どうでもいい ~ジントニック~
<ジントニック>
ジンベースのスタンダードカクテルのひとつ。
【標準的レシピ】
①ドライジン②トニック③ライムカット
とてもシンプルなカクテルで、最初の一杯やカクテル初心者に好まれますが、実は奥深き味わいのあるカクテルで「気持ちをリフレッシュさせる」効果があるとも言われています。シンプル故に作り方や材料でどのようにも設計できるカクテルです。
「おい、待てよ!おまえのせいで留年しただろ!」
いきなり腕をつかまれた。
今期最終のテストを終え、晴々しい気分で歩いている俺の腕は後ろから強く引っ張られた。
「おまえ!ノート貸すって言ったよな!」
「必修落として留年決定しただろ!どうしてくれんだ!」
「おい!聞いてるのか!」
武田は俺の腕をこれでもかというくらいに強く掴んで怒鳴っている。
「はぁ~?何言ってるのか意味がわからん!いいから手を離せよ!」
そう言って、腕を振り払うと武田は俺の胸ぐらを掴み
「なんで電話でねぇんだよ!」
「なに、無視ぶっこいてんだ?」
「ふざけんなよ!」
まるで田舎のヤンキーだ。いや、ヤンキーというよりは、けたたましく鳴く野生のモンキーだ。
先ほどまでの晴々しい気分を一気に害された。
俺は後期試験の最後の科目「幾何学」のテストを終え
誰か誘って飲みにでもいくかな、それとも久しぶりにいつものビリヤード場でも行くかな
などと、今からはじまる2カ月以上ある春休みのスタートにふさわしい予定を考えていた時だ。
この瞬間はなんて清々しいのだろう。
テストのできとは何の関係もなしに、清々しい。
テスト期間だからと言って、受験生のように毎日勉強しているわけでもなく
適度にバイトも入れるし、適度に友人と飲みにも行く。
それでも、この最後のテストを終え今から自分は自由なのだと感じるこの解放感。
夏休み前の終業式を終え、家路を急ぐ小学生の気分と同じ。
冷静に考えると、普段だって大学生なんてお気楽で自由だろと思うのだが
やはり、違うのだ。"緊張"と"緩和"、または"抑圧"と"解放"。
社会人風にいえば"仕事"と"休日"。仕事があるから楽しい休日なのだ。
毎日休日の人では味わえない充実感のようなものなのだ。
仕事終わりの一杯と、一日中寝て過ごした後の一杯ではその輝きが違うのだ。
そんな重要なひと時を壊してくれた武田に「おまえの留年なんて知るか!」と言ってやりたかったが
「いいから、まず落ち着け」
と冷静に武田の話を聞いてやろうとした。
しかし、これは間違いだった。
武田は落ち着くどころか、よりヒートアップして吠え続けている。
人の話を聞く気は全く無いようで、なおも怒鳴り散らしている。
胸ぐらを掴まれたままでは気分も悪いし、唾も飛んでくる。
俺は無言のまま武田を突き飛ばした。
「解析学のノート貸してもらえないかな」
声をかけられたのは3日前の代数学のテスト後だった。
武田とは入学して間もないころに喫煙所で話しかけられてからの付き合いだ。
特別に仲が良いわけでは無いが、昼飯を一緒に食べることもあれば
隣の席で授業を受けることもある。お互いの一人暮らしのアパートを行き来もする。
一緒に麻雀をしたこともあった。そして、たまには飲みにも行く。
大学生特有の大勢いる"仲間"の一人だ。それほど濃い付き合いはないが
一般的に見れば十分、"友人"といえる仲であろう。
「なんで解析学のノート?」
解析学の授業は必修なのだが、この授業は珍しくテストがないのだ。
授業でいくつかのレポート提出が必要だが、まじめにレポート出しとけば
それで単位がもらえる科目であったので、なぜノートが必要なのか疑問だった。
「じつは・・・。」
どうやらレポートの提出を何回かさぼった為、教授に単位をやらないと言われたそうだ。
必修科目で単位を落とす。うちの学科ではこれは即、留年を意味する。
毎年何人も留年者がでている。
入学してから4年のストレートで卒業できるのは全体の50%しかいないのだ。
しかし、授業が難しいわけでもなく、普通に学校来て、普通に提出物を出していれば
留年することはまずない。留年する者のほとんどは、授業をサボってほとんど学校に来なかったり
レポートを提出しなかったり、と自分のせいなのだ。
