第八話
放課後、雷ちゃんとともに俺は美術室へとやって来ていた。どうやら西原先輩は、まだ来ていないみたいだ……。
美術室に入り、中に誰もいないことを確認した俺は、壁際に寄せられていた椅子を引っ張り出してくると、それに座る。
それにしても、用ってなんだろうか? 考えながら待っていると、ガラッと扉が開き、西原先輩が美術室に入ってくる。
「やあ、窪田くん。呼び出して悪かったね」
「いえいえ。特に用事もなかったので、問題ありませんよ」
「そうかい。それなら良かった」
そう言いながら、椅子を出しに向かう西原先輩。
「……それで。何の用ですか?」
西原先輩が椅子に座るのを待ってから、尋ねる。
「実はね。昨日、梓から相談を受けてね」
ああっ。梓さん、俺がした電話のことを西原先輩に言ったのか……。
「なんでも。窪田くんから、随分と気味の悪い電話がかかってきたそうで。いろいろと文句を言われてしまったよ」
うーん。しまった。一昨日俺がかけた、不安を煽るような電話の内容が、梓さんから西原先輩へと伝わってしまうとは……。
しかも、西原先輩の話ぶりからすると、かなりしっかりと電話の内容が伝わってしまっているっぽい。
眼が見えたとか。手鏡に何かがとり憑いているとか。誤魔化すのが難しいことも、伝わっているのだろう。
「えっとですね……。それはなんというか、その……」
不味い。言い訳の言葉が思いつかない。しどろもどろになる俺、そんなときポケットで携帯が振動する。
どうやら、誰かから着信が入っているようだ。
「ああ、別に責めるつもりはないんだ。ただきちんと説明――」
「すみません先輩。携帯が鳴っているみたいなので、出てもいいですか?」
西原先輩の言葉を遮って、ポケットから取り出した携帯を見せる。これで言い訳を考える時間が稼げると良いが……。
「……わかった。出るといい。話は後にしよう」
「では失礼して」
よし! 椅子から立ち上がり、西原先輩から少し離れ、窓際に近づきながら携帯を開く。電話の間に言い訳を……。
うん? 番号だけの表示、この番号は梓さんか。
「はい。窪――」
「ちょっと! 後輩くん! どういうことなのよ!」
電話に出た瞬間に響いた大きな声に、思わず携帯を耳元から離す。梓さんの声からは動揺と怒りが感じられた。
「その声。電話の相手は梓か?」
電話の声が聞こえたらしい西原先輩が、立ち上がりこっちに近づいてくる。
「なんで手鏡が家にあるのよ!」
くっ……。救いの電話かと思ったのに。よりややこしく。うん? 今なんて?
「預かってくれるって! 大丈夫って。そう言ったよね!」
「落ち着いてください! とにかく! 落ち着いて状況を教えてください。何があったんですか?」
梓さんを落ち着かせるために、俺も大きな声を出す。
どういうことだ? 手鏡が梓さんの家にある? なんでそんなことに? 朝ちゃんと預かったはずで……。
いや。捨てたのに戻ってくるような手鏡だ。また、梓さんの家まで移動しても何もおかしくはないだろう。
手鏡から目を離すべきではなかったか。……というか、照子の奴は何をしているんだ。ちゃんと手鏡を見ておいてくれよ。
家に手鏡を置いておけば、何か起こっても照子がなんとかしてくれると思っていたのに。本当にあいつは、役に立たない神様だ!
「……あの手鏡がまた机の上にあるのよ! なんで。どうして! どうして手鏡がここにあるのよ!」
落ち着きなく、声を荒げる梓さん。こんなに取り乱すなんて、俺からのメールも読んでいないのか?
