プロローグ
男は前触れもなく唐突にやって来た。酒場の扉を乱暴に開けた様子から怒っているのが感じられた。
男が初めて店にやって来た時の様子は、温和な表情を浮かべて気さくに話していた。見た目はだいぶ若く、19くらいに見える。話を聞けば、世界中を旅をしているらしく、このソゴメの街にやって来たのは、昔の友人の顔を見に来たくなったからと言っていた。名前を聞いて見たが、知らない名前だった。男は驚いた顔をしていたが、直ぐに妙に納得した様で、ウンウンと頭を頷いた。後で店主のボナウさんに探し人の名前を出して聞いたところ、難しそうな顔をしながら私に新しい仕事を指示した。その事を次の日に、男に話して見た。
「・・・そっか・・・それじゃあ正攻法で聞くのは無理か。ありがとう、教えてくれて」
一瞬だけ、男が不穏な気配を漂わせているのを感じた。
それからの数日、よくない事が起こらなければいいなと思いながら仕事をしていた。そして、おそらくだが、私の予感は的中した。
男はひどく不機嫌そうに、カウンターの席に座った。あまり関わりたくないが客商売の性質上、無視できない。
私は精一杯の笑みを浮かべ、声のトーンに注意しながら言った。
「おかえりなさいませ。店主が今朝仕入れたばかりの、異国の船乗りが飲む酒が手に入りました。試しに一口どうですか?」
「いいねえ。一杯と言わずに樽ごと持って来てよ。金の事なら心配しなくていいよ」
男はカウンターの上に小さな袋を無造作に投げた。紐を解いて中を見ると、顔が見えるくらいに磨かれた金貨が何枚も入っていた。
いつもこれくらいの額を持ち歩いているのか。不用心、というのではなく、襲われたとしても追い返せる自信があるのだろう。でなければひとり旅などしないか。
私は地下の暗室に行き、注文にあった酒樽を取りに行った。戻る途中、普通こんなに小さな女の子に持って来てもらうものかと思いもした。だが、そんな事がどうでもよくなるほどのことが私の目に飛び込んで来た。
男が屈強な自警団3人に囲まれていた。その様子を見て、私は持っていた酒樽を危うく落としかけた。
何をしたのでしょうこの男は。自警団は滅多なことでは囲う様なことはしない人たちだ。元はゴロツキだった彼らも、時と場所を選ぶ様にしていると確かに聞いた。
酒樽を床に置いた音で、自警団の一人が私に気づいた。
「ドリィか。仕事中悪いが、こいつを借りるぞ」
言いながら、男の腕を無理やり掴んで連れて行こうとする。だが男を動かすことができない。顔を赤くするほど力を入れるがビクともしない。見ていた2人も加勢するがビクともしない。その様子は巨木を人の力だけで引っこ抜こうとしている様だった。
「あの、困ります! せめて注文していただいたお酒を受け取ってから行ってください」
私は我に返って、誰に言ったのかわからないことを言う。
「そうだ。その通りだよ君たち。まず、私に客として通すべく筋を通させてくれ」
「・・・この状況で何を言ってるんだ」
男はそう言って自警団の手を振りほどき、注文した酒樽を抱えて店から出て行こうとする。
「待て! どこへ行くつもりだ」
「ここじゃ店の迷惑になる。話は外でしよう。落ち着いて話ができる場所まで連れてってくれよ」
男は不敵に笑って、外へ出る様促す。その顔がひどく意地悪そうに見えたのは私の気のせいではないと思う。自警団たちも何かを感じ取ったのか、どこか雰囲気が変わった。
男たちが出て行き、暫くの間、店に平穏がやって来た。
そして用が済んだのか、男が帰って来た。出て行くときに抱えた酒樽はなくなっていた。あと、チラリとだが服に血がついているのが見えた。
「・・・何かあったんですか?」
「何もなかったよ」
そんなわけないだろう。
嗅覚を研ぎ澄ますと、微かにだが血の匂いがした。何があったのかを想像すると怖くて聞けない。笑みを浮かべている男が怖いのではなく、これからやってくるであろう現実に目を向けたくないからだ。
私はこれからどうしようかと大いに悩んだ。ボナウさんは商談で出かけている。半分の女中は、ボナウさんの手伝いに行き、もう半分は何かトラブルがあったらしく、私を留守番させて行ってしまった。皆、早くて今夜中には帰れると言っていたがあまり期待しないほうがいいだろう。街の役人たちは何故か自警団を相手にすると尻込みをする。事態をなんとかしてくれる自警団の団長は、仕事で街には帰れないらしい。
男は、私の悩みなんて露程も知らないと言った様子で二階に上がる。その様子に若干、いやだいぶ腹が立つ。誰のせいで私がこんなに悩んでいるのか、わかっているのだろうか。知らないからこうなったんだよな。
何事もなく、今日が過ぎることを私は願った。
******
そして夜がやってきた。
男が料理をしたいと行っていたので、その手伝いをしている。それにしても、男の料理の手際は見事だった。大胆で繊細、それで性格無比の包丁さばき。様々な調理法を目の当たりにして、ちょっとだけ楽しかった。どこかの酒場で働いたことがあるのかもしれない。それにしても、一人で食べるには不可解な量を作っている。食事風景は何度も見ているのだが、漁師たちと変わらない量を食べていたから余計気になった。そうこう考えているうちに、次々に料理を仕上げていく。
少しだけ手を緩めて聞いて見た。
「あの、こんなに作ってどうするのですか?」
「ん、ちょっと人をもてなすんだ。それで、もしものために多めに作ろうと思って」
「もてなすというと・・・もしかして、探していた人が見つかったんですか! おめでとうございます」
「いや、それがまだ見つかっていないんだ・・・」
男の表情に影が差し、言葉に力がなくなって行った。気に触ることに触れてしまったらしい。気まずい雰囲気になる前に、なんとか取りつくろわねば。
「ご、ごめんなさい。良いことがあったとつい、踏み込んでしまって」
「いや、いいいんだ。それよりも、これで最後だ。料理を運ぶのを手伝ってくれ」
「わかりました。料理は、表のテーブルに運べばいいですか?」
「ああ、頼むよ」
男は出来上がった料理が入っている鍋を持ち上げ、厨房から出ていく。私も男とともに、厨房を行ったり来たりして料理をテーブルに運んだ。
私はすべてのテーブルに置かれた豪勢な料理を見た。酒場にある食材の3分の1を使った料理だ。こんな光景は、酒場の部屋が満室になった時か、商船が港を埋め尽くしたときくらいしか見れない。
「あの、聞いてもいいですか? 一体誰をもてなすんですか?」
「それはこれからわかるよ」
男は乾いた声でそう言った。これからとは、もうそろそろ来るということなのか。そうこう考えているうちに、床が振動しているのに気づいた。その振動がどんどん大きくなる。それと同時に外から人の声が聞こえてきた。それも複数。
「そら、きたよ」
男は店の扉の方に目を向けるよう促す。その時、扉が勢いよく開かれ、人がぞろぞろと酒場に入ってきた。店を埋め尽くすと錯覚するほど入ってきたが、外に意識を向けるとまだいるらしい。何者なのかはすぐにわかった。彼らは自警団だ。この規模だと、街にいる団員全員がこの酒場に集まったようだ。
彼らの代表のような人が、男の前に出てきた。
「い・・いらっしゃいませ。
「あんたが仲間をヤッた旅人か」
「そろそろ来る頃だと思ったよ。でも、それなりの数が来ることは予測したけど、これは想定外だな。料理足りるかな」
男はのんきに呟く。その姿に舐められていると感じたのか、団員の眉間にシワがよった。
一閃、銀色の刃が閃いた。団員の腰から抜かれた剣が男の首に迫った。あわや首と胴体が永遠に離れる寸前、紙一重で刃を避けた。
「なるほど。あいつらがやられたのも無理はない。俺の居合を初見でよけるやつなんて、団長以外に初めて見た」
「君、ここは酒場だよ。飲み食いする場所だ。喧嘩ならともかく、殺人なんて無粋の極みだよ」
「それはあんた次第だ。素直にいうことを聞いてくれたら、刀傷沙汰なんてことにはならない」
剣呑な雰囲気が、団員たちから流れ始めた。これはまずい、ここで暴れられたら取り返しがつかなくなる。私はこの一時だけ店を預かる身として、何としても店を守らなければならない。彼らを止めることはできなくとも、場所を変えさせることはできるかもしれない。
「あの、困りますお客様! せめて店のそ」
「どうなんだ! なんの目的でkの街に来たんだ!!」
私のことなんか眼中にないらしく、男に詰め寄る。店で何かをするならせめて、こちらに一言言ってはくれないだろうか。
「答える前に一つどうだい? 女中さんと腕によりをかけて作ったんだ。このエビの料理なんて傑作といえるくらいの出来栄えで、オリーブが香ばしいのなんの。話は食べながらでもできるだろ?」
差し出された料理を、団員は払いのける。うちわが床を叩く音が響き、料理をぶちまける。オリーブの香りが、床をたどって漂いだす。あれは私の目から見ても素晴らしいようだった。正直言って勿体無いと思う。だが団員はそんなことはお構い無し、むしろ差し出されたものに怒りを覚えているようだった。
「・・・堪え性がない奴らだな。騎士ボロコとは友人関係だ。それ以上でも以下でもない。それ以外の関係もない。これで満足かな?」
「それで納得できるか。騎士ボロコの名前を聞くだけで町の住民は眠れぬ夜を過ごすんだ。あんたとボロコ、そして新教徒の関係に裏が取れるまで、つきまとわせてもらう。だがその前に、仲間をヤッた落とし前はつけさせてもら」
団員が言葉を閉めようとした時、団員が盛大に吹っ飛んだ。それはもう綺麗に体を回転させながら、凄まじい勢いで壁に激突し、外にいた団員を巻き込んでいった。完全な不意打ちだ。私も団員たちも一瞬だけ、ぽかんとしてしまった。団員たちは直ぐに状況を把握し、怒声をあげて男に襲いかかる。繰り出される拳を躱し、去なし、テーブルの料理を台無しにされぬよう、華麗な動きで団員たちを気絶させた。
「やめて、やめてください! やめろォ!!!」
しかし止まらない。目の前でバカみたいに若い力のほとばしりを振るう男たちには届かなかった。事ここに至っては私にできることは1つしかない。暴れ狂うイノシシたちを止めるには、ダメ元で衛兵の詰所に行くしかない。動かなければ、使いたくはないが強硬手段に出るしかない。その結果、この街にいられなくなっても、今は酒場を守ることが最優先だ。
私は飛び交う怒声と団員たちをかいくぐり、外に出て詰所を目指して、夜の街を駆け抜けて行った。