第七話
「窪田、おまえが遅刻なんて珍しいな」
「ちょっと寝坊してな」
二時間目と三時間目の休み時間に合わせて登校した俺は、話しかけてきた大橋に適当に答えつつ、自分の席に座る。
しかし……。まさか梓さんの身に降りかかった出来事が、すべて偶然の産物で、あの手鏡とはまったく関係ないとはな。
梓さんには、どう説明したものか。俺が不安を煽るようなことを言ったから、不幸な出来事は手鏡のせいだと思い込んでいるだろうし。
今更、あの手鏡はまったく無害で、起こった出来事とは関係ありませんでしたと説明しても、たぶん信じてはくれないだろう。
仮に信じてくれたとしても。そもそも、捨てたのに戻ってくる手鏡なんて、不気味過ぎて手元に置いておきたいと思うだろうか?
少なくとも、俺は手元に置いておくことに抵抗がある。ふむ。無害だとわかっている俺でも、抵抗があるとなると……。
梓さんなら尚更抵抗があるのでは? 梓さんには手鏡は預かるだけと言ったけど、こっちで引き取ったほうが良いだろうか?
できるなら引き取ったほうが良いような気はするな。つくも神が憑いた物を粗雑に扱うと、不味いみたいだし。
昨日、梓さんは一度手鏡を無下に捨ててしまっているから、それでつくも神の不興を買ってしまった可能性もある。
今のところ、手鏡に憑いてるつくも神は大した力を持たず、だからこそ人を害することはできないが。
しかし、今後も無害なままとは限らない。やっぱり、できるのならば引き取ったほうが良さそうだな。
俺は携帯を開き、梓さんにメールを送ることに。
えっと。まずは手鏡が無害なもので、今回起こった出来事と手鏡はまったく関係がなかったことを書いて……。
うーん。ちょっとセコイかもだけど。「おそらく」と、推測のかたちにしておいたほうが、手鏡を手放したくなるから。
『手鏡を調べた結果、手鏡は無害で。今回重なった不幸な出来事とは、おそらく関係ないだろうということがわかりました』
『ただ、万が一ということもありますので、できればこちらで手鏡を処理したいです。手鏡を譲っていただけないでしょうか?』
まあこんなもので良いだろう。送信っと。
とりあえず、やるべきことをやった俺は、その後三時間目からは普通に授業を受けて、そうして昼休み。
いつも通り、大橋と木下と一緒に昼食を食べ。それも終わると、二人と他愛ない雑談をして時間を潰す。
「おっ。あれは確か……。佐々木さんだったか。窪田、もしかしておまえを探しているんじゃないか?」
木下の言葉に振り返ると、確かに教室の入り口には佐々木さんの姿があった。誰かを探している様子。
「そうかもしれないな」
「あれって、いつぞやの……」
「悪い、ちょっと行ってくる」
「……学生証の子だよな? おい。いつの間に仲良くなった」
大橋の言葉を無視して席を立つと、キョロキョロと教室内を覗き込んでいた佐々木さんも俺に気付き、手を振ってくる。
「佐々木さん、何か用だったか?」
「朝の一件、どうなりましたか? こうして学校に来ているということは、片付いたんですよね?」
「それを、わざわざ聞きに来たのか……」
うきうきとした雰囲気を醸し出す佐々木さん。あいかわらず、妖怪のこととなると人が変わるようだ。
「はい! どうなりましたか?」
「えっとだな……。まあ、とりあえず場所を変えようか」
話すと約束したから、話すことは構わないのだが、ここでは少し話しにくい。周りに聞かれたくないし……。
なにより、背中に突き刺さる大橋の視線がちょっと。
「わかりました。では、中庭にでも行きましょう」
「ああ」
中庭ならば、それなりに人も少ない。会話を聞かれる心配もなさそうだ。佐々木さんに続いて中庭へと移動する。
「それで、どうだったんですか?」
「えっと……。結論から言えば、あの手鏡は無害なものだったよ」
まず、そう告げた後に朝の出来事と詳しい結論(手鏡に憑いているものは力の弱い、つくも神だったこと)を説明した。
「なるほど。つくも神だったんですね! どんな姿をしていましたか?」
「どんなって。それは見ていないからわからないが……」
そういえば、結局手鏡に憑いているという、つくも神の全容は見ていないな。佐々木さんではないが、少し気になる。
「ええー。そうなんですか……。あっ、でも。手鏡は預かっているんですよね? それだけでも見せてもらえますか?」
「いや手鏡は……。持っていてもアレだから、家に置いてきた」