そういう俺だってまじめに休まず授業に出ているわけでもなく、
人のレポート丸写しして提出したり、友人に頼んで代返(出席しない者に代わって出席をよそおって返事をすること)頼んだり、適度にサボっているのだ。
だから、ノートの貸し借りだってする。借りることもあれば、貸すこともある。
"適度"にサボるのが重要なのだ。
しかし、必修科目のレポートを出さないなんていうのは"適度"を超えている。
それなのに教授も甘いもので、レポート未提出者は明後日特別にテストを実施して
救済してくれるそうだ。
解析学の授業は比較的まじめに出ていた俺は、レポートも提出していたし、関係ないので
掲示板も見ていなかった。
そして、そのテストが直筆ノート持ち込み可で、合格点は80点以上。
このパターンは、ノートをとっていたらノートから写すだけで解けるような問題が出るのだ。
そう、ノートがあればどうにかなるやつなのだ。
「ノートを貸すのは別にいいんだけど・・・。」
部屋に帰ればノートはあるはず。しかし、問題は明日の朝早くから出掛けなくてはいけない。
祖母の葬式があり一泊二日で長野まで行かなくてはいけないのだ。
「明日から用事があるから、今日取りに来れる?」
すると武田は
「ごめん今日はこのまま彼女の家に行って泊まりだから、うちのポストに入れといて」
実は少しムッとした。なんで俺がわざわざお前の家にノートを届けないといけないのか。
テストより彼女か。ノートが手に入るとわかって余裕かましてるのか。
お互いのアパートは大学に一番近い駅の西口と東口で、駅をはさんで逆側なのだ。
歩いて10分もかからないのだが、借りる武田から届けてくれと言われるのは腑に落ちなかった。
ただ、そんなことを言うと小さい奴と思われそうだったのでしかたなく了解したのだ。
翌日の朝、少し寝坊して焦ったが
一度改札の前を通り越して逆口の武田の家のポストにノートを入れるミッションをこなしながらも
予定していた時間の電車にどうにか間に合い、長野の祖母の家に向かった。
大学のテスト期間中だったため、俺だけ一泊二日。
最後のテストが1科目だけ残っているのでどうしてもこの日程にならざるをえなかった。
両親と弟は先に長野に行っていたので、親戚に駅まで迎えに来てもらい
葬儀場で合流してそのまま葬式に参加した。
久しぶりに会う親戚、会ったこともない親戚、会いたくもない従兄弟など、
色々居たが、テンプレ通りの挨拶をして、そつなくこなしていた。
そして、微妙にやることもなく暇を持て余してもいた。
朝、出掛ける時にバタバタして携帯を持ってくるのを忘れてきたことが悔やまれた。
しかし、暇ではあるが平穏だった。
精進落としといわれる葬式後の食事までは。
アホ従兄弟の健太は、相変わらずのアホだった。
小さいころから自慢話ばかりで、いかにも甘やかされて育った坊ちゃん。そして、アホ。
最近二十歳になって酒を飲み始めたようなのだが、とにかく僕ちゃんはお酒強いですアピールがうざい。
アホ健太とは絡みたくもなかったので、遠くの席に座っていたのだがアホの声だけは聞こえてくる。
「ぼくは、いくら飲んでも記憶が無くなったことも、吐いたこともない」
「ビールは酔う前にお腹がいっぱいになる」
これを聞いて俺は、高校生の時に友人とこっそり真夏の公園でビールを1缶だけ飲んで
安く酔うためにと、マラソンしたら2キロ走ったとこで頭痛と嘔吐で死にかけたことを思い出していた。
亡くなった祖母はあともう少しで90歳といった年齢だったこともあり
お葬式も食事会もそれほど悲しく神妙な感じではなく、親戚同士の近況報告会となっていた。
親戚同士で「お久しぶり」だの、「少し見ない間に大きくなった」だの「何年ぶり」だの
お決まりの会話をそこらじゅうでやっている。
そんな雰囲気の食事会でも、アホ健太の
「ばあちゃんも、もっと早く死ねばよかったのに。そうすればみんな早く会えたのにね」
という言葉の後は一瞬静まり返った。
しかし、親戚一同は今の言葉は聞いてませんでしたとばかりに
またお決まりの会話を再開していた。
しかし、俺のなんだかわからない胸の奥の方の、いや、はらわたの奥の方のスイッチは
入ってしまった。
子供の頃ばあちゃんの家に遊びに行くと、いつもマグロの刺身と天ぷらとおはぎが用意されていた。
