第九話
あれからしばらくの間、瞑想をして精神を統一。神の力を認識しようと頑張ってみたが……。やはりうまくいかない。
どれだけ集中しようと、力のちの字も感じない。始めたばかりで言うのもあれだが、まったくもって手ごたえがないぞ。
うーむ。何か別のアプローチを試みたいところだが……。照子の話を思い出す。妖怪を払うためには、まず力を認識。
そして力を引き出し。さらに祝詞を唱えることで、引き出した力を妖怪を祓う力に変換する。この三つの工程が必要。
そう言っていたな……。うーん、俺は一番目で躓いているわけだが。この工程の二番目の部分、力を引き出すって……。
そこで頭を過ったのは、ここ一ヶ月の異常な天気のことだ。
あれって、俺が制御できずに漏れ出た神の力のせいで、起こったことだと照子は言っていたよな。
てことは、今も俺の体から力が漏れているってことじゃないのか?
仮にそうであるなら。それも一応、力を引き出しているってことに、ならないだろうか?
俺はすぐさまこの閃きを照子に伝えようとした。が、部屋の扉をノックする音と、ともに聞こえた声に遮られる。
「お兄ちゃん。夕食持ってきたからドアを開けて!」
「むっ、夕食か!」
風ちゃんに寝そべり、ゲームをしていた照子が、いの一番に反応。ゲーム機の電源を落とす。
それを尻目に立ち上がった俺は、部屋の扉を開く。
「はい。お兄ちゃん」
「ああ、わざわざ持ってきてくれるとは。悪いな」
「いいよ。部屋に戻るついでだったし」
妹が差し出した、お盆に載った夕食を受け取る俺。お盆を渡した妹は、向いにある自分の部屋へと入って行った。
「おお! 今日もうまそうじゃな」
ベッドにお盆を置くと、照子が嬉しそうにする。それを横目に、お皿に盛り付けられたおかずを取り分け。
そこにご飯を少し添える。ふむ、注文通り多めになっているな。
照子が夕食をねだるので、母に頼んで多めにしてもらったのだ。さらに照子のために、毎日部屋で食べる許可も得た。
「ほら」
引き出しから割り箸を取り出し、取り分けた夕食とともに照子に差し出す。
「いただきますなのじゃ」
風ちゃんからベッドに移り、夕食を食べ始める照子。
「いただきます」
俺もデスクのほうから椅子をベッドへと向け。椅子に座ると夕食を食べ始める。
そうして二人で夕食を囲み。しばらくすると、取り分けた分量が少なく、また食べるのが早い照子が、先に食事を終えた。
そこで、俺はさっきの閃きを伝えるため口を開く。
「なあ、照子。思いついたことがあるんだが」
「む、なんじゃ?」
俺の手元を眺めていた照子。その視線はまだ半分以上残っている俺の夕食に注がれている。なんだか物欲しそうな様だ。
「ここ最近の異常気象が俺のせいで。それは俺から漏れた神の力が原因だと言ったよな?」
「その通りじゃ」
「それって、今も俺の体からは、力が漏れているんだよな?」
「うむ」
「おっと!」
頷くと同時に、俺のおかずへと伸ばされた照子の手を、俺は優しくはたき落とし。そして続ける。
「それでだ。その、漏れている力を使って妖怪を祓ったりできないのか?」
「けちめ。……無理じゃ。漏れている量など僅かじゃからの。それは、あの程度の妖怪すら祓えぬほどじゃ」
照子は上を指差す。それに釣られるように見上げると、天井にはゴルフボール程度の大きさの妖怪が……。
「そうか」
確かに、あれが無理なら、とり憑いている妖怪なんか絶対無理だ。うん? からあげが一つ減ったような……。
照子のほうを見ると、口をもごもごさせている。
「とっただろ」
「何のことじゃ?」
「……」
「……」
見詰め合う俺と照子。
「ま、まあ。着眼点はなかなかじゃったぞ。物は試し。漏れている力、それで妖怪祓いをやってみるのも良いかもしれぬ」
誤魔化すように、話題を変えようとする照子。子憎たらしいが、気になる話題なので、のってやる。
「どういうことだ?」
「それはじゃの。微量とはいえ、きちんと力は変換されるゆえ。何か力を認識するヒントになるかもしれぬからじゃ」
なるほど。やってみる価値はありそうだ。
「それで、どうやるんだ?」
「そこらの妖怪を掴み。祝詞を唱えれば良い。そっちのでやってみればどうじゃ」
俺の後ろを指差す照子。俺は振り返る。と見せかけて……。するっと、伸びてきた照子の右腕を、むんずと掴む。
残念だが、そう何度も、同じ手に引っ掛からんぞ。性懲りもなく、俺のおかずを狙っていたのはわかっていたのだ。
「照子、この手はなんだ?」
「さて、なんじゃろうな」
「おかずを奪おうとしたな」
「早う。食べんのが悪いの」
やれやれ、開き直るのか。全然神様らしくないが、それでも神様だろ? そんなに食い意地が悪くて良いのかよ。
「おまえなー。仮にも神様だろ?」
「それは関係あるまい。それに、今日の夕食は明らかにお主のほうが、多く持っていったではないか。不公平じゃ」
「いやいや照子。これでも俺はけっこう気前良く分けているのだぞ」
正直、母に増やしてもらった分より、照子に分け与えている。
「いやいや幸一。お主は朝と昼も食しておる。夕食は譲るのが道理であろう」
「はぁー。どういう道理だよ……。とにかくこれは俺のだ」
相手をするのがめんどくさくなった俺。照子の腕を開放する。そして、照子を警戒しつつ。せっせと夕食を腹に収める。
「やれやれ。仕方ないのう」
警戒している俺からは、おかずは奪えないと判断したのか。照子は風ちゃんに飛び乗ると、再びゲームを始める。
「ごちそうさま」
すぐに、夕食を食べ終わった俺。お盆と食器を片付け、台所に持っていく。そして部屋へと戻ってくると。
「さて、じゃあ。妖怪祓いをやってみるか。照子!」
「ふむ。まあ、付き合ってやるのじゃ」
風ちゃんの上で寝転がっていた照子。ゲームの電源を落とすと、気だるげに体を起こす。
「ほれ。こいつでやってみると良い」
風ちゃんに腰掛けた照子は、近くに浮いていたテニスボールほどの妖怪を掴み。そして俺のほうへと投げつける。
おいおい。よく掴めるな。なんとなく素手で掴むのは遠慮したい外見だというのに。そう思いつつも仕方なく受け取る。
俺の手に収まった妖怪。それに視線を落とすと、妖怪の体には目玉が浮き上がり、そのぎょろりとした目玉と視線が交差した。
やっぱり気持ち悪い……。
「祝詞は『神ながら守り給い。悪しきものを祓い給え』じゃ」
「それを唱えればいいのか?」
「うむ」
本当に簡単だな。妖怪を掴んだ腕を前にかざし。深呼吸をする。
よし! 行くか!
「神ながら守り給い。悪しきものを祓い給え!」
俺は力強く祝詞を唱えた。
「……」
しかし、何も起こらなかった。
「どうじゃ。何か感じたかの?」
いや、まったく。これっぽっちも。
「全然。何も感じない」
「ふーむ。一応、漏れ出た力は妖怪を祓う力に変わっておるがの」
え? そうなの? 俺は掴んでいた妖怪をよく観察する。うーん、こいつにも変化は見られないが……。
掴んでいた妖怪を放してやる。俺から離れて天井へとふよふよと飛んでいく妖怪。先ほどとまったく変わらない。
そのまま妖怪は天井をすり抜け消えていった。うーむ。
「本当にできていたのか?」
「できておった」
本当か? まったく何も感じなかったが。
「俺には何も起きてないようにみえたが……」
俺がそう言うと、照子を乗せた風ちゃんが、ふよふよと浮かんでいく。そして、照子は天井をすり抜け、消えていく。
少しして、戻ってきた照子。その手には、一匹の妖怪が握られていた。
「こいつを見るのじゃ」
照子が掴んでいた妖怪を俺の近くで放す。こいつはおそらく、さっき俺が妖怪祓いを仕掛けた妖怪だろう。
しかし見ろって言われてもな。やっぱり、どこにも変化は見られないが。
「いや、よくわからないのだが……」
「鈍いの。お主のことを嫌がっておるじゃろう」
照子が俺から離れようとしていた妖怪を掴み。再び俺の近くで解放する。すると妖怪は、ふよふよと俺から遠ざかっていく。
そう言われると、俺から離れようとしているようにも見える。確認のため、俺は妖怪が向かっている方向へと回り込む。
すると、すぐさま妖怪は方向転換した。うーん。どうやら、本当に俺のことを嫌がっているらしい。
「つまりこいつは、俺が妖怪祓いをしたから、嫌がって俺から離れて。逃げていくのか?」
「その通りじゃ。こ奴らとて、意思がないわけではないからの。祓われそうになれば、当然逃げるのじゃ」
ふむ。ということは、本当に力の変換はできていたわけね。しかしそうなると、結局この方法は意味がなかったということになる。
「はぁー。近道はないというわけか」
「悪くはない発想じゃったがの。少なくとも、ただ瞑想を続けるよりは、効果があるやもしれぬぞ」
いやー。俺はどっちもどっちに感じるがな。
「そうなのか?」
「うむ。もっとも、この部屋の妖怪の数では、せいぜい百回程度しか練習できぬ。ゆえ、瞑想と妖怪祓いを平行して行うのが、良いのではないかの」
「百回? この部屋には十匹も妖怪はいないが。ああ、妖怪がいなくても妖怪祓いはできるか」
この修行、大事なのは力の変換。別に祓う妖怪はいなくても、力は変換できるのだから、問題ない。そういうことか。
「いや、実際に妖怪に対して、妖怪祓いを行うべきじゃろう。そのほうが効果がある気がするのじゃ」
気がするって……。漠然としているな。
「じゃあ、やっぱり百回なんて無理だろ」
「阿呆め。さっきのを見たじゃろ。妖怪を完全に祓えぬのだから、一匹に数回は試せるのじゃ」
そう答えながら、ゲーム機の電源を入れる照子。なるほど、そういう意味か。それなら理解できる。
しかし、それなら百回と言わず。何度でもできるのでは? 俺が妖怪を祓おうとしても、成功しないのなら。何度だって繰り返せるはず。
「それなら、百回と言わず。何度でも練習できるだろ?」
「やってみればわかるのが、それは無理じゃの」
「なんでだ?」
俺の問いに、照子は答える気がない様子。ゲームに集中している。
ふむ。まあ、言われた通りに、とにかくやってみるか……。そこらに浮かぶ妖怪。一番小さい、ゴルフボール程度の奴を捕まえる。
そして、先ほどよりも意識を集中。どんな変化をも見逃さぬように、妖怪を注視しつつ祝詞を唱える。
「神ながら守り給い。悪しきものを祓い給え!」
うーん。やっぱり何も感じない。手の中に収まっている妖怪にしても、変化は見られないし……。
瞑想も手ごたえなど、まったく感じなかったが、こっちも全然だ。
まあ、それでもこっちのほうが動作が加わっている分、何かをしていると、充足感はあるが……。
「神ながら守り給い。悪しきものを祓い給え!」
掴んだままの妖怪に向けて、再度祝詞を唱える。
うーん、駄目だ。さっぱりだ。でもとりあえず、数をこなしてみよう。そこからさらに二回祝詞を唱え。
そして五回目……。
「神ながら守り給い。悪しきものを祓い給え」
うわ! なんだ? 五回目にして、今までとは違う出来事が発生した。ずっと俺の手に握られ、妖怪祓いを受けていた妖怪。
今まで大人しくしていたのに、突然の掌をすり抜け。そして、ものすごい速さで俺から離れ、壁をすり抜け消えていった。
なんだ? 妖怪が消えていった壁、そこから手のひらへと視線を移す。俺はずっと妖怪に触れることを意識していたのだが。
握っていた力を弱めたわけでもない。なのに、急に掴んでいた妖怪の感触が消えたのだ。
「おい、照子。今の?」
「言ったじゃろ。一匹に数回は試せると。今のが答えじゃ」
「なんだったんだ?」
「我慢の限界がきた妖怪が、一瞬、実態を無くして逃げたのじゃ」
なるほど。だから百回しかできないと言ったわけか。にしても、今の妖怪の動き……。
今までの緩慢な動きからは信じられないくらい、俊敏な動作だったな。あっけにとられたよ。
そんなことを思いながら、新たな妖怪を捕まえる。
そして、それから数十回、延々と祝詞を唱え、妖怪祓いを繰り返す俺。部屋の中にいた妖怪の数が、減っていく。
大きさにもよるが、一匹の妖怪に五回から十数回、妖怪祓いを行うと。妖怪も我慢の限界が来るようである。
そうして、どんどん部屋から妖怪を追い出していると、部屋の外から妹の声が聞こえた。
「お兄ちゃん。お母さんが、お風呂入りなって!」
「おう! わかった! ……照子。ちょっと風呂に入ってくる」
まったく成果は出ていないが、一旦切り上げよう。ゲームをしている照子に一声かけ、俺は部屋を後にした。