「そうですか……」
手鏡を見たって、つくも神が見えるわけでもないのに、佐々木さんは、しょんぼりと表情を曇らせる。
ああそうだ。そんなに手鏡が見たいなら、昨日梓さんに送ってもらった写真なら見せられるから、それを……。
「手鏡の写真ならあるけど。見るか?」
「見ます!」
「ほら」
写真のフォルダを開いて、佐々木さんに携帯を手渡す。
「へぇー。綺麗な手鏡ですね。これにつくも神が宿っているのですか。……そういえば、手鏡は持ち主に返すんですか?」
「一応、その予定だ。もっとも、できれば引き取りたいと思っているが。その辺りは今、持ち主の意向を聞いているところだ」
まあ、おそらく梓さんも手鏡を欲しがりはしないだろうから、引き取ることになるとは思うが。
しかし、梓さんから返信メールがきていないから、最終的にどうなるかは、まだわかっていない。
「引き取る可能性があるんですか?」
「可能性は高い。なにせ、捨てても戻ってくるような。そんな、明らかに普通ではない手鏡は気味悪いだろ?」
「まあ、普通は持て余しますね。……写真、ありがとうございました」
佐々木さんが携帯を差し出してくるので受け取る。
「ああ。だから梓さんが……、手鏡の持ち主のことだが。梓さんが、手鏡を手放したいと考えても不思議はない」
「なるほど。それで先輩は。引き取った場合に手鏡をどうするつもりですか?」
「それは……」
よーく考えれば、引き取った後の処理なんかは考えていなかったが。うーん、それもちょっと問題だよな。
無害なものとはいえ、やっぱり妖怪が憑いている手鏡を手元に置いておくのは……。なんとなく据わりが悪い。
だいたい。少なくとも捨てても戻ってきた時点で、勝手に動き回るってことだし。今は妖怪が見えているから良いけど……。
俺の体に宿った神の力については、照子に回収してもらう予定だから、いずれは妖怪を見ることもできなくなるわけで。
「……あの。もし考えていないのであれば、私に手鏡を頂けませんか?」
「えっ! 欲しいのか?」
「はい!」
元気良く、返事をする佐々木さん。
そうだよな。佐々木さんは妖怪が好きだもんな。ちょっと驚いたが、佐々木さんなら欲しがってもおかしくはない。
ただ、だからといって安易にあげてしまっても良いものか……。
あるいは佐々木さんの家は古くから続く祓い屋の家系だから、もしかしたら適切な保管方法とかがあったりするのなら……。
もしそうならば、佐々木さんにあげても良いが。だけどどうにも、佐々木さんはただ単に欲しがっているだけにしか見えないし。
「ちなみに。どうして手鏡を欲しがるんだ?」
「だって。つくも神が宿った手鏡ですよ! 欲しいじゃないですか!」
はいはい。大変素直でよろしい……。やっぱり、ただ我欲から欲しいと言っていただけだったか。
もっとも、それでも佐々木さんならつくも神の不興を買わないように、手鏡を大切に扱ってくれそうだからあげても……。
いや、そうだとしても相手は妖怪、何が不興を買うことに繋がるかわからない。やはり安易に手鏡をあげるべきではない。
「いやでも。佐々木さんにつくも神は見えないよね?」
「そ、それでも。欲しいんです!」
「もらってどうするつもり?」
「大事に使います」
「つくも神への対策とかあるの?」
「えっと。大切に扱えば、悪いことにはならないと思います」
「うーん……。まあ、まだ手鏡を引き取ることになるかはわからないし。どうするかは保留させてもらうよ」
祓い屋の叔父さんとか、結界の張られた蔵とかがあるから、佐々木家に手鏡を渡すというのは選択肢としてありだけど。
佐々木さん個人に渡すのはあんまり乗り気にならない。だからまあ、一度照子とどうするかを相談してから返事をしよう。
「そうですか。わかりました……」
残念そうな佐々木さん。
「じゃあ。そろそろ昼休みも終わりそうだし、この辺で」
佐々木さんの気が変わらないうちに会話を切り上げ、教室へ向かう。
さて、佐々木さんにはああ言ったけど。実際、手鏡をどう処理すべきかって、けっこうな問題なんだよな。
梓さんから引き取ることは、すでに確定しているが。その後、手元に置いておくのは、やっぱり遠慮したい。
といっても、現状手元に置いておくしか方法がない。うーむ……。
でもまあ、よく考えてみれば手元に置いておくといっても、そんなに長い期間にはならないかな?
