アトアスと成人の儀式
【このながく、ながい物語を読み終える頃には。】
これは地球が誕生するより遙か昔の物語。いや、我々が住むこの世界線とは違うのかもしれない。この物語の世界線で、我々の言う宇宙が誕生してあまりにも膨大な時間が流れた。宇宙は絶えず広がり続け、数え切れないほどの星が生まれた。その幾多の星のなかのひとつ。地球によく似た、しかし異なるその星の、小さな島にこの物語の主人公がいるのである。
この小さな島の名はオフカテ島。半日あれば島を一周出来るほどの大きさで、一年を通し温暖な気候であり、降水量も多い。
この星にも地球で使われているあらゆる知識が存在した。暦も時間という概念も地球と殆ど同じと言って差し支えない。動物や植物、そして人間によく似た生き物も存在している。まるで地球の生態系をそっくりそのまま違う星へ移したかのような星。しかし、地球とは決定的に違うものが存在するのだが……それは後に分かることだろう。
オフカテ島は緑豊かな土地である。温暖な気候と雨の恵みにより人の背丈より大きな植物が生い茂っている。その豊かな森を裸足で歩く少年。肌は小麦色に焼け、髪は黒く、短く切られており針葉樹の葉のような弾力がある。強い日差しから目を守るように長い睫毛が生えており、目尻でぴっと上がっていた。小麦色の肌に映えるような白目をしており、琥珀のような黒目を持っていた。背丈は成人男性より少し低く、少年特有の未発達な体つきは少し見られるが、体は角張ってきており、あと数年で立派な大人の体格になるだろう。彼の名前はアトアスという。
アトアスにとって今日という日は特別だった。アトアスは今日、成人の儀式を迎えるのである。オフカテ島の成人の儀式は男女共に15歳で迎える。儀式と言っても狩りや喧嘩をするのではない、誰にだって出来ることだった。それはとある石に触れることだった。その石は高い山にある訳でも、危険な生き物が住む場所にある訳でもない。その島の中心地のとある一角、簡素な小屋に納められていた。その石は夜空のような色で、それこそ星がきらめくようにきらきらと光が瞬くのだった。誰かがそれを「星空を閉じ込めたようだ」と表現した。
その星空の石(と今後そう呼ぶ)は、ただ綺麗なだけではない。精霊が宿っている。先ほどの“地球とは決定的に違うもの”は精霊のことであった。この精霊は人間が生まれる遙か昔から存在していたそうで、人間は精霊と共に暮らしてきた。共に暮らす、と言っても君たちが想像するものとは違うだろう。精霊は人間の体に入って共に暮らすのである。“人間の体を借りて”と表現した方が適切であろう。精霊が人間の体を借りるのには勿論理由がある。それは“精霊は実体を持っていない”からである。実体を持っていないというのはどういうことであろうか。
我々人間は思考して行動する。例えば「喉が渇いた」と感じれば君たちはどうするか?喉を潤す為に水道の蛇口をひねったり、冷蔵庫の扉を開けてジュースを取り出したりするだろう。しかし体がなかったらどうなるだろうか?意識だけがあり、体が、実体がないのだ。行動を起こすことすら出来ない。これはとても恐ろしいことである。
この例え話が恐ろしいほどに理解出来なかったA.Sは後、友人に尋ねることになる。友人は
「電気があってもその電気を使う機器がないみたいなものじゃない?」
と答えた。それを聞いても眉間にしわを寄せているA.Sに対して友人は
「スマホがあっても電気がないと使えないでしょ、その逆みたいな感じ。電気があってもそれを使える…電球とかさ、物体を通さないと電気は使えるようにならない、みたいな。」
と付け加えてくれ、ようやくA.Sは理解することが出来たのだった。
実体を持たない精霊は困り果てた。精霊は強力な力を持っている。とある精霊は自由自在に火を操ることが出来たり、別の精霊は水を操ることが出来たりと、強力な力を持っている。しかしいつからか実体を持たなくなってしまった。実体を持たなくなった理由が分かるのはもう少し、いやかなり後のことである。
実体を持たない精霊たちは“実体を持つ生き物の体を借りよう”という結論に至った。無論、人間もただで体を貸す訳ではない。体を貸す代わりに精霊の力を使わせてもらうのである。精霊と人間は契約する関係となったのだ。
