混乱の中で
木目の天井が見えた。いつもアトアスが寝る時見える光景だった。その天井が見えるということはアトアスは眠っていたということであろう。アトアスは、何故自分が眠っていたのか、を考えようとしたが、すぐに分かることになる。
「気がついたようだね」
「急に倒れるものだからびっくりしたよ」
アトアスが気を失った原因の声が聞こえてくる。アトアスはまた驚いたが、二度目というのもあって今度は少し落ち着いていた。
「俺に話しかけてくるのは、精霊って奴なのか?」
アトアスは尋ねた。
「あぁ、そのとおり。」
「精霊だよ」
「ただ今回ばかりは数が多いけれど」
決して一種類ではない声が聞こえてくる。
「精霊、ってのは分かったけど、その…何体?何人?いるんだ?」
続くアトアスの問いに精霊たちは少し考えるような間を空けた。
「精霊ってどう数えるのが正解なんだろう」
「さぁねぇ…」
「何しろ実体がないんだから…動物のように数えるのか、はたまた人間のように数えるのか、どっちだろう?」
「人間と契約したら実体は人間だから、人でいいんじゃないか?」
「そうだな、そうしよう。」
アトアスの問いとは別の話題で盛り上がっている精霊たちにアトアスは苛立った。
「だから、お前らは何人いるんだよ!?」
アトアスが声を荒げると精霊たちの話し声が止まった。そして「こいつは少し気が短いな」というような話をヒソヒソした後に、とある精霊が代表するように答えた。
「我々は六人だ。」
「六人、か…」
ようやく精霊の人数を把握したところでアトアスは当然の疑問を持った。
『契約する精霊は一人じゃないのか?』
「そう、普通は人間一人に精霊一人。今回はどういうことなんだろう。」
声に出していない筈の疑問に精霊が答えたので、アトアスは思わず自分の口を手で覆った。
「君が声を出していた訳じゃないよ」
精霊は笑っているような弾みをつけて話す。
「契約した人間と精霊は声を出さなくても話せるんだ。」
「君が考えている内容が僕らには分かるんだ。」
「精霊の声は君だけに聞こえているよ。」
「ってことは今まで俺、デカい独り言呟いてたってこと!?」
予想外の真実にアトアスは思わず大きい声を出してしまい、しまったと手を口に覆った。
『他人から見たら、そう見えるだろうね。』
『だったら早く言えよ!俺、気でも触ったのかと思われてるかもしれねぇじゃん!』
アトアスは声には出さないように必死に精霊たちに抗議した。その様子に精霊たちは笑っているようだった。
『この子、必死だよ』
『面白い子だなぁ』
その様子にアトアスはまた声を荒げそうになったが、扉を叩く音がそれを妨げた。
木製の扉を叩く音にアトアスは「はい」と答えた。
「アトアス、入ってよいかの?」
長老の声だった。アトアスは「今行きます」と返事をし、扉を開けた。
「調子はどうじゃ。」
長老は心配そうにアトアスの顔を覗きこんだ。
「大丈夫です。その、僕はどうやってここへ…」
「アトアスは儀式で星空の石に触った直後に倒れたんじゃ。それを大人たちが部屋まで運んだのじゃ。」
「それは…すみませんでした。」
アトアスが苦労をかけたことに対し謝ると、長老は少し微笑み「何てことはない」と言った。そして
「どうして倒れたのかね?」
とアトアスに尋ねた。アトアスはぎくりとした。
『六人の精霊の声が聞こえてきて、驚き過ぎて気を失った。』
というのは何だか恥ずかしい気がしたのだ。咄嗟に
「精霊と契約出来たことに安心して、気が抜けたのかもしれません。」
と答えた。頭の中で精霊たちが「えー、そうかなぁ」等と笑っている声が聞こえて、アトアスは腹が立ったがぐっと堪えた。
「そうか、何しろこの島では六百年以上契約者は出なかったからの。」
長老はそう言って「あぁそうじゃ」と自分のポケットから何かを取り出した。
「これをアトアスに渡そうと思ってな。アトアス、手を出しなさい。」
アトアスが言われた通りに手を長老に差し出すと人型のような小さい縫い物を渡された。一体これが何なのか分からないアトアスが不思議そうに縫い物を見つめた。
「これは成人の儀式を終えた者に渡しているお守りじゃ。大体の者は契約者には選ばれないからの、ただのお守りになるのじゃがアトアスは違う。」
長老は珍しく鋭い眼光をアトアスに向けた。アトアスは「これは真面目な話をする時の長老の癖だ」と思い少し背筋を伸ばした。
「これは人の形に寄せて毛糸で編んだものじゃ。この頭の下、首の部分、項のあたりじゃな、ここを一針縫うのじゃ。ただの糸では駄目じゃ、契約者の髪の毛を…十本くらいを束ねて縫うと良いじゃろう。そうするとこれに契約した精霊が宿ることが出来るらしい。しかし、契約者の体と比べて力は発揮出来んそうじゃ…」
