第三話
次の日、俺は雷ちゃんを連れて佐々木さんの家を訪れていた。呼び鈴を鳴らすと、すぐに佐々木さんが玄関から顔を出す。
「どうも先輩。時間通りですね」
「こんにちは。佐々木さん」
「こんにちは。さあどうぞ先輩。上がってください」
挨拶もそこそこに、すぐに佐々木さんに中へ招き入れられる。そうして、何度か来たことのある和室に通された。
二十畳程の和室。床の間があり、中央には丸いちゃぶ台と座布団。ちゃぶ台の上には急須と湯飲みが三つ。
「先輩、今日は照子様は?」
座布団に座った俺の対面に座った佐々木さんが、急須から湯飲みにお茶を注ぎながら、俺に尋ねる。
「いない」
俺の答えを聞いた佐々木さんは、三つあった湯飲みの二つだけにお茶を。どうやら、照子の分だったらしい、三つ目にはお茶を注がない。
「どうぞ」
「ありがとう」
「さて、それで先輩。いったい何があったのですか? 蛟の杖が必要になるということは、また妖怪関係ですよね?」
「ああ。実は昨日、クラスのフリーマーケットの商品の中に。これくらいの手鏡があって……」
俺は手鏡の大きさを両手で示しながら、佐々木さんに事情を、突然手鏡に浮かび上がった眼のことを話す。
「つまり。手鏡に何かがとり憑いていたと」
「ああ。……それで、憑いてるものが、悪いものだと不味いから。念のため蛟の杖を貸してもらおうと思ったわけだ」
「なるほど。事情はわかりました。ただ、ひとつ質問があります」
「なんだ?」
「先輩は「悪いものだと不味いから」と言いましたが。照子様がいるのに、手鏡に憑いているものの正体がわからなかったのですか?」
「ああ。それはな。残念なことに手鏡は売れてしまって。照子に見せることができなかったからだ。だから、何が憑いてるかはわからない」
「うーん。そうでしたか……」
黙り込む佐々木さん。難しい顔で何か考えている様子。
さて、どうしたものか。俺としては今日、佐々木さんの所に来た目的。佐々木さんの家が祓い屋の家系かどうか確認を取りたいのだが……。
今、このタイミングで切り出しても良いものか。佐々木さんは真剣な表情で、考え込んでいるし、もう少し待つか?
そんな風に悩んでいると佐々木さんが口を開く。
「先輩、さっきの話ですが。照子様にも相談していますよね? 照子様はどういった判断をしましたか?」
「照子は手鏡を見ないことには、何も判断できないと言っていた。だが、明日にはなんとか手鏡を見てもらうつもりでいる」
「ということは、手鏡が今どこにあるか。ご存じなのですね?」
「ああ。幸い手鏡を買ったのは、美術部の先輩の友人だったからな。だから、先輩を通してその友人と話をつけるつもりだ」
「そうですか。いろいろ把握しました。ただ、やはり蛟の杖をお貸しすることは難しいです」
「まあ、それはわかっている」
宗治さんが蔵の鍵を厳重に保管している今。蔵から蛟の杖を取り出すことができないことは、承知している。
「お力に成れず、申し訳ありません。……代わりと言ってはなんですが、知恵をお貸ししますね!」
「知恵?」
ずいっと前に乗り出す佐々木さん。知恵ってなんだ?
