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後編



 アデリナは時間を見つけてはカーラの部屋で過ごしていた。

 しかし、ある日のアデリナは違った。

 普段と違い髪の毛をひとつに束ね、地味めのワンピースで現れると、開口一番胸を張る。


「ずっと働き詰めだと疲れませんか? よろしければ美しい場所へご案内いたしますわ」

「美しい場所、ですか」


 アデリナは首を大きく縦に振った。


「それから、わたくしは友人と街を歩くのが夢だったんですの。少しだけ付き合ってくださいませんこと?」

「よろしいのですか? 私は女性じゃありませんが」

「もう! それを存じ上げているのはわたくしだけですし、今のあなたはどこからどうみても立派な女性ですわ」

「すみません」


 くすくす、とカーラが笑う。

 それから仕事道具をそっと作業台に置いて、手を胸に当てた。


「私でよければお供させていただきます。ちょうど、外の空気を吸いたいと思っていたところでした」

「では、早速出かけましょう!」


 快諾を待っていたと言わんばかりに、アデリナは手にしていたキャペリーヌを深く被った。





 ふたりは館を出て、街へと向かう。

 快晴の下、石畳の繁華街は賑わっている。所狭しと鮮やかな屋台が並んでいて目にも鮮やかだ。また、辺境伯の館では決して嗅ぐことのできない香辛料や香水のにおいが程よく混じり合い、さらに活気を高めている。