アトアスは真剣に長老の話を聞いていた。しかしアトアスにはその話がよく理解出来なかった。信じ難い、というのもあったが、アトアスは少し記憶力が悪いのである。昔から平均の半分くらいしか覚えられなかったのでこの長老の話も半分くらいしか把握出来なかった。
そんなちんぷんかんぷんな様子のアトアスに長老は気づいて
「…今日はこのくらいにしておこう。この人形は大切に扱うのじゃぞ。」
と言い部屋から出て行った。部屋から出て行った、といってもこの家は長老の家なので長老とアトアスは一つ屋根の下にいるのであった。アトアスには親がいなかったので、孫も独り立ちして部屋を持て余していた長老がアトアスを自分の家に住まわせていた。だからアトアスは後で長老に聞きに行くことが出来る。
『とりあえずこの人形を大切に扱って…項部分を一針…』
アトアスは聞いた話を忘れないように反芻していた。
『ねぇ、人形の項に一針縫っておくれよ。』
と精霊が言う。
『なんだよ、俺は今言われたことを覚えるのに忙しいんだ。』
口に出さないようアトアスは返事をした。
『さっきお爺さんが言っていたことか。それなら大丈夫さ。』
『何が大丈夫なんだ』
『だって僕らがそのことについて知っているからさ。とりあえず君の髪の毛、十本くらい束ねて、それを一針人形の項に縫っておくれよ。』
精霊に言われるまま、アトアスは一針縫う為に針を探した。アトアスが十歳の頃に、長老から裁縫を教えてもらった。その際に裁縫道具を一式貰ったのだ。当時は
「男だから裁縫出来なくたって」
と文句を言いながら裁縫の練習をしていたのだが
「男というのを言い訳にしてはいかん。誇る時には言って良いがの。」
と長老は言い、アトアスが一人でボタンを付けられるようになるまで練習に付き合った。
その裁縫道具一式は棚の中にしまってあった。アトアスはそれを取り出して針を手に取った。そして自分の髪を手ですき始めた。大体十本の髪の毛が集まったところで、それを束ねて一つの糸のようにして針の穴に通した。玉結びを作る時は自分の髪があまり長くない為に苦労した。「これだと玉留めはもっと大変だ」と思いながら人形の項部分に一針塗った。予想通り苦労しながら玉留めをすると精霊同士で話し始めた。
『誰が最初にいく?』
『ここは年功序列だろう』
『いつもは年寄り扱いすると怒るクセに…』
蚊帳の外にされた気持ちになったアトアスはムッとして
『おい、一針縫ったぞ!ここからどうすんだ!』
と声には出さないようにしながらも心の中で声を張り上げるようして伝えた。
『年寄りじゃなくて先輩ってだけだ!お先に!』
と一人の精霊が宣言して他の精霊たちが「あぁ!」「ズルい!」と声を上げた。そしてすぐにアトアスが手に持っていた人形に変化が表れた。
人形はぶるぶると震えだし、それに驚いたアトアスは思わず人形を床に放り投げてしまった。床の上の人形は震え続け眩い光を放ち、アトアスはその眩しさに目を瞑った。次に目を開けた時には見知らぬ男が目の前に立っていた。
「だ、誰…?」
驚きのあまり大声を上げそうになったのを堪えてアトアスは尋ねた。
「僕は君と契約した精霊の一人。名前は…そうだなぁ…ジョーイ、ジョーイだよ。ジョーイ•チュイミク。よろしくね。」
見知らぬ男、もといジョーイ•チュイミクはそう言った。ジョーイは背が高く、すらりとしていた。白いシャツに茶色のズボン、皮の靴を履いていた。靴以外はアトアスの普段着と殆ど変わらなかった。ジョーイは瑠璃色の短めの髪と瞳を持っていた。顔の彫りは浅く、体格の割には幼く見えた。
「ジョーイ…か…」
アトアスは目の前に急に現れた男に警戒しながらも、今までの話の流れからしてジョーイという男が精霊であろうということは理解出来た。
「そう、僕の名前はジョーイだよ。姓は今さっきつけたけど。」
とジョーイは言う。アトアスは頭が痛くなってきた。今さっきでつけた姓とは何なのだ、という新たな疑問が生まれてしまった。アトアスは精霊と契約することがこんなに頭が混乱するものなのかと、若干契約したことを後悔し始めた。そんな様子のアトアスを見てジョーイは「ふむ」と少し考えた。そして
「まぁ落ち着いておくれよ、君の疑問に答えるよ。さて、何から話そうかな…」
と言い、アトアスを見つめた。
見つめられたアトアスはぐっと喉が詰まるような気持ちになった。今までに経験したことがないような眼差しだった。その眼差しは人間ではないモノ、精霊のモノだと証明するような眼差しだった。アトアスは聞きたいことを少し頭の中で整理した。それから尋ねた。