「梓さん、落ち――」
「梓。落ち着くんだ。冷静に、何があったのか教えてくれ。でないと、こちらも助けたくとも力になれない」
俺から携帯を取り上げた西原先輩が、梓さんに言い聞かせるように言った。
「えっ! 沙代?」
「ああ。そうだよ」
「あの、先輩……」
西原先輩に携帯を返してくれと言おうとしたが、手で制される。
「なんで沙代が?」
「たまたま一緒にいたんだ。それで何があった?」
西原先輩が電話に出たことに驚いた影響で、少しだけ落ち着きを取り戻した様子の梓さん。ここは西原先輩に任せよう。
「……」
「落ち着いて。ゆっくり話すんだ」
落ち着いた影響か、梓さんの声のトーンが小さくなり、会話が聞こえなくなったので、聞こえる位置に移動する。
「なるほど」
「……それで今、大学から帰ってきたら。その手鏡が机の上にあって。そんなはずないのに。だからちょっと取り乱して……」
だいぶと落ち着きを取り戻した様子の梓さん。ならば……。
「先輩、梓さんに俺が送ったメールは見たのか。聞いてください」
たぶん見てないだろう。見てたらこんなに取り乱さない。
「……確かに後輩くんに渡したのに、また戻ってくるなんて」
俺の言葉を受けた西原先輩は、左手の親指と人差し指で輪を作ってみせる。
「それは不安にもなるだろう。……梓、聞きたいことがあるのだが、窪田くんが送ったメールは見たのかな?」
「メール?」
不思議そうな梓さん。
「午前中に送ったやつだと。梓さんに」
「梓、落ち着いたようだから、窪田くんに代わるよ」
「……梓さん、午前中に送ったメールなのですが、見ていませんか?」
西原先輩に携帯を返してもらい、自分で質問する。
「見てないけど……」
「そうですか。なら口頭で内容を伝えますね。まず、あの手鏡は無害なものだとわかっています」
これで梓さんの不安を解消できると良いのだが。
「嘘……。だって、昨日あんなことが――」
「本当です! 昨日起こったという出来事と手鏡は、まったく無関係でした!」
また感情的になりかけた梓さんの言葉を、力強く遮って宣言する。信じられないかもしれないが、それが事実なのだ
「でも。何か憑いているんだよね?」
「はい。手鏡に何かがとり憑いているのは確かです。ただ、そいつは力が弱く、動き回るくらいしかできません」
「ほんとに?」
うーん。電話では埒が明かない。
おそらく、このままいくら言葉を尽くしても、梓さんに根付いた不安を解消することはできないだろう。
こうなれば、梓さんの元から不安の元凶である手鏡を、さっさと回収してしまうほうが、手っ取り早い。
「そうですね。不安は拭えないですよね。だから、こちらで手鏡は処理します。譲っていただけないでしょうか?」
「処理って……。大丈夫なの?」
梓さんが、不安そうに尋ねてくる。
「はい。きちんとこちらで処理をすれば、手鏡が梓さんの元へ戻ることは、おそらくないと思います」
本当はここで、二度と手鏡が梓さんの所へ戻ることはないと、力強く断言したいところなのだが……。
しかし、二度あることは三度あるって言うし……。完全につくも神を祓ってしまえない以上、可能性はゼロではない。
ただ、それでも照子に相談して、なんとか手鏡が梓さんの手元から完全に離れるように、頑張ってみるしかないだろう。
「おそらくって。そんな曖昧な……」
「すみません。ですが、できる限り、手を尽くすつもりです」
「…………わかったわ。じゃあ、取りに来てくれる? 正直、気持ち悪くて。もうあの手鏡を触りたくないの」
まあ、一度ならず二度までも、勝手に手元まで戻ってきたような手鏡だ。触りたいという気持ちはよくわかる。
梓さんの家まで取りに行くのは全然構わない。ただ、家の場所がわからないので、それを教えてもらわないと。
「わかりました。では、家の場所を――」
「それなら、私が案内しよう」
「いいんですか?