 カーラは慎重に周囲を見渡す。


 アデリナは庶民に変装しているつもりなのだろうが、気品はかんたんに隠せるものではない。

 そして、後ろに護衛係が控えていることにも気づいていない。

 明らかにお忍びの辺境伯令嬢が街歩きをしている様子を、皆、微笑ましく見守ってくれているようだった。


「アデリナ様は大事に育てられてきたのですね」

「何のことでしょう」

「いえ、何でもありません」


 アデリナは上機嫌で、足取りも軽やか。


「推しと街を歩けた記念日にしなくてはなりませんわ」

「恐れ入りますが、今日の私の立ち位置は友人ですか? それとも、推し?」 

「両方です」


 自信満々に答えたアデリナは、カーラを見上げて右手を差し出した。


「せっかくですから、手を繋いでくださいませんこと?」

「……。それも夢だったのですか?」

「えぇ。仲のいい友人というのは、そういうものなのでしょう。乳母から教わりましたわ」

「そ、そうですかね」


 困惑するカーラの手に、アデリナは少しだけ強引に触れる。

 そして繋いだ手をそのまま目線まで持ち上げた。


「夢が叶いました。しかも、推しの手」


 無邪気に破顔するアデリナから、カーラは視線を逸らす。

 ぼそりとカーラが呟く。


「……手を繋ぐだなんて、どちらかというと友人より恋人では……」

「どうかされましたか?」

「いえ。アデリナ様が楽しそうで、外出した甲斐があったというものです。他にやってみたいことはありますか」

「よくぞ聞いてくださいました。わたくし、食べ歩きというものをしてみたいです」


 アデリナは勢いよくクレープの屋台を指差した。


「食べ歩き、ですか」

「クレープというのは、普段はお皿の上に盛りつけられているものでしょう? 手づかみで頬張ることに憧れていましたの」

「承知しました。では行きましょうか」


 ふたりが近づいて行くと、甘ったるいにおいと共に店主がとびきりの笑顔で迎えてくれた。

 勿論、アデリナの正体に気づいているようだった。


「いらっしゃいませ! 何にしましょうか!」

「この店で一番人気のものをくださいませ」

「だったらストロベリーとバナナとブルーベリー全部入れだね!」

「ではそれにしますわ」


 アデリナがカーラを見上げる。


「私も同じものにします」

「へい! かしこまりました!」


 慣れない敬語を使おうとする店主だが、クレープを仕上げる様は手際がいい。

 それをアデリナは瞳を輝かせながら見守っていた。差し出されたクレープを両手で受け取り、代金を支払う。


「まいどあり! 楽しい街歩きを!」


 繋いだ手を離して、アデリナとカーラは各々クレープを口にする。


「上手に食べられませんわ」

「大きく口を開けてみてください。街では、それが行儀のいい食べ方です」


 カーラが手本を示してみせる。

 大きく、ぱくりとひと口。満足そうに咀嚼する。


「うん、甘くて美味しいですね」

「わ、わたくしだって」


 アデリナも勢いよく口を開ける。

 ところがうまくいかずに、頬にホイップクリームがついてしまった。


「アデリナ様。クリームが」

「えっ?」


 アデリナも頬に違和感があるのか、戸惑って顔を上げた。

 くすりとカーラは笑みを零す。


「失礼します」


 そして、カーラは人差し指ですっとクリームを掬いとった。 


「取れましたよ」

「あっ、ありがとうございます」


 そのままカーラは人差し指についたクリームを舐め、クレープの続きを頬張りだす。


「クリームが甘すぎないのがいいですね」


 アデリナはぽかんと口を開けてカーラの仕草を見つめていた。

 ちっとも進まないことに気づいたカーラは、アデリナへ顔を向ける。


「アデリナ様?」

「いえ、何でもありませんわ。美味しいですわね、こうやって食べるのも」


(驚きましたわ。わたくしのことをまるで子どもみたいに)


 我に返ったアデリナは、ちらりとカーラを見遣った。

 遠くから見れば完璧な女性。

 しかし、男性だと知ってしまった今は、その輪郭や体つきを見て思い出し、時々戸惑ってしまう。


(自分から、()()()()()だと宣言したのに)


 ふたりの間を風が吹き抜けていく。


(この方はわたくしにないものを持っている。……男性なのだわ)


 アデリナは小さくかぶりを振った。

 どうして胸が痛むのか、アデリナ自身にも分からない。

 微妙な心境の変化を悟られないように表情をつくる。それは、これまでの人生で磨いてきた技術だ。


「食べ終わったら、目的の場所へご案内しますわ」





 繁華街から離れて、林の奥。到着したのは、厳かに流れる滝の前だった。

 岩に囲まれた辺り一帯、穏やかで激しくもある水の音が響いている。

 絶え間ない流れは岩の前に大きく深い池をつくっていた。水面は透明度の高さから、景色を完璧に映している。


「あなたの瞳に、この景色がどう映っているか知りたくてお連れしました」


 心地いい風は頬を撫で、まるで心身を清めてくれるようだった。


「……空気が、恐ろしいくらい澄んでいますね」

「弟ドラゴンが永遠の眠りについたのがこの場所だと言われていますの。滝の奥が見えますかしら?」


 アデリナが腕をすっと伸ばす。

 カーラは目を凝らした。滝の奥には祭壇のようなものが建っていた。


「もしかして」

「えぇ。弟ドラゴンの墓だと伝えられています。一族でも、主しか足を踏み入れることは許されていません」

「それは……今ここにいても大丈夫なのですか?」

「ここまでは問題ありません。わたくしも民も、何かあるとこの場所へ祈りを捧げに来ていますから」


 アデリナは慣れた仕草でひざまずくと両手を組み、瞳を閉じる。

 カーラも滝の奥を見つめ、両手を組んだ。


 しばらくの間、ふたりは無言でそれぞれの祈りを捧げていた。


 アデリナは立ち上がると体をカーラへ向けた。

 照れることはなく、カーラの瞳を見据える。


「初めてあなたのビーズ刺繍を見たとき、この聖なる地へ抱くのと同じ美しさを感じました」


 真剣なまなざし。

 カーラは、黙ったまま息を呑んだ。


「惜しむらくは、わたくしの依頼品が婚約破棄のためのドレスだということです。ですがその美しさは永遠に語り継がれると確信しています!」


 アデリナは両手を大きく広げた。

 それは確信でもあり、誓い。


(女神神話が、カーラ様にとって代表作となることは疑いようがありません。それはわたくしの人生にとっても、大きな意味を持つことでしょう)