「はい。知恵です! 私の知識をお貸しします! 一緒に手鏡に憑いているものが何か、考えましょう!」
え? いや、それは……。手鏡に憑いてるものの正体については、明日になればわかるし、今考えても仕方なくないか。
そう考えて、佐々木さんに伝えようと口を開こうとするが。俺が口を挟む暇なく、佐々木さんは語り始めた。
「さて。化生の類で物にとり憑くものは、それなりに数がいますが。やはり、一番真っ先に思いつくのは、つくも神ですね」
明るく元気に。何やらスイッチが入った様子の佐々木さん。
「つくも神、先輩も名前くらいは聞いたことがありますよね? 古い道具、年月を経た物には、霊魂が宿り意思を持ちます」
ああ。まあ、名前くらいは。確かに俺でも聞いたことがある。
「つくも神は、神とついていますが。神様ではなく、妖怪の一種で。その性質は、人にどのように扱われたかで変わります」
捲くし立てるように話す佐々木さん。……この感じ、芸術のことを語る西原先輩と通ずるものが。
こういうのって長くなるんだよな……。
「丁寧に扱われたならば、特に人を害することはありませんが。乱雑に扱われたものは、人を害することも……」
ただ、随分楽しそうなので、俺としても止めるのは気が引ける。まあ、俺にとっても案外都合が良いし、好きなだけ話してもらおう。
佐々木さんの家が祓い屋なのかについて。妖怪に詳しい理由から問うていく予定だったから。この話の後なら自然に切り出せるしな。
「もっとも、つくも神の多くは妖怪としては力が弱いので。大したことはできません。ちなみに私、つくも神は昔、一度見たきりなので――」
「つまり。つくも神ならば、特に心配するようなことはないわけだな」
なんだか、余計な話に脱線しそうだったので遮った。とりあえず、話には付き合うが、脇道に逸れるのは勘弁してくれ。
「ええ。つくも神ならば心配せずとも、大丈夫だと思います。問題なのは……」
時折、話がふくらみ脇道に逸れつつも、問題となるいくつかの事例を挙げる佐々木さん。その話を纏めると……。
まず最初の例は、つくも神と似た存在、邪鬼。生物が強く抱いた恨みなどの、負の残留思念が物に滞留することで生まれる妖怪。
生物が強く抱いた負の思念は残留思念となって、空間に滞留する。それは妖怪を生み出すもととなるのだが。
そんな残留思念は、時折物に溜まることがある。そうした負の念が物に溜まることを、邪気が宿ると言い。
転じて邪鬼が宿るとなり、邪鬼と呼ばれるようになった。この邪鬼はつくも神と同じく、最初から物に宿ることで生まれる妖怪。
ただ、つくも神と違い、恨み辛みの負の念を溜め込んで生まれるため、持ち主に災いを呼ぶ。
次に、この邪鬼に似た性質を持つ怨霊。怨念を抱いた人間が死に、その強い恨みの念から幽霊となったもの。
こちらも、邪鬼と同じく深い恨み辛みの念を持って生まれるので、人に災いをもたらすことが多い。
ただ、怨霊の場合はつくも神や邪鬼と違い、物に宿り生まれるのではなく、外部から物にとり憑く。
なので、少し成り立ちが違い。また、怨霊は強く思い入れのある物にしか、とり憑くことできない。
最後に、つくも神と邪鬼以外の妖怪たち。これらも怨霊と同じで、外部から物にとり憑くもの。
物に執着し、深い思い入れを持ち。それゆえ物にとり憑く妖怪。
このつくも神と邪鬼以外の妖怪の場合は、その妖怪の性質によって人間に害を成すかが決まるが。
注意すべきは、物に思い入れを持っているので、性質に関係なく、物を乱雑に扱うと害を加えられる可能性があることだ。
「とまあ。つくも神以外は、厄介だと思います」
佐々木さんは、そう締めくくった。
「なるほど……」
なんだか、思ったよりも面倒だ。
長々と語られたが、なかなか興味深い話だった。参考にさせてもらおう。ただ、今は脇に置いておく。
なぜなら、佐々木家が祓い屋か聞くために、妖怪が詳しい理由を尋ねるのに。この絶妙のタイミングは逃せないからだ。
「しかし、前から思っていたんだけど。佐々木さんって随分と妖怪とかに詳しいよね。どうして、そんなに詳しいのかな?」
「えーっと。それはですね……。うーん、先輩なら大丈夫ですよね。実は私の家は、由緒ある祓い屋の家系なんですよ」
タイミングが良かったおかげか。佐々木さんは、少し悩む素振りを見せたものの。思いの他、あっさりと暴露した。
しかし……。半ば確信を持って尋ねたとはいえ。いざ、こうしてはっきりと肯定されると、やっぱり少しは驚くな。
「まあ、そうはいっても。ご時勢か。お爺さんのお爺さんの代から、徐々に衰退して。今では、祓い屋を名乗っているのは叔父だけですが」
「そうなのか……」
叔父さんが祓い屋ねぇ。てことは、蔵の結界もその叔父さんが施したものなのだろうか?
もしそうならば、照子が結界を壊して無理矢理蔵に侵入したとしても、その叔父さんは結界を張り直せるわけで……。
いや待て。そもそも、叔父さんが祓い屋ならば、俺が動くよりも、その叔父さんに動いてもらうほうが良いのでは?
俺よりも断然妖怪に詳しい、その道のプロなわけだし。そのほうが良い気がする。ただ、懸念事項もある。
よく考えれば、加藤さんの件だって。その叔父さんが出張ってくれば、解決できたのではないだろうか。
しかし、佐々木さんの口から叔父さんが祓い屋をしているという話は出なかった。それはなぜなのか?
