第六話
祝日明けの水曜日。俺は普段通り、護衛の雷ちゃんを頭の上に引き連れて、学校へ向かっていた。
それにしても、例の手鏡のことが気になるな。あんな電話をしてしまった以上、待つしかできないのだが……。
だんだん不安になってくる。何かが起これば俺のところに連絡が来るとは思うが。絶対に連絡が来る保証はない。
もしや、すでに何か起こったりしていないだろうか? いやいや。悪い方向には考えないでおこう。
まだあの手鏡が梓さんの手に渡ってから、まだ四日だ。だからきっと、何も起きていないのさ。
「ん? 電話か」
悩みながら歩き続けていると、ズボンのポケットに入れた携帯が振動していることに気付いた。
誰からかな。もしかして、梓さんからだったり?
「っ!」
立ち止まり、ポケットから携帯を取り出して画面を見て息を呑んだ。本当に、梓さんからの電話だった。
あんな気味の悪い電話をしたのに、向こうからかけてくるなんて……。
これは、何か起こったに違いない!
「はい。窪田です!」
「後輩くん! 大変なのよ!」
すぐさま電話に出ると、電話口から梓さんの大きな声。動揺しているようで、かなり慌てた声である。
悪い予感が当たった。やはり何か起きたみたいだ。
「どうしました?」
「それが! あの手鏡が、机の上に! 昨日、間違いなく捨てたのに! なんでなの!」
「落ち着いてください。ええっと……」
手鏡を捨てたのに戻ってきた? そういうことかな。だとすると、動揺するのも無理はない。
「後輩くん! 今からうちに来てくれない!」
「え? そう言われましても、家の場所もわからないですし。それに学校も……。いえ。とにかく、落ち着いてください!」
一大事のようなので、学校は休んでも構わないし。梓さんの家に行くのも、やぶさかではない。
ただ、とりあえず何が起きたのか、ちゃんと把握したい。
「まずは、何があったのか。教えてください!」
「そ、そうね。ごめんなさい。ちょっとテンパっていたわ」
「いえ。構いません。それで、何があったのですか?」
「えっと……。それは……。ちょっと待って」
考えを整理しているのか。あるいは気持ちを落ち着かせているのか。しばらく無言が続く。
「……実は昨日、立て続けに不幸が続いて。私は階段でこけて捻挫するし。母は突然、ふらっと倒れて脳震盪を起こしたの」
ふむ。そんなことが……。なるほどそれで俺が電話で言ったことが気になり、捨てたということかな?
「それで、まあ。後輩くんの忠告めいた話を思い出して。そんなことないと思ったけど。気になったから手鏡を捨てたの。そしたら……」
「捨てたはずの手鏡が戻ってきていたと」
「そう! そうなのよ! で、気味が悪くなって。後輩くんに電話したの!」
「事情はわかりました。そういうことなら、すぐにでもそっちに向かいます。家の場所を教えていただけますか?」
学校に行っている場合ではない。今から急いで梓さんの家に向かおう。
「私の家は……。いえ、やっぱりこっちから会いに行く。そのほうが早いし、後輩くんの学校で待ち合わせしましょう」
ふむ。確かに家の場所を説明してもらうより、お互いにわかる場所で落ち合うほうが良いか。
「わかりました。俺の学校ですね。あっ。どれくらいかかりますか?」
「そうね。たぶん四十分はかかると思う」
「そうですか。では登校はせずに。学校近くで待っています」
「あっ! えっと、休み時間とかでもいいよ?」
こんなときなのに、学校のことを心配してくれる梓さん。
「いえ、今日は休むか。あるいは、遅刻することにします」
「いいの? 私としては助かるけど……」
「はい。正直気になって学校どころではないので」
「ありがとう。じゃあ、できるだけ急いでそっちに行くから」
「わかりました。待っています」
「じゃあ、あとでね」
「はい」
その言葉を最後に電話が切れた。
「やれやれ」
やっぱり何か起こったか……。こうなると、問題なのは何が手鏡に憑いているかだ。佐々木さん情報だと……。
確か、つくも神や邪鬼、あるいは怨霊、妖怪だったな。
まあ、いずれにしろ不幸な出来事が起こっているし。悪いものが憑いているってのは確定しているわけか。
「厄介なことになりそうだ……」
「何がです?」
「ああ、手鏡にさ。やっぱり悪いものが憑いてたみたいで、持ち主に災いを……。てっ! 佐々木さん!」
いつの間にか、当然のような顔をして、隣に佐々木さんが並んで歩いていた。