 再びの沈黙。

 ……やがて口を開いたのは、カーラだった。   


「あなたも」

「え?」

「美しいひとです。アデリナ様。あなたはとても、美しい」


 その真剣な眼差しから、今度はアデリナが逃れることができなかった。


「あなたを見ていると、自分がいかにちっぽけなことに悩んでいるか思い知らされます」


 カーラはアデリナに向けて手を伸ばしかけ。

 しかし。

 触れそうになる手前で、力なく腕を下ろした。


「カーラ様……?」


 やがて、澄みわたっていた青空に雲が流れてきて、広く翳を落とす。

 滝の音が一層大きく響き、ふたりの間を隔てていった。





 街歩きをしたからといって、ふたりの関係性が変わることはない。

 あくまでも依頼主とビーズ刺繍作家。

 アデリナはカーラの作業を食い入るように見つめていた。

 慣れてきたものの、カーラは苦笑いを浮かべる。


「見飽きませんか?」

「いいえ、ちっとも」

「クレープといい、アデリナ様は過程を見るのもお好きなのでしょうね」

「そうかもしれませんわ」


 再び作業に戻るカーラ。

 会話はないが、穏やかに時間は流れていく。


(そういえば、カーラ様は柑橘系の香水をつけていらっしゃるようですわね。後で何か尋ねてみましょう)


 あわよくば推しと同じものを。

 アデリナは黙ったまま、そんな風に若干(よこしま)な計画を立てていた。

 しかし部屋の外から慌ただしい物音が聞こえてきたので、すっと立ち上がる。

 扉を開けると侍女が息を切らせていた。


「慌ただしいこと。どうかしましたの?」

「アデリナ様! 兄上様がお戻りになられたのですが……」


 侍女の顔色は青く唇は震えている。

 事の重大性を理解して、アデリナは肩越しに振り返った。


「カーラ様、失礼ですが退席させていただきます」


 アデリナははしたないと分かりつつも空気で膨らむスカートをつまみ、廊下を走る。

 向かうのは館の入り口。血のにおいを感じ、近づくにつれ動悸が速くなる。


「お兄様っ!」


 横たわる兄の周りには医者や看護師が集まっていた。

 彼はちょうど担架に載せられるところだった。


 アデリナは兄に駆け寄り膝をつく。


「……アデリナか……?」


 掠れた声。

 兄の身に着けていた防具は割れ、顔半分は血で赤く染まっている。

 ゆっくりと兄がアデリナへ顔を向けた。

 アデリナは何回も首を縦に振る。

 抱き着こうとするアデリナを制したのは医者だった。


「アデリナ様、離れてください」


 あっという間に担架は運ばれて行った。

 アデリナが座り込んだままでいると、誰かが近づいてきた。


「アデリナ」

「お父様」


 身を屈め、アデリナの肩を叩いたのは辺境伯だった。

 表情の険しさは普段と変わりなく、声も落ち着いている。


「話がある。執務室へ来なさい」





「つまり、国境の結界にひびが入っているということですか……?」


 負け戦なしの兄が深手を負った理由。

 それは外から結界をこじ開けて入ってこようとした魔物と闘った結果であると、辺境伯はかいつまんで説明した。

 魔物は辛うじて息絶え、結界も大きく割れてはいないという。

 このような事態は現在の辺境伯の代では初めてのことだった。

 やはり地震が増えている理由は、結界の綻びにあったのだ。


「私も支度を整えたら国境へと向かう。ひびの場所をまずは特定しなければならない」

「わたくしも行かせてください!」


 話を遮るようにアデリナは前に出て、執務机に両手を置く。

 しかしその反応は予想通りだったようで、辺境伯は首を横に振った。


「お前はだめだ」

「何故ですか。わたくしもリヒター家の一員です。魔法銃だって扱えます。それは、まさしく今回のためでもあるのでは」

「アデリナ!」


 強く名前を呼ばれ、アデリナは背筋を正す。


「万が一我々が失敗したら、お前は公爵家との結婚を成功させるのだ。彼らは王家の血筋故に我々同様、封印魔法を使える。王国のためには、それが最善の選択肢だ」


(つまり)


 アデリナは唾を飲み込む。


(普段は立ち入らせない執務室にわたくしを呼んだ理由は)


 それから唇を噛み、拳を握りしめた。


(婚約は公爵家から破棄させろと散々言ってきたのに、翻すほどの事態だということ)


 冷たい眼差しが、アデリナを捉える。


「それが、お前の使命だ」


(決して武器は取らせてもらえない。あくまでもわたくしの役目は、婚姻を結ぶこと)


 アデリナは、飲み込んだ言葉を腹の底へと落としていく。

 今まで仕方ないと思っていたこと。

 最優先にされるべきは、己の意志や感情ではなく、家の利益。

 国の利益なのだと、全身で理解しなければならない。


(それがリヒター家の一員であると証明することだというのなら)