その辺りの事情が気になるところである。ただ、とりあえず叔父さんを頼る方向で話を進めてみよう。
「佐々木さんが妖怪に詳しい理由。腑に落ちたよ。代々続く祓い屋の家系ならば、これだけ詳しいのも当然だな」
「ええまあ。そういうことです」
「うーん。にしても、叔父さんが祓い屋なのか……。だったら、手鏡のことも。その叔父さんに解決をお願いできないかな?」
「うーん。それはどうでしょう……」
佐々木さんは難しい顔をする。
「もしかして、難しいのか?」
「実はですね。叔父さんは極稀にしか、うちに顔を出さないうえに。忙しいのか、なかなか連絡がつかないんですよ」
「そうなのか」
「はい。現に、加藤さんの一件のときも、連絡がつかなくて。結局、向こうから連絡がきたのも、美都子さんの葬式の後でしたし……」
加藤さんの件についても、俺の知らぬうちに、佐々木さんは叔父さんと連絡を取ろうとしていたらしい。
「そのうえ、連絡がついたからといって、叔父さんの都合によっては、すぐに動いてくれない可能性もあります」
「うーん。まあでも、一応連絡だけ取ってくれないか?」
「わかりました」
蛟の杖がなく。さらにあったとしても、場合によっては俺の手に負えない可能性があるわけで。
正直、その叔父さんに任せたほうが良いのだがな。なかなかうまくはいかないものである。
ああ、もう一つ聞いておかないと。
「それからもう一つ聞きたいことが。蔵に結界を張ったのは、その叔父さんなんだよな?」
「え? 蔵に結界なんて張ってあるのですか?」
「え? 知らなかったの?」
驚いた佐々木さんに、つられて俺も驚く。意外である。てっきり、佐々木さんも知っているものかと……。
「照子の話だと、妖怪なんかを弾く結界があるらしいんだよ。でまあ、それが叔父さんの仕業か確認したかったんだが……」
この分では、確認できそうにないな。うーん、やっぱり照子に結界を破らせるのは、やめておいたほうが良さそうかな。
「うーん、なるほど。それでバレたわけですか」
「何がだ?」
「えっとですね。実は……」
一人納得する佐々木さんの意図がわからず尋ねると。佐々木さんは語る。
佐々木さんによると、蔵に入ったことが宗治さんにバレたのは、叔父さんからの告げ口のせい。
叔父さんは佐々木家に来たわけでもなく。ずっと遠隔地にいるのに、佐々木さんが蔵に入ったことに気付いたらしい。
そして、そのことを佐々木さんはずっと不思議に思っていたが、今俺の話を聞いて。バレた原因がわかったそうで……。
佐々木さんの推測によると、結界には仕掛けが施されており、蔵に誰かが入ったら叔父さんに通知がいくようになっていたのではないかとのこと。
「なるほど。ということは結界を施したのは、叔父さんということか?」
「そうなりますね」
「それは朗報だ。それならば蛟の杖を蔵から取り出せるかもしれない」
「どういうことです?」
「ああ、それはだな……」
佐々木さんに、照子を使って蛟の杖を蔵から持ち出す方法を話す。
「なるほど。そのような方法が。……だけど、それは最後の手段にするべきです。結界を破ったら、おそらく叔父さん、飛んできますよ」
むっ。そうなのか? いや、照子の話の通り、蔵の中にあるものが危険なものならば、それも当然のことか。
「無論、最後の手段にするつもりだ」
今のところ、事態は切迫していない。とりあえずは、手鏡に憑いてるものが、悪いものか確かめてから、どうするか判断しよう。
「さて。それじゃあ、聞きたいことも聞けたし。そろそろお暇させてもらおうかな」
「え? もうですか?」
「もうって。なんだかんだ長居してるんだが……」
「いや先輩。まだ今回の一件をどう解決するか。どう動くか。決まってないじゃないですか!」
「いや、俺の中ではもう方針が決まってるぞ」
「え! そうなんですか。それで。私はどうすれば?」
「えっ! 佐々木さんは、特に何もしなくても良いけど?」
「えっ?」
「……」
「……」
無言で見つめ合う俺たち。うーむ、佐々木さんは今回の一件にも首を突っ込む気満々だったらしい。
だが、悪いけど佐々木さんにしてもらうことはないし。というか、危ないかもだから首を突っ込んでほしくない。
「いやだって。今回は加藤さんのときと違って、佐々木さんには関係ないし。できることだってないと思うんだよ」
「うっ……。そう言われるとそうかもしれませんが……」
「まあ。今回は、俺に任せてくれ」
「うーむ。仕方ありません。ただ、できれば解決したら、その経緯を教えてください」
「ああ。わかった」
何もできないことに、どこか不服そうであった佐々木さんと約束して、俺は佐々木家を後にした。