「おはようございます、先輩。やっぱり手鏡に憑いていたものは、悪いものだったんですね。どうするんです?」
「いや。どうするって言われても……」
実際、どうしたものか……。どうにか対処したいが。
ただ、祓うとなると蛟に杖が必要なわけで。そうなると、佐々木さんの叔父さんが蔵に施した結界が邪魔……。
「そういえば、叔父さんとは連絡ついた?」
「すみません。駄目でした」
「そうか……」
祓い屋をやっている佐々木さんの叔父さんに任せてしまいたかったが、そう、うまくはいかないか。
「それで先輩、具体的に何があったんですか?」
「ええっと、それはだな……」
うーむ。佐々木さんに話すべきか否か……。ただ、話さないと佐々木さんは、しつこく聞いてくるだろう。まあ、話しておくか。
「なんです?」
「ああ、実はな……」
具体的な話は省き。捨てた手鏡が戻ってきたこと。その前日に悪い出来事があったと。俺は簡単に事情を説明した。
「なるほど。それで厄介、というわけですね」
「そういうことだ」
と。そんな会話をしているうちに、学校が見えてきたので、立ち止まる。この辺で梓さんを待とう。
「あれ? 先輩。どうしたんです?」
「ちょっと用事があってな。先に行ってくれ」
「用事ですか? さっきの話に関係してますか?」
「鋭いな。その通りだ。これから手鏡の持ち主に会う」
「それなら、私もご一緒しても?」
「駄目だ。これから会うっていっても、一時間目には間に合わないし。なにより、佐々木さんには関係ないからな」
「でも。何かお役に立てるかも」
「いや、気持ちは嬉しいが、大丈夫だ。まあ、後で何があったか話してあげるから、今回は引き下がってくれ」
「むぅ……。そう言われると。仕方ありませんね」
若干不服そうにしながらも、佐々木さんは引き下がった。
そうして、佐々木さんと別れ。待つこと四十分。梓さんと合流する。
「ごめんね。学校があったのに」
「いえ。気にしないでください。それよりも手鏡です!」
「ええ。そうね」
出会いがしらに謝ってきた梓さんを急かし、手鏡を見せてもらう。
うーむ……。特に変わったところはないな。四日前に見た眼も見えないし、今は普通の手鏡にしか見えない。
しかしまあ、加藤さんのときのように、とり憑いている妖怪が、手鏡に中に引っ込んでいるだけだろうから。
「どう?」
「何かが憑いてることは確かです」
「それはわかってる。捨てたのに戻ってくるなんて普通じゃないもの。そうじゃなくて……。どうすればいいの?」
「ええっと、そうですね。とりあえずは、この手鏡が近くになければ大丈夫だと思うので、僕が預かりますよ」
「いいの? 私は助かるけど。危ないかもしれないのに……」
そう言われれば、持っているだけでも危ないかもしれないのか。
うーん。梓さんを助けることだけ考えていたが……。言われてみると、この手鏡は持ち主に害を引き起こすわけで。
ああ……。その辺りのこと考えてなかった。といっても、選択肢は決まっている。梓さんが持つより俺が持つほうが良い。
「大丈夫ですよ。僕自身、こういうことには詳しいですし。この手のことを専門的に扱う、祓い屋も知っていますし」
「そうなのね……。じゃあ、お願いできる」
「はい。安心して任せてください」
手鏡を俺に渡して、梓さんは去っていく。その背中を見送り、俺も動き出す。
「雷ちゃん。これから家に戻るけど。その間に何かあったら頼むな」
俺の言葉を受けて、任せておけとでも言いたげに、俺の頭にぽふぽふとぶつかる雷ちゃん。
よし。さっさと照子に見せて判断を仰ごう。
そうして、かなり急ぎ足で俺は家へと帰り。そして……。
「照子、大変なんだ!」
「うん? なんじゃ幸一。学校はどうした?」
部屋に入ると、テレビを見ていた照子が反応する。ベッドにだらしなく寝そべる照子、右手にはプリンが……。
うん? プリンだと。おまえそれ。俺のじゃないか!
「おいこら。なに勝手に、人のプリンを食べているんだ」
「ほれ。三日前から冷蔵庫にあったし。いらぬのかと思うての」
「いや、おまえなー。確かに忘れてたけどさ。というか、前にも俺が仕舞っておいたお菓子を食べたよな?」
そのときは、あんまり強く咎めなかったんだよな。だが、その判断が駄目だったようだ。
照子は強く叱らないと、つけ上がるのを忘れていた。なればこそ、ここはがつんと言っておかないと……。
いや、待てよ。良いことを考えた!