「……承知いたしました。どうぞ、ご無事で」


 喉はすっかり、乾いていた。





 夕陽が射撃場の空気を淡く染める時間帯。

 アデリナは、使い込まれた魔法銃を手に取った。


(分かりたくは、ありません)


 実戦の経験はないものの、練習では必中なのだ。魔物の一匹くらいは倒せるはずだと、自信があった。


(到着してしまえば追い返されることはないでしょう。まずは何とかして国境へ向かわなければ)


「アデリナ様」

「きゃあ!」


 突然声をかけられて振り向くと、カーラが立っていた。


「い、いつの間に」


 見咎められたと感じたアデリナは肩を縮こまらせた。

 しかし挙動不審を気にする様子もなく、カーラは微笑んで両腕を組む。


「これくらいで驚いていてはいけませんよ。今から国境に向かうのでしょう?」

「どうしてそれを……」

()()()()()ですから」


 カーラは片目を瞑って少しおどけてみせた。まるで、アデリナの緊張を和らげるためのように。


「これも何かのご縁です。国境へは私がお供させていただきます」

「ありがとうございます。ですが」


 緊張を解いたアデリナは首を振った。


「あなたはただのビーズ刺繍作家でしょう。巻き込む訳には」

「実は、これでも体力と腕力には自信があるんです。むしろ私を同行させていただけないのなら、直ちに卿へアデリナ様のなさろうとすることを報告しに行ってまいりますよ?」


 う、とアデリナは眉をひそめた。

 報告されてしまえば部屋に閉じ込められてしまうかもしれない。アデリナにとっては最悪の事態だった。

 カーラの提案を拒む理由を見いだせず、アデリナは頭を下げた。


「……よろしくお願いいたします」





 国境に近づくにつれて、夜は深まっていく。

 視界の先では灯りを手にする近衛兵たちも増えてきた。

 茂みから様子を窺いつつ、カーラはアデリナへ尋ねた。


「それで、アデリナ様はどうするおつもりだったのですか?」

「結界に触れられるのは魔力を有するリヒター家の人間のみです。ひびの場所を父より先に特定して、わたくしの力で封印をします」

「かなり大ざっぱな計画ですね……」

「父たちに見つかれば、その時点で同行を強制するつもりです」


 なるほど、とカーラが息を吐いた。

 アデリナは視線をカーラへ向ける。


(カーラ様、男性であることを隠していないみたいですわ)


 装いこそ女性のままであるものの、歩き方や立ち振る舞いは明らかに男性。

 声も、普段は敢えて高くなるように意識していたのかもしれない。


 視線を感じたらしいカーラがアデリナを見下ろしてきた。

 慌てるようにアデリナは顔を逸らす。


「緊張していらっしゃいますか?」

「当然です。夜の森は初めてですから」

「私がついてこなければ、おひとりで足を踏み入れるつもりでしたよね? 私がいてよかったですね」

「……!」


(なんだか、態度も違いませんか?)


 アデリナはすぐにひとつの仮説に辿り着く。


『似た者同士ですから』


(……カーラさまは、わたくしを応援してくださっているのですよね。だとしたらそれに恥じない働きをしないといけませんわ)


 決意を新たにしたとき、物音がした。 


 がさっ!


『ぉぉおん……』


 唐突に、一つ目の小柄な魔物がふたりの視界の先に現れる。


「きゃあ!」

「魔物を見るのは初めてですか」

「も、もちろんです」


 威勢よく飛び出してきたのだ。怯む訳にはいかない。

 アデリナは銃を構えた。

 銃口を、人間の子どもより小さな魔物へと向ける。しかし、どうしてもぶれてしまう。


(震える……うまく焦点を合わせられません)


 すっ。

 そのとき、何かがアデリナの手に触れる。

 ほのかに感じたのは、柑橘系の香水。


(まさか)


 目線を向けると、カーラが背後から手を添えてくれていた。


「カーラ様?!」

「視線を、意識を魔物へと向けてください。震えは私が抑えましょう。大丈夫」


 耳朶を打つのは低い声。

 かすかに甘さが耳に残ってこそばゆい。

 冷えてきたはずの体はカーラに密着されて熱を取り戻している。

 初めて触れる男性の、胸のたくましさに抱くのは恐怖よりも安心感。

 震えが、徐々に収まっていく。


「あなたなら、倒せます」

「……はい」


 冷静さを得たアデリナは、躊躇いなく引鉄(ひきがね)を引いた。


 しゅぱっ!


 魔法銃は魔物に命中して、発光した魔物はそのまま消滅する。


「お見事です、アデリナ様!」


 耳元での快哉(かいさい)

 カーラが離れるのと同時にアデリナも一歩前に出る。


(心臓が、痛い)


 初めて魔物に遭遇したから?

 魔法銃を撃ったから?

 倒したから?


 カーラから奪っていた熱は、離れても静まらない。

 アデリナが自らの鼓動に動揺していると、カーラが横から顔を覗き込んできた。


「アデリナ様?」

「いえ、なんでもありません。補助していただきありがとうございます。前に進みましょう」


 動揺を悟られないように、アデリナはカーラの前を歩く。

 ところが、先に立ち止まったのはカーラだった。


「アデリナ様、貴女の勘はすばらしいです。結界の綻びは、まさに()()にあったようです」

「え……?」


 アデリナが肩越しに振り返った。

 カーラは頷き、横へ数歩進むと、少し腕を上げて何もない空間を叩いてみせた。


 ぽわ……。


 もはや辺り一帯は暗くなっていたが、カーラの叩いたところが淡く発光する。

 まるで、ひびのように。


「これくらいならすぐに修復が可能です。今ここで縫ってしまいましょう」


 いつの間にかカーラの手には針と透明な糸があった。

 慣れた手つきでカーラは空中へビーズ刺繍を施すように綻びを縫っていく。糸は光り、すぐに消えた。

 明らかに、魔法。

 アデリナは呆然とその光景を見守るしかなかった。


(正直なところ、わたくしは修復の方法を知りませんでした。見つけたら父に報告すればいい思っていました。ですが、これは一体)


「カーラ様」


(そもそも、結果に触れられるのは。魔力を体内に有せるのはリヒター家以外では王族の血を引く者のみ)


「まさか、あなたの正体は」


 アデリナは、質問を最後まで口にすることができなかった。

 カーラが己の人差し指をアデリナの唇に当てたのだ。


「さぁ、帰りましょう。結界のことは(しか)るべき場所から辺境伯へご報告いたします」





 真紅のドレスに施されたビーズ刺繍。

 それは弟ドラゴンが悪のグリフォンを倒す、神話の名場面。

 眩い輝きを放つのに荘厳で、美しいという言葉では表現しきれない仕上がりになっていた。


「いかがでしょうか」

「完璧です……。想像以上の出来です。あなたが推し作家でよかったと心底感じています」


 アデリナは息継ぎするように深呼吸してから、一気にまくしたてた。


「裾全体に施された絵柄はどこから見ても楽しめます。弟ドラゴンに使われたガラスビーズやスパンコールは虹色の輝きを放っていて、どこか闇を感じさせながらも内に存在する神聖さが滲みでていますし、反対にグリフォンは木製のビーズが漆黒故におどろおどろしい空気を纏っています。弟ドラゴンもグリフォンも、今にもドレスから飛び出してきそうな迫力があります。さらにはグリフォンに隠されている女神。小さいながらも存在感が抜群で、うっとりするような優美さがあります。まさしくこの作品が女神神話であることを象徴している美しさ……」


 アデリナがカーラに強く拍手を送る。

 カーラは、そんなアデリナへはにかんでみせた。


「落ち着いてください、アデリナ様。依頼主の要望には完璧に答えてみせるのが人気作家の責務ですから」

「あなたにとって最高傑作のひとつとなることは間違いないでしょう。それだけではありません。結界のことも感謝いたします」

「はて、何のことでしょう」

「父から聞きました。結界の修復は、()()()()()が行なったのだと」


 改めて、アデリナはカーラと向き合った。


「第一公爵家は辺境領の国境へ許可なく立ち入ったことを詫びたうえで、王国の為に助力したかっただけだと話しているそうです。遠回しな言い方ではありましたが、今回の件でもしリヒター家が功績を奪われたと感じるなら、婚約の撤回を甘んじて受け入れるとも。賠償金を支払うとも」


(それができないことを見越して、伝えてきているだろうことも)