俺はこの料理のワンセットが好きだったし、この料理でないとばあちゃんの家に来た気がしなかった。
ばあちゃんは、マグロの赤身を温かい白いご飯でたべるのが好きだった。
今日の食事にもおはぎは無かったが天ぷらと刺身があったのは、ばあちゃんの好みも考えて
誰かが料理を手配したのかもしれない。
まあ、偶然だったとしても刺身を食べながらばあちゃんの事を思い出していた俺の耳に
「もっと早く死ねばよかったのに」と聞こえたのだ。
お堅い親戚が多くて、両親から「親戚の前ではタバコを吸うな」
と言われていたこともあり、タバコを吸えなくてイライラしていたせいもあるかもしれない。
俺は立ち上がってアホ健太の隣の席まで移動した。
「よぅ、ひさしぶり」
できる限りの笑顔で。
そして、「彼女が3人いる」だの「バイト先では自分が店長のかわり」だの「5か国語を話せる」だの
どうでもいい嘘話に適当に相槌をいれつつ、ビールやら日本酒やらを適当にすすめて飲ませた。
ペースが落ちてくると「もう酔っぱらったの?」「これしか飲めないの?」と小声であおりながら。
案の定、1時間もしないでアホ健太は泡を吹いて椅子ごと真後ろに倒れた。
その後は酒を飲んでいない親戚が車を出してアホ健太を病院まで連れて行き
俺はアホ健太の親と自分の親、見たこともない親戚から散々説教された。
別に無理やり飲ませたわけでもなく、アホ健太は勝手に自分で飲んで倒れたんだが
そんなことは関係ないようだ。
まぁ、別にどうでもいい。
無性にジントニックとマイルドセブンが恋しかった。
翌日は俺も飲み過ぎていたのか二日酔いで頭が痛かったが、どうにか夕方には長野をでて
自分のアパートまで戻った。次の日には今季最後のテスト幾何学が控えていたので
テレビも見ずに、酒も飲まず、もちろん勉強もせず、タバコだけ吸って寝てしまった。
テスト勉強は、明日早めに起きてやればいいだろう。
それと、てっきり持っていくのを忘れたと思っていた携帯電話は行方不明のままだった。
元々、携帯電話をよく不携帯していたのでそれほど気にもならずにいた。
後でわかったのだが、どうやら長野で迎えに来てもらった親戚の車の中に落ちていたようだ。
今期最終テストの幾何学は午後からだったので
昼前に起きた俺は、二日酔いも治って腹も減ったので
最後の悪あがきで勉強することは諦めて、駅前の牛丼屋によって
そのあとドトールで一服して大学に向かった。
突き飛ばされた武田はまだ何か怒鳴っている。
どうでもいい。
ノートがなぜ武田のもとに届いてないのか?俺が間違えて隣の家のポストに入れたのか?
誰かが、武田の家のポストから盗んだのか?
それも、どうでもいい。
どちらにせよ、武田が留年したのは俺のせいではない。
まぁ、それさえもどうでもいいが。
俺はまだ騒いでいる武田を無視し、そのまま大学をでて
いつものビリヤード場に行った。狭い階段を上って2階に上がるとすぐ左に自動ドア。
自動ドアが開くと目の前に杉谷がいた。
「おぅ、久しぶり」
杉谷は1年の頃に体育で知り合ってからの友人だ。大学にも体育があるのだ。
これは常識なのかもしれないが、俺は大学に体育の授業があって驚いたのを今でも覚えている。
杉谷は2年になったころからここでアルバイトをしている。
「久しぶり、やっとテスト終了!」
「おぅ、お疲れ!」
っていうか杉谷も同じ学科なのだが、なぜ今日バイトしている?
「スギ、今日のテストは?」
「今日は休み。大丈夫!」
大丈夫ってなんだ?テスト受けなくて大丈夫?まぁ、いいか。
俺はこのビリヤード場に来るときは大抵一人で来る。
杉谷がいれば相手をしてもらい、他の客の相手で忙しければ、適当に一人で練習する。
外が明るいようなまだ早い時間は、大抵暇なので貸切状態で遊べるのだ。
俺はジントニックを注文した。
杉谷がジントニックを作っている間に
ナインボールのひし形にラックを組む。
杉谷がジントニックを壁脇のカウンターテーブルに置き、
「どうした?何かあった?」
「別に何もないよ」
どうでもいい。
テストの終わった清々しさ、まだ外は明るい真昼間。
おれはジントニックを飲んで、マイルドセブンをふかす。
ビリヤードの玉の弾ける音を聞きながら。