第五話
放課後、俺は体育館裏に一人佇んでいた。
「結局、来てしまったな……」
放課後まで悩みに悩みぬいた末、やはり呼び出しに応じるべきだと。淡い期待を抱えつつ、ここまでやってきた。
さーて。万が一、告白だったとして答えはどうするべきだろうか? 念のために考えておかねばなるまい。
もちろん、かわいければ即効OKしたいところだが、硬派を気取る俺としては、それはどうなのだろう。
なにせ、相手はほぼ初対面であるのだから。女子とか、クラスメイトですら、まったく知らない間柄なのだ。
いやでも、付き合い始めてから好きになるパターンだってあるし。こんなチャンスもうないかもしれないのだぞ。
一度きりの高校生活、悔いのないようにしたい。うん! やはり、かわいければ……。いや、ある程度かわいければ承諾しよう。
そう決めた。さあ、どこからでもかかってこい! もっとも、まだいたずらの可能性も残っているが。
とっ! 背後から足音が……。来たか! ゆっくりと振り返る俺。内心の期待を押し殺し、優雅な動作を心がける。
なんと! ……そこには一人の女子がいた。ショートの黒髪、少しボーイッシュな雰囲気の女子。容姿も整っており、かわいい。
まさか! 本当に? 俺の時代が来たというのか! 捨てる神もあれば拾う神あり。とでも言うのだろうか。
昨日までの不運は、今日のために神様が課した試練だったのではないだろうか。いやいや、早まるな。まだ告白されると決まったわけじゃない。
「初めまして。窪田先輩。えっと……」
俺の目の前まで近づいた女子が、おもむろにカバンを漁り始める。先輩? ということはこの子は一年か。
ということは、いたずらの可能性は消えたな。
これは、ひょっとするのか? 期待に胸を膨らませる俺。そんな俺の前で、カバンから取り出したものを突き出す女子。
「まずは、これをお返しします」
それは一枚のカード。見覚えのあるそれは……。
あれ? なんで俺の学生証を?
「なんで君が?」
「昨日、うちの寺で落としていきましたよ」
え? そうなの。あっ、カバンを振り回した時にでも落ちたのかな。
学生証はカバンの前ポケットに入れたままにしていたので、妖怪を追い払おうとカバンを振り回した時に落ちたのかもしれない。
うーむ、学生証などカバンに入れたままで、確認することも滅多にないから、気付かなかった。
「ありがとう……」
というか……。これって、普通に拾った学生証を返しに来てくれただけってこと?
なるほどねー。まあ、そんなことだろうと思っていましたよ。はぁー。
「それで本題なのですが……」
本題だと? ああ、学生証を返すだけなら、何もこんな所に呼び出さなくて良いもんな。
でも、たぶん告白とかそういう感じではない。
浮ついていた気持ちが沈んでいくのがわかる。
「昨日のことなのですが……」
そりゃーね。わかっていたけどさ。少しは期待してしまうじゃないの。まあ、気持ちを切り替えよう。
「うちの寺で何か、一人で騒いでいましたよね」
え! 騒いでいたってそれは……。もしかして昨日俺が妖怪に襲われるところを見ていたってことか。
「何していたのですか? カバンを振り回したり、一人で話していたり、していましたよね!」
なぜか、勢い込んで話しかけてくる女子。その話ぶりからすると、事の経緯をほぼ、一部始終に至るまで見ていたみたいである。
やばいな。どう言い訳したら良いだろう。ともかく時間を稼ぐ。
「待って待って。そもそも君は誰なのかな?」
「あっ! そうですよね。ごめんなさい。私は一年の佐々木梨花と申します。よろしくお願いします」
思い出したように自己紹介をしてくれる佐々木さん。
「わかってると思うが、二年の窪田幸一だ」
さて、不味いぞ。まったく時間を稼げなかった。言い訳も当然思いついていない。このままじゃ変人だと思われるかも。
「それでですね。先輩は昨日、うちの寺で何していたのですか? 私ずっと見てましたけど、傍から見ると誰かと話しているようでした!」
不味い不味い。照子が見えなければ、昨日の俺は確実に変な人だ。しかも、あの寺は佐々木さんの家らしい。
つまりは、俺は人の家で一人騒ぐ危ない奴というわけで……。
「えっと、あれはなんというか……」
言い訳が思いつかない。かといって、正直に妖怪や神様が見えて、話していたなんて言えない。絶対、頭のおかしい奴だと思われる。
ここは多少苦しいが、演劇の練習をしていたとか、そういう感じの言い訳を……。
「もしかして先輩って! 妖怪とか見える人だったりして!」
え? なんでそれを。もしかして佐々木さんも見える人?
だとしたら正直に話しても大丈夫か。だが、ただのオカルト好きなだけの人かもしれないし。でも……。ええい、ままよ!
「実はそうだんだよ。俺、妖怪とか見えるんだ」
思い切って正直に答えた。他に策も思いつかなかったし。仕方ない。
「やっぱり! やっぱりそうなんですね!」
代興奮の佐々木さん。一体何事? まあ、とりあえず俺も聞きたい。
「もっ、もしかして。佐々木さんも見える人?」
これで見える人だったら、話はスムーズに進むけど。
「いえ、残念ながら見えない人です。……でも、昔は見えたんですよ。こんなのとか、たぶん今もこの辺にいますよね?」
佐々木さんが見せてきたのはメモ帳。そこには今も俺の視界の隅に写る、小さな妖怪の姿が、綺麗にスケッチされていた。
うまいな。かなりの画力だ。妖怪の気味悪さがよく表現されている。どうやら、本当のことを言っているらしい。
この子、本物だ。本当に昔妖怪が見えていたに違いない。となれば話は早い。
「そうそう。そんな奴」
「いいなぁー。私も、もう一度見えるようにならないかなー」
いやいや、見えないほうが良いと思うんだけど。
「そうかな。俺は最近見えるようになったけど、こんなの見えないほうが平和だと思うが」
「そうなのですか? 珍しいですね。あっ! そうだ。せっかくですし。先輩、今日うちに来ませんか? 妖怪談義しましょう!」
妖怪談義って……。そんなものしたくない。そもそも、いきなり家に行くのはハードルが高過ぎる。
こちとら、女子に慣れていないのだ。
「お誘いは嬉しいが、遠慮しておくよ。このあと用事があるんだ」
「そうですか。残念です」
しょんぼりする佐々木さん。よほど妖怪談義とやらがしたかったのだろう。
もっとも、佐々木さんがしょんぼりしたのは、ほんの一瞬ですぐに顔を上げる。
「それなら、アドレスを交換しましょう!」
ふむ。それくらいなら構わないぞ。むしろ大歓迎だ。なにせかわいい女子とお近づきになれるのだから。
「まあ、それくらいなら」
「ありがとうございます」
お互いに携帯を取り出すとアドレスを交換する。家族以外に女性のアドレスが存在しなかった俺の携帯に、輝かしい一ページ。
ほくほく顔の俺。対して佐々木さんも嬉しそうである。
「それにしても、まさか同じ学校に見える人がいるとは。先輩、今度お暇なときに妖怪談義しましょうね!」
佐々木さんはどうやら、妖怪が見える人に会えたのが嬉しいらしい。
まあ、そんな人あまりいないだろうからな。しかし妖怪談義ねぇ……。あんまりしたくないな。
「まあ、そのうちな。じゃあ俺は用事あるから」
「はい! 今日は呼び出してすみませんでした」
「いや、構わないさ。学生証をありがとう」
ぺこりとお辞儀する佐々木さんに、手をあげて答えた俺は体育館裏を後にする。
校門に向かう俺。にしても、まさか妖怪を知っている者が、こんなに身近に存在するとは……。
珍しいことだとは思うが、帰ったら照子に詳しいことを尋ねてみるか。そんなことを考えつつ、校門を潜る俺の背中に衝撃が走る。
「おい窪田、見てたぞー」
大橋が後ろから肩を組んできた。
「見たって何をだ?」
「さっきの一部始終に決まってるだろ。誰だよ、あのかわいい女子は」
うーむ、佐々木さんといい。人のことを盗み見る奴が多いことで。
「見てたのか?」
「おう。おまえ朝から様子がおかしかったから、何かあると思ってな。放課後だって、こそこそしていたし……」
あらら。自分では普段通りに過ごしているつもりだったが。
「だから後をつけたら、おまえ! あんなかわいい子と! 抜け駆けは許さんぞ!」
大橋は俺の肩に回していた腕を首にかける。
「ちょっと待て! おまえの思っているようなことじゃないから! 落とした学生証を返しに来てくれただけだよ」
大橋は大きな勘違いをしている。不穏な空気を感じた俺が弁明するが……。
「ほう。それならなぜアドレスまで交換しているのかね?」
首に回された腕に力が入るのがわかる。
「お礼のために連絡先をしただけだよ」
即座に言い訳するが大橋は納得しない。
「いやいや、そんな怪しい理由で女子がアドレス教えてくれるはずないだろ。それに……」
「そっ、それに?」
「仮にそんな理由で、アドレス教えてくれたとしたら……」
「したら?」
「それってかなり脈ありってことじゃねーか! この野郎!」
腕に力を入れる大橋、そのままヘッドロックをかましてくる。ちょ! 待て。ギブギブギブ!
入ってる! 入ってるって。必死に大橋の腕をタップする俺。
まあ、確かに傍から見ればアドレス交換したし、良い雰囲気だったのかもしれない。しかしあれだよ。
佐々木さんは妖怪が見える人、俺という珍しい趣味友を見つけて。つい、勢いでアドレス交換を申し出ただけだと思う。
だから大橋。おまえが想像するような甘い展開には発展しないに違いないのだ。だから放せ!
「はぁ、はぁ、はぁ。いきなり酷いじゃないか」
ようやっと開放された俺は、恨みがましく大橋を見つめる。
「なんだその目は、俺たち三人の友情を踏みにじったくせに」
大げさに嘆いてみせる大橋。三人の友情ね。俺と大橋、そして木下の三人は幼馴染。そして彼女いない面子。
ゆえ、抜け駆けした俺を責めているわけか。だがな。
「いや、三人って。木下は彼女いるぞ」
俺は木下に彼女がいることを知っていた。木下だけは、俺や大橋と違い爽やかなスポーツマンだからな。
顔もそこそこだし、あいつはモテないわけではないのだ。
「なんだと。どういうことだ!」
食いつく大橋。予想通りだ。悪いな木下、面倒になるから大橋には内緒だと言われていたが……。
話を逸らすための生贄となってもらおう。
「実はな。木下のやつ、三ヶ月前に彼女ができたらしい」
「はあ! 俺は聞いてないぞ」
「ああ、ひがむからなんとか言っていてな。大橋には内緒にしろと言われたんだ」
実際のところ木下判断は正しいよ。
大橋はこの通りだからな。
「許せん。彼女ができていたこともそうだが。あまつさえ、俺に内緒にするとは! 二人で懲らしめ……」
不自然に大橋の言葉が途切れる。俺を見る大橋。
「いや、おまえもすでに裏切り者だったな。ちくしょう! 俺にも誰か紹介しろよ!」
話を逸らすことには失敗したらしい。ちなみに、紹介してもらうなら木下に頼めよ。あいつなら女友達もいるだろうからな。
「いや、だから。別に俺は付き合うとか、そういう感じではなくてだな。ただ、学生証を返しに来てくれただけで」
「本当だな! 信じていいんだな。おまえはまだ、こっち側の人間なんだな!」
うーむ。こっち側の人間というのはなんか嫌だな。別に俺は彼女ができないわけではなく。
つくらないだけだし。俺だってその気になれば彼女の一人くらい……。きっとできるはず……。もとい。
「ああ! 俺はおまえを裏切ったりしない」
「そうか! だったら、ともに裏切り者木下に鉄槌を下そうではないか!」
まったくこいつは、素直に祝福してやるという考えはないのだろうか。これだから、木下も内緒にしたのだ。
まあでも、とにかく面倒だしな。とりあえず俺から矛先が逸れたなら、それでいい。ここは同調しておこう。
「ああ、任せろ!」
俺は力強く同意した。