力が弱いってことだし。この前の妖怪のときみたいに案外俺でも、祓ってしまえたりするかもしれない……。
祓うためには蛟に杖が必要で、今現在は佐々木家の蔵から蛟の杖が取り出せないが、いつまでもそうだとは限らない。
それに、仮にこの方法が駄目でも、神無月には照子に神の力を返せる予定だし、そうなれば照子が妖怪を祓えるようになる。
となると最悪、照子につくも神を祓ってもらえるまで。だいたい手鏡を手元に置いておかなければならない期間は、一ヶ月程度。
そう思えば、そう難しいことでもないか……。そこに考え至ったところで、丁度教室の前に辿り着いた。考えを中断して教室の中へ。
「おい窪田。どういうことだよ?」
教室に入ると、まだ俺の席の近くにたむろしていた大橋に絡まれる。
「何がだ?」
まあ、だいたい予測はつくが……。どうせ佐々木さんのことだろ?
「さっきの。佐々木さんのことだよ。木下から聞いたぞ。おまえ、あの子と友達なんだってな!」
少し声を荒げて詰め寄ってくる大橋。隣にいる木下が申し訳なさそうに、右手だけの拝み手で詫びてくる。
「どういうことだよ。おまえ、学生証を拾ってもらっただけだとか言ってたよな。いつの間に仲良くなったんだよ!」
「ああ。まあそれはだな。似通った趣味があって話が合ったというか、なんというかだな……。まあ、いいじゃないか」
「よくねーよ。この裏切り者が!」
やれやれ。面倒だな。木下に彼女ができていることを知って以来、大橋の嫉み癖もひどくなった気がする。
別に佐々木さんとは、そういう関係ではないというのに……。
「くそー。西原先輩といい。なんでおまえばっかり……」
「いや、何でそこで西原先輩が出てくるんだよ」
「ちくしょー! なんで俺には春が来ないんだ!」
「聞いてないな。これは……」
大仰に嘆く大橋に呆れていると、木下が小声で話しかけてくる。
「実はな窪田……。さっき、おまえが佐々木さんと教室を出て行ってから、西原先輩がやって来てな」
「そうなのか?」
「ああ。おまえに用があったみたいでな」
「何か言っていたか?」
「おう。おまえがいないことを教えたら、「放課後美術室に来て欲しい」と伝えてくれと言われたよ」
「そうか。サンキューな」
なるほどな。それで大橋の口から西原先輩の名前まで出てきたのか。
「おいこら。ちゃんと相手をしろよ」
「いや。相手しろと言われてもな……」
おまえのその絡みは、それなりにめんどくさいんだよ。おっ。助かった。丁度良くチャイムがなった。
「ほら。昼休みももう終わりだぞ。席に戻れ」
「くそう。この裏切り者め!」
「はいはい。わかったから」
俺は喚く大橋を適当にあしらい、追い返した。




