがっている人がとても多かった。……それはなぜなのか。そこには必ず『わからない』ことが隠れています」
「たとえばどのようなものですか?」
「そうですね、たとえば、分別方法がわかっていないというのが代表的なパターンでした。分別方法というのは、自治体によってもまったく異なりますよね? だから、誰かがわかりやすく解説したものを見ることはできず、自分が能動的に調べる必要があります。
ホームページを見て、該当する項目を探し、ひとつずつ確認していく。あるいは電話をして確認する……」
吉田さんが頷いている。
「でも、これってかなり面倒な作業ですよね。それを無意識にわかっているんです。だから、捨てるのを面倒に感じてしまいます」
「なるほど。分別方法ですか。なにかわかりやすい例があったりしますか?」
男性の質問に、アリス先生がうなずく。
「たとえばトロフィーですね。皆さんはどうやって捨てるかご存知ですか? ……では、そちらの黒いワンピースのあなた」
突然指名されて、私はぴゃっと飛び上がった。
「わ、わ、わからないです」
バクバクとなる心臓を押さえながらなんとかそれだけ絞り出すと、アリス先生は慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべて「ほとんどの方がそうです!」と言った。
「皆さんもそうではありませんか? 正確な捨て方を答えられない方は手を挙げてください」
会場の全員が手をあげた。
「自治体によって違うのがもちろん前提にありますが、たとえばトロフィーの素材によっても分別方法は変わります。プラスチック製なのか金属製なのか。それとも異素材が混合になっているのか。素材が混ざっている場合は、分解しなければいけないケースもあります。
そして、さらに厄介なのが思い出補正です」
「思い出補正」
「ええ。トロフィーはまさにその最たる例です。自分、あるいは家族の誇らしい記録。だからこそ、捨てることを惜しいと思ってしまう。あるいは罪悪感を覚えるかもしれません」
吉田さんと反対隣に座っている女性がうんうんと頷いている。
「でも、こんなふうに『捨てられない理由』を少しずつ切り分けるように考えていかなければ、ただ漠然とした『捨てられない』に繋がります」
「うーん、それならどうしたらいいんですかね?」
司会の男性がこてりと首をかしげる。どこかあざといその仕草だが、なぜだか妙に似合っていた。
アリス先生はなぜだか一瞬無言になったけれど、こほんと咳払いをして、向き直った。
「私がおすすめしたいのは、はじめに分別について考えるのをやめることです。そして、とにかく『わける』作業に注力すること。具体的にいうと、捨てるもの・残すもの・考え中のもの。この3つのいずれかに、無心でものを振り分けていきます」
私はふせんにメモをして、本の裏表紙に貼っていく。
「今日はワークをご用意しています。皆さんには、家から『なんでもいいから目についたもの15個』を持ってきていただきましたね。ご用意いただけますか?」
私は頷いて、スーツケースの中身を広げる。皆それぞれ色々なものを持ってきていた。
「では、今から3分時間を測るので、目の前の3つの箱に仕分けをしてください」
参加者たちは3分という短い制限時間にきりりと身を引き締め、目の前のものを食い入るように見つめた。
「それでは、スタート……え?」」
戸惑いを含む声に顔を上げると、アリス先生の身体が金色に光っている。先生はぽかんとした顔で自分のてのひらを見つめており、司会の男性が「ゆうこ!」と叫んで彼女に飛びついた。
そうして次の瞬間。はじめからそこに誰もいなかったかのように、二人は消えていた。