⑦
未来ちゃんって、ホントになぁんにも知らないんだね。
そう言った彼は次の瞬間には元の雰囲気に戻っていて、悪戯っ子のようにその瞳を輝かせながら未来の手を引いた。
先程の言葉の意味も質問も華麗に無視して、どこかに誘導しながら千星の年齢のことや、昨日会った二人の説明を簡単にしてくれた。
千星と衣緒は未来と同じ年で、未来の母の兄の息子にあたるらしい。彗はハトコにあたり、年齢は未来の一つ下になるようだ。
そして年長が遠い親戚になる織杜で、十九歳。
「ホントはもう一人いるんだけど、あんまエンカウントしないかもねぇ」
ハトコにあたる一つ年上の少年の存在も知り、見事に男子だけだということに少しガッカリした。
姉妹がいない一人っ子生活だったので、できれば年の近い同性と仲良くなりたかったのだ。
行き先を告げない彼の突拍子もない行動に戸惑ったが、それでも親戚たちの情報をくれるだけ、祖母よりも百倍は親切だった。
「ねぇ、そろそろどこに行くのか教えてよ」
「もうちょっとで着くよ。あそこ曲がってぇ、ほら着いた。ただいまぁ、可愛い女子一名ご案内~」
勢いよく襖を開ける千星の肩越しに見えたのは、広めな居間のような空間と、くつろいだ様子の彗と織杜がいた。
「は? てめえ何でそいつ連れてきてんだよ!」
未来の存在にいち早く気づいた彗が、寝そべっていた座布団から飛び起きるように起き上がった。
「だってなあんにも知らなくて可哀想だったし」
「はあ!? 知るかよそんなことっ、俺はこいつと同じ空気吸いたくねぇんだよ!」
相変わらず敵意剥き出しの彗に、とりなすように織杜が間に入る。
「まあまあ、彗も女のコ相手に威嚇するなよ。お前はただでさえでかいんだ、怖がらせるだろ」
「はっ、俺相手にビビってんなら務めなんか一生果たせねぇだろうよ!」
蛇蝎の如く嫌われように、やはり身が竦む。
他人から理由もわからずここまで嫌厭されることなど初めてで、どうすればよいのかわからなかった。
ただ、このままではいけないことはなんとなく理解していた。
「あのさ」
「あっ!?」
「いや、何でそんなにあたしのこと毛嫌いすんの」
「何で……? 何でだとっ……?」
織杜の制止を振払い、長く力強い腕が伸びて未来の胸ぐらを掴んだ。
「てめえが能天気に、普通に生活してたからに決まってるだろ」
怒鳴るでもなく、いっそ静かに怒りをたたえたまま彗は低い声で言った。
美しい彼の顔が鼻先の触れる距離まで近づき、その不思議な色合いの瞳が輝いているようにすら見えた。
「何にも知らねぇで、本来は全部お前の役目だったのに」
「彗っ、止めろ! 苦しそうだっ」
織杜が止めようとするが、力では彗の方が強いのかびくともせず、未来の足先が宙に浮いた。
突然の暴力にただただ喘いでいた未来は、無理やりこの場所に連れてきて、自分は関係ないとでもいう風に欠伸をしている千星が視界に入り、静かに怒りが沸いた。
(……あぁ、そうっ)
なんとなく、気づいてはいた。
千星は人懐こそうにしてはいるが、けしてそれはこちらに好意があるからではない。
敵ではないが、味方でもけしてないのだ。
時々混ざる、冷えたように倦んだその瞳は、未来のことなど一切どうでもよいのだ。
(だからって、何であたしが……)
理由がわからないまま傷つけられることが、正しいことなのか。
「……なせ」
「あ?」
「離せって言ってんだよ、この美人の皮を被ったゴリラが」
腕を内側から巻き付け、腕を回して掴まれた腕を振りほどくと、そのまま彼の腕をクラッチした両手を肩まで寄せ、相手の肩を下に下げつつ肘を上げて肩関節を極めた。
「あ……? あいたたたたたたっ!」
