中編
やがて再び満月の晩。あれから全く代わり映えの無い毎日を過ごして、今日やはり満月に誘われるように今度は噴水のある広場にと向かった。やはり護衛が一人黙って付いて来ており、今日はこの間とは別の男だった。
不意に、そういえば‘死んだ緑色の子供’が良く浮浪者一掃の手から逃れるのに利用した図書館。あれはまだ屋根上に登れるだろうか。そう思うや、足は自然に広場に続くメインストリートから一本逸れて、手狭な石畳の道を歩く。図書館の裏の建物を見つけ、その横の細い隙間を通ると、やはり今もそそっかしい見回り員は健在で、三階端の窓が微かに開いていた。昔からあそこが開いているのでもしかしたら、見回り員はあそこに窓が有るのに気付いていないのかもしれない。そう思いながら、排水管や自然の出っ張り、隣のレンガに足をやり手をやりよじ登り図書館に侵入すると、変わらない埃と紙と保存に使う油紙の匂いがする。
窓から見下ろしたが護衛は、私は此処にいますとばかりに下で建物に背を向けた所だった。
星があまり見えない。藍の空にそしてさあさあと幾分か強く吹く風を胸いっぱい口いっぱいに吸い込む。何故今更になってこのような行動を自分が起こすようになったのか、考えてみたが分からなかった。
唐突に、声が聞こえた。
「よく来たな!世界の守護者どもと王の狗ども。」
図書館の屋上は、広場に向けて大時計が作り置かれている為、長方形を二分するようになっている。どうやら今いる入り口から大時計の向こう側に誰かいるようである。
広場から反対側が向かい風で気持ち良かった為に、広場を背にしており気付けなかったが、どうやら広場にも何人か人がいるようで、何事か返す声が聞こえた。
だが、全く聞こえない。
堂々、広場下を覗けば十人ほどの塊がごちゃあと噴水前に集結していた。どこぞであったAとBとその仲間たちのようだ。今更ながら、彼らは何をしているのかと眉をひそめていたが、彼らの前に腹を押さえてうずくまる金の髪の女が見えた。怪我をしている、と私は脳裏にいつかみた血を垂れ流し這う野鼠を思い出す。
最後尾にいて険しい顔をしていた女が一人、私に気付き表情崩れてぽかんとそれこそ間抜けに口を開けたが、それが最後尾なだけに主要人物は私に気付かない。
キツい眼差しでBは私の横数メートルにいるだろう人物に向け叫んだ。
「貴様ああっ仲間を餌に!」
「ああ何が悪いんだ?彼女は私に付いて来て一緒に世界を壊すと誓った。命を懸けると。私に命を捧ぐと言ったのだ。その命、世界を壊す為に使って何が悪いんだい」
確かに。思わず同意する。しかし彼女の下で影が蠢く姿に、鮫に生き餌をやる姿が酷似していた為に、趣味は良く無かろうにと結論した。
どうやら世界は危機らしい。
そう思いながら、そろそろ寝ようかとゆらりと移動し、背後でまだまだ続くらしい問答を聞き、入り口に立った所でもう少しいいかと裏に回って横数メートルの相手の後姿をみた。闇のようなマントを羽織った体格の良い男だ。男の周りには、金に光る文字が浮いている。
部下らしき影が数人いたが、私が姿を表すと同時に広場に飛び降りて下から激しい音が聞こえだした。交戦し出したようである。
「無駄だ。術はすぐ完成する…」
という、上流階級で鍛えられたかのような綺麗な発音を聞く。どれどれ何が?とそのまま近付けば、黄色の古代キリシ文字と見受けられるそれが一部崩れた。ふと仰げば、男の短い緑の頭髪が月光に透けた。ああ私と同じ色だと思った瞬間、雲に遮られて抑制されていた光量が突然一気に地に降り注ぎ男の髪は汚くくすむ私の髪を嘲笑うかなように銀に光る。月の男だ。私の目の前に月の男が立っている。
突然女の金切り声と嫌な音が辺りに響いた。
AとBが何事か叫び、空気が震える。何事かさっぱり全くこれっぽっちも此方から伺えない。
「いいの!」
女は叫んだ。
「あの方は、呪われし緑の一族に産まれて、踏み虐げられもはや絶望しか無いという所まで来てそれでも私に希望をくれた」
これで良いの!
だが女に女が叫び返す。それは私を人質に逃げた女…Cの声だった。
「ふざけるな!お前の主人はただ絶望しか見れなかったアホだ!私は緑の貴人を一人知っている」
な、に?男のぴんと伸びた背がびくりと震えた。
「はは馬鹿なことを、緑はお前ら祖に刈られ浮浪にすら一人もいない。見え透いた嘘を!」
なるほど。だから私と女は人前で髪と目を見せれぬのか、と今更ながら気付いて驚いた。
そしてはっと思い付く。あれから少しばかりオカルトをかじり魔と付くものに関わる者は総じて長寿だと知った。そう、きっと彼を我が家に迎えれば後継者問題は解決する。私は、一人納得する。この為に、私は月光の下、導かれたのだろうと。
子供の喧嘩のような罵り合いは佳境を迎えているらしい。
男は月を抱くように、腕を上げた。
「では私は最初で最後、神に祈る!私より幸福な私より光有る私の一族を今すぐここにと!」
風が強くなる。私は飛ばされぬようにと帽子を取った。私の緑色の髪が頬を撫でる。括っていた紐が切れたらしい。
私が彼を背後から抱き締めたのが、台詞の後だったのは偶然だろう。そろそろ暖かいお茶でも飲まなけれは風邪を引きそうだった。