ただ、人間であれば誰でもいいと言う訳ではなく、相性というものがあるらしい。相性が良い人間と精霊は契約する。相性が合わなければ見るも無残なことになるらしい。一説には精神に異常をきたしたり、重い病にかかったり、はたまた体がはじけてしまうなど色々あるが、どれもよろしくない状態になるのは間違いない。
精霊は人間に比べると数が少ない。人口の1%程らしい。つまり精霊と契約出来る人間は限られている。契約出来れば強力な力が使えるために皆、自分が精霊と契約出来る人間であることを望んだ。勿論オフカテ島の住民も望んでいたが、この島では何百年もの間契約を結べたものはいなかった。
星空の石には精霊が宿っており、選ばれた人間が石に触れると契約出来るそうだが何百年も契約出来る人間が現れなかった。そのために星空の石に触ることが成人の儀式、最早慣習として行われていた。
それでもアトアスにとっては特別な日だ。成人の儀式は人生に一度しかないのだから。また成人すれば結婚することが出来る。アトアスに恋人はいなかったが、アトアスは惚れっぽい性格であった。恋多き少年であり、結婚に憧れるのは当然であった。(その恋の数々が実ったかどうかは別だが)
島は200人程の住民しかいなかったが、祭事のことになると島総出で盛り上げた。成人の儀式も島民全員が祝ってくれる。島の人々は暖かかった。親を持たないアトアスが寂しさを感じない程だった。
アトアスには親がいない。亡くなった訳でもいなくなった訳でもない。“そもそもいなかった”らしい。これは本当に奇妙な話であった。島で一番知識ある者、長老が言うには
「激しい嵐の晩、大きな音のなかやっと眠りについたワシは不思議な夢を見た。島の森に光が落ちてきた。そこはワシの家から半刻歩いた場所だった。翌朝、嵐は過ぎ去っていた。昨晩の夢が気にかかりその場所へ行くと、なんということか!赤子がおったのじゃ!激しい嵐が過ぎ去った後だと言うのに、赤子には傷一つなく、周りの植物は赤子を守るように葉を被せていた。」
とのこと。その赤子がアトアスである。その時期に島で妊娠していた者はおらず、本当に誰の子か、何処から来たのか分からなかった。長老はアトアスを連れて帰り、島民みんなでアトアスを育てたのである。島の人は「アトアスは精霊と契約出来るかもしれない」と思っていた。あまりにも不思議な赤子だったのだから、精霊と契約出来てもおかしくない――
そんなことを周りが考えていることは露知らず、アトアスは成人を迎える。
儀式は和やかに進められていた。今年成人する者はアトアス一人で、皆アトアスの為に祝福した。長老が朗らかに、しかし真面目な空気を纏って
「アトアスよ、成人する者として星空の石に触れなさい。」
とアトアスに言った。アトアスは「はい」と大きく答え、右手を星空の石に差し出した。
アトアスが星空の石に触れた途端、星空の石の輝きがアトアスの右手へ移っていった。その光景を見た者は声を上げたり目を大きく開いたりした。長老も、アトアスも異常な光景に驚き固まってしまった。輝きは石から余すことなくアトアスの右手に向かっていき、遂に星空の石から輝きが消え、ただの黒い石となった。アトアスの右手に移っていった輝きは体内に吸収されるように徐々に見えなくなった。輝きが完全に見えなくなって、数秒。皆固まっていた。そしてすぐに歓声が上がった。「おめでとう」「やっぱりアトアスは選ばれたんだ」とアトアスに声をかけてくれたのだが、アトアスはそれどころではなかった。それは契約出来た衝撃ではなく、別のことであった。
頭の中で声が聞こえる、それも何人も。
無論その声は島民のものではなかった。
「やっときたよ~」
「何年待ったっけ?」
「さぁね、自分は300年ちょっとかな」
「もうこの島では契約出来る人間はいないのかと…」
「これで力を使えるね~」
「僕はそんなに待ってないけど…」
アトアスにはこの状況が理解出来なかった。一体何が起こったというのか。あまりの混乱でアトアスは気を失ってしまった。皆が倒れたアトアスにかけよる最中、遠くアトアスは声を聞いた気がした。
「あ、倒れちゃったよこの子」
「どうしよう」
アトアスはその声が何者か、この時は分からなかった。