第八話
「ただいまー」
家に帰ってきた俺は、さっさと自分の部屋へ向かう。にしても、今日もいろいろあった。妖怪にとり憑かれた女子生徒のこと。
木下と彼女のこと。まったく、ここ数日はたたみ掛けるように問題が起こる。
そんなことを思いつつ部屋に入ると。部屋の中には風ちゃんに仰向けに寝そべり、本を読む照子の姿があった。
床から一メートルの所に浮かぶ風ちゃんは、いつもの二倍、二メートルほどに膨れ上がっている。
風ちゃんって、大きさ変えられるのか……。いや、それよりも、人の部屋で何してるんだよ。着物姿の照子。
いつものレインポンチョのような外套はどうしたのかと思えば、無造作に床に脱ぎ捨てられている。
そのうえ、ベッドには本棚に戻されずに散らばる数冊の本。さらに、見てもいないのにテレビがつけられたままである。
まったく、俺がいない間に人の部屋で……。随分と寛いでくれているじゃないか。自由過ぎるぞ。
「おお。帰って来たのか。おかえりなのじゃ」
仰向けに寝そべった照子。本からまったく目を離すことなく、おざなりに挨拶をかます。
おまえなー。込み上げる怒りをなんとか抑える。
落ち着け。冷静になれ。こんなことで余計な時間と労力を使うな。それに、これから照子に力の使い方を教わるのだ。
照子の機嫌を損ねないほうがきっとスムーズに運ぶはず。照子はけっこう子供っぽいから、ここは堪えるのだ。
昨日だって、一昨日に続き。夕食が欲しいと駄々を捏ねられたのだから……。小言を言ってへそを曲げられても困る。
「はぁー。テレビは消すぞ」
なんとか怒りを抑え込んだ俺は、リモコンを拾い上げ、テレビを消す。
そして、カバンをデスク脇に降ろし。床に脱ぎ捨てられた照子の外套を拾う。外套は丁寧に畳むとベッドの隅に。
「それで、さっそくだが力の使い方を教えてくれ」
デスクから椅子を引き、座る俺。
「まあ、待つのじゃ。今良いところじゃからの」
くっ。こいつめ。そんなこと後で良いだろ。
「いや、そんなの後にしろよ」
俺は照子から本を取り上げるため手を伸ばす。
しかし、風ちゃんがふよふよと場所を移動したため、手は空を切った。しかも、風ちゃんはそのまま天井付近まで上っていく。
「うるさいの。もう少しじゃ。辛抱して待て」
上から、声が落ちてくる。
さすがに我慢の限界だ。
「うるさい! いいからさっさと教えろ!」
ベッドに飛び乗ると、再度本を取り上げようと手を伸ばす。今度は逃げられることなく本を掴んだ。
そのまま、照子から本を取り上げる。
「何をするのじゃ。返すのじゃ!」
「駄目だ。先に力の使い方を教えろ。じゃなきゃ、返さないぞ」
本を取り返そうと、照子が手を伸ばすが。それを巧みにかわす。
「返すのじゃ!」
「駄目だ!」
「この! 動くでない」
「しつこい!」
ドタドタと部屋の中を動き回る俺を、風ちゃんに乗った照子が追いかける。しばらく、追いかけっこが続き。そして……。
「はぁー。まったく、仕方ないのう」
「はぁ、はぁ。やっと、諦めたか」
観念したのか。面倒そうに言った照子。追いかけっこは俺の勝利で終わった。まったく無駄に体力を使わせやがって。
「とりあえず、座るのじゃ」
「ああ」
俺に椅子へと座るように促した照子も、風ちゃんに腰掛けた。
「それでは、説明を始めるぞ。一度しか言わぬからよく聞くのじゃ」
俺が椅子に座ると同時に、照子が話し始める。
「力を使うためには、なによりもまず力を認識せねばならぬ。精神を統一し力を認識するのじゃ」
「精神を統一?」
「うーむ。そうじゃのう。座禅……、瞑想をすると良いのではないかの?」
「いや、そんな曖昧な……」
なんか説明がふわふわしているんだが……。
「ともかく、それができれば次は、力を引き出す。ここがもっとも難しい。こう。体にある力をぐぐっと、表に出しての」
強引に話を進める照子。今度は身振りをつけて説明してくれるが……。そんな擬音で言われても。
「そして最後は、引き出した力を妖怪を祓う力に変換する。これは祝詞を唱えれば誰でもできるゆえ。簡単じゃ」
それっきり黙り込む照子。本を返せと言わんばかりに、無言のまま俺のほうへ右手を突き出した。
「え! これで終わり?」
正直、これだけなら昼休みのうちに説明してくれても、良かったのでは?
「うむ。だからさっさと本を返すのじゃ」
仕方なく本を差し出すと、ひったくるように照子が持っていく。
「えーっと。とりあえず力を認識すればいいんだな?」
「うむ」
再び風ちゃんに寝転がり、本を読み始めた照子。うーむ。なんとも簡単な説明であった。
正直、さっぱりだったのだが。それでも言われた通りに、やってみることに……。
ベッドの本を本棚に片付け。ベッドの上で足を組む。そして目を瞑り、意識を集中してみるが……。うーん。何も感じない。
「なあ、照子。何も感じないのだが……」
「まあ、そう簡単にはいかぬじゃろうな」
照子は投げやりな様子で答える。まだまだ集中力が足りないということかな。再度、目を瞑り意識を集中。
規則正しい呼吸を心がけながら、神の力を認識しようと努力する。しかし……。
「のう、お主。この本の続きはないのかの?」
そんな俺の集中力を乱す邪魔者が現れる。照子よ。人が頑張っているのに話しかけないでくれ。癪なので返事はしない。
集中……、集中……。ちなみに、その本に続きはない。まだ発売されていないからだ。
瞑想を続ける俺。しばらくして今度は、テレビがついた。こいつは……。俺の顔には青筋が立っていることだろう。
テレビの音に集中が乱される。ころころと変わるチャンネル。選ばれたのはお笑い番組だった。
「くふふ」
テレビの音声に混ざる照子の笑い声。集中……。集中……。集中……。
「ふはは」
集中……。集中……。
「ふふっ。ふははは」
「うるせえ! 集中できないだろうが!」
ついに俺は爆発した。
「なっ、なんじゃ。……集中力が足りぬのう。この程度で根をあげるようでは、力を認識することはできぬぞ。やれやれじゃ」
驚いた照子。慌てた様子で取り繕う。いやいやそんな。
さも、俺のために邪魔をしてみました、みたいに言われても。目が泳いでいるし。絶対、俺のこと考えずに勝手してただけだろ。
「なんじゃ、その目は。妾はお主のためを思ってじゃな。修行の手助けのつもりで……。あえて、邪魔をじゃな……」
俺の視線を受けて、尻すぼみに小さくなっていく照子の声。
「悪かったのじゃ」
照子はぺこりと頭を下げる。
「はぁー。頼むから静かにしてくれ」
「うむ」
素直にテレビを消す照子。俺は再び、精神統一に戻る。さあ、今度こそ……。集中、集中……。集中……。ああ、駄目だ。
さっぱりわからない。どれだけ意識を集中しようとも、まったく力を認識することなどできない。
そもそも、神の力って何だよ。感じるっていったってさー。うーん。少なくとも、昔は体に宿っていなかったのだ。
何か異物感……、違和感、違いを感じ取れても良いはずなのだが。露ほども感じない。たまらず俺は口を開く。
「なあ、照子。何かアドバイスとかないか?」
「ふーむ。そう言われてもの……。妾はそこまで詳しいわけでもないのでな」
携帯ゲーム機を弄る照子。今度はゲームかよ。まったく自由な奴だな。しかも肝心のアドバイスはないようだし……。
「はっきり言って、全然まったく、何も感じないんだけど……」
「だから言ったじゃろ。一朝一夕で身につくものではないと」
ゲーム機から目を離すことなく答える照子。いや、確かにそう言ってたけどさ。
「じゃあ、どのくらいかかるものなんだ?」
「うーむ。個人差があるが……。前例をみるに、才能があれば一日で習得できるものもおった。ただ、才能がなければ年単位でかかるの」
いやいや、予想していた以上にかかるじゃないか。
「ちなみに俺に才能は?」
「ないじゃろうな。あればすんなりと力を、感じ取れておるのじゃ」
ゲームを続ける照子。変わらず画面から目を離すことはなく。おざなりな、気のない返事である。
「てことは、俺も年単位の時間がかかるかもしれないのか?」
「うむ」
マジか……。そんな気の長い話なのかよ。というか。
「それってさ。間に合うのか? 妖怪にとり憑かれた、あの子を救えるのか?」
「まあ、無理じゃな」
「おい。話が違うぞ」
あっさりと無理と答えた照子に、食ってかかる俺。
「そんなこと言われてもの。どうにもならぬし……。あっ、死んでしもうた。まったく、お主が話しかけるからじゃぞ」
俺へと、非難のまなざしを向ける照子。
「いや、真面目に聞けよ!」
思わず俺は、少し声を荒げてしまう。でも仕方ない。こっちは真剣なのに、どこまでも他人事のように。
そして、やる気のかけらも感じられない態度の照子が悪い。
「やれやれ」
照子はゲーム機の電源を落とすと、ようやくこっちを向く。
「解決策はきちんと教えた。あとはお主次第じゃ。それ以外に方法もない。うだうだ言っておる暇があれば、努力を続けるほうが有意義じゃな」
諭すような口調で話す照子。確かに、その通りではあるのだが……。
「でも、間に合わないんだろ?」
それでは、何の意味もない。
「それは、やってみなければわからぬ」
「いや、さっき無理って言ったじゃないか」
「ふむ。確かに言った。妾はそう思ったゆえな。しかし、それは妾の考えであって、そうと決まったわけではない」
「だが、難しいんだろ?」
照子の物言いでは、可能性はほぼないと聞こえる。
「はぁー。ならば諦めるのか?」
大きなため息をはいた照子。さらに続ける。
「妾は道を示した。あとは進むか引くか、諦めるも勝手。妾はお主が救いたいというから、方法を教えた。ただ、それだけのこと」
どこか覚悟が足りないと言われているように聞こえる。もともと照子は、妖怪にとり憑かれた女子生徒を助ける気はなかった。
そもそも、その方法も持っていなかった。しかし、それでも俺が助けたいと言ったから、方法を教えてくれたのだ。
しかも照子は、最初から無謀な挑戦だと、きちんと言っていた。それなのに、生半可な覚悟で首を突っ込んだのは俺だ。
なのに、無理と言われて簡単に諦めかけるとは……。俺に出来ることは、とにかくがむしゃらに頑張ることだけだというのに。
「言ったじゃろう。すべてはお主次第であると」
そうだったな。すべては俺次第……。反省する。少し覚悟が足りなかった。瞑想を再開しよう。
ただ、その前に一つ聞いておきたいことがある。
「わかった。けど一つだけ教えて欲しい。猶予はどのくらいある? 妖怪にとり憑かれているあの子はどのくらい持つ?」
「ふむ。長くとも四ヶ月といったところかのう」
「長くとも?」
「あの妖怪は小物じゃ。ゆえ、始めから弱っておらねば、人間にとり憑くなど不可能。それがとり憑いたということは……」
「あの子は最初から心が弱っていた」
照子の言葉を引き継ぐ形で、俺は答えを口にする。
「その通りじゃ。そしてあの妖怪が心を蝕み。娘が死に誘われるようになるまで、おそらく二ヶ月弱。じゃが、いつとり憑いたのかはわからぬゆえ……」
「だから長くても、ということか」
だが、そうなると最悪の場合は……。
間に合うのか? 心が弱いほうへ流れ。無駄だというのに他の方法を。
「本当に俺が妖怪を祓う以外、方法はないのか?」
「うむ」
無慈悲にも頷いてみせる照子。やっぱりそうなのか……。
「そう悲痛な顔をするでない」
珍しく優しさの篭った口調の照子。俺のこと心配してくれているのか?
「いや、でも。時間が足りないだろ……」
最悪、あの子は明日にでも、死んでしまうかもしれないのだ。
「はぁー。お主は本当に……。仕方ない、気休めにしかならぬが。時間稼ぎの方法を教えてやるのじゃ」
何? そんな方法があるのか?
「といってもお主に実行できるかは微妙じゃが」
「それでも構わない。教えてくれ」
時間稼ぎ。先延ばしにしかならなくても、希望は見えてくるはず。
「あの娘を元気にすれば良いのじゃ。妖怪にとり憑かれておる状態でも、心を癒すことはできるからの」
「そうなのか?」
「うむ。平時よりは難しいが可能じゃ。それに妖怪が直接、娘に危害を加えることはまずない。周りが見ておれば自殺を止められるじゃろう」
そんな方法があったとは……。だが、照子の言う通り俺には無理だ。
俺は妖怪にとり憑かれた女子生徒の名前すら知らない。そんな俺が元気づけるなんて、できそうにない。
そして当然だが、四六時中見張ることも不可能……。だが、なんとかするしかないのだ。それしか道はないのだから。




