第5話
4月になっても寒さが和らぐ気配はない。朝顔を洗おうと井戸の水を汲みに行こうとしたら、すっかり凍っていた。去年と同じよな防寒対策をして寝たら死ぬなと、家の毛布の数を思い出しながら身支度を済ませる。
ニコラは同業者からそごとの手伝いをして欲しいとの手紙を受け取って隣町に来ていた。その仕事も終え、世話になった同業者の挨拶に来ている。
相手は同業者である処刑執行人の孫だ。相手型の当主は息子に家業を継がせるわけでもなく今も現役でいる。本人の言では、息子は継ぐに値しないとのことだ。で、今ニコラの相手をしているのは、祖父の元で父の代わりに家業を継ぐために修行をしている男だ。
「助かったよニコラ。骨折した爺様の代わりに仕事を代わってもらって」
「役に立てたようでよかったよ。また何かあったら呼んでくれ。今度はできれば、医者として呼んでくれれば」
「それは難しいな。うちの爺様、100歳まで生きていけるんじゃないか、人を殺すという職業から寄付ってくらい元気だから。その様子だと、やっぱり処刑人の仕事は嫌いか?」
「嫌いというよりも苦手だな。殺す前は色々考えるのに、刃を下ろすときは心が空っぽになる。心と体が別物に感じるというか、そういうのが気持ち悪い」
「つまり整理できていないと。早めに解決したほうがいい。お前も22になる。身を固めないといけない人間がそんなんでどうするよ。まだ家業を継いでない俺がいうのもなんだけどな」
男は自虐的な調子で笑った。男は今年で25歳になる。何があったのか祖父からの熱烈なラブコールもとい、修行のため付き纏われて辟易したはずだが、今では嬉々として励んでいる。
「ま、お前は処刑人より医者が似合う。転校したくなったらいつでもいいな。俺が代わってやるよ」
「君にはこの街の処刑人を継ぐ役目があるんだろう。そっちはいいのかい?」
「爺様の元を離れられるのならそっちに行きたい。ソゴメの街には、着飾らない素朴な女の子が多いからな。その子たちとも遊びたいし」
「・・・まあ、君ならうまくお付き合いはできるか」
処刑執行人は、人を殺すという職業柄から人々から迫害され賤民扱いされている。聞くところによれば処刑人とわかる家に住まわされ、家族構成も街に住む人たちに申告しないといけないらしい。間違っても、処刑人一族と結婚しないためだ。
ニコラもその例に漏れることはなかったが、幼少期の頃に受けた仕打ちと他の処刑人と比べればかなり酷い扱いを受けていた。そんなニコラにとって、処刑執行人一族としての立場を感じさせない振る舞いをする男は、羨ましくもあり気兼ねに話せる数少ない人間だ。
「おっと、長話しちまったな。お前は本職以外にも自警団なんかやっているんだったよな。そっちのことも心配だろ。そいつらもともと、街のゴロツキだったんだろ?」
「ああ。だけど彼らも街の住民に受け入れられて来ているから大丈夫だと思う」
「だけどよニコラ。最近物騒な噂を聞くぜ。リシュー宰相がまた北部で戦争を起こすから、手薄になった南部で新教徒が蜂起すると。思えんとこのやつらがそれを聞いて、冷静になれるやつらか?」
「・・・・・・すまないが急用を思い出した。ソゴメに来るときは家に寄ってくれ。歓迎するよ」
「おう! そのときは可愛い子を紹介してくれよ」
ニコラは男と別れ、つないでいた馬に跨ってソゴメの街へと急いだ。ソゴメの街までそれほどの距離はない。徒歩で朝出発したとしても、日暮れまでには着く。馬であれば昼には着く。
商人たちが通りやすいように整備された道を走り抜け、ソゴメの街に着いた。
馬から降りたところで、地面を蹴る音が聞こえて来た。
「おーい、ニコラ!」
ニコラの方へとやって来たのは街の衛兵だ。何か緊急の用があるのか息も絶え絶えになっいる。息を整え袖でひたいの汗を拭う。
「どうしたんだ。そんなに急いで、何かあったのか?」
「自警団が・・・自警団が全滅したんだ!」
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「大変申し訳ないボナウさん! 警吏から話を聞いた。彼らの罪は自警団の団長である私の罪だ。彼らが壊したものすべてを弁償し、二度とこの店に来させないようにする」
ニコラは深々と、とても美しく腰を直角に折り、酒場の店主に謝罪した。まるまる太っており、カエルのような顔をしていて、いかにも意地汚い性格をしているように見える。
「顔を上げてください。うちの従業員には怪我一つしていないんだから、そこまで気にしないでよ。それに、君たちが店に来てくれないと売り上げが落ちて困るよ」
「ならせめて弁償をさせてください」