視界がぶれた彗は最初こそ驚いた顔をしたが、痛みに耐えきれず悲鳴を上げて膝をついた。
「知らない知らないってさっきからなに? そうだよ、何にも知らないよ? 誰も教えてくんないしね? なのにただ責められてさぁ、知りようがないのにさぁっ」
「いでててててっ、折れる! 折れる!」
「しーらないっ」
勿論折る気はなかったが、あまりにも腹にすえかねていた。
あえて無邪気に当て擦るように答えれば、年下の彼の顔が青くなった。
「ちょちょちょ、未来ちゃん!」
「凄いな、護身術か?」
「はい。小さい時から習ってました」
「いや、そこ普通に会話する!?」
感心したように訊ねてくる織杜に満面の笑みで答えていると、流石に彗相手では焦ったのか、千星が未来の肩に触れて止めに入る。
「未来ちゃん、そろそろ離してあげて。腕折れたら務めが果たせなくなっちゃう」
「いいよ、そいつが謝ったらね」
ニッコリ弾けるような笑顔を向ける未来を見て、千星も彗も顔を引きつらせる。
「どうする? 謝る? 折る?」
「エグい選択だなぁ」
一人場違いに笑っている織杜に、彗が悔しげな眼差しを送っていた。
「っ俺は……」
「もしくはあたしのこと嫌ってる理由を答えるか」
「悪かった」
「理由は教えたくないってこと?」
すんなりと謝罪の言葉を吐いた彗に、なんとなく残念な気持ちになる。
結局親交を深めるどころか、謎も疑問も解決できないまま。
これでは平行線だ。
仕方なく、未来は解放した。
「まじで痛ぇ」
肩を押さえたままどこか意気消沈した様子で、彼はゆっくりと未来から距離をとった。
溜め息を吐きながら、千星に視線を向ける。
「なんかさ、あたしだってワケわかんないまま嫌われて、胸ぐら掴まれて、理由聞いても教えてくんなくて、どうすればいいの? 知らないことが悪いなら、教えてよ……せっかく新しい身内と仲良くしたかったのに、これじゃなにもできないよ。もし理由知りたいなら自分で気づけってなら無理あるよ。初対面で嫌われて、理由自分で気づけたらエスパーじゃん」
昨夜から溜まりに溜まった不満が口をついてでた。
それとも、もっと早い段階で、それこそ両親にでも疑問をぶつけていたら何か分かっただろうか。
そこまで考えて、思わず内心で苦笑いした。
いや、昔から、未来の周りは未来に真実を話さない。
子供ながらに、未来自身も気づいていた。
気づいていて、あえて触れなかったのだ。
みないふり。
気付かないふり。
(そうじゃなきゃ、何でお母さんはあの日……)
病室で眠る母親の姿を思い出す。
繊細な人。美しく儚げで、だからこそ虚ろになったのだろうか。
「未来ちゃん」
声をかけられ、思考の海から意識を浮上させる。
「色々オレたちも話せない立場にあるんだよ、ゴメンね」
どこか複雑そうな表情で、千星は言った。
「でも、この家の家業なら教えてあげられる」
「千星、勝手なことしたらまたババアになんか言われるぞ」
「でもどうせいつか知るじゃん。知らないままできないでしょ」
「まあ、そうだな。家業くらいなら話してもいいだろ。なんか言われたら俺が話したことにすればいい」
織杜の言葉に、彗は苦い表情を浮かべた。
「あー、まずはどこから話そうか」
「洞窟は? 今日連れてく?」
「時間あるかな。君は午後稽古とか入ってる?」
「あ、はい。午後から稽古だって」
答えると、洞窟はまた明日だな、と織杜が呟いた。
「まあ、とりあえず座って話そうか。皆も座れ」
部屋を出ていこうとしていた彗は千星に捕まり、渋々テーブルを囲んだ。
「たぶん驚くかもしれないが」
そう口火を切った織杜の話の内容は、確かに驚くべきものだったのだ。