「そういえば。そんなこともあったかもしれぬの」
「あったんだよ。まあ、それはともかく。ときに照子よ。俺を守っている正当な対価に、夕食を分けてもらっているんだったよな?」
「うむ。それがどうしたのじゃ?」
どうせ照子は普通に叱ったところで聞きやしない。それにここで叱りつけて、へそを曲げられても困る。
なにせ、こらから手鏡を処分するのを手伝ってもらうのだから……。ただ、だからといって咎めもしないのは、俺の気が晴れない。
だからまあ、プリンのことを利用して、今回の件への協力を取り付けてやる!
「そして俺が、何かをお願いしたときはケーキを強請ったな」
「うむ。ケーキはとても美味しかったのじゃ」
「さて。そこでだ。今、おまえは何も働かずにプリンを食べたが。それは良くないと思うんだよ」
「むっ。それはつまり、プリンを食べた分働けと?」
「さすが照子。察しがいいな。その通りだよ。それが道理じゃないか?」
あのケーキが正当な報酬だとのたまったおまえだ。当然、今回もプリンを食べた分は働かないとだろ?
「うーむ。まあ、一理あるの。わかったのじゃ。それで? 妾に何をさせたい?」
「これだ。これを何とかするのを手伝って欲しい」
手鏡をカバンから取り出し、照子に見せる。言質はとったぞ。さあ、存分に働いてもらおうじゃないか!
「ふむ。これは例の手鏡かの? これをなんとかすれば、妾にプリンを買ってくれるのじゃな?」
「ああ」
「よし! 決まりじゃ!」
嬉しそうに手鏡を俺から奪い取る照子。なぜそんなに、やる気十分なんだ?
「さて。幸一、おまえに良いことを教えてやろう。まず、この手鏡に憑いておるものは、まったくもって無害じゃ」
「え? そうなのか?」
「うむ」
「いやいや。そんなはずは。実際に……」
照子の答えに納得のいかない俺は、梓さんに降りかかった不幸と。捨てたはずの手鏡が戻ってきたという話をする。
こんな事実があるのに、何も問題ないなんておかしいだろ?
「ふむ。そんなことがあったのじゃの」
「そうだ。だから無害なわけない。面倒だからって適当言わないでくれ」
「いや、適当ではない。間違いなく無害なのじゃ。この手鏡にとり憑いている、つくも神は力が弱く。大したことはできぬ。ゆえ……」
照子によると。手鏡には確かに妖怪、つくも神がとり憑いているが、そのつくも神は非常に力が弱く、悪さなどできないそうで。
ゆえ、梓さんの身に降りかかった出来事は、本当にたまたまの、偶然の産物。妖怪とはまったく関係ない、不幸だったらしい。
「いやだけど……。捨てた手鏡が戻ってきたって」
「まあ、力が弱いといっても、移動ぐらいはできるじゃろうからの。だが、それぐらいしかできぬ。それは間違いない」
力強く断言する照子。どうやら本当にそうらしい。
「ええ……。そうなの……」
本当に。偶然。たまたま悪い出来事が重なっただけだってことか。じゃあ、最初から手鏡には何の問題もなくて……。
俺が勝手に騒ぎ立てていただけってことか。事の次第に肩の力が抜けた。
「さて。それでは幸一。無事解決したわけじゃし。妾はプリンを所望するのじゃ」
「はあ? 何言ってんだ。さっき食べただろ?」
なぜか、プリンを所望する照子に、俺は呆れた声で返す。すると、にやりと笑みを浮かべる照子。
「のう。幸一よ。妾の言葉をよーく思い出すのじゃ。妾は手鏡をなんとかすれば、プリンを買ってもらう。そう言ったじゃろう」
「なっ! それは……」
確かにそう言っていた……。
「そう。さっき食べたプリンの代わりに、解決を手伝ったわけではないのじゃ。新たにプリンを買ってもらうこと。それが条件だったのじゃ」
「くっ。うっかりしていた。まさかそんな言葉の罠が……」
「ふっふっふ。幸一、お主も甘いのう。痛!」
ちょっと照子に合わせて遊んでみたら、どんどんつけ上がったので、照子の頭を叩いてやった。
そんなくだらない理屈を通してやるほど、俺はお人好しではない。
「いや。調子乗るな。ほとんど何もしてないくせに。さっきのプリンのことをチャラにしてやっただけ。ありがたいと思え」
「むぅ……。まあ、そうじゃろうの」
照子も言い分が通るとは思っていなかったらしい。
「さて。じゃあ、俺は今からでも学校に行くよ」
手鏡は持っていっても仕方ないのでデスクの上に置く。
「そうか。いってらっしゃいなのじゃ」
気のない照子の返事を聞きながら、俺は部屋を出た。




