第六話
大橋を適当にあしらい。ようやっと、家に帰ってくることができた。階段を上り、自室に入ると、ベッドに倒れこむ。
「はぁー。疲れた」
佐々木さんに呼び出され、大橋にもからまれ。しかも、昨日の今日である。俺の精神はかなり疲弊していた。
「なんじゃ。随分と疲れておるの」
上から照子の声が聞こえ、仰向けになると、天井をすり抜けて風ちゃんが現れるのが見えた。
丁度、風ちゃんは俺の真上にいるので、照子の姿は見えない。
「学校でいろいろあってな。で、そっちは何か成果があったのか?」
俺の体を元に戻す方法を探して、知り合いの神の所へ行っていたのだよな。何か良い情報が得られたのか?
「いいや。残念ながら、良さ気な話は聞けなかったの。やはりお主に力を渡した阿呆を、探さねばならぬようじゃ」
ひょっこりと風ちゃんの上から、照子の顔だけが現れる。風ちゃんの上にうつ伏せに寝そべっているようだ。
「そうか。それは残念だ」
少しは期待していたのだが、そう簡単にはいかないらしい。ああ、それはそうと聞きたいことがあったのだった。
「ちょっと、聞きたいことがあるのだが……」
「なんじゃ?」
「妖怪が見える人って、けっこういるのか?」
佐々木さんのことを聞いておこう。
「いや、それなりに珍しいの。滅多に見える者はおらん」
「ふむ。そうなのか……」
やっぱり、そうそう見える人がいるわけじゃないんだな。
「それで、それがどうしたのじゃ?」
「ん? ああ実はな。今日学校で後輩にからまれたのだが。その子は昨日、妖怪に襲われたときの俺を、見ていたらしくてな」
「ああ、そういえば確かにおったの」
「えっ? 気付いていたのか?」
「無論じゃ」
「はぁー。それなら教えてくれよ」
妖怪が見えない者から見れば、昨日の俺は一人で騒ぐ不審者だった。佐々木さんはたまたま妖怪を知っていたから事なきを得たが……。
「そんなこと知らぬわ。気付かぬお主が悪いのじゃ」
どうでも良さそうな照子。
「まあいい……。それでな。その子なんだけど、妖怪を知っていてな。というのも昔、妖怪を見ることができたらしい」
「ほう。ならば何も問題はないではないか」
「まあな」
「しかし気になるの……。確認じゃが、そ奴は今はもう見えないと言ったのか?」
「えっ、ああ、そう言っていたぞ」
「うーむ」
なにやら難しい顔をする照子。
「どうした? 何が気になる?」
今の話のどこに引っかかりを覚えたのだろうか?
「見えなくなったというのが気になるのじゃ。というのも、その手の才能は一生のものだからじゃ」
「つまり、妖怪が見える人間は一生妖怪が見え。突然、見えなくなったりはしないというわけか」
「うむ、その通りじゃ。見えなくなるということは普通ありえん。ゆえ、それが見えなくなったということは……」
「ことは?」
「外部から何かしらの要因が関わったと考えられるのじゃ。ほれ、お主も現人神となったことで、後天的に見えるようになったじゃろ」
ふーむ、そういうものなのか。外部の要因ねぇ……。佐々木さんも見えなくなったきっかけ、要因があるのか。
「気になるのじゃ。明日、そ奴を見に行くぞ」
ええ……。それってつまり学校までついてくるってこと? 構わないけどさ。人前で話しかけられても相手はしないぞ。
「言っておくが、学校でおまえの相手はできないからな」
「心得ておる」
まあ、わかっているなら、勝手について来れば良いだろう。俺も少しだけ気になるしな。
翌日、学校に到着した俺の隣には、風ちゃんに腰掛けた照子がいた。宣言通り、照子は学校についてきたのだ。
「ほう。ここがお主の学校か」
興味深そうに周囲をキョロキョロと見渡す照子。
それを尻目に俺は教室に向かう。
「おう。おはよう。今日の放課後、わかってるだろうな」
「わかってるよ。木下を問い詰めるんだろ」
教室に入ると、大橋に声をかけられた。
その後は大橋と取りとめもない話をしていると、一時間目の開始を告げるチャイムがなった。一時間目は数学だ。
いつも通りまじめに授業を受ける俺。照子は風ちゃんに乗って、教室の中を飛び回っている。
「のう。ここは暇じゃの」
俺の近くへ戻ってきた照子。早くも学校に飽きたらしい。
『だから言っただろ。昼休みに来いと』
俺はノートの端を使い筆談する。
佐々木さんを見に行くのは、時間のある昼休みにするつもりだと、照子にはきちんと昨日伝えた。
さらに、学校について来ても退屈だから、昼休みの時間に来いとも伝えたのだ。それなのに朝からついてきた照子。
まったく、こうなるから言ったのに。
「うーむ。その辺でも回ってくるかの」
そう言うと照子は雷ちゃんを召喚。俺の護衛として雷ちゃんを教室に残し、教室から出て行った。
そして待ちに待った昼休み。
「窪田。飯、一緒に食おうぜ」
「悪い、ちょっと用事があってな」
昼食をともにしようという大橋の誘いを断り、俺は教室を出る。
後には風ちゃんに乗った照子が続く。
「はぁー。ようやくか……。さて、それで佐々木とやらは、何組なのじゃ」
廊下を進む俺に照子が尋ねる。うーむ、佐々木さんにメールでも送り、先に確認しておけば良かった。
「さあな。まあ、六クラスしかないんだ。全部見れば良いだろう」
「うーむ。そういうことは確認しておいて欲しかったのう。気が利かん奴じゃ」
「悪かったな」
うーん。まあ、返す言葉もない。
そんなやり取りをしつつ、一学年の教室にやって来た。まずは一組を……。
「おったか?」
無言で一組を後にする俺。佐々木さんは一組ではなかった。その後も二組、三組と周っていく。
そして四組に辿りついたところで、とんでもないものを見た。うわ! あれって!
窓際、後ろから二番目の席に座っている女子の隣に、佇んでいる黒く、ずんぐりした妖怪。俺を襲った奴にそっくりだ。
おいおい。どういうことだ! がばっと照子のほうを向いた俺、身振り手振りで妖怪の存在をアピールする。
もっとも、そんなことをするまでもなく照子は気付いていたようで……。
「あれは、二日前の妖怪じゃな」
事も無げな様子の照子。どうでもよさそうな、まったくもって興味がなさそうな態度である。
てっ、やっぱり同じ妖怪かよ! 再度、妖怪のほうを見る。
すると、丁度妖怪もこっちを見ていた。ぎょりと大きな目玉と俺の視線が交差する。その瞬間!
突然、妖怪は頭から紐のように縮み。するすると横にいた女子生徒の体の中へと入っていく。
えええ! どういうこと?
「ふむ。憑かれておるようじゃな」
驚き固まる俺の横で照子が淡々と言った。疲れている? ああ、憑かれているか。なるほど憑かれているね。
え! 憑かれている? とり憑かれているってことか! おいおい、それって大丈夫なのか?
俺は慌てて、照子の腕を掴むと廊下の隅のほう、人気の少ない所へと照子を引っ張っていく。
「おい。それはどういうことだ?」
近くに人がいないことを確認し、小声で照子に尋ねる。
「そのままの意味じゃ。とり憑かれておる」
腕を掴んでいた俺の手を払いのける照子。
「それって、不味くないか?」
とり憑かれているって、絶対やばいよな。
「まあ、不味いじゃろうな」
焦る俺とは対照的に、どこまでも、まったく気にした素振りのない照子。
まるで、妖怪にとり憑かれた女子生徒のことなど、どうでも良いと思っているみたいで……。
そこまで、考えたところで後ろから声をかけられる。
「あれ? 窪田先輩、ここで何をしているのです?」
「え! ああ、佐々木さんか。……君を探してたんだよ」
やむを得ず、俺は一旦、照子との会話を中断する。佐々木さんに会えたのは良かったが、もはやそれどころではない。
「おお。こやつがそうか。どれどれ……」
マイペースに本来の目的、佐々木さんの観察に取り組む照子。風ちゃんに乗ったまま、佐々木さんの周りを一周する。
「私にですか? 何の御用でしょう」
佐々木さんが尋ねてくる。うっ。そういえば、咄嗟に佐々木さんを探していたと答えてしまったが。
本来は遠くから見るだけのつもりだった。
何か、適当に用事を作らなくては……。
「な、何組なのか気になってさ」
「え! そんなことでわざわざ? メールで聞いてくれれば良かったのでは?」
仰る通りです。それくらいメールで済む話である。
「まあ、そうなんだが……。ちょっと他に一年のクラスに用事があってな。ついでだったし、確認しとこうと思ってさ」
「なるほど。そうだったのですね。ちなみに私は、五組ですよ」
「そうなんだ。じゃあ、昼食も食べないと行けないから、俺は戻るよ」
さっさと話を切り上げ。俺はその場を立ち去る。さっきの妖怪が気になって、自然と早足になった。
早く、人がいない場所へ向かわなくては……。
そうして、人通りの少ない廊下までやってくると、後ろについて来ていた照子に詰め寄る俺。
「さっきの話の続きなんだが、妖怪にとり憑かれているって、絶対不味いだろ! なんとかできないのか?」
「うーむ。そうは言ってものー。昨日も言ったが、今の妾に化生を祓う力はないのでの。どうしようもできぬな」
そう暢気に答える照子。なんだよその態度、もう少しなんか……。
「ほっといたらどうなるんだ?」
「さあの。まあ良くないことが起こるのではないかの」
やはり、まったく真剣そうに見えない照子の態度。他人事みたいにどうでも良さそうである。
そんな照子の態度に、俺は思わず語気を強める。
「おいおい。神様だろ。なんだよその態度は!」
妖怪にとり憑かれているんだぞ! それも、俺を襲ってくるような奴にだ! それなのに、そのやる気のない態度はなんだ。
神様ならもっとこう……。
「思い違いをするな!」
俺の思考は照子から放たれた、ぴしゃりとした言葉に遮られる。照子の雰囲気がおっとりしたものから、厳格なものに……。
「そもそも妾は、天気の神じゃ。ゆえに天気以外のことは専門外。それに神様じゃからと、頼るのはお門違い……」
滔々と語られる照子の言葉。
「妾たち神は万能でもないし。願い事をいちいち叶えてやるわけでもない。甘えるではないわ!」
うぐっ。確かにそうかもしれない。神様だからと、俺は勝手なイメージを押しつけていたかもしれない。
神様なら、困っている者に救いの手を差し伸べてくれるというのは、俺の勝手な思い込み。
ましてや、そもそも照子は妖怪をどうこうできる力はないと、再三言っていたではないか。
だけど……。だったら、あの子は……。妖怪にとり憑かれたあの女子生徒は、いったいどうなるんだよ。
「だけど……、ほうっておけないじゃないか。ほうっておいたら悪いことになるんだろ?」
「それがお主と何の関係がある? 今日会っただけの他人じゃろうが」
それでも目の前に困っている人や、苦しんでいる人がいたら、なんとかしてやりたいと思うもんだろ?
意外だ……。どうやら俺は、けっこうお人好しな人間だったらしい。
「それでも、ほうっておけない。なあ、ほんとにどうにもならないのか?」
「……やれやれ。お主、意外に阿呆じゃのう。まあ、そういうの奴は嫌いではないが……」
照子の雰囲気が柔らかいものに戻った。
「仕方あるまい。解決策を教えてやるわ。もっとも、すべてはお主にかかっておる。心して聞くのじゃ」
なんだ、解決策がないわけじゃないのか。しかし、俺にかかっている? それはどういう意味だ?
「まず、あの娘の状態から説明するのじゃ。妖怪にとり憑かれるということは、心を妖怪に蝕まれるということじゃ。それは……」
照子は語る。
妖怪が人間にとり憑く理由は、人間の心を蝕み力を増すため。妖怪はとり憑いた人間の心を弱らせ、生気を吸い取るらしい。
ゆえに、妖怪にとり憑かれた人間は、だんだんと弱り、最終的に死に至る。
「もっとも、あの娘にとり憑いておる妖怪は、そこまでの力はない。心を蝕むが、とり殺すことはできん」
それでも、心が弱れば死にたいと思うようになり、自ら命を絶つものもでてくるようで。
ゆえ、どんなに力の妖怪でも、とり憑かれれば命の危険があるそうだ。予想以上に状況は悪いじゃないか!
「そして、あの娘の場合じゃが。心が相当弱っておる可能性がある」
照子はそう締めくくる。
「なるほど、状況は理解した。それで、解決策は? いったいどうすればいいんだ?」
そろそろ肝心の話を聞かせてくれ。
「ふむ。それはの……。お主が妖怪を祓うのじゃ!」