「最初からすべてを存じていらしたのですね」


 出逢ったときと同じように、辺境領の令嬢としてアデリナは微笑みを浮かべた。


「正直に申し上げます。わたくしは、婚約者があなただったらと考えなくもありませんでした。何故ならば」

「今の私は、ビーズ刺繍作家のカーラ・バッヘムです」


 アデリナの言葉を遮って、カーラは恭しく頭を下げた。


「婚約者殿との顔合わせが成功するように願っております。破棄されず、アデリナ様にとって幸せな結婚となることも」





 そして、顔合わせの日がやってきた。


 アデリナは従者を引き連れて王都を訪れていた。

 公爵家の温室(コンサバトリー)へ案内されたアデリナ。

 外に咲き誇る花ではなくドレスの刺繍を眺めて微笑んでいると、ついに待ち人が現れた。


「失礼します」


 公爵家の令息。

 艶のある金髪は長く、丁寧に束ねられている。

 ネイビーのベストの下はフリル襟の白いシャツ。パンツは彩度が低めの紅色で、青い花の刺繍が施されている。

 紅茶色の瞳には穏やかな光がたゆたっていた。 


(女装も似合っていましたが、これはこれで気品が溢れて目映すぎでは……!?)


 彼の姿だけが切り取られたように眩しくて、アデリナは目を細めるも直視できない。


(推しとして直視するだけでも胸が高鳴っていたというのに)


 しかし、アデリナの動揺は彼にとって些事のようだった。


「初めまして、チャールズ・フォン・シュナイダーと申します。本日は遠路はるばるお越しいただき、光栄です」

「お初にお目にかかります。アデリナ・リヒターと申します」


 立ち上がったアデリナは、優雅にお辞儀をした。


(なるほど。()()()()()だから、()()()


 王都で人気のビーズ刺繍作家。

 アデリナだけが知っている秘密。


 ――胸が高鳴るのは、もはやそれだけではないはずで。


 ふっ、とチャールズが表情を和らげた。


「ドレス、良くお似合いですね。刺繍もすばらしい」

「お褒めいただきありがとうございます。王国一のビーズ刺繍作家様に仕上げていただきましたの。双子の弟ドラゴン、まるで今にもドレスから飛び出してきそうだと思いませんか?」

「ええ。その作家も、このような日に纏っていただけることを誇らしく思っているでしょうね」


 アデリナは平静を装っているものの、もはや気が気でない。


(な、慣れません。女性の姿のときとは、雰囲気が違いすぎて。もしかしたら、別人なのかもしれません)


 チャールズは、耳まで真っ赤になっていることに気づかないアデリナを見つめた。

 しばらく楽しそうに眺めていたが、このままではらちが明かないと判断したのか口を開く。


「そういえば、その作家から預かり物があります」


 取り出した額装には、刺繍が収められていた。

 両手で受け取ったアデリナは掲げて目を丸くする。 


 それは、銃を構えて魔物を撃つ女性の姿。


 力強いのに繊細。

 優美でしなやか。

 闇のなかでひときわ輝いている、強い瞳と口元……。


「作家の瞳には、貴女がこのように映っているようですよ」


 すると。

 アデリナの頬を、ひとすじの雫が伝った。


「カーラ様。いえ、チャールズ様。ありがとうございます……」


 その涙をチャールズは指で拭い、そのままま己の指を口元に寄せる。


「チャールズ様!?」


 アデリナは声を上げるも、令嬢らしからぬ振る舞いだと慌てて口を噤んだ。


「ほんとうに可愛らしい方ですね」


 ひときわ楽しそうに笑ってから、チャールズの表情が真剣なものへと変わる。


「改めて貴女へ結婚を申し込みます。これは家の利益ではなく、愛する者を幸せにするための結婚です」


 チャールズから差し伸べられた手を、アデリナは躊躇うことなく取る。

 たこやまめだらけの令嬢の手と、傷跡だらけの令息の手が重なった。


「喜んでお受けいたします。わたくしも、あなたをお慕いしています」


 見つめ合い、心の底から微笑むふたり。

 そのままチャールズはアデリナを引き寄せて、そっと口づけた。




 ――公爵家と辺境伯家の結婚。

 顔合わせのドレスのみならず、ウェディングドレスの美しさは瞬く間に王都じゅうに知れ渡ることになる。

 比例してビーズ刺繍作家・カーラの人気はいっそう高まっていくことになるのだが、それはまた、別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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