西原先輩が案内を? 確かにそのほうが手間が省けるけど。
「えっ。なに?」
「ああいえ。こちらの話で。西原先輩が梓さんの家を教えてくれるみたいなので、すぐにそちらに向かいます」
「そう沙代が。わかった。じゃあ、待ってるわ」
「はい」
そう言って電話を切った。これでとりあえず、梓さんのほうは良しとして、問題は……。西原先輩の表情を窺う。
説明して欲しいと言わんばかりの表情をしていた。
西原先輩にはいろいろと聞かれてしまったから。こうなった以上、最早誤魔化すことはできないだろう。
仕方ない。絶対、西原先輩も一緒に来るだろうし、梓さんの家へと向かう道中にでも、事情を説明しよう。
俺としては、梓さんの家の場所だけ教えてもらえれば十分で、西原先輩にはついて来て欲しくはないのだが。
この状況でついて来ないで欲しいと言っても、梓さんのことを心配している様子の西原先輩は承諾しないだろう。
「先輩。急いで梓さんの家へ向かいましょう。いろいろと聞きたいことがあると思いますが、それは道中でお願いします」
「わかった」
西原先輩の了承も得られたので、すぐに学校を出発する。
「駅に向かうんですか?」
「そうだ」
どうやら、梓さんの家に行くためには電車に乗る必要があるようだ。若干早足な西原先輩に続いて、最寄り駅へと向かう。
「それで。いったい何が起こっているんだ?」
「ああ。それはですね。少し長くなりますが……」
駅へと向かう道中。西原先輩が尋ねてきたので、俺は話が長くなると前置きしたうえで、話し始める。
「まず。信じられないかもしれませんが。実は俺、妖怪や幽霊のような人ならざるものが見えるんです」
「まあ。そうなのだろうね」
「あれ? 思ったより反応薄いですね。もっと驚くかと……」
「驚いてはいるよ。ただ、そういう場合でもないだろう?」
「そうですね。じゃあ続けますね」
あっさりと聞き流されてしまったので、少し拍子抜けしたが。まあ、騒がれるよりは話が進めやすいから良い。
「学園祭のとき、梓さんが買っていった手鏡に、何かがとり憑いていることに気付いてですね。それで……」
その何かが、梓さんの身に危険を及ぼすかもしれないと思ったので、そのことを梓さんに電話で伝えたこと。
そのときに、俺が不安を煽ることを言ってしまい。そして俺の言葉通りに梓さんの身に不幸な出来事が重なって起こり。
さらには、一度捨てた手鏡が戻ってくるという出来事を経て、手鏡を不気味に思った梓さんから、今朝方相談を受けたこと。
梓さんから預かった手鏡を調べた結果、手鏡に憑いていたものは、まったくの無害だとわかったものの。
目を離した隙に、いつの間にか手鏡が梓さんの元へと戻り。それで今、梓さんが不安になっていること。
ここ数日の出来事を簡単に説明する。
「……以上が事のあらましです。何か疑問があればどうぞ。俺に答えられることなら、答えます」
いろいろ疑問はあったはずなのに、俺の話を遮ることなく静かに聞いてくれた西原先輩に尋ねる。
「ふむ。いろいろ聞きたいことはあるが……。手鏡に憑いているという妖怪は、本当に無害なものなんだね?」
「はい。それは保障します」
「そうか。ならば良しとしよう」
そう言って黙り込む西原先輩。意外だ……。てっきり、もっと質問攻めにされるかと思っていたのだが……。
まあ、妖怪が見えることに関しては深く聞かれると、返答に窮するだろうから、質問がないほうが良いけど。
その後は、何か考えている様子の西原先輩に話しかけるのも、なんとなく憚られたので、道中無言が続く。
そうして、そのまま駅に辿り着いた俺たちは、切符を購入して構内に入り、丁度タイミング良くやってきた電車に乗る。
「十分ほどかかるから、座ろうか」
「はい」
事務的な会話を交わし、俺と西原先輩は窓を背にして座席に座る。電車の中はそこそこ空いていた。
「……」
「……」
特に会話することなく、電車に揺られる俺と西原先輩。そんな中しばらくして、西原先輩が口を開く。
「窪田くんは。昔から妖怪なんかが見えたのかい?」
西原先輩がゆっくりと静かなトーンで尋ねてくる。
「いえ。見えるようになったのはここ最近です」
今更、隠すことでもないので正直に答えた。
「そうか。最近か……」
「はい」
「……それにしては、妖怪のことに詳しいみたいだね」
「えっと……。たまたま知り合いに詳しい人がいたので」
「なるほどね。……ちなみにだが、どうして見えるようになったのかな? 何かきっかけでもあったのかい?」
「それは……。ええっと……」
どう答えようか、ちょっと迷う。
見えるようになったきっかけを説明するとなると、照子の事とか話さないといけなくなってしまうのだが……。
そうなるとかなり長くなりそうで。そもそも、神様だなんだと言って、西原先輩は信じてくれるのだろうか?
「……まあ。話したくなければ、答えなくていいよ」
「すみません」
なかなか答えようとしない俺の姿を見て、話しにくい事なのだと、西原先輩は解釈してくれたらしい。ありがたい。
それっきり、またしても無言が続く。さっきから、なんとなく会話をするような雰囲気にならない。
梓さんのこともあるから、楽しく会話をしていても変なのだが……。ちょっとだけ落ち着かないな。
西原先輩は、いったい何を思っているのだろうか? 俺の話を、いったいどこまで信じてくれたのだろうか?
思った以上に西原先輩からの追求がなかったせいか。逆に不安になるという妙な現象に、俺は襲われていた。