「それはもちろん。払うものはきっちり払ってもらうよ。あと、半年間お代は2割ましで請求させてもらうからそのつもりで」
わかりましたと神妙な返事をして、ニコラは酒場へと入っていく。様相がすっかりと変ってしまった店内で、一定のリズムを刻んで木槌でたたく音が聞こえる。自警団たちの団員が自分たちで壊した店の内装の修復を行なっている。
酒場での乱闘騒ぎの後、酒場の女中であるドリィが連れて来た衛兵たちによって連行された自警団の団員たちは詰め所にて、事件の全貌の解明のため取り調べを受けた。取り調べは休むことなく行われ、解放されたのは翌日の昼まで続いた。解放された後、彼らはヘトヘトの体を引きずって自分たちが荒らした酒場へと、謝罪も込めて修繕に来ていた。
「派手にやったようだな」
「ーー団長!」
団員たちの視線がニコラに集まる。ニコラは店内にあったお通やみたいな空気がガラリと変わったのを感じた。
「元気そうで何よりだ。連行された時は指一本動かせなかったと聞いていたぞ」
「団長・・・! すみません。団長の留守を守れず、あまつさえカタギに迷惑を出してしまって」
「一度の失敗でそんなに悔やむ事はない。ボナウさんも許してくれた。死人が出なかったことが俺は何よりも嬉しいよ」
「うう・・・団長!」
感極まったのか、団員たちの何人かがニコラに抱きついた。困惑しながらも、彼らを慮ればぞんざいに扱う事はできなかった。ひと睨みすれb街のこどもが大声を上げて泣くと評判だったチンピラたちが、よくこれほどまでに変わることができたとニコラは思う。
「忙しいところいいかね」
ボナウが話があると言った風に咳払いをした。
「帰ってきた早々だが、君たち一つ頼みがある」
「なんでしょうか?」
「実はドリィが事件の聴取を取らされに行ったきり、まだ帰ってこないんだ。自警団の方々が解放されたという事は、ドリィの方も終わったと考えてもいいだろう。彼女は仕事以外で外をうろつくことを極端に嫌う。何かあったと考えると心配でね。悪いが一緒に探してもらえないか?」
「お任せください。うちの団員の何人かを探せに行かせましょう」
ニコラは団員たちに目配せをする。団員たちは目を鋭くし、すぐさま修繕組と捜索組に分かれた。仕事の引き継ぎを行なった後、捜索組は駆け足で店の外へと行き、2人1組となってドリィの捜索に出た。
「君の方も何か急ぐことがあるんじゃないか?」
「・・・・・・なんのことです?」
「あまり深く詮索しないよ。この街の処刑執行人はかなり特殊だからね。彼らには私からうまく言っておくよ」
ボナウは含みのある笑みで答えた。
ソゴメの街の処刑執行人は、王家から破格の待遇を受けている。その一生を処刑人として生きていくことを条件に、政府からの給付金とは別に、王室の私的財産からも報酬をもらっている。フランの処刑人は経済的に困窮しているが、ソゴメの街の処刑人は裕福であることから何かと噂が絶えないのである。
だがその噂の真実を探ろうとするものはフランにはいない。特にフランの宰相リシュー執政下では徹底されている。リシューは王家に反逆するものを許す事はなく、ソゴメの街の処刑人が何かしら王家と繋がりがある以上、誰も手出しができないのだ。
「君のお父上は何かと秘密の多い人だったからね」
「・・・私は本当に何も知りませんよ。父が残した物と言ったら、家と処刑道具くらいですから」
ニコラの父は街の人間に対して、積極的に嫌われるようなことをする人間だった。見せしめの処刑は残虐極まりない。刑の執行によって罪人を主のもとに送り届ける、王家から承認された処刑執行人にあるまじき処刑法によって街の人間の精神をすりつぶした人間。刑は昼から夕方までじっくりと時間をかけ、その悲鳴を住民に聞かせるのが何よりも楽しみな人間だった。一時期は荷車に罪人を乗せて刑を執行し、街を練り歩いたりもしていた。
ニコラが街の人間に関わるのを嫌う人間でもあった。ごどもたちと遊んでいるところを見れば、そこに馬糞を投げ、家ではそのことに対して拷問器具で折檻をしていた。
処刑執行人は人間に好かれる必要はないが、ニコラの父の口癖だった。処刑執行人は合法的に殺人を許された、社会の必要悪である。目に見える悪が人間の世界で存在するには、人間以下になるしかない。軽蔑され、攻撃される存在として自らを受け入れるしかなかった。
「そろそろ生きますね。荷解きもしないといけないし」
父のことについて考えるのはやめよう。ボナウのいう通り、確かに極秘でやらなければならないことがある。
父が死ぬまで明かすことのなかった、ソゴメの街の処刑執行人の秘密。ニコラは家業を継いでから、つきまとい続けていた噂の真相が如何様なものか見極めようと思